離島戦記

 第1章 隔離された島

11th 02
*前しおり次#

 鍛冶鍛錬で繊細な仕事をしなれたドワーフの腕は見事なものだった。解体の経験などあまりないだろうに、タトスの指示を聞き、斬り込む深さを調節し、次々肉を取り出していく。
 その間に話を聞きつけた人々が、いらなくなった布切れや紙などを手に集まってきた。大きなブロック肉を一時的に置く台も持ってきてくれた。
 そうやって人が集まるうち、兵士たちが駆けつけてきて、タトスはあっと身を固める。
「な、なんだこれは!? いったいなんの集まりだ、総督にも連絡もなく!」
「ごめんなさい、連絡忘れてたんだ……でも、少しでも街の人にお肉を届けたくて」
「肉だと!? それは兵士となり前線で戦う者たちが食べるものだろう、市民は後回しだ。我々が没収する」
「だめだよ!」
 兵士が動くより速く、タトスの怒気がついに溢れた。大声に目を向ける甲冑の奥の目を、タトスは見据えたままきっぱりと首を振る。
「あなたたちが外に出てる間、この街を守ってくれる人たちが飢えで動けなくなったらどうするの? 帰る場所がなくなっちゃうんだよ!」
 兵士たちが一瞬で|狼狽《うろた》えた。タトスは目を鋭くして睨みつけて、痛みに顔をしかめつつも兵士たちの前に立つ。
「お願い、街の人たちがどれだけ満足にご飯を食べれていないか、知らないわけじゃないでしょ? 今回は見逃して。たった一回の栄養のある食事が、明日、明後日、きっとみんなが生きられる力になるから。飢えで倒れた家族をあなたたちが見たくないように、僕はこの街の誰にも倒れてほしくない」
「だ、だが、しかし……」
「頼む、どうか子供たちだけでも……子供たちだけでも、食べさせてやってくれ!!」
 解体作業を取り囲んでいた市民の誰かが、声を発した。
「そ、祖母の知恵がないと、これ以上店を続けられないんだ。何日もろくに食べれていないんだよ、お願いだ!」
「妹がずっとご飯、食べれてないの。お願い……」
「|兵役《へいえき》に行った父ちゃんが死んでから、ろくに飯を食べれていない……このままじゃ畑を守れないんだよ……」
「だ、だめだ。食料は|然《しか》るべき処置の後に配給されるんだぞ――」
「ええい黙れ! 兵士も、お前たちもだ!」
 ドワーフがぴしゃりと大声を上げた。ドラ声が広場いっぱいに響いて、皆が静まり返った後、ドワーフはまたタトスを呼びつける。
「おい、|小童《こわっぱ》! 次はどこを解体するんだ」
「あ、そうだった! って、でも――」
「どうせ余れば兵にも配ればよかろう、街を想っての小童の行動が、何故|諌《いさめ》められにゃならんのだ! 剣を打つものが倒れれば誰が剣を修繕する。農家が倒れれば誰が麦を作る。当たり前のことだ!」
 がなるようなドラ声が、口髭の下から苛立ちを発する。刃物を持つ腕にこもった力を見てか、人間の兵士の何人かが一瞬後込みした。
「何ヵ月もノムルスからの船が来ないなぞ、儂らが気づかないとでも思ったか! 食料が来ぬのなら我らで自活するほかなかろう。小童の言う通りだ。街の誰一人とて倒れていい者はおらん! さあ続きだ、指示を出せ!」
 まるで号令の鐘のような声だ。タトスも頷いて指示に戻った。肉を薄く削ぐことに関しては、手馴れた主婦たちが名乗りを上げた。分配が偏らないように互いに見張れる状態にして、公平性を保つようにしてくれた。疑心暗鬼がつきものなのは仕方がない。それだけ厳戒状態だったのだから。
 解体も配給も、あっという間に終わった。嬉しそうに走っていく子供、食事が作れると泣いて喜ぶ母親。もっと欲しいと欲張って、周りに怒られる老婆――自分より家族に下さいと頼み込む男。
 様々いたけれど、鮮度が失われたために控えることにした内臓以外、捨てるところはないほどに配り終えた。骨も出汁を取るために使えるからと、欲しいと言った人々に砕いた骨を渡すこともできた。
 全部が終わって、タトスは広場に残った汚れを洗う手伝いをしながらぐっと伸びをする。
「よかったあ……! 僕ももう帰ろうかな。また狩りができたらいいけど、これ以上は仲間を待たせちゃうし……あ」
「どうしたんだ――あ」
 近くにいた兵まで同じ反応になった。動じなかったのはその場で内臓を焼いて食うと言って聞かないドワーフぐらいだ。食欲をそそる匂いを漂わせる隣のフライパンだけが、軽快なステップを踏んでいた。
 非常に冷たい目で薄ら笑む、黒髪のハーフエルフ。口は綺麗に弧を描いて少女と間違われてもおかしくないものだったが、彼が男だとわかっているタトスは背筋が一気に冷えた。
「リュ、リュナム……これは、その……!」
「いや? 別に怒ってねえよ? いやあーいい慈善事業してくれたよなーさすがオレの親友だぜ」
 これが怒っていないと言えるのだからリュナムは怖い。自分の姉と同じ顔で脅しているという自覚はまるでないのかと、タトスは顔を引きつらせる。ゆっくり近づいてくる親友の手が、優しくタトスの肩を叩いた。
「こ、これはその……!」
「だいたい察してる。だから怒ってねえよ。安心しろよ。な? ほら、全然怒ってねえだろ?」
 じゃあなんで今肩にみっちり力入れてるのお……! 痛くないけど心が痛い!
 ドワーフが隣でくくっと笑った。兵士たちがすごすごと去っていく。食べられる肝を焼いた鍛冶師は即席の串を通して、リュナムに渡している。
「まあそう尖るな。莫迦にこれ以上説教したところで莫迦は直らんだろう。美味いぞ」
「それもそうだな。いただくよ、旦那」
「今日は莫迦って言われるかなって思ってたけど……うう……」
 このドワーフだけで何度言われただろう。その彼は厳つい茶色の髭を揺らして「ギェズドだ」と短く名乗った。
「鍛冶師をやっている。この坊主、得意な得物は槍だけじゃないな。いずれ違うもんがほしくなったら来い」
「本当!? やった、ありがとうギェズドさん!」
「タ―――――ト―――――ス―――――」
 背筋がびくりと持ち上がった。リュナムは溜息を溢して頭を振ると、据わらせていた青い目をやっと本物の笑みに変える。
「その時は是非世話になりに来るよ。ただまあ――その前にやることあるんだ。一度失礼する」
「ほう。なら、出ていく前に面白い話ぐらいかじっていけ。一度のつまみ食いぐらいバチは当たらん」
 リュナムが驚いて目を丸くした。兵士たちも退いた広場はゴミが多少散乱しており、片づける人ももういない。
「情報って、なんの?」
「お前さんらは島の外の奴だな。それを見込んでだ」
「――兵士たちに突き出すのか?」
「そんな大莫迦に成り下がった憶えはない。一食の恩だ。学術都市からやって来たウォーグとかいう隊長だ。奴ら、夜明けを待たずにこの街を出ていきおった」
 タトスはぎょっとした。ギェズドは顔色を曇らせている。
「奴は元々外の人間だということは知ってるか?」
「ああ。|風の精霊《シルフ》の噂程度にはな」
「奴はこの近辺の海域にいた義賊を取り締まった。ついでに、頭を除いて捕まえた全員を処刑したそうだ」
 耳を疑ったのはタトスだけではなかった。リュナムは大きな青の目を鋭くしている。
「へえ。結構に過激だな。その話するってことは、ただの処刑じゃなかったんだな」
「ああ。公開処刑すらなかった。殺したと噂を聞いただけだがな。いったい奴の|成り上がりの土城《ノームのすみか》に何があるか……」
「へえ、是非ともその根城の傍は通りたくねえな。念のためだが、場所は?」
「北西に丘陵地帯があろう。あの丘を越えた先の森だ。街道を逸れた東側らしい。義賊が使ってた根城を再利用しとる、とも言われておるな」
 もしかして、狩りをしていた時に見つけたあの家?
 それならばあの木々に隠された高さの物見櫓がなんのためのものなのかすぐにわかる。人と、空を飛ぶ魔物たちの警戒だ。リヴィンがやって見せたように、空を飛ぶ手段は召喚術師にだってある。
 タトスが目を見開く隣で、リュナムは相槌を打っていた。
「なるほどな。結局、捕まったっていうその頭はどうなったんだ?」
「さあな。義賊の頭の顔を見た者はそもそもおらん。儂らの家の裏木戸にまで食い物を恵んだ奴らだが、とんと話を聞かなくなった。今もまだ宝をどこに隠したかと、拷問で聞き出しておるのか……だからかは知らんが、今回の帰りは早かったわい」
 リュナムが眉をひそめて黙り込んだ。タトスは首を捻ってギェズドを見やる。
「けど、本当に宝を聞き出したいなら、そのやり方じゃ気持ちが強い人は黙るんじゃないかな……」
「小童、義賊連中を信頼で束ねておった奴だぞ。仲間を殺されたほうが応えるというもんだ。とはいえこれ以上は青空の嵐読みだ。正しい流れがどれかなぞ、そいつらしか知らんだろう」
「――わかった。教えてくれて助かったぜ。ありがとな。一つこれだけ頼まれてくれるか?」
 ギェズドはじっと、渡された紙を見て考え込んだようだ。しばらくして、ギェズドはじっとリュナムを見上げた。
「まあ、請け負ってやろう。俺が文字を読めてよかったな、若いの。こんな達筆じゃ読める奴も限られとろう」
「は、はは……助かった。よろしく頼む」
 手をひらひらと振られる。タトスに小刀と小斧を譲ってくれたギェズドは、残りの食べられる部分を手荷物に家路へとついた。背中を見送りつつ、リュナムが苦笑いを浮かべてタトスを見やっている。
 リュナムの字は達筆だろうか。タトスよりは綺麗なのは知っているけれど。
「随分派手に動いてくれやがったな。おかげでこっちも問題なく外に出られそうだぜ」
「どういうこと?」
「先に合流だ。伝えなきゃならない話がわんさか増えちまったからな」
「さっきの義賊のこと?」
「――気づいてたか」
 気づかないわけがない。リュナムは一度だって、タトスに対してこんなに苦しそうに笑わなかった。
 その理由を考えて頭をよぎったのは、たったこれだけしかなかったのだから。


 みんな街の外にいた。オルファから呆れた顔で見下ろされ、頭に痛みのない拳骨もいただいた。タトスは謝罪をしつつ、優しい心配に照れ笑いを浮かべた。
 リヴィンは――リュナム以上に冷えた笑みで出迎えてくれたので、誠心誠意謝った。
 許してはもらえた。
「もうっ、万が一総督に捕まったらどうするつもりだったんですかっ。ミティスさんにまで無茶を言って!」
 ただ、ぷりぷりと怒る声音は決して怖いものではなかった。それでもぺこぺこと謝るタトスの隣で、リュナムが失笑を浮かべ、天を支える柱のような山を指し示した。
「さて、天招の階梯方面にラドンって人の研究所があるんだったな。そっち目指しながらわかったことを纏めるぞ。畑のところ超えたらその後は――」
「おーい坊主! さっきは肉ありがとなー!」
 先ほど手押し車を貸してくれた農家の男性だ。遠くから振られる手を見つけて、ぱっと顔が晴れて手を振り返すタトスに、生暖かい視線がいくつも刺さった。
「随分目立ったみたいだな。そんなナイフや小さい斧までもらって」
「うん、猪を捌くために持ってきてもらったものなんだけど、その人がそのままくれたんだ。また来たら今度は武器作ってくれるって!」
「後でまた足を診るから」
 ミティスに声をかけられた瞬間、全身が凍りついたタトスである。
 一部始終を聞いた後、リヴィンまで顔色を曇らせていた。オルファの顔色も思わしくなく、少し困惑すら見られたのだ。
「義賊まで手にかけた可能性があるなんて……」
「確たる証拠はないのに、その噂を信じるのかしら」
「証拠はねえな。ただ、統率のとれた人員移動の裏付けにはなったってとこだな。実際この辺りにいた義賊は鳴りを潜めてる。その影響が軍事都市側の如実な物資不足らしいぜ。兵士たちが暮らす分には問題ない。が、住民全部を|賄《まかな》うほどの食料の備蓄はもうなさそうだな」
 タトスがうんと頷く。その隣で、リュナムは周囲を確認しつつ、再び口を開く。
「一般市民への配給じゃ足りない分を、義賊が国庫や裕福な家から奪って、ばら撒いてたらしい。ドワーフの旦那が味方してくれた理由にも合点がいったぜ」
「それなら、タトスのことをその義賊の生き残りと捉えた可能性は――なさそうね」
「僕、正々堂々と戦うほうが好きだから、義賊をやるのは向いてないと思う」
「よく自覚してるんだな」
 オルファにまで言われて、タトスは悟りの顔で頷いた。それでも、すぐにリュナムへと本題を向ける。
「狩りをしていた時だけど、丘の向こうの森に塔が見えたよ。随分と屋根が低くて隠れてたけど、あれがギェズドさんの言ってた屋敷じゃないかな」
「おっ、見つけてたのか! 助かるぜ」
「森の方角はわかりますか?」
「それが、僕らが追い立てられた街道に抜け道があったみたいなんだ」
 リヴィンが目を丸くした。オルファが考え込むように唸っている中、ミティスが短く「そう」と相槌を打った。
「私たちを追い立てたのも、あの場から引きはがすことが狙いだったということかしら。船の人たちに目を向けられないために」
「筋が通るな。その後の行軍の停止も、持ち場を離れすぎたくなかったとすれば理由としちゃ十分だ」
「ティファちゃんと合流次第助け出せますね」
「ああ。後はこの後の市民の扇動も、タトスのおかげで一つ可能性ができた。まずは船員を助けるぞ」
 僕、何かしたっけ?
 タトスは首を傾げつつも、皆で天招の階梯へ向けて丘を登りはじめた。
 足の傷みは、リヴィンが野草から作ってくれた鎮痛剤を頼りに、少しずつ痛みを抑えてもらう。今は、自分の行動の結果できた回り道の時間を、少しずつ結果に変えていこう。
 助けたいのは、全員なのだから。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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