離島戦記

 第1章 隔離された島

10th「敵は誰か」01
*前しおり次#

 ティファは話し合いが終わってすぐ出立した。チーグからは「夜明けに農作業に出る農民たちに紛れて出るほうがいい」と伝えられていた彼女が、こんな夜中から移動するのには考えがあってのことだろう。
 一方、タトスたちはそのまま隠し部屋の堅い床の上で休息をとった。いびきかきなリュナムも、疲れからなのか幸い今回ばかりは大きな音を立てなかった。埃っぽくて空気はまずかったが、それはそれだ。外敵の脅威も、追手もいない場所での睡眠は随分違う。
 外に出ることなく日課の槍の素振りをしたかったが、部屋の広さやみんなの安眠を考えて控えていたタトスは、チーグに教えてもらった覗き窓からこっそり外を見やった。
 街に人影はない。空が白んできているのに、人がいない。
 こんな街が五百年前の世界なんだと、タトスは薄暗い色味ばかりの街並みを見て身震いした。
 ミシフには緑があった。煉瓦屋根の赤茶色だって、嵐に飛ばされたために木の皮葺きになった屋根だって。
 淡い曙色が空を埋め始めた時には、街に落ちた濃紺が徐々に明るい色になっていくのを見るのだって、山々の稜線を縁取る黄金色だって、山を越えた日の光に照らされた萌える緑だって、どれをとってもただただ綺麗だったのだ。今日どんなことをしようかと笑顔で考えられた。
 この街に地平線はない。
「淋しい街だなあ……」
「戦争のための街だ。昔はもっと気が緩むものも多かったがね」
 チーグが後ろから、キシシと笑ってやってくる。差し出されたチーズを載せたパンをもらい、タトスは礼を言って朝食を頬張った。
「――美味しいよ、チーグさん」
「そうかい? ぼくらとしちゃ、ベリージャムも載せたいところだ。エッグサラダや、ハムのマリネもいいな」
 どれも、食べようと思えばタトスの村で作れる朝食のメニューだ。チーズが乗った素朴な味も好むタトスは、どこででも食べられそうな内容を望む声に、手の平のパンを見下ろした。
「このところしばらく、ノムルスと貿易できちゃいない。お上の隠し事は今に始まったことじゃあないが、物資不足は目に見えていてね。空腹を我慢できない子供を怒鳴る親の声も聞こえてくるもんだ」
 身につまされるような話だ。タトスは眉をひそめて俯き、やがてチーグにやるせなくも笑う。
「それでも僕らにご飯を探してきてくれたんだよね。ありがとう、チーグさん」
「キシシ。お代は弾んでもらうさ」
「もちろん。僕もちゃんとお金払えるように頑張るよ」
「――ほう。恩人殿に似ちゃいるが、性格は随分と真反対だな」
 金色の目が、面白そうに細められた。タトスはなんとも言えず、茶を濁すように笑う。
「そうだね……最初はあの人のこと、すっごく怖いなあって思ったよ。あ、でもとっても優しいよ? 見ず知らずの僕が、海の上で死にかけてたところを助けてくれたんだから」
「海の上か。さては国との連絡がつかない話を聞いて、独自調査でもしていたかな。運よく調査隊の槍使いを助けられたわけだ」
「そうかもね。そんな偶然でも、見過ごさずに助けてくれたんだ。あの人までウォーグに追われる可能性作っちゃったから……僕が助けないと」
「ふむ? そこでどうしてウォーグかな? 盗られた荷物のことを言っていたが、そこにあいつの身元を示すものでも?」
「……うん。そうだと思う」
 沈黙が間を覆った。悔しくて拳を固めたタトスは、灰色の街を睨んだ。
「その荷物も取り返さなきゃいけないんだ。みんなの不安を煽るようなウォーグたちを止めて、ちゃんと借りてたものを返したいんだ……」
「……そうか。それは事情がひっくり返るな」
 非常に冷静な声に、タトスは驚いてチーグを見やった。しわくちゃの手がタトスに向けて示される。
「だが、安心するといい。恩人ならそう時間もかけずに会えるだろうよ」
「えっ!?」
「縁というものは気まぐれなようで生真面目な《《生きもの》》だ。言葉というものは気難しいようで実直な《《魔法》》だ。では、槍使いはどんなものかな?」
「え? え……? えっと、僕? が、どんなもの……? どういうこと? 僕がどんな人間かってこと?」
 チーグはにいっと口の端を釣り上げて、音もなく笑う。タトスはうんと考えて、首と腰まで捻って、体を傾げた。
 戻した頃には困り顔だけそのままだ。
「わかんないよ。僕は僕だよ」
「キシシ。正直者には正直な言葉が返ってくるもんだ。だが正直とは時として、武器でしかない。武器を嫌がる臆病者は身を護る盾で対話するだろうな。もしかしたら、ひらりと身をかわすマントかもな? だが真っ直ぐ槍が通されてくると、そうもいかないだろうさ。お前はまさに槍だな」
「……なんだか煙の輪っかを掴まされてる気分だよ」
「キシシ。言葉遊びを煙の輪っかか――おっと、来客だ」
 剣を構える音が聞こえた。タトスは驚いて通路に目を向けようとして、突如暗闇が視界を覆ったことに目を丸くする。
 それでも自分には視界が通る――ということは、魔法!?
「くそ、敵襲だ!」
「外に勘付かれたくなければ大声を出すな。この場は限られた者以外入場を許さん。貴様ら何者だ」
 リヴィンがあっと上げた声が、感情で詰まっていた。タトスははっきりと聞き覚えのある声に顔をぱっと輝かせる。
「本当だ! チーグさん凄いや! 僕だよ、タトスだよ!」
 鈍い音が三回ほど聞こえてきた。誰か頭をぶつけたのかと、タトスは暗闇の中きょろきょろと見回す。
 起き上がっていたリュナムと、剣を声の方向へと構えていたオルファと、入ってきた灰色の髪の人影が、暗がりの中床か壁に頭か腕をぶつけていた。
「あ、あれ? みんなだいじょう――」
「貴様は、何度アホな真似を重ねる気だ!」
「ひどっ!? 仲間に剣向けて欲しくなかったから知らせただけなのに!?」
「ルヴァ……?」
 微かなのに、はっきりと皆の耳朶を打つリヴィンの声。目を丸くしたのはタトスのほうだったし、同時に同じ灰色の髪を持つ男性だって、藍色の目を大きく見開いた。
「そんな、でも……本当に、ルヴァなんですか……!?」
「知り合いか?」
「――お、おいおい、まじかよ……」
 リュナムですら絶句した声を上げていた。一瞬にして消え去った暗闇から眩しさに目を瞬いていると、オルファが毒気の抜けた声を出していて、同時に人が走る音が響いてタトスは目をこれでもかと開いた。
 入口の人影が慌てて長剣を逆手に持つ。同時にリヴィンが男性へと飛びつくように抱き締めている様に、やっとタトスは納得した。まさか困惑するルヴァの顔を見ることになるとは思わなかったのだが、それよりもチーグがキシシと笑う声が今までで一番大きいことにも驚かされる。
「ほうほう、ほう、こりゃ隅に置けないな、恩人さん」
「やはり貴様の差し金かチーグ……! いや、その前にっ、一度落ち着け! いったいどうなってる、なぜお前がここにいるんだ!?」
「いや、落ち着いてほしいのはあんたのほうだぜ、旦那……オレらが聞きてえよ……」
 リュナムのツッコミに、いつもの切れがなかった。


「ご、ごめんなさい、突然……み、皆さんの前だったのに、あんなにはしゃいで……」
「い、いや……はしゃぐと言うよりも、あれは泣いていたろう」
 まさか陽がしっかり顔を出せるだけの時間まで泣くと思わなかった。すすり泣く声が延々外まで木霊するのを防ぐために、リュナムが気を利かせて消音の魔術を使ってやったほどだ。今は目元をしっかり腫れさせた少女――ではなく女性が、ほとほと疲れたルヴァの隣で、小さく座っている。
 チーグは最初から最後まで、今までで最大限に口角を吊り上げていた。
「いやはや、まさか驚いた。そいつが持ってたロケットの名と同じ女と思っちゃいたが、夫婦の片割れとはね」
「黙れ。その口塞ぐぞ」
 リヴィンは隣の男性を窘めたそうに見上げている。それを受けてか、男性は潤んだ妻の目を見て観念したように黙った。
 ……もっとも、リヴィンはまるで彼の心境を察した気配がなさそうだった。彼女は慌てたように、リュナムたちへと目を向けて、ルヴァを手で示していた。
「改めて、私の夫のルヴァです。ルヴァ、こちらはゲイル国宮廷魔術師のリュナムさんです。それから傭兵のオルファさん、フレイメリア島の神官ミティスさん。タトスさんは……もうお会いしてたんですね」
「ああ。その様子だと、お前は今も城勤めのようだな」
 リヴィンが首肯する。ルヴァは腑に落ちた面持ちで、タトスたちを見据えてきた。
「ルヴァイネス・ゲイラーだ。妻が世話になった。見知り置き頼む」
「ん? ――あー、悪い。リュナム・インブラ、新米の宮廷魔術師だ。この島の調査のために、御宅の嫁さんや、あんたが助けてくれたタトスたちと調査に来ている。幼馴染を助けてくれたこと、改めて感謝申し上げる」
「別に感謝される|謂《いわ》れはない、当然のことをしたまでだ。貴殿が宮廷魔術師か。なら率直に尋ねる。この時代はこの島が消失してから五百年経過していて、レドゥは突然貴殿らの時代に現れたのか?」
 リヴィンが一瞬にして目を見開いた。彼女の後悔を憶えていたタトスは心配を顔に出しそうになる。リュナムは平然と、ルヴァイネスと名乗った男性を一拍だけ値踏みするように確かめて、頷いた。
「ああ。今さらあんたに隠しても仕方ねえもんな」
「――なるほどな。|奈落の崖《ガイアフォール》の侵食はどうなっている?」
「この五百年間ぴったり止まったまんま。オレはたかだか十七歳の若輩だ、五百年前の国土と領海の大きさはさすがに知らねえんだ。記録の上での話と思ってくれ」
 海の、世界の淵に存在する、何もない恐ろしい空間のことを、彼は危惧していたようだ。五百年前は崖による世界の侵食があった真っただ中だったし、リヴィンの五百年前の研究内容がそれだったのだ。彼が気になっている様子なのも、無理はない。
 リュナムが疑問を持った様子もなく話す姿に、タトスは少しだけ気にかかったけれど。
「リュナム、いいの? そこまで話して」
「ん? ――ああ、大丈夫だろ。どうせお前のことだから、調査船のこと含めてバレッバレだろうしな」
 耳が痛いところを突かれて、タトスは返す言葉もなく項垂れた。ルヴァもまた呆れた様子でタトスを見下ろしている。
「ああ、隠す気があった割には、詰めの甘いセリフが目立ったぞ。宮廷魔術師、多少なりとも仲間の口の堅さと誤魔化す知恵ぐらいは鍛えておけ」
「ああ、匙投げてたオレの落ち度だ。真摯に受け止める。けど、あんたはそれがあったからこの都市に来たんだろ。わざわざタトスとオレたちが合流できるように、入れ知恵までしてな」
「――ほう」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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