離島戦記

 第1章 隔離された島

12th 02
*前しおり次#

 一度タトスを制止して、ティフィーアはこちらへと頷いた。わかっていると言いたげに――
 空気の質が違う部屋があった。
 そっと扉に手を当てると、明らかにこの先から冷気が上がってきている。ティフィーアの肩をそっと叩いて知らせると、彼女は聞き耳を立てて眉をひそめ、扉にかかっている錠をすんなりと外してくれた。手際が|盗賊《シーフ》のような鮮やかさだ。
 石造りの階段が姿を見せた。途中は――土の床が覗いている。足跡もいくつもある。妙だ。
 下りの足跡のほうが圧倒的に多いが、登っている土がついた足跡も多く見られる。それにこの靴の跡、兵士たちのような武装を主とした靴の跡じゃない。
 どういうことだろう。上りの靴の跡が下りの足跡よりはっきり残って見えるということは、最近何人もの人がここを上った?
「ティファ、やっぱり変だよ」
「――この先にいるんじゃないのぉ?」
「うん、いる……いるけど、ここだけじゃない……!」
「え?」
「足跡見て」
 ティフィーアがしゃがみ込んで足跡を確認する中、タトスは周囲に視線を配った。人影が全くない様子に言い知れない不気味さを覚える中、外に縛った兵士にやっと違和感を覚える。
 あの兵士も、囮だった?
 じゃあ、この中に人がいない理由はどうして? あれだけの人が移動する跡もなく……どうやって?
 もしかして表から出ていってる……!?
 足跡が近づいてくる。警戒を露わにしたタトスは、床や周囲に埃っぽさがないことに目を丸くした。
 一日二日じゃない。今日とわかって準備されている。もしかしなくても――
「タトス、ティファ。そっちはどうだった?」
 リュナムの声だ。振り返ったタトスは、オルファが後ろについて警戒する様子を確認し、ミティスとリヴィンがこちらに来ている様子に安堵する。
「裏口の兵士は転がしてるよ。船員の人たちはここにいると思うけど、罠だと思う」
「だろうな。あちこち様子を探ったが、入口に兵士がいるだけで後はもぬけの殻だ。ルヴァの旦那の荷物もない。――情報が漏れてるな」
「魔術かしら」
「そんな都合のいいものあるかよ。って言いたいが、現実こうやられちゃあな。五百年前の技術だ、何かあってもおかしくはねーけど……罠だろうが先に船員を助けるぞ」
「罠かもしれないんだったら、敵を討つのが先だろう。時間をかけていいのか?」
 オルファのあげた声に、リュナムは怪訝そうに振り返った。タトスも思わず口を噤む。
「ああ。その罠に利用されてる船員を助けるのが優先だ。船員を人質に取られている以上、救出が最優先だ」
「だが、それそのものが罠だとしたらどうする」
「船員の傍に近づけば発動する罠か? それこそ、願ったり叶ったりだぜ。罠が遠くから発動するものじゃないなら解除しちまえばいいからな。罠のあるところに仲間をずっと放置するほうが問題だ」
 ついにオルファが黙った。眉間に刻まれたしわと殺気に、足下の埃まで浮き上がりそうだ。タトスは苦い顔で廊下をちらりと見やるも、やはり誰かがやってくる気配はない。鬱々とする薄暗い廊下に高窓の光が頼りなく落ちるばかりだ。
「もう我慢ならんな。そこまで言うなら俺は俺で動く」
「オルファさん!」
「死地に首を突っ込む無謀者にはなりたくないからな」
「そっか。んじゃあんたは自分が生きるために仲間を見捨てられるんだな」
 踵を返したオルファの足が止まった。剣の柄にかけられた手が、ぎゅっと柄布をにじる。
「ここまで来た目的はウォーグじゃねーよ、船員だ。第一に仲間を助けること、第二に脅威の排除。順序を間違えて第一を怠るなら、ウォーグとなんら変わりはしねえよ」
「魔術師様にとっては取るに足らない悪とでも言いたいのか」
「違うぜ。弱きを助けるために弱きを犠牲にする気はない。仲間を助ける方針を違える気もな――」
 銀光が閃いた。槍を振るって防いだ。
 素早く飛び退く黒衣の剣士は、今まで穏やかに見下ろしてきた目を憎しみに歪めている。タトスは槍を構えつつも苦い思いが胸を締め上げる。ティフィーアたちも獲物を構える姿に、タトスは唇を噛んだ。
「オルファさん……!」
「ここまで話にならないとはな……」
「違う、リュナムはそんなつもりじゃないよ! オルファさんだってそうじゃないの!?」
「どうかな。今はすっかり、俺はそんな気だよ。『ああ、結局権力者はこうなのか』とな」
「そこじゃない! 罠があるってわかってたから止めてくれたんだよね!」
 オルファの黒の目が驚愕を露わにしている。リュナムがタトスに目を向けた時には、ティフィーアがすっと、土に象られた足跡を示している。
「足跡のことぉ?」
「――うん。船員の人は、ここにいるだろうけど……きっと何人かは連れ出されてる。残ってる人にどんな役割があるかって、リュナムみたいに考えてみたんだ。そうしたら……オルファさんの言う通り、罠なんじゃないかと思って。だから、オルファさんは行くのを止めてくれたんだよね」
「それを切って捨てたのは魔術師様だがな!」
「違う! リュナムは罠だってわかってても、船員を助けたいだけだ。切って捨ててない!」
「だが死にに行くなら一緒だろう!」
「そんなに危険な罠がこの先にあるの?」
 ついにオルファが口を噤んだ。リュナムが溜息を溢して、タトスを睨んでいる。
「タトス、いくらなんでも言いすぎだぜ」
「――最初からわかってて行動していた魔術師がよく言うな」
「あんたも、オレが気づいてるって知っていながら、ずっと今まで一緒にいてくれてた。だから信頼してる」
「魔術師の言う信頼なんぞ、紙より千切り捨てやすいもの、よく口にしたな……!」
 ミティスも、リヴィンも動じていない。ティフィーアに至っては顔色を鋭くしている。
「この島の住人――ううん、違うよねぇ。海を渡る義賊のお頭さん。盗賊ギルドで引っかかってたよぉ。学術都市の一部隊に捕まって、一人牢に入れられてたんだよねぇ。取り引きでも持ちかけられた?」
「なんだ、俺がウォーグの間者だとも見抜かれていたのか」
 冷笑するような声。タトスは槍を握る手に力を込めて俯きかけた。
 顔をしっかりと、地面に希望まで落とさないように持ち上げる。
「でもオルファさんは僕らの仲間だよ」
「莫迦もほどほどにしておいたほうがいいぞ。敵に言う口は多く持ち合わせる気がないんでな」
「だってあなたは最初から僕らを助けようってしてくれてた!」
 剣を避ける。足払いを槍の石柄で防ぐ。再び肉薄して、タトスはオルファを見据える。憎しみの籠った目の理由は、自分に向けられたものじゃない。
「この島の人だってことを隠すためだったかもしれない。でもオルファさんが仲間を大切に思っているのは知ってる!」
「それはお前たちじゃない、俺の仲間だ!」
「そうだね、そうかもしれない! けど僕らといる時だってその目で見てくれてたよ!」
 剣戟を防ぐ。槍の芯が軋みを上げる。リュナムとミティスが防護の魔術と魔法をかけてくれたも、タトスの体質が弾き飛ばしてしまった。同じく術を抵抗しようとしたオルファが一瞬困惑していて、リュナムが呻いている。
「っそ、タイミング悪いな……ってかな、あんたまで抵抗するなオルファの旦那! 怪我するだろ!」
「何言って……」
「ウォーグは旦那を騙してんだ。軍事都市で聞いたよ、あんたの仲間はあいつらに殺されてる!」
 オルファの目つきが暗く鋭いものになった。リュナムはティファを抑えるように手を広げて叫ぶ。
「それなのにあんな奴に従う義理はあんたにはないはずだ!」
「――違う。船は……無事だ。あんな噂俺たちの仲間に限ってあるはずもない。五百年前のこの世界に置き去りにされた仲間のところに、俺は帰る!」
「五百年前、奈落の崖の侵食と島の消失から逃れた船の中に、義賊や海賊と思しき船はありません」
 リヴィンが苦しそうに首を振った。オルファの見開かれた目に、リヴィンはもう一度首を振る。
「記録に載らない船籍も含めて……私は、百年かけて全部調べました……ルヴァがどこかにいるんじゃないかと……ラドンさんが……生きていてくれないかと……」
 リヴィン……。
 か細く、絞り出すような声が、口を震わせている。
「でも、なかった。海賊船や義賊の船の中に、彼らの手がかりとなる品が残されていないか、全部……船という船を全部、調べたんです……でも、なかったんです……オルファさんの仰っていた、海賊船も……」
「なら……半年間、義賊の船を……あいつらを、見かけないって噂は……」
「本当だ」
「だったら……だったら……協力すれば会えるというのは……」
 リュナムの奥歯が軋んだ。タトスは黙って首を振る。
「嘘だよ……死者には会えない。幽霊だとしても、もうここにはいないよ」
「やめろ!! そん……っ、|戯《ざ》れ言だ!! そこをどけ!!」
 タトスを突き飛ばす力が、いつになく強い。壁にまで後退させられたタトスの目の前を走り去る男が、油の臭いが鼻を鋭く突く牢へと駆け下りる。リュナムがぞっとして手を伸ばしたも、男のマントを掴むことも叶わなかった。
「待てオルファの旦那! 罠があるんじゃねえのか!?」
「ディック、ヴァグハッタ、レグルス、フニグシー、パパナ、ニフェク!」
「|水の精霊《ウンディーネ》、守ってあげて=v
 火が落ちる。床に落ちた油の筋が輝く。悲鳴が幾重にも聞こえる。
 その火の壁を潜り抜けた男が走っていく。油の筋に照らされた牢屋の並びを、必死に、仲間の名を呼びながら。
「ティファ、油を真水に変えられるか!?」
「ああもう――水の精霊、この水を混じりけのない無垢なあなたたちの住処に変えて=v
 火が嘘のように消え去っていく。チロチロと燃えるのは布切ればかりだ。ティファが先行し、罠がないか確かめていく中、呆然と立ち竦む剣士の男がそこにいた。
 あちこちに見られる牢屋には拷問器具が取りつけられている。ぐったりと動かない人もいる。タトスたちを見て目を丸くしている、生きた調査船の船員だって。
 安堵する間もなく、男が立ち尽くす牢に目が行ってしまった。
 薄暗く、明かりがなければ暗視持ちしか視界が通らないだろう、鉄の檻の先。積み上げられた人の首が、魔法陣の上で虚ろに空を、こちらを、地面を、壁を、床を、隣の牢を見ているだけだ。
 十人や二十人じゃない。もっといる。
 その一人一人の首を見て、男の膝が崩れるように折れた。
「……キース……アンウィ……ネル……」
 その声は怨みだったのだろうか。悲しみだったのだろうか。
 怒りでも後悔でもなく、ただ耳が痛くなる音が、館を揺さぶった。
 森までも、静かに震わせていた。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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