船員たちまでどよめくほどの黄色い声が恐ろしくて、タトスは背筋をビシッと立たせて身を震わせた。
ひとまずミティスたちを見送る。船員たちもどこかほっとした様子で、タトスたちに礼を言って去っていった。中には残りの船員の無事を祈り、頼んでくる声もあったけれど。
タトスは微かに顔色を曇らせて、すぐにリュナムへと目を向けた。
「当てはある?」
「ああ、ルヴァイネスの旦那からの情報だ。この世界で今一番神に近いとされる土地なら可能性あるだろうってな。後は街の中心地だが……奴が求めてるのが生け贄なら、儀式のための陣を書く場所を、民衆の目の届くところにするとは思いづらいってことらしい」
「神に近い土地……?」
「|天招《てんしょう》の|階梯《かいてい》だねぇ」
あっと、タトスは夕暮れの空を二つに割る山陰を見上げた。
リュナムがティファへと目を向けている。
「一応、街中に不穏な動きがあれば合図があるって言ってたぜ。リヴィンとミティスは天招の階梯方面だ。何かあればそっちから連絡が来る。今フットワークが軽いオレらは丘を見るほうがいい。もし違う場所なら各部隊の位置を包囲網に変える」
「丘? 丘って……ここに来るまでにあった丘? でも誰もいなかったよ?」
タトスの怪訝な声を後ろに、リュナムは行くぞと一声かけて歩き出した。ティフィーアが一番不満を顔に書いている。
「いくらなんでも丘はないと思うよぉ。気づけそうだもん。ルヴァの言ってた天招の階梯のほうじゃない?」
「あれだけあの丘のところ強行突破で往復しといて、気づくも何もねえよ。それこそ痕跡調べる時間はなかったし、タトスが見つけた邪教印だけだったろ」
「そうだけど……あ、そうか邪教印! オルファさんと同じ宗教の人が都合よく落とすなんて変だ!」
そういうことと、リュナムが早足気味に木々に紛れつつ声を上げる。隔世遺伝のエルフの血は、彼を簡単に森の風景の中へと溶け込ませていた。
「最初はどっかの誰かのもんだと思ってた。だけどウォーグがオルファの旦那に邪教印を渡して神官に仕立て上げたってなら話は別だ。あの周辺で儀式をする必要があるから、あの場に邪教印が落ちて、しかも土の中に埋まるほど道を行き来する必要がある奴らがいた。旦那の仲間を捕らえて運んでたウォーグたちだ」
ティファが前に出て道を先導してくれる。リュナムを真ん中にして、三人で暗くなった森の中を走る。
「あわよくば神官に仕立て上げて何かやる気だったんだろ。そうならなかった連中の末路があの牢屋の首だ。そこで事態は終わるはずだったが、奴らはまた生け贄を仕入れる機会に恵まれた」
「調査船団の船員たちってわけだねぇ」
「なんでそこまでして……!」
「考えられることはあるよぉ。神の声を聞きたかったから」
えっと、タトスは耳を疑った。ティファは皮肉げに笑っている。
「神の声を聞ける|神官《ひと》たちも、この島の中じゃ事情を知らなかった人が大半だったんだよぉ? 時間の流れが狂ったこの島に神の声が届かなくなってたんでしょぉ。それも、この島の人にとっては半年も」
「生け贄を使ってでも、神の声を求めてたとしたら。五百年前に戻るって大義名分と、五百年後の今有利に動いて自分たちの利を得る目的と。って可能性が高い」
「……だけど、神の声を聞いても、どうしようもないんじゃ……もしかして、信者を操って、国をひっくり返す気?」
「お、ちゃんと今までの会話も頭の中で復習し直したな。そう考えるのが今のところ筋道としちゃ正しそうってとこだな。軍事都市の提督と手を結んだのも、勢力増やしたのも、今の国の中枢に殴り込みかけるための手段だろうな」
森を抜ける。広場のような地点に出る。リュナムから一度止まるように言われて、タトスたちは足を止めた。
リュナムが術を行使する準備を整えている様子を見ながら、暗く染まった森の中に敵襲がないか目を光らせる。
「今の境遇を怨んで同じ宗教の徒となる連中は仲間にすればいい。反対する奴は生け贄にもなるし、島の民衆に事実を暴露したなら、怒りの矛先を向けるための公開処刑にもなる。ま――その公開処刑は、防げそうだけどな」
「え――?」
「よし、間違いなさそうだ。ルヴァの旦那から連絡がきた。一気に移動する。魔石でかいの預かってて助かったぜ」
「え、待って、どっちに行くの? 丘? それとも山?」
「いいや、街だ」
耳を疑った。
リュナムが苦い顔で鞄からピアスを取り出している。拳よりも大きな魔石まで、タトスはぎょっとして顔をひきつらせた。
想像していた魔石なんて、大抵親指ほどの直径があるかどうかのものだったのだ。こんなに大きな石ができるなんて、どれだけ魔力が込められているのだろう。
「なんで、なんで街!? 船員の人を助けるなら丘か山じゃないの!?」
「処刑の名目潰しが先ってことだ。どうもルヴァの旦那だけじゃ荷が勝ちすぎてる。タトス、お前が適任だ」
タトスは焦げ茶色の目を丸くした。リュナムは顔色を少し青ざめさせながらタトスへと笑んでいる。
「今回ばっかりは、お前の体質が発動しないことを祈るしかねーな。最悪一人で走らせることになる。オレたちはお前を届けた後丘に向かう。猪をみんなに振る舞ったお前ならできる。思いっきり思いぶつけてこい。怪我に気をつけろよ」
タトスは一瞬口を噤む。やがて薄暗い森の陰より蒼くさえ見えるリュナムの顔へと、しっかりと頷いた。
リュナムにとってもこの船出が賭けならば、自分がその船に一番に乗ろう。
「うん、わかった」
「リュナちゃんが術準備してる間に、あたしもちょっとやってみるね――」
ティフィーアがタトスへと向き合い、首筋の傷近くに手を当てる。手を複雑に動かす。
「名を持たぬ生命の精霊、力を貸して。こんなに命を輝かせる子に、あなたたちの力を貸してあげて=v
微かに沁みていた傷口が乾いてくる。目を大きく開くタトスの後頭部からも痛みが引いていく。
「ありがとう、ティファ!」
「どういたしましてー。やっぱりねぇ。神官魔法は効きづらいけど、精霊魔法は効きやすいんだねぇ。走っても大丈夫と思うけど、怪我は厳禁だよぉ。ルヴァなんて生命の精霊と相性最悪なんだから」
かつての仲間へ容赦なく辛口を吐くティフィーアに、タトスは顔を引きつらせた。リュナムも失笑を浮かべ、魔法陣を地面に書き連ねて立ち上がる。
一筆書きの星が二重に描かれている。沢山の知らない文字が、リュナムがいつも勉強のために睨めっこしていた文字が、陣の線と連れ添うように連なっている。
「さあ、やるぞ。久々の転移術だ、上手く行ってくれよ――」
指を光が包む。描かれた魔法陣一番外側の円をなぞっていく。タトスたちが線を消さないように中に入る頃には、リュナムの指は円をなぞり終えて持ち上がった。
指から落ちた土埃が静かに浮いたのを、確かに見た。
「万物万象、我は空間を掌握する者。全ての|途《みち》に宿りし魔法素よ、汝に我が力を授ける=v
円が、|仄《ほの》かに青紫色に輝く
「その|絆契《ばんけい》新たな|路《みち》と定め、万里を駆ける気高き一歩と記せ=b空間転移《ラーゲ・キネシス》!」
光が景色を遮った。
まぶしい光に目を閉じていると、やがて周囲の音が変わった気がして戸惑う。
森と獣の気配が瞬時に遠のいた。喧噪とまではいかないが、人の声が遠くから聞こえる。光が一瞬にして消え、堅牢で重たい色の石壁と、丘と畑に囲まれた盆地が広がる。夕暮れの空に苦い顔になるリュナムが、微かに息をついた。
息が上がってる。
「っし、タトス、行ってこい。多分お前が猪を運んだ広場に人が集められてるはずだ、門番の説得はオレらでやる!」
「わかった!」
走る。突然現れたタトスたちを遠目で見たらしい門番が、慌てて走ってくる。タトスの顔を見るなり目を白黒させ、止まるよう声を上げてきた。
「お前は――広場に猪を持ってきた槍使いか!?」
「うん、ごめんなさい、急いで戻ってきたんだ、通して!」
「そ、そうは言うが検閲を――」
「時間がないんだ、助けたい人がいるんだ!」
門番が一瞬にして口をつぐんだようだった。面頬の下で微かに息を飲んだようで、やがて剣を構えられ、タトスは呻く。
「どんな事があっても入口を任されている者として看過はできない。急ぎ入る理由を述べろ」
「そんな時間が――!」
「貴公らの上層部へと誤情報を流した輩がいる」
リュナムが追いついてきた。タトスが振り返るより速く、門番が夕陽に赤く染まった肩当てを持ち上げて、身を固くしていた。
「そいつはゲイル国の転覆を企てて民衆を扇動する気だ。タトスを先に行かせてくれ。今民衆にねじ曲げられた事実を伝えられたなら、敵国以前だ。国は瓦解する」
「――お通しできません」
そんな。
苦渋に顔を歪めるタトスに、門番が彼の槍を示した。
「折れた足で猪を狩り、民のためと運び込んだ彼が真実を伝えれば、確かに民衆は声を聞くでしょう。ですが真実そのものが劇薬となる可能性もある」
リュナムが耳を疑った。門番が面頬を上げて笑んだ。
「お一人での行動は看過できません。自分が共に参ります。あなた方が、先日いらしたという、《《記録にない》》宮廷魔術師一行でも構いません。自分はゲイル国兵士です」
「――ありがとう……!」
「ただし、あなた方の仰る内容こそが偽りであった場合。私は容赦なくあなた方に刃を向けます」
その言葉には、タトスはまっすぐ頷いた。
「うん。覚悟してるよ。お願いします」
「――まったく」
門番に溜息をつかれた理由がわからなくて、タトスはきょとんとするも、軽く会釈した。
「僕はタトス。あなたは?」
「ディックです」
タトスはあっと目を丸くする。口を開く前に、ディックと短く名乗った男性は、真剣な目をして見下ろしてくる。
「さあ、急ぐのでしょう」
「――は、はい!」
リュナムとティフィーアに見送られ、タトスは門番と共に走る。当直のほかの門番に軽く事情を説明して、タトスを連れ立って案内してくれる。まだ夜ではないのに、人気が失せた石畳の道を兵士と共に走りながら、タトスは困惑して青年を見上げた。
「あの、ディックさんってもしかして、オルファさんを知ってる?」
「――オルファ? いや、知りませんが」
微かに違和感を覚えた。
今までの、リヴィンみたいに城の兵士のような丁寧な言葉遣いが砕けて聞こえたのだ。
「本当に……? 僕らと一緒にいた剣士の人。あなたと同じ名前の知り合いの人がいるって言ってたけど」
「――ええ。知りません」
少し冷ややかな声に聞こえて、タトスは足を止めた。
「嘘つかなくていいよ」
門番が足を止める。上げられたままの面頬の下で、黒の目が鋭く射抜いてきた。
「必死に探してた。助けようとしてた」
「だがあの男は俺たちを売った」
「売ってない。帰ろうとしてたんだよ。あなたたちのところに」
「帰る? 牢屋の俺たちを見捨てたあの男が?」
「――ちゃんと、広場で真実を言うよ」
違うと声を上げたかった。殺意に満ちた目を見て、悔しさすら湧いた。
ディックも誤解させられているのかもしれない。だとしたらあんまりだ。
仲間内でこんなに憎しみの感情をぶつけ合わせるなんて、ウォーグはなんてことをしたのだろう。
悔しかった。