離島戦記

 第1章 隔離された島

10th 02
*前しおり次#

 ルヴァの目の色が変わった気がした。興味を持ったように値踏み見る様子に、オルファは顔色を変えている。
「どうやら未来の王城は、政治をある程度回せているようだな」
「そりゃ、ヴァリエス陛下が聞いたら大笑いしそうだぜ」
「ヴァ……」
 余裕そのものを纏っていたルヴァの顔が一瞬にして沈黙した。表情まで剥がれ落ちた。いったいどうしたのかとタトスが首を捻る前に、彼の隣のリヴィンが苦笑いを溢した。
「……そうか。壮健ならいい……」
「立派に治世なさっていらっしゃいますよ」
「……ならいいが。いや、五百年も経ってろくに王族が治世できなければ、城で寝転がるそいつの頭に|闇の精霊《シェイド》を何千体突撃させても足りん」
 怖い。
 リュナムですらルヴァの不穏な一言には顔を引きつらせている。オルファすらも最初の剣呑さがまるでない。実力差を示されて、唸りながらも尻尾を丸めて後ずさる狼のようだ。
「剣士とは聞いていたが、精霊使いでもあるのか……」
「そう言う貴様は剣の腕が立つようだな。我流か」
「そんなところだよ。話し方を聞くに、あんたは貴族なのか?」
「――貴族ではない。身分はとうに捨てている」
「なるほど。それは失礼したよ」
「あなたは今回の件、どう動くつもりなのかしら」
 ミティスの冷静な問いに、ルヴァは特に驚いた様子もなく彼女を一瞥した。リヴィンをちらりと見やった彼は妻の不安げな様子に、一度だけ背中を優しく叩いてからミティスを見据えた。
「特にどうもしない。お前たちの側につくつもりもない。時代の行く末を見守る意思はあるが、それ以上干渉するのは主義ではないからな」
「一緒に来てくれないの?」
「一緒に行ってどうなる」
 ルヴァの至極きっぱりとした一言に、タトスは狼狽える。自分とそっくりな顔立ちの中にある、唯一違う色の目は、冷たく映える藍色で見据えてきた。
「俺がお前たちと行動を共にして、できることがあるならそれもいいだろう。だが現状俺の役割はお前たちの側には何もない。時間の浪費だ。俺は俺の時間の使い方がある」
「だ、だけど……お願い、一緒に来てほしいんだ! ルヴァさんが危ない目に遭うことになったら……!」
「何? それはどういう意味だ」
 タトスは唇をきゅっと引き締めて、ルヴァへと頭を下げた。
「ごめんなさい! あれだけ助けてもらったのに、ルヴァさんから預かった荷物、|盗《と》られたんだ……! 知り合いに見せたらわかるって教えてもらった、マントの留め具も……!」
「誰に取られた。山賊か?」
「学術都市の――あ、でも学術都市の人は関係ないみたいなんだけど、ウォーグって将軍なんだ」
「今この街に来てる。オレらの船員たちもこじつけてさらわれた上に、この軍事都市の総代とは結託する方向らしいぜ」
「――そうなったか」
 ルヴァが一瞬にして苦い声を漏らしていた。タトスに顔を上げろと短く言った彼は、タトスとリュナムへと目を向けてきた。
「時間は惜しいが、手短で構わん。詳しく事を話せるか?」
「あ――うん!」
 しっかり頷いたタトスを、ルヴァはどこか目元を和らげて見つめていた気がした。


 時間はさほどかからなかった。リヴィンたちが補助をしてくれたおかげで、ルヴァはおおよその事態を飲み込めたようだった。眉間に一度深く刻まれたしわがやがてほぐれていく様には、タトスは驚かされたし、リュナムに至っては逆に彼の顔がしかめられていた。
「旦那って思ってたより冷静だな……ってか、身分示すもの取られたのに問題ねーのか?」
「……その旦那と呼ぶのはやめろ。問題はあるが利用できるほどの状況が奴にはない。現状逆効果だ。あくまで切り札――いや、担保といったところか。使い時によってはレドゥの島民たちは奴の敵に回るだろうからな。こちらはこちらで動きようがある」
「どういうことかしら。あなたはこの島にとって重役ではないということなの?」
「ああ。国で見れば重役かもしれんが、島にとっては何の意味もない身分だ」
 今さらっと、凄いことを言われたことだけはわかった。リヴィンが「言っちゃいましたか」と言わんばかりの顔をしていたし、リュナムに至っては顔が引きつっている。
 ただ、オルファだって耳を疑っていたようだ。
「えっと、どういうこと?」
「今そこに重点を置く理由はない。宮廷魔術師、貴様に通信手段を預ける。盗られるなよ」
「ああ、肝に銘じる」
「それからタトス」
「えっ、はい!?」
 驚いて声が上ずったタトスを、ルヴァはどこか心配そうな顔で見下ろしてきた。リュナムへとピアスを一組渡した男性は、タトスへ指輪を一つ放って渡す。
 受け取ったタトスは困惑した。
「魔法具だ。魔力がなくとも使える。身を護りたい時盾と同じ要領で構えて突き出せ」
「あ、ありがとう……えっ? どうして僕に?」
「……阿呆すぎて見てられん」
 ひどいっ。
 リュナムだけは眉根をひそめていたけれど、マントを翻してさっさと出ていくルヴァに、オルファはただ警戒したままの目で見据えていた。通路を出てもなお睨む目を、タトスは怪訝に思う。
「オルファさん……?」
「……島の人間にしては、話がとんとん拍子すぎてな。考えすぎか」
「いや、あえて何も聞かなかったんだろ。オレらが話す以上のことを口にして、うっかり外で誰かが見張ってたら、って考えたんだろうな。けどリヴィン、よかったのか?」
「えっ?」
「いや、折角旦那さんに会えんたんだぜ。このまま危険な状況続くってのに、傍にいないのは不安じゃねえか?」
 言いづらそうにするリュナムへと、リヴィンは一瞬ぽかんとしていた。やがてはにかむ顔は、少し母のような表情に見えた。
「――はい。会えただけで、ここにいてくれただけで、十分です」
「そっか。んじゃ、オレらも次動くぞ。――オルファの旦那、警戒してくれてありがとな」
 その一言には、オルファも調子が狂ったように肩を竦めて笑んでいた。
「傭兵としての務めを果たしているだけだよ」
「全員揃って、同じ風向きに向くより安心なんだ。でけえよ。予定通り、先に人質奪還だ。二手に分かれるか。まず地母神の教会はオレとリヴィン、オルファの旦那。タトスとミティスは港で聞き込みだ。全員ウォーグには顔割れてるから気をつけて行動してくれ。ミティスのことは信用してるが、後々の揚げ足取りに巻き込ませたくねえんだ。悪い」
「気にしていないわ」
 端的なミティスの同意をリュナムは声を立てて笑った。タトスは笑んで伏し目がちなミティスと共に通路へと飛び出した。
 反響し続ける石造りの通路の出入り口に、人の姿は見当たらない。それどころか街の向こうでちらほら見える人影だって、どこか疲弊しているようだ。
 タトスはミティスに出て大丈夫だと合図して、そろりと撥ね戸を開けて石畳の道に足をつける。素早くその場を飛びのいて、ミティスが出てくる場所を譲り、そっと撥ね戸を閉めた。
 ここ、雨が降った時どうしてるんだろうとまで考えたけれど、今はあれこれ考える時間のほうがなさそうだ。
 昨日進んだ道の先へと向かうと、程なくして港が見えてきた。二人で移動するなんて初めてで、ちょっとどきまぎする。それも、時々行きかう人々を見て考えが塗り潰された。
 頬がこけている人が多い。チーグが言っていた通り、食べ物のゆとりがなさそうだ。兵装がしっかりとした警備兵たちはいくらか腹具合もマシだろうが、目にどこか覇気が少ない。
 紺碧の煌めきを見据えたタトスは、港に入ってさらに身を固くした。
 釣り糸を垂らす人の多さが異常だった。ミティスまで顔を強張らせるほどで、少し苔むした桟橋があって、小型の船がいくつかそこに浮かんでいる。船が出る様子はどうにも見当たらない。
 魚がかかって喜ぶような人の姿も特になく、まさかと思ったタトスは波止場に近づいて少し身を乗り出した。
 魚が少ない。カニもいない。フジツボや貝はそこかしこにあるのに――
 貝殻を、指先ほどの小さな魚がつついた。その様子にタトスはぞっとした。
 揺らされた中身は空っぽだ。
 溜息をついている人がいる。魚を吊り上げた人がいた瞬間、多くの人が鋭い目つきを投げつけた。
「ミティス。この街、危ないよ」
「え?」
「食べ物を早く増やさないと……死人が出る」
 釣りだけじゃ限界だ。近くに畑がある様子も見当たらなかったし、この街は軍備に重きを置いている。兵士に食料を送るために街まで野菜を届けていた人たちは、タトスが生まれ育った村にもいた。でもその村が、この島にはほとんどない。
 食料の大半は、体力仕事の兵士たちに行くだろう。じゃあ、刀を打つ人は? 商いをやっている一般の人は? 書き物をしている人たちは? その家族はどうなる?
 ――このまんまじゃ、病気になる。
「急ぎましょう。この話は一度持ち帰るわよ」
「うん。だけど……」
 ウォーグが連れ去った船員たちを乗せられるような大きな船がない。波をじっと観察しても、不自然な動きの波もない。魔法で姿を隠されているなんてこともなさそうだ。
 ミティスに促されるままに戻るつもりでいたけれど、タトスは固唾を飲んで、その場に立ち尽くした。
 できること。何がある? 自分が今やれること――誰かに、伝えられることで、何かが……
 小さな男の子が歩く姿を見かけた。人間だろう。細い手足で、何かものを探しているのか、視線が移ろう。
 見つけた。
「……タトス?」
「ミティスさん、遠回りしていい?」
「どこに行くつもり? 目立つだけでいいことはないはずよ」
「街の外だから大丈夫だよ」
 ミティスが耳を疑っている。タトスは槍を持ち上げて、自分たちがやって来た道を示した。
「狩りに行きたいんだ」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2022 *Nanoka Haduki* all right reserved.