離島戦記

 第1章 隔離された島

11th「助けたいもの」01
*前しおり次#

「さあて――上手く行くかな」
 ミティスには後でこっぴどく怒られよう。彼女の緑の目が完全に瞼を直線にしていた様子を思い出して身震いするが、一人で出たからにはある程度の情報は掴めるはずだ。
 リュナムたちを待っていても時間はかかる。その分狩りの時間に当てたいのも本当だ。門のすぐ近くの丘を越えたタトスは、森の中に身を隠す。昨日の学術都市の兵を刺激しないように、周辺の熊や猪の気配を探った。
 丘を超えたついでに、街の近辺に手入れが不十分な農場があることも確認したできたことは大きかった。
 少なくとも山の木には猪が牙を研いだ跡があった。体を擦りつけて落ちた毛も。一定数はこの辺りにテリトリーを持っているのだろう。街道の近くでも確認されたことを考えると、恐らく彼らも食料には多少|餓《う》えているはず。
 そのテリトリーを人間が荒らしに来たなら、警戒心はこちらに向けてくる。
 どうせリュナムたちやミティスとは街の外で待ち合わせだ。運よく帰りにティファを見つけられれば御の字だし、門番にも堂々と「街の人の食糧確保のために狩りに行ってきます」と宣言してきたのだ。
 門番の顔は見えずとも、彼らの口は兜の下ででかく開いていた。偵察ではないかと疑いもかけられた。それよりも、タトスの軽装を見て、手の平を返したように止められたが、タトスは立腹して返した。
 村でも皮鎧に槍一本で獲物を仕留めていたのだ。金属鎧を持ってこられた時はぞっとしたし、盛大に怒った。熊も猪も自然にない音を聞いたら逃げるのに、それを知らなかった兵士にはちょっと困ったものだった。
 獣を狩るときの知識をいくつか教えることになったも、そのおかげでタトスは狩りに使える道具をいくつか融通してもらえた。あくまで、戦力にならない小道具ばかりだ。
 藪の中の獣道をいくつか進む。獣のにおいを嗅ぎ取ったタトスは目を煌めかせた。
「やった、フンが落ちてる。まだ新しいし――ここ、巣に近いんだ」
 やたら臭いは強烈だが、おかげで近い場所に獲物がいることは容易くわかる。この辺の猪なら、泥遊びをするより海水で体を洗うだろう。だとしたら――こっちだ。
 丘を下る。乾いた落ち葉の踏み固められ方を見ても、左手の獣道を通ったようだ。
 ドッ
 足を止める。蹄の音が軽快に近づいてきている。
 途中で止まった音に、タトスは笑んだ。拾っておいた頑丈な木の枝を、槍の穂先で簡単に鋭くしながら、わざと音を立てる。
 蹄が二度、三度と落ち葉を叩く。一歩、前へと踏み出す。
 荒い鼻息が複数混じり合った。この時期には珍しく群れているのか、時季遅れの子連れか。
 力強い音。
 曲がりくねった獣道を真っ直ぐ走り抜けてくる音に、タトスは素早く後退した。逃げをとった敵と思っただろう猪が突っ込んでくる。木の根を見つけたタトスは即座に身を翻して木の陰に逃げた。
 突っ込んでくる猪の喉笛に枝を投擲する。
 一撃は外れても構わないつもりだったが、見事鼻から喉元へと枝が突き刺さった。痛みに暴れて転がっていく、猪の暴れる腹目がけて槍を突き立て、心臓を止めた。ガクガクと震え、動かなくなる獣に手応えを感じ、槍を引き抜く。
「よっし!」
 慌てて逃げ出す小さな音を振り返り、タトスはすぐに倒した猪へと目を閉じ、胸に手を当てて祈りをささげた。
「その命、大切にいただきます」
 血抜きはしっかり行う。大地に帰すべき栄養だ。持ち運べる重さにするためにも、血の重みは侮れない。骨折を治したばかりの足で大人の猪を運ぶのだ、運べる重量にしておかなければ。
 適度に処理を施し、移動中見つけた抗虫のための山菜を詰める。事前に貸してもらった革布を使って猪を持ち上げると、久々の重さに体が呻いた。
 よかった、なんとか持てる大きさだ。
「よし……うん、僕一人ぐらいは堅いな。オルファさんぐらいはありそう……一日で終わっちゃうかなあ」
 これで、今日一日を生きられる人が増えたら。絶対に明日に繋がる。
 比較的若い猪で助かった。足はまだ悲鳴を上げていない。ゆっくり降りて、丘の方向へと向かう。
 方角も見失わずに済んで、日がそこそこに高くなった頃。丘の斜面を下りながら、タトスはふと臭いの変化を感じて空を仰いだ。
「なんだろ。煙……?」
 風に乗ってどこからか火を焚く臭いでも流れてきたのだろうか。空は異様な明るさや火の粉を上げていないようだし、火事ではなさそうだが。
 タトスは一度猪を下ろした。自分の足にミティスからもらった痛み止めの軟膏を塗り直すと、ひょいと木の上に登る。
 枝葉が少ない高い場所まで登り上げると、丘の斜面の横手に、木々に紛れて尖塔が一つ見えた。
「んー……? あれ、わざと隠してる……?」
 尖塔の屋根がわざわざ緑色だ。窓は――ここからでも豆粒ほどだが見えている。見張り台だろうか。
 なんのための? ドラゴン相手ならあんな尖塔など容易く折られてしまうだろう。地上の獣を警戒するなら高過ぎる。人を探すためにしても、もう少し見やすい高さがあるはず。鳥対策……?
 ――変だ。煙もあの辺りからやってきている。あの建物に通じる道はどこから来ている? 木々の途切れるラインの真下に道があるはず――
「――え」
 タトスたちが軍事都市に行く時通ってきた、道に交わった。
 木を抱えるように手を回し、海辺へと首を向ける。やはり道が少し見える。歩兵が使うぐらいの、獣道とは違う多少大きな、木のない連続した道がある。
 海辺へと伸びたそれを見たタトスはぞっとした。
 帆を畳んだ船がある。余りにも不自然に、沖に泊められた船が。
「あそこだ……! 知らせないと!」
 素早く幹を伝って枝を下りる。猪を抱え直し、槍を支えに立ち上がり直す。
 足早に丘を下り、行きより圧倒的に早く丘を抜けられた。森から飛び出すと同時、村人らしい人影が見える。あちらもタトスに気づいたのか、ぎょっとした顔をしていた。
「丁度よかった、おおーい! 手押し車を貸してください!」
「誰だありゃあ!? 獣が人襲ってるのか!?」
「ち、違う、あの坊主、猪担いでるぞ!? どんだけ力があるんだ!?」
 正直ちょっと重たかったので、仰天する彼らの気持ちには苦笑いを浮かべたタトスだった。
 猪を手押し車の上に乗せてハンドルを握り、一部の分け前を手押し車を貸してくれた人へと与えた。というのも、持ち主は貸すために自分にも肉を寄こせと言ってきたし、タトスも当然の報酬だと考えていた。すぐに門番へと獲物を見せて市街地へと入るも、門番ですら沈黙していた。
 ちょっとどころではなく目立っただろうか。石畳の道を手押し車で透るのはハンドルが思うように動かせないも、音を聞きつけた街の人々が驚いた顔で近づいてきた。
「お、おいおい、猪をどこで……最近は狩りに行ける兵力だって満足に割けないのに」
「丁度よかった。広場ってどこですか? みんなにお肉を切り分けられるように、大きめの包丁があれば助かるんだけど」
「えっ、まさか分ける気か!?」
「え? うん。そのために狩ってきたんだよ。この量を干し肉にするにしたって大変なんだよ? みんなの故郷でもそうだったでしょう?」
 呆気にとられた顔をされる。タトスは首を捻ったも、立ち尽くす男へとちょっと目尻を上げて、迫力のない焦げ茶色の目で彼らを見上げた。
「さあ、早く! 鮮度落ちたら分け前減っちゃうんだ、もったいないよ! 命を粗末にしちゃだめなんだから!」
「えっ、あ、ああ!」
「それから、満足に食事ができてない大人や子供も呼んできて。兵士の人たちはごめんなさい、配給もらえるよね。あなたたちの生活の土台を作ってくれてる人たちが倒れないように、ちょっとでも精をつけてほしいんだ。他の仕事をしてる人や、小さな子どもたちを中心に声をかけて」
「だ、だけど戦争中に……」
「いいから! 戦いが終わった後、自分たちが生活できなきゃ意味ないでしょ? その生活を守ってくれてる人が倒れたら、守りたい人が倒れたらどうするの?」
 何人かの目が、驚きに見開かれた。呆気にとられた人、顔をしかめる人――決して賛成する人たちだけじゃないのはわかっていても、これだけは譲れないのだ。
「それから、病気や怪我で動けない人にも、どうか少しだけでもいいから分け与えたいんだ。その人たちだって僕が――ううん、みんなだって守りたい、この国の人だよ」
 何人か、人が走っていく。急いで行く姿をしっかり目に留めて、タトスは大きな声を張り上げた。
「動いてくれてありがとう! よろしくね!」
「えっ……ああ!」
 困惑はしている。けれどタトスは笑んで、手押し車をなんとか傾けた。足にかかる痛みに呻くも、猪はどうっと石畳に転がる。
 少し無理をさせすぎたようだ。猪を捌くまでは問題ないだろう。
「本当は猪汁なんて作れたらいいんだけどなあ……」
「あの……食べたい人に、芋を持ってきてもらえばどうだ?」
「うーん、それだと、もう家に食べるものがない人が、食べられなくなっちゃうかもしれない。みんな食べれるならたくさん食べたいだろうから……一頭しか持ち帰れなかったから、争いの種は少なくしたいんだ」
 多くの人の口がぽっかり開いていた。
 小刀と小斧など、解体しやすい道具を手に走ってくるドワーフの男が見えた。隣には道具を貸してくれと呼びに行ったのだろう人間の姿も。きっと、鍛冶を得意とする種族の調理品であれば解体しやすいと、ドワーフ族に声をかけてくれたのだろう。
 隣にやって来たドワーフは鋭くタトスを睨み下ろしてきたが、タトスは身を引き締めた顔で見上げる。
「持ってきてくれてありがとう。貸してください」
「納得がいかん。この戦時下にそんな施しを行うような狩人がいてたまるか。毒でも盛る気だろう」
 種族特有のずんぐりむっくりとした体型から響く、威圧するようなきつい声に、タトスは臆する前にげっそりとした。
「えええ……そんな。命をお粗末にしちゃうぐらいなら、正々堂々槍で戦うよ」
「ならば証を示せ。お前が何もしていないというならな!」
「……じゃあ、左足を見てくれればわかるよ。って言っても……っと。治りかけだからあんまり、体重かけたくないんだけど……」
 痛みに顔をしかめたタトスを再び転ばすように突き飛ばすドワーフ。痛みに呻いていると、ドワーフが革袋のようなごつい手で左足をむんずと掴んできて、足に走った痛みに呻いた。
 目を丸くしたのはドワーフのほうで、小刀も小斧も落として後ずさっている。
「お前さん、この足で狩りをしたというのか……!? なんと|莫迦《ばか》な真似を!」
「どういうことなんだい? まさか怪我してるってのかい?」
「怪我も何も、こやつの骨は一度折れておる! 見立て、やっとくっつきかけたところだ。剣でこの状態ならば、これ以上やればまた折れたところだぞ!」
 やっぱり。鍛冶や造形に詳しいドワーフなら、触るだけでわかってもらえると思っていた通りだ。タトスは苦笑いを浮かべて、「そ、そうだね……」と頷いた。
「正直、運んでくる時すっごく痛かった……」
「痛いで済まされるか、莫迦も大莫迦だ、なんという真似を……貸しなさい、どこを切ればいい」
 タトスが目を丸くする番だった。ドワーフはおもちゃ同前に映る人間用の小刀を持ち上げ直して、空いた手でタトスを猪の傍から退ける。
「血抜きは終えているようだな……さあ、腐る前に指示をくれ」
「えっ、うん! その前に――」
 もう一度胸に手を当て、黙祷を捧げ直す。その様子を見ていたドワーフが、隣で困惑したのがわかった。
 目を開いたタトスは、男の邪魔にならないように体をずらしながら、指で解体箇所を示した。
「まずは胸を切り開いてほしいんだ。縦に、胸の骨を開くように。尻尾に向けてまっすぐ。内臓を傷つけないように気をつけて」
「――わかった」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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