離島戦記

 第1章 隔離された島

once「王都グラッディア」01
*前しおり次#

 王都を囲む門は、北と東西、計三つある。生まれ育ったミシフ村を繋ぐ北の門しか出入りしたことのないタトスだが、この門が閉まるところを見たことはない。夜、害獣を防ぐために門扉を閉めるそうだが、その時間タトスはというと、お化けが怖くて宿の中だった。
 だから、昼間この門を検閲する兵士とは大抵顔見知りだ。直前にあった幌馬車の検閲が終わり、兵士が目を向ける頃には、タトスは笑顔で手を振っていた。兵士も笑みを堪えて出迎えてくれる。
「ああ、ブローアンさんとこのタトスか。久しぶりだな。オリジェン嬢、道中お疲れ様です。どうぞ、城まで使いを飛ばしましょうか?」
「いつも検閲お疲れ様です。せっかくのお心遣いですが、お気持ちだけ。ありがとうございます」
 はにかんで頭を下げるリヴィンに、タトスはぽかんとして彼女を見下ろした。大して背も変わらない少女は、優しい笑みを曖昧なものに変えて、言いづらそうに口を濁している。
「その、検閲は私たちも受けたほうがいいんじゃ……」
 検閲兵は、検閲の帳簿に書き込もうとした手を止めて、にやりと笑って見せた。
「じゃあ、嬢。そのタトス、どう頑張ったら怪しく見えますか?」
「……そ、それは……無理です……」
「でしょう? こいつのバカ正直っぷりは俺たちも知ってますよ。検閲ったって、あくまで疫病と、獣と、こいつが怖がるお化けを防ぐぐらいしか役目ありませんよ」
「パ、パラックさん!」
 リヴィンは少しだけ間を置いて、仕方なさそうに頷いて、同僚に頭を下げていた。
「で、では……お言葉に甘えて」
「どうぞどうぞ。賊が扮していない限り嬢を引き留める理由はありません」
 結局女の子がかわいいだけじゃないか。タトスがむすっとした顔を兵士に向ければ、彼のにやりとした顔と目が合う。
「よかったなあ、我らがオリジェン嬢と一緒に調査隊。むっさいヴィネクトさんより、お前なら安心だよ」
「えー……僕も父さんとリヴィンが一緒は嫌だけど、パラックさん、なんか変なこと考えてない?」
「ないない。ああ、そうだ。城に寄るなら兵団の談話室覗いてこい、みんな会いたがってたぞ。はい通過よーし」
「本当!? うん、絶対行くよ! じゃあねパラックさん、またね!」
 途端に噴き出すように笑う兵士に、リヴィンまでくすくすと笑いながら、タトスと共に検問所を通過する。足取り軽く進むタトスは、リヴィンが小走りに並んできて、やっと速度を落とした。
 石畳の道が、往来の人々の足音で軽やかな音楽を奏でる。馬車が走っていって、道々の露店では金属の品物が陽光を反射した。
 城の塔を目印に慣れた道を進むうち、タトスは今さらあの兵士の言葉に首を捻る。
「リヴィンって、城じゃ有名なんだね。僕毎年行ってるけど、全然知らなかったや」
「い、いえそんなことはっ! ……そ、その……よくお城で迷子になってしまって、パラックさんにも助けてもらったことがあるんです」
 ……なんだか、ただでさえ子犬のようだと思えていた彼女がさらに子供に見えてきてしまった。彼女はタトスより年下のようだし、成人もまだなのに城で術者として働けると言うのは、逸材の証拠のはずだ。
 同じく城で働く幼馴染の顔を思い出して、タトスは思わず笑いが込み上げてきた。
「リュナムいるかなあ……!」
「――タトスさんも、お顔が広いんですね」
「え、ええ!? 父さんにひっついて、兵団のみんなに稽古つけてもらったぐらいだよ!? 凄いのは父さんのほうだよ!」
 慌てて訂正した途端、リヴィンからは意外そうな顔をされた。彼女がぷっと噴き出して、タトスは何か変なことを言ったかと背中が強張る。
「お父様のこと、尊敬されているんですね」
「そ、そりゃあ……父さん強いし……僕をからかったりしなきゃ好きだよ」
「きっとブローアン様も、嬉しくてからかっていらっしゃるのかもしれませんよ? 私の友人がそうでしたから」
「え、ええー……え? リヴィンって何歳?」
「内緒です」
 丸っこい髪形のように、柔らかくはぐらかされた気がする。タトスは釈然とせずも、城門を潜って、エントランスホールを目指すべく庭を歩いた。
 しっかりと舗装された道は綺麗で、中央の低い搭、周りを囲む高い四本の塔、その塔から十字に交わって伸びた球場の王室が、中央の搭に支えられた景観はいつ見ても綺麗だ。王室へと入るためには、特殊な魔法を解く必要があると、昔教わった気がする。
 他の人には教えちゃだめだぞと言っていたのは、誰だっただろう。あれっきり会っていないからまるで思い出せない。
「リヴィンって、王室を覗いたことってある?」
「え!? そ、そんな怖れ多いことできませんよ!」
 慌てて遮るリヴィンの気迫に、やっと自分の失言に気づいたタトスは、衛兵に謁見の間に案内されるまでリヴィンの説教を受けることになってしまった。
 意外と、彼女は口達者に怒るタイプのようだ。


 真実を継承する風の国。ゲイル国はどういう国かと言われれば、皆そう答える。
 その風を語る国の膝元、城の謁見の間は緑を基調に、優雅で落ち着いた印象を与えた造りとなっている。背後の絵画は一部にステンドグラスを埋め込み、昼日中の謁見の間に、国の創設時を輝かしさと共に伝えていた。
 金の装飾を施された玉座に座る人影が、指を組み合わせた。国王である黒髪に蒼い目の、その男性が笑んできて、タトスは思わず背筋が伸びる。
「楽にして構わん。おれも今回は肩っ苦しい真似はしたくないんでな」
「え、え!? いやさすがにっ」
「国王陛下!!」
 鋭く発せられた少女の声が、ただでさえ三人で会うにはだだっ広い謁見の間に轟いた。
 一瞬で体を痺れさせるほどの声量。隣にいるのは少女のはずなのに、そのリヴィンを見やることができない。
 国王、ヴァリエス六世は顔を引きつらせて笑っている。
「オリジェン、そう固くなるな。おれは気楽に行きたいんだと何度も」
「臣民の前でそんなに崩された態度をお取りになったら、陛下の信頼がまた落ちてしまいますっ」
「ほう、そんなに心配してくれるということはおれに」
「気はありません!!」
 また鋭い声が轟いた。やっと耳で塞ぐ準備ができていたタトスは唖然とヴァリエスを見上げる。
 こんな人だっただろうか。以前のゲイル国生誕祭で見た姿は。
 いや、その前にリヴィンってこんなに鋭い声を出せたのか。知らなかった。
 抑え気味に笑う国王。側近たちは謁見の間の入口を守ったまま慣れた様子だし、いったいどうなっているのだろう。
 ……なんだか自分の父と気が合いそうだ。考えたくなかった。
「相変わらずだなあ、オリジェン。で、そちらが、ヴィネクトの子のタトスか。でかくなったな」
「え!? あ、は、はい! ――え、僕のこと知ってるんですか!?」
 叫んで、はっとした。
 刺さる視線が痛い。いくらなんでも国王と会っていたことを忘れるなんて、さすがにまず――
「っはっはっは! そうだな、一度だけだからお前も覚えてはいないだろうな。おれもお前が迷子の女の子と間違え」
「国王陛下!!」
 ついにリヴィンだけでなく、入口にいた近衛兵まで叱り飛ばしていた。耳を手で覆って聞かないふりをする陛下に、タトスの顔から表情が剥がれ落ちる。
 幼少期の傷を抉られた。
「もうっ、どうぞ本題を進めてください!」
 ついにリヴィンの口から遠慮の二文字が消え失せた。ヴァリエスは軽快に笑って、タトスとリヴィンを改めて見下ろしている。
 蒼の目が、凛と空気を鎮めた。
「リヴィン・オリジェン第八召喚術師団員」
「はっ」
「タトス・ヴィン・ブローアン」
「は、はい!」
「貴殿らに赴いてもらうのは、つい一月ほど前に、本土南東の位置に出現した島。推定、過去ゲイル国内に存在していた、当時本国最先端の技術が集結していた島、レドゥだ」
 レドゥ。
 聞いたことのない名前だと、表情が崩れかけるタトスの隣で、リヴィンの肩が一気に強張った。
 リヴィンを見下ろすヴァリエスの目が、真剣なものへと変わっている。
「当然その島そのものとは限らん。過去、レドゥ島は世界に出現した|奈落の崖《ガイアフォール》の拡大と同時期に、島丸ごと消失したと伝えられている」
 過去、奈落の崖がこのゲイル国に迫った時と同じくして消えた島。
 つまりは五百年以上昔に消えた島ということになる。そんな島が蘇るなんて、お化けとしか思えなくて、タトスは顔が青ざめかけた。
「だからこそだ。あの島がいったいなんなのか、人がいるのか、生態系が存在するのか。貴殿らと他に数名、一つのパーティを組んで調査に向かってもらう。もちろん他にも調査団は数隊に分かれて派遣する。貴殿らの隊は先発隊だ。航路の安全の確認と島の安全地帯の確保となる。後の大規模な調査の前に、島の現状を確認し、城に持ち替えるのが貴殿らの任務となる。よいな」
「は、はい」
「――謹んでお受けいたします」
 強張っているのは、肩だけではなかったようだ。
 リヴィンにならって頭を下げたタトスは、近衛兵に時間を告げられて謁見の間を退去する。どうしても謁見の間の出来事全部が何かのいたずらにしか思えず、リヴィンのことも気がかりで彼女を見やった。
「……大丈夫?」
「はい……もし、レドゥ島そのものだったら……島が復活していたのなら、と思って……」
 過去消失した島が復活したら。そんなお化けみたいな話、どうにも身震いする。
「もしそうだったら怖いね。住んでる人皆幽霊なのかな……で、でも大丈夫だよね、島が本当に元通りに戻ってるんなら、きっと島に住んでた人たちも生き返ってるよね! ――あ、ってことは島にいたお化けも……! い、いや――だあ!?」
「まーだお化けお化けって怖がってんのかよお前。もうちょっと耐性つけろよ、男だろ」
 聞き覚えのあるキーの高い青年の声。はっと振り返れば、宮廷魔術師直属であることを示す装束とエンブレムを身に着けた、後ろに流し気味の黒髪ハーフエルフが呆れた顔で見下ろしてきているではないか。
 ぱっと顔が明るくなるタトスに、青年もにっと暗のない笑みを見せる。
「よお、調査団に選ばれたんだってな。改めて頼んだぜ、タトス」
「リュナム! ってことはリュナムも一緒なんだ?」
「あったりまえだろ。あ、あとオレ、やっと宮廷魔術師補佐から正規に昇格した」
「え、それもっと早くに教えろってば! おめでとう!」
 久しぶりの拳も交えながら、ふとリュナムが姿勢を正したのを見て、あっとリヴィンへと振り返る。
 リヴィンが微笑ましそうに笑いながら、リュナムへと頭を下げていた。
「初めまして、インブラ宮廷魔術師。第八召喚師団員、リヴィン・オリジェンと申します」
「よろしくな。あー、オレ陛下と一緒で堅っ苦しいの苦手なんだよ。もうタトスと同じように話してくれな」
「――わかりました。でも、その……陛下のプライベートでのご様子は、ちょっと」
 言いにくそうなリヴィンの言葉を察してか、リュナムの疲れた顔が頷いている。
「わかってる。十年見てりゃあな……まあそりゃともかくだ。タトス、お前兵団側に顔出してくるんだろ。オレたちは残りの協力者のところに先に行ってる。あとで港に来いよ」
 頷き、リヴィンやリュナムと別れる。タトスはふと、二人の会話が聞こえたようで振り返るも、彼らは真剣な顔で額を突き合わせるようにして、話し込んでいた。
 まるで今後の計画を練るような――そうだ。
 調査と言っても簡単なことじゃない。船の上でも、天候以外に危険はあるのだ。
 島に着いた時のこと、調査のこと。きっといろいろと、二人は考えてくれている。
 自分はそういった、考えると言うのはとても苦手だ。魔法を操る力だって、感じる力だってない。槍や剣や弓を扱えて、狩猟用の罠を作るぐらいだ。
 だからできることがあるとするならば――
 走って、走って。タトスは地上部隊の中でも、肉弾戦を主とする師団、父が所属していた青銅の盾隊の談話室の戸を叩いた。
「お久しぶりです、ヴィネクト・ヴィル・ブローアンの息子のタトスです! 突然ごめんなさい、また一時間だけ稽古つけてください!」
 守る力を人一倍つけて、みんなを守るんだ。
 
 


ルビ対応・加筆修正 2020/05/03


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