離島戦記

 第1章 隔離された島

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*前しおり次#

 海鳥がよく鳴く。港へと急いで走ったタトスは、近くの冒険者の宿でリュナムたちが待っていることを知り、慌ててそちらへと向かった。
 雑然騒然とする店内は一階を酒場とした、どこにでもある造りだ。銅貨を手に料理を注文する客や、料理を運ぶ店員を避けたタトスは、テーブルに腰を落ち着けているリュナムを見つけた。注文を聞いてきた店員に断りを入れて、リュナムに近づいていく。同じテーブルに座っていた青い髪と目の、人懐っこそうな少女が目を真ん丸に見てきたでないか。
「ああーっ!? うそおっ!?」
「え、え!? いきなり何!?」
 一瞬で店内が静まる。少女ははっとしたのか、慌てて口を閉じた。やっと手がどけられた口からは、小さく舌が覗いている。
「ごめんねぇ。知ってる人に似てたのー、つい……」
「ティ、ティファちゃん……」
「随分と大きな声だったな」
 生暖かく、青い髪をポニーテールに結わいた弓使いの少女を見やる、黒の長髪の青年。立ち上がるとタトスに近づいてきて手を差し伸べてきた。
「オルファ。傭兵だ。今回の編成で一緒に戦う身として、互いの手の内は知っておきたいんだ。後で一戦頼むよ」
「は、はい……!」
 随分と穏やかな人だ。厳つい手を握って、腰の長剣を見ていなければ、きっと手練れだとはすぐに気づけなかっただろう。
 部分鎧を関節や肩などに当てていて、身軽さがよく伝わる。タトスのような防御を中心とした動きよりも、前に出て戦うほうが得意のようだ。教わることも多そうで、タトスは自然背が伸びた。
「タトス・ヴィン・ブローアンです。槍使いなんだ、よろしくお願いします」
「へえ、槍使い……よろしく。苗字を持っているということは、貴族出身なのか?」
「へ? ううん、田舎の村育ちだよ」
「タトスお前……田舎の村って、どっちも同じ意味だろ」
 大量の料理を盆に載せて運んできたリュナムに、タトスは目を瞬いた。オルファがおかしそうに笑い、リュナムを見て目を細めている。
「宮廷魔術師殿に運ばせてしまって悪いな」
「気にすんなって。こっちの実家は宿屋だからな。この店の姉ちゃんたちをあんまり動かしたくねえだけだって」
 貴族出身……かあ。
 村じゃ全然聞かれなかった。タトスが初めて街に遊びに来た時だって、城の兵団の人たちですら、何も聞いてくることはなかった。
 そう言われてみれば、リュナムだってインブラという苗字はあるけれど、オルファは名乗りもしなかった。苗字がない人は村にも何人かいる。特に気に留めることもなかったのだ。
 貴族出身か、なんて、初めて言われちゃったなあ。街の総代とかと同じような役職の家系って意味だった気はするんだけど。
「つかな? こいつが貴族だったら、相当のボンボンで初陣すら出られねえぜ、きっと」
「リュナム!?」
 いきなりの親友からの裏切りに現実に引き戻されると、青い髪の弓使いの少女がころころと笑っているではないか。
「あははっ! リュナ兄は面白いねっ」
「そういうてめーも相変わらずだなティファ」
 どうやらあの弓使いはリュナムの知り合いらしい。嬉しい再会、とは決して行かなかったようだ。生暖かい顔で少女を見下ろすリュナムは、食事をテーブルの上に並べ終えている。
「つか自己紹介全員終わってるのか?」
「あ、まだだったあ」
 弓使いの少女が、タトスの傍へとやってきて見上げてくる。旅芸人か、その一座か。そう思わせるぐらい鎧も見当たらない身軽な子に、タトスは目を瞬いた。
 この子、何気に隙がない……。
「ティフィーアだよ。ティファって呼んでね。得意技はこれと――これっ」
 この子も苗字がないみたいだ。弓を持ち上げた手と、その反対から湧き出る水に、タトスは目を瞬かせる。
「わ、精霊術!? リュナムと一緒だ!」
「まあ魔法って点じゃ似てるけど、精霊魔法と魔術は厳密には違うって教えたろ……返せオレの講義時間」
 団欒の言葉が似合いそうな店の雰囲気に雷雲が立ち込めそうだ。タトスは苦笑いを浮かべてかわすと、ティフィーアが興味津々で隣に座ってくるものだから不思議な思いになる。
 この子よく人になつくんだなあ。
「ねえねえ、貴族じゃないの? ミドルネームがヴィンってことは、ウィルとか、ヴェルとか、本当はそういう読みなんでしょお?」
「へ? あ、うん。父さんはヴィルだね。なんか、一文字ずつずらしてるみたいだね」
 どうしてそんなことを聞いてくるんだろう。ただの田舎育ちなのになあ。
 リヴィンがたしなめるようにティフィーアに声をかけて、彼女が舌を出して笑う様子に困ったような笑みだ。きっとこんなことでも気になる人はいるということだろうか。
 長い手袋を外しながら、ティフィーアはご機嫌な様子だった。
「また旅できるんだねえっ、がんばろーっ」
「ティファちゃんって元気だなあ」
「元気すぎてたまに振り回される……」
 ……。
 リュナムのげっそりとした声を聞いて、タトスもオルファも思わず振り返っていた。


 船は帆に風を受けて順調に進めている。風を操れる精霊術師がいると、帆に受ける風を少し増やせるそうだ。
 リヴィンがその風を特に得意とする精霊術師だから、船を進める手伝いをしているという。リュナムが感心して見上げる様子を、オルファと手合せしながらちらりと見やっていた。
「隙を見せるな」
「大丈夫です!」
 剣の軌道を槍でそらす、自身の体は軸ごと動かす。
 自らの重心まで少しずらされたオルファが驚嘆を見せて、楽しげに笑んでいるではないか。
「なるほどな。槍使いとしての鍛錬は十二分というところか。前線で活躍できる力は十分そうだな」
「ありがとうございます!」
 嬉しさに顔を綻ばせた瞬間、オルファが鋭く突きを繰り出してきて、タトスはあえて鎧の金属部分に当てさせて弾いた。衝撃こそ痛いものだが、生身が触れるより、槍を握る腕を痛めるより断然いい。
 すぐさま柄をぐるりと回してオルファの腕ごと剣を絡め取り、弾き上げた。
 放り上げられた剣は弧を描いて、船の縁ギリギリまで転がっていく。見物にしていた船員たちが慌てて退く姿に謝るタトスに、オルファが笑っているではないか。
「ははははは! いい腕だ。手加減していたおれが悪かったな」
「あ、やっぱり手加減してもらってたんですね」
「ああ、それもわかっていて動けていたんだな。相手の実力まで把握して動けているのはいい戦士の証だよ」
「ありがとうございます!」
 ここまで褒められるなんて思っても見なかった。こそばゆい一方で嬉しさが先に勝ち、タトスははにかむ。オルファの穏やかな笑いに、こんな兄がほしかったとしみじみ思い返していると、兄貴分の拍手が後ろから聞こえてきた。
 リュナムも後ろから観戦していたようだ。ハーフエルフの細腕では重たいだろうオルファの剣を両腕で持ち上げて、重量に目を丸くしながらも持ち主へと返していた。
「こんなの軽々振ってる奴と、それを弾き返す奴か……お前らが前線なら安心できる」
「勿体ないお言葉だよ。宮廷魔術師の称号を若くして継いだ君の実力には到底及ばないさ」
「よせよせ、オレなんて半分師匠が引退したいから位押しつけられたようなもんだぜ。困っちゃいないけどな」
「世の魔術師が目を剥くことをさらりと言うんだな……」
 タトスは茶を濁すように笑うしかできなかった。それでも、リュナムがそういうもんだと肩を竦めた時には、オルファに事実を一から十まで並べる準備はできているわけで。
「リュナムは宮廷魔術師元帥の、フィンズ導師の教え子なんです。昔から魔術の腕と魔力量が凄くて、小さい頃実家から本土に連れてきてもらってたんだ。小さい時からずっと術師として力を磨いてきてたもんね」
「なるほど、努力を披見させたくなかっただけなんだな」
「……よせってば、こっ恥ずかしいっての」
 顔を覆うリュナムに、タトスもオルファもさっぱりとした笑いを響かせた。
 船の前方は真っ暗の帳だ。これから帆を畳み、暗礁に気をつけながら船を進めていくという。
 海洋のモンスターが出ない限りは、自分たちの出番はなさそうだ。流れた汗を拭いながら、タトスは男性側にあてがわれた部屋へと向かいつつ首を傾げた。
 そういえばヒーラー――神官の姿がない気がする。部屋で祈りを捧げているのだろうか。
「食堂かな……」
「食堂? 腹減ったのか?」
「あ、ううん。あと一人、神官も一緒に来てるんだよね? ティファたちとは挨拶終わったけど、まだ神官に会ってないなあって思って」
 ああと、オルファたちが苦笑いを浮かべた。
「あの神官は男嫌いなんじゃないか? ……会った時に話せばいいと思うが」
「え、挨拶は最初にしておきたいんだけど……ダメかなあ」
 タトスが不思議そうに聞くと、リュナムは肩を竦めている。
「行きたいなら行っていいと思うぜ。ま、女の部屋に行くんだから手身近に終わらせろよ? 相手警戒させちまうからな」
「え? ……そんな下心ないよ!?」
 リュナムとオルファの目が、生暖かく据わった瞬間だった。
 船室はさほど多くない。調査兵団と言っても、実質島の中で活動するのは自分たち五人と、これから会う神官ぐらいだ。残りの兵団は別の船で移動するらしい。自分たち以外、この船にいるのはほとんどが船員だ。
 リュナムが言っていたが、島に住民がいた場合、調査団を一度に投入することで、船団が島に来る光景を見た島民たちに、よそからの攻撃と思われてはいけない。島民がいる場合に下手に刺激をしないため、必要最小限の人数で、まずは港を利用できるか確認を取りたいのだそうだ。
 その役目を担うのが宮廷魔術師のいるパーティというのも納得した。リュナムってやっぱり頭いいねと言ったが最後、脳天に手刀を食らったけれど。
「お前もその調査団だろーが!」と。
 狭い廊下を抜けていると、やがて女性にあてがわれた部屋を見つけた。自分たちの部屋から随分と離されているのは、心の距離だろうか。別に不純な思いなんて一切ないのに。
 隣の扉には聖印がかけられている。もしかしてこの部屋にいるのかもしれない。
 火と、剣の聖印――火の神としても知られている、試練による戦と鍛錬を是とする武神ティルダーンのものだ。主にドワーフたちのように金属に細工を施すような職人たちや、戦士たちが崇めている。
 確か本土センディアムより北にある島、火山島フレイメリアに信者が多い神だったはず。ということは、仲間の神官はフレイメリア島から来たのだろうか。航海なら水の神や風の神のはずだ。火を象徴する武神を崇めているのなら、もしかしたら前線に出て戦える人なのかもしれない。
 そっと扉をノックする。
 しばらく待って、待って……もう一度ノック。
 ……。
 全然誰かが出てくる様子がない。
「あのー、調査兵団の……あれ? そっか、ここみんな調査兵団だ!」
 リュナムが後ろにいたら呆れられたに違いない。彼が今ここにいなくてよかった半面、恥ずかしさで耳が赤くなる。
「あの、タトス・ヴィン・ブローアンって言います! 神官の人いるかな? 僕これから一緒に調査に行くから、挨拶したくて!」
 ……。
 返事、ない。
 それだけ人見知りが強いのだろうか。扉の前でこれ以上右往左往とするのも、よくない気がする。中にいないのだろうかと困っていると、後ろから船員たちの大きな笑い声が響いてきた。
「なんだ、女の部屋に入る前にフラれたのか?」
「ち、違うよ!? 挨拶に来ただけです!」
「坊主奥手だな、堂々としてりゃいいのによ」
「違うってば!!」
「た、タトスさん……?」
 助け舟と思って振り返る。リヴィンが身を引きかけていて、タトスの顔はさっと青ざめる。
「リヴィンあのっ、ちが、挨拶しようと思って!」
「じょ、女性の部屋に押し入るような子だったなんて……!」
「ちが、って待って、子って、僕のほうが上じゃなかったっけ!?」
「タトスさん最低ですっ!!」
「だから違うってばあ!!」
 問答無用で扉が閉められた。
 絶望一色で、持ち上げた手が行き場を失う。助けてもらえると思ったらそんなことは全くなかった。
 後ろの足音がそっと去っていく。持ち上げたままの手が震える。
 最悪だ。尊厳なんて通り越して人格をみじん切りにされた。全然違う人物像が勝手に一人歩きして、タトスを船から叩き落とそうとしている。
 これでは確実に、ティファという子にまで知れ渡ってしまう。なのに。
「だから……っ、誰か信じてよー!!」
 夜の海は、船舶の中の悲鳴など気にも留めずに波を立てたという。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/03


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