離島戦記

 第1章 隔離された島

13th「割れる音一つ」01
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 声をかけられなかった。
 だって、もしもこれが……彼の仲間でなく、隣に立つリュナムだったら。リヴィンだったら。ティフィーアだったら、ミティスだったら。必死に助けようとしてきた、船員だったら。
 ……オルファだったなら。
 タトスも彼と同じように、崩れていた。震え、冷たい牢を前に叫ぶ男の肩に届けられる慰めなんて、自分にはできない。残酷な光が高窓から仲間の顔を照らす牢なんて……怒りすら沸く。
 声をかけられなかった。
 リュナムたちが牢の中にいた無事な人たちを助け出していた。タトスたちの船の船員や、この近くを通りかかった商人たちだ。その中に見覚えのある男の子がいて、光をなくした虚ろな目に、タトスは奥歯を軋ませた。
 学術都市の門で見かけた、家族を亡くしたという男の子だ。
「死んでるよ」
 喉を締め上げられたような痛みが襲ってきた。
「首をね、ひとーつ、ふたーつって。おじさんたちが、すぱーん、すぱーんって。切ってったよ」
「やめて……」
「やめて? うん。やめてってみんな言ってたよ。みーんな。すぱーん、すぱーんって、首が飛ぶんだ。血がボタボタ落ちてくよ。お頭あって言っ」
 黒衣に包まれた腕が子供の首を押さえつけた。タトスは咄嗟にオルファの手を子供の首から引き剥がす。槍が派手な音を立てても、首を締めつけられても、男の子はぼうっと黒衣の男を見上げるだけだ。
「ぼくのお母さんも、こうやって死んだんだね」
「やめ……ううん、違うね……」
 子供を抱きしめる。何度も背中をさする。
「苦しかったね。ごめん、助け出すのが遅くなって……オルファさんも、今苦しいんだ。だから……少しだけ、待ってあげて。もう君は大丈夫だから……」
「大丈夫って何が? もうぼく生きれないよ。生け贄なんだって。死ぬんだって。お母さんもいないし、家族にも会えないし、もう街に帰れないんだって」
 事実だけ吐き出される口に、タトスは唇を噛みしめた。ミティスが男の子を引き取るように連れ出していく後ろ姿を、悔しさを滲ませた顔で見送る。
 ……何も、言えなかった。
「タトス」
「……それでも生きていてくれてよかったって、僕は思うよ」
 声をかけてきたリュナムが口を閉ざし、そっと頷いていた。
 オルファの震える手を見下ろし、リュナムは彼の肩を細い腕に力を込めて握りしめ、揺する。
「行くぞ! あんたが行かなくて誰が動くんだ!」
 冷たい地下牢に力一杯声が轟く。少女じみた整った顔を険しく歪めて、リュナムの青い目が男を射抜く。
「義賊なんだろ、頭なんだろ! オレたちに仇を倒されてもいいのか? 仇に操られて嘲笑われたままでいいのかよ!」
「……はは……仲間? 何を言ってる……言っただろう……俺は最初から……あんたたちの仲間じゃない」
 緩慢に動かされた腕が、懐に手を入れた。鎖ではなく丈夫な豆の|蔓《つる》で首から下げられた聖印の文様に、リュナムもタトスも声を失った。
 少女が心臓を握り締めて笑っている。足元の髑髏を踏みつけている。
 前に見た邪教とされる聖印に、タトスは頭を揺さぶられたようだった。
「なんで……オルファさんがそれを持ってるの……?」
「……そういうことかよ……あんた、|復讐神《リベリア》の神官に洗礼受けたんだな。ウォーグか」
「察しがいいところは、魔術師様の損な役回りだな」
「そういう役しか回ってこねー縁なもんでな」
 苦々しげに呟くリュナム。復讐を是とする神の印を睨む目が、牢の乾いた冷えより先に邪教印を割りたそうにしている。
「ったく。つくづく腹立つな、その中隊長野郎。ティファ、手を上げるな。指揮官として命令する」
「はぁ? 何それ、ヤキでも回ってるぅ? 邪教印掲げた時点で十分脅威だよぉ」
 怒り剥き出しのティファに、リュナムは青い目で一睨みした。
「それは私用での脅威か? それとも国にとってか? 混ぜるなよ」
「どっちも、だけど? じゃあ矛納める理由ぐらい説明してくれる?」
「ああ、いいぜ。ただ悪いがここは出るぞ。万一外から火を放たれたらおじゃんだ。旦那、その|邪教印《シンボル》は預かる。――自分の仲間の前でこんなもの、掲げたくねーだろ」
 何も言わない男の手から、リュナムは邪教印をそっと取り上げた。タトスは悔しい思いを滲ませながらも、船員たちも出て行った後の牢を眺めた、
 リュナムたちに行くぞと言われても首を振る。
「先に行ってて」
「……ああ。わかった」
 槍を細腕で重そうに持ち上げた親友が、タトスに得物を渡して、肩へと念を入れるように叩いていく。タトスは槍を受け取って、黙って仲間たちが出て行く姿を見送った。
 オルファは、動かなかった。突っ立ったまま、得物の剣すら持たずに、男の子に手を上げたその位置で石畳の床を睨みつけている。
 タトスはそっと隣に座った。槍は腕の中に抱えて、オルファが動くまで、そっと待った。その間に足の具合も確かめたし、身じろぎもしたけれど。それでもただひたすらに待った。
 外からの喧噪は何も聞こえてこない。リュナムたちが何を説明しているかだって、ここからじゃわからない。
「さっさと行け」
 やっとかかった声は、拒絶にも似ていた。タトスはうんと頷いたけれど、槍を地面に置き直しただけだった。
「そのときはオルファさんも一緒だよ」
「俺はお前たちの仲間じゃない」
「そうかもしれない。でも僕にとっては仲間だよ」
 襟首を掴み上げられる。牢に叩きつけられる。
 派手に背中を打ち付けても、タトスは呻かなかった。漏れそうになる痛みの声を堪えて、まっすぐオルファを見据える。
 放せとも痛いとも、言う気はなかったのだ。自分の目の前で口の端から血を流す男の顔を見て、そんなものを出すつもりなどない。
「だから温いと言っている、だから仲間じゃないと言っている!!」
「仲間だよ――」
 叩きつけられた。頭に走る痛みに、鈍い金属の残響音に、タトスはじっと耳を澄ませる。
 オルファの震えた呼吸のほうが、はっきりと聞き取れた。
「俺は敵だ」
「でも僕らを殺さなかった」
「お前たちを憎んでいるんだ」
「でも、僕らのことを案じてくれていた」
「お前たちをじゃない、俺の仲間をだ!!」
「その人たちも、僕たちのこともだったよ」
「わかったような口を利くな!!」
 長剣が持ち上げられ、首筋に切っ先が当たる。タトスはじっとオルファを見据えて、荒い呼吸のその後ろで沈黙する亡骸たちを、心に留めた。
「機会はいくらでもあったじゃない」
 オルファの切っ先が震えて止まった。
「僕らを狙ってたことだってあったと思う。仲間に会いたかったから。そのために五百年前に帰らなきゃいけなかったから。そんな事情があったなら、僕もオルファさんと同じようにできるなら、やってたよ」
「慰めなんぞいらない」
「違う。僕ならやってた。だからあなたを敵とは思わない。僕たちの倒す敵は、仇に踊らされてこんな苦しみを押しつけられたオルファさんじゃない。ルヴァさんから貰った荷物を奪って、味方同士で戦わせようとして、国をひっくり返しかねないことをしているウォーグだよ」
「だとして! 俺はお前たちも憎んでいる! こんな世界にして、ぬくぬくと未来を生きているお前たちを!」
「オルファさん、本当はわかってるんだよね」
 切っ先が喉の横を微かに切りつけた。痛みも一周回れば頭を落ち着かせる薬だ。タトスは瞳をぶらさないで、焦げ茶色の目で黒の目を見据える。
「義賊をやってたんだよね。本当に理不尽なことをしていたのが誰か、わかってる人だよね。貧しい人に施しを届けてたりしてたんだよね。未来が少しでもいいものになってほしいから」
「勘違いするな。義賊も所詮賊だ。奪う側に代わりはない」
「奪ったことをいいことって言ってるんじゃない。奪ったもので自分たちだけ楽をしていたの? 人を嗤ってたの? 違うよね。街の人たちに食べ物を分け与えていたんだから」
 オルファの目の回りに力が入る。タトスは拳を固めた。
「――僕があなたの子分だったら。オルファ親分にしてほしいのは本当に元凶を作った人への復讐だよ」
 切っ先が一瞬離れた。思い出したように突きつけられても、絶対に目をぶらさない。
「復讐神の神官に成り下がった男に、説教のつもりか」
「一度でも仲間だったから、あなたにこれ以上後悔をさせたくない」
「だったらここで死ね! 俺の復讐は終わってない!!」
「それでも、僕はオルファさんを信じるよ!」
 黒の目が悲痛に見開かれた。
 勢いよく振り上げられた剣が手から落ち、床を転がっていく。滑っていく。
 カンと、弱々しく音を立てて檻に受け止められた剣は、虚しく石畳の上で沈黙した。
 手を離される。出かけた咳を堪えて、タトスはオルファを見上げた。
 顔を歪めきって震える男は、檻をこれでもかと殴りつけた。その拳も、金属の棒をずるずると滑って、だらりと剣士の横で揺れる。
「くそう!! くそ……ぉ……っ!」
 赤の滴より速く、透明な雫が顎を伝って落ちていった。口から赤い泡が飛んでいくも、それ以上に震える肩が、床についた膝が痛々しい。
 タトスはただ黙って、唇を噛んだ。これ以上自分が言葉をかけるのは、卑怯にすら感じられたから。
 幾ばくの時間が経ったのだろう。震える義賊の頭は、かすかに顔を持ち上げた。
「なんで、あの男に預けられた指輪を、使わなかった……」
「え? ――あ」
 左手につけた魔法具を見下ろして、タトスは憔悴しきった表情のオルファを見上げて頬を掻いた。
「わ、忘れてた……また怒られるかなあ」
 疲れ果てた溜息をつかれた。
「敵としても殺しがいがなさすぎる阿呆だな……」
「ひどいっ!! 殺されたかったわけじゃないんだけど、阿呆はひどいよ!?」
「阿呆だろう。……自分の命が危険にさらされたんだぞ。身を守らなくてどうする……」
「それは違うんだけど……オルファさんのこと信じてたもの」
 毒気を抜かれたように。肩当ての上からもはっきりわかるほど肩を落とした男へと、長剣を丁寧に返した。そのまま、うろ覚えの地母神式で冥福を祈った。
「終わったら、埋葬しに来ます。墓参りにきます。どうか……安らかに」
 立ち上がる頃には、オルファの悲痛な目を間近に捉えることとなった。
「……行け」
「うん。ウォーグを食い止める場所で待ってるよ」
 オルファの口が、舌を強く噛んだのがわかった。
 埃を照らす階段の上へと登って行くとき、タトスは小さくな呟きを聞き取って、ぎゅっと目を閉じ、その場を去った。
「お前みたいな、甘い奴が……仲間なものか」
 掠れるような音。苦しそうなのに、泣きたそうなのに。
 少しだけ笑っていたような、複雑で優しい音だった。


 船員たちから話を聞いたらしいリュナムが、ミティスたちと話し込んでいる。鬱蒼とした森の中で、そろそろ日暮れが心配される頃合いだ。タトスは微かに黄色みを帯び始めた空を見上げて、すぐにリュナムのそばへと急いだ。館の開かれたままの戸から出てきたタトスに、ティファがほっとしている。
「もー、遅いよお――タトス、一悶着してきたの?」
「えっ、あー……大丈夫。落ち着いたら追いかけてきてくれるよ」
 喉に、頭に打撃を受けたことを忘れていたタトスは苦笑いで頬を掻いた。ミティス、タトスの首の傷を癒そうと、戦神に奇跡を願ったようだ。それもすぐに細い眉がひそめられる。
「まただわ。弾かれる……魔法が不干渉になる頻度が高いわね」
「う、ごめんね。せっかく魔力使ってくれたのに」
「それよりあなたの傷のほうが問題。塗布薬を準備するから、使って」
 傷薬と湿布の準備をするミティスに礼を言う。リュナムに安堵の表情を向けられて、タトスは持ち上げられた手の平へと自分の手を打ち合わせた。
「大丈夫だよ。もうオルファさんに戦う気はなかった」
「みたいだな。あとは旦那次第だ。邪教印はオレが握ってるから、これ以上邪教印を持ってないなら剣しかないわけだけど……ルヴァイネスの旦那には連絡済みだ。ラドンって人の研究所に救出者を匿うぞ。残りは生け贄に連れて行かれた可能性が高いって、見解も一致してる。部隊を分けるぜ。斥候はティファとオレとタトス。ミティスとリヴィンはラドンって人のところへ護送だ。途中でルヴァの旦那と落ち合ってくれ」
「了解よ」
「わかった」
「ちっ、纏めて|水の精霊《ウンディーネ》に流してもらおうと思ったのにぃ」
 ティファの怖さにも、そろそろ慣れて……くると……いいなと思ったが、やっぱり無理だった。
 リヴィンが苦笑いをこぼしていて、タトスはティファから距離をとるように、彼女の横にそっと行く。
「い、いったい、ティファとルヴァさんとラドンさんの間に何があったの……?」
「え、えっと……いろいろ、ですね……」
「えっ、なぁにぃー? 聞きたいのぉーっ?」
「ううんなんにも!! なんにも聞いてないです!!」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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