離島戦記

 第1章 隔離された島

12th「ガラス玉のヒビ」01
*前しおり次#

 突然だけれど、ふと思い出したことがある。
 タトスはよく父親に注意されていた。怒られることだってざらだ。大抵不注意が原因だったし、タトス自身それが原因で怪我もした。暗闇の中火を灯さず歩くなんて危険だとも言われた。
 ただ、最後のそれには首を捻ったのだ。
 暗闇は見える。星灯りがない夜だって、時々、ぼんやりとそこにあるものが浮かびあがるように見えるのだ。
 魔法は使えない。精霊や妖精、はたまた実体を持たない死してなおこの世に留まる死者アンデッドだって見えないことが多い。時々見えたって、そも、タトスはお化けが怖いのだから、見えない世界のほうが嬉しいと感じるのだ。いたずらされたら困るけれど、それはそれだ。
 意志を持つ何かがそこにいると感じたとき、相手をはっきり視認できることを昔リュナムに話したら、「お前のその個性、凄い才能なんだぜ」と、手放しに褒めてくれた。
 あの言葉があるから、自分は今でも槍を振るう決心ができたなんて、きっと彼は知らないだろう。
 少し思考を現実へと戻して、天招の階梯を少しだけ見上げた。
 早朝から移動を始めたおかげで、昼の陽が真上を照らす頃、平原の中に茂る小さな林を見つけられた。その林から姿を現した青い髪の少女に、タトスは目を丸くする。
「あっ、ティファ!」
「ラドンとかいう人の姿は見えないな……」
「もしかしなくても、かもな……機嫌悪かったら話しかけるなよ。ティファのおっかなさは」
 言いかけたリュナムの口がきゅっと引き結ばれた。ティフィーアが、これでもかとそばの低木の幹を蹴りつけたのだ。
 小さな背の腰まで足を上げて。跳ね返ってくる枝を殺気だけで切り刻めそうなほどに。
 リュナムの言葉の続きがなくとも、続きを推し測るには容易いというものだ。一瞬で沈黙する一同の中、リヴィンが小走り気味に走っていく。まだ十二分に距離があるのだから、そこまで狩人の目の前を飛ぶ鳥のようにならずともと思うが、現に彼女は行ってしまった。
 ……非常に気まずく、こんな時一番頼りになりそうな人を探して、タトスはオルファを見上げた。
 長身の剣士はすっかり身を引いていた。
 リヴィンがティフィーアに話しかける。すぐに気づいた少女が、リヴィンへとしがみつくように抱き締める様に、タトスたちは顔を見合わせた。
 ミティスが一番最初に歩きだした。会話できるほどの距離まで近づくと、ティフィーアはこちらに顔を向け、リヴィンと共に近づいてくる。男たちが話しかける前に、ティフィーアは困ったように笑って舌を出していた。
「えへへーごめんねぇ、遅くなっちゃった。お迎えありがとぉー」
「あ、いや、そりゃ全然……」
「その……聞かれたくなかったら答えなくていいんだけど、何かあったの?」
「え? んー……何もなくてちょっと、プッツンしちゃったのぉ」
 何もなくて、プッツン?
 頭の中でおうむ返しに呟いて、タトスは首を捻る。途端にティフィーアは回れ右をして移動しよう、なんて言うものだから、困惑を浮かべながらも皆従った。
 ティフィーアはリヴィンにぴったりと寄り添っていて、迂闊に何か聞ける状態にはとても見えない。それなのに、ティフィーアのほうが先に「一昨日言ったラドンって化学者なんだけどぉ」と声を上げた。
 リュナムでなくとも、それが|地の精霊《ノーム》の不機嫌の前触れだと嫌でもわかった。
「交渉決裂ぅ。船員さん助けたら匿う準備はしてくれるみたいー。けど仲間の話聞いてくれないところは相っ変わらずぅ」
 最後のトーンが一瞬にして冷え込んで、タトスは身の毛がよだった。なのに、オルファのほうが驚いて声を上げたのだ。
「昔の仲間? この島にいる知り合いがそうだったのか?」
「そうだよぉ。五百年前のこの島って、戦争状態だったでしょぉ? あたしたちが『王の目』の任務に走ってる間に、政治を少し知ってる人とか、機械に知識があるラドンとか、役割が別にあった人はこの島にいたの。ただねえ……ラドンって、毒キノコ食べてから性格がひっくり返っちゃって」
 うわ。
 背中のホルダーに引っ掛けている弓をいじるティフィーアの手が、細いながらに恨みと力を込めたように見えた。いつもトコトコとかわいらしく歩く姿は嘘のようだ。
 一緒に歩いているのは少女ではない。怒りもたけなわな鷹だ。
「ついにあたしのことまでわかんなくなってるんだもん。相手にする気も失せたよねぇ」
「ら、ラドンさん……まだあのキノコをわからずに食べてるんですね……」
 聞かなかったことにしよう。ティフィーアの怒る気持ちにも下手に調子を合わせられないし、何よりタトスは視界が真っ暗になりそうだ。
 ルヴァが言っていたアホだけど船を手配できる人って、思いつく限りそのラドンしか考えられない。
「あ、そうだ、ティファ。今朝お前と入れ違いでリヴィンの旦那に会ったぞ」
「えっ!? ルヴァにも無事に会えたんだぁ……ラドンのところにいないなって思ってたけど……潰す」
 つぶ……
 リヴィンは困り顔でいるけれど、男三人は身が総毛立って、ティフィーアから距離を離した。
「それでー? リヴィン姉、ちゃんと喧嘩のこと謝ってもらったの?」
「いえ……でも、会えただけで、十分です」
「もー! だからあいつがつけ上がるんでしょ!? あの天招の階梯並みのプライド早くへし折らないと図に乗ったまんまだよ、リヴィン優しすぎ!!」
 ティファって、こんな性格だったっけ。
 リュナムをちらりと見やる。青い目以上に肌のほうが蒼くなりそうな顔はすっかり強張っている。オルファに至っては、聞いたことを頭が処理しきれないようだった。
「えっと……ウォーグが使ってそうな根城、見つけたんだけど……」
「うん、リヴィン姉から聞いたよぉ。最短コースはラドンからもらった地図でなんとかなるだろうしぃ。裏から奇襲で兵士たちを踏みつけて船の人たち助けちゃおー」
 ……。
 今ほど、どっちが自分の味方すべき陣営だったか、わからなくなったことはないタトスである。
 問題はと、リュナムが苦い顔をしている。
「タトスが|軍事都市《バティク》の市民に猪を持っていったおかげで、事態は少し好転してる。食事が満足に採れてなかった市民にとっちゃ、分けたら少ししかなくても、肉は結構な栄養源だからな……」
「ああー……昨日の朝、一緒に門の外に出た人たちが、『近くの畑で野菜が採れなかったら』って言ってたけど……そういうことぉ」
 ティファがふうと溜息を溢している。オルファも眉をひそめている。リュナムが一つ頷いていた。
「ああ。島にとっての半年間、ノムルスからの食糧の輸入もなかったらしいぜ。義賊が貴族の食料庫から盗んだものを分け与えてたが……ここ最近それも途絶えてるんだと」
 相槌を打ちながら聞いていたティファ。晴れやかな笑みをタトスへと見せてきた。
「じゃあタトス、お手柄だねぇ。ご飯がないって、つらいからねぇ。でも、足がそんななのに無茶しちゃだめだよぉ」
「あはは……うん。二回目は皆に手伝ってもらいます」
「げっ、弓の腕取り戻さねーとな。ま、そんなこんなだ。地母神神殿への説得はなんとか上手く行った。リヴィンの顔を覚えてる神官もいてくれたおかげだな」
「――うん。流れはこっちに来てるねぇ」
 ティファの笑みは絶えない。リュナムは引き締めた表情のままだ。
「まだ、ドミトニス総督に煽られた時の危険があるけどな。扇動される前に事態を一つずつ片づけていくぞ」
「うん!」
 深く頷いて、丘陵地帯へと目を向けた。
 あの北側――きっと、日暮手前までにはつけると信じたい距離の、森の奥を眇める。
 まだ見えないあの屋敷の陰を、睨み据えるように。


 館には見張りの姿があった。表に二人、裏に一人程度だが、見つかれば確実に声を上げられてしまうだろう。敵襲を知らせる前に行動を封じてしまえばいい。
 リュナムに指示された手筈通りに配置につきつつ、タトスは茂みの奥深くに隠れて、痛みがなくなった足を少しさすった。
「大丈夫。できる。みんながいるんだから」
 合流する前にリュナムから聞いたことも頭に入れている。だけれど自分は信じる。全部繋がったけど、これが真実かもしれなくても、仲間を信じる気持ちを信じるだけだ。

 たぶんオルファはオレたちと同じ時代の人間じゃない。レドゥ島と一緒に現れたこの島の人間だ
 もともと、島が現れた時周辺で漁業をしてたって聞いてたんだけどな……志願したのも、船が島出現によって壊されたからだったんだ……調査隊を待つだけじゃ嫌だ、真実を知りたいって、な……

 内通者かどうかを、信じたくなくとも可能性を考えざるをえない様子のリュナムの気持ちも、痛いほど伝わっていた。
 全滅は避けなきゃいけない。立場上、本人にとって最悪の決断だって下さなきゃいけない。そんな彼の代わりに仲間を信じることは、自分がやる。
 今はそれだけだ。
 表を買って出たのはオルファだ。裏の奇襲はティフィーアとタトスが担当する。裏から出てきた兵は二人が引き受け、表をオルファに押さえてもらいつつ、正面からリュナムとミティスとリヴィンが向かう。
 どちらも囮で、どちらも本陣だ。先に船員の安全を確保できたほうが脱出を確保する。
 タトスとティフィーアは敵兵を掃討後、中で合流する算段だ。分かれる前にリュナムから預けられた短剣を懐に忍ばせ直して、木の影から目つきを鋭くした。
 足音がオルファへと声が投げかけられる。その音ははっきりとは聞こえない。その隙に裏口を見やったタトスは、ティフィーアがトコトコとご機嫌に歩く様子に槍の握りを確かめ直した。
 裏口の兵士は人間らしい。「そこの子ども、止まれ」と、タトスにとっては場違いな言葉をティフィーアに言っていた。
「何者だ。ここになんの用だ?」
「えー、ご飯食べてないのぉー。お腹空いたのぉ。ちょっと分けてぇ……」
 背を丸めるティフィーアのしおらしい声を聞いても、兵士たちはまるで意に介さない。それどころか髪色を見て、兵士は剣の柄を握ったようだ。
「神子族が乞食のつもりか? 歳偽ってないだろうな?」
「――それ、女の人に失礼だよぉ」
 声がそら高くなった。笑みを浮かべたティフィーアの顔を見る前に、タトスは手に握った石を兵士の向こう側目がけて大きく投げ飛ばす。
 がさがさと音が降る。兵士が驚いた顔で石が落ちた方角へと剣を構えたその後ろ頭を、飛び出したタトスが槍の柄石で叩き伏せた。
「ふごっ!?」
「タトス、優しすぎぃ」
「縄で縛っておけばいいでしょ?」
 気絶した兵士を手早く縄で縛り上げる。そこらの木に手早く縄を引っ掛けて、木の根の下に結び目を回しておく。ものの数分で終わらせたタトスに、ティフィーアが呆気にとられた顔でこちらを見てくる。
「……盗賊経験あるぅ?」
「え? こんなの狩りの時の縄を応用したらできない?」
 ティフィーアから沈黙された。どうやらそんな話ではなかったらしく、溜息までつかれた。
「騒がれるよりいいよねぇ。表は無事に入れたみたいだしぃ、こっちも潜入、行くよぉ。後ろよろしくねぇ」
「うん。お互い気をつけて進もう」
 ティフィーアは天真爛漫な笑みで足を弾ませ、音は静かに中に入っていく。
 屋敷の中なんて見たことはない。そもそも一般の家以外だと、村のちっぽけな小屋の教会とか、王城以外見たことはない。高い天井と、シンプルながら装飾の効いた、緑を基調とした豪奢とは違う、つつましやかな城しか知らないのだ。
 こんなに重たい灰色の壁と低い天井は、人が住む屋敷なのだろうか。
 兵の姿は見当たらない。敵襲に備えていないのだろう。ティフィーアに至っては目つきをルヴァのような鋭さのあるものに変えていて、彼とも仲間だったんだなとやっと納得した。
 足音は、ほとんど立たない。鎧の音も聞こえてこない。
 ――変だ。この屋敷、人はどこにいる?
 右の扉も左の扉も、見事に静まりかえっている。前を歩くティフィーアですら、かわいらしい少女の顔をしかめている。後ろからの追手もない。リュナムたちの声も聞こえない。
「――ティファ」
「しっ」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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