離島戦記

 第1章 隔離された島

14th「ガラスの涙雨」01
*前しおり次#

 広場は人でごった返していた。
 とてもルヴァを探すことなんてできない。ちぐはぐのチーグの姿だって見えないだろう。皆不思議そうに首を捻るばかりで、用意された石舞台に人が来るのを待っているようだ。
「ついに戦争の合図が上がったのかしら」
「船の規制が解かれたのかもしれん」
「いやそれより、敵国が攻めてくるんじゃ……」
 どう言おう。
 勢い任せに来たけれど、敵が動く前に、どう伝えよう。
 ――ううん。自分の言葉でちゃんと伝えなければ、なんにもならないなら。
「総督だ!」
 声が上がった。タトスが目を丸くする中、地下通路で見た往年間近の男が石舞台に上がっていく。厳格そうな護衛に左右を固められて歩く姿に、タトスは目を丸くした。
 片足をほんの少し引きずっている。杖を使っていなくとも、戦線を離れて久しい人だと感じた。襟足がぴしっとした仕立てのいい服装に身を包み、沢山の立派なバッジを胸につけている。灰色がかった紫の目は細く、白髪混じりの茶髪が、後れ毛一つなくきれいに纏められていた。
 |睥睨《へいげい》するドミトニスは、民衆一人一人の目を見る様子ではない。なのにタトスと目があった瞬間、微かに思案の影が見えた。
 紫の目が、鋭く市民を睨み降ろす。
「足労であった。我が指導する民たちに告げる。此度はこの島に起きた怪異についてである」
 民衆がひそひそとざわつき始める。それも、ドミトニスの側近らしい兵が、槍の石突きを鋭く舞台に叩きつけた音で静まり返った。
「このレドゥ島は世界から切り離された」
 動揺がはっきりと上がった。タトスが目を大きく開く中、ドミトニスは淡々と告げるではないか。
「神の使徒たちよ。貴様らの問いに神は答えたか? 精霊の声を聞く者たちよ。水と風の精は貴様らにこの海の先を見せたか」
 動揺が、民衆から民衆へと向けられる。
「そうだ。応えなかったであろう。当然だ。この島は我らが知覚する半年もの間、島と外海を遮断されていた。そしてその外では」
「五百年経ってる!」
 沢山の人の目が、タトスに注がれた。
 悔しくて、悔しくて、何も言葉が出なかった自分にも腹立たしいけれど、それ以上に今はドミトニスに告げられたくなかった。
 何人かは、タトスを見てはっとした顔をしていたし、ディックが衝撃に目を見開いて胸倉を掴んでくる。
「五百年だと……!? そんな、そんなわけあるか……! でたらめを言うな!」
「嘘じゃない」
「嘘だ!! 何を根拠にそんな妄言を――!」
「嘘じゃないよ。ウォーグは、あなたには言わなかったんだね……」
 ディックの手から力が抜けた。そのまま膝を折る男性に、タトスは唇を噛む。
「坊や、あんた確か、猪の肉を分けてくれた……」
 広場で猪の肉を切り分けてくれた人だった。タトスは黙って頷いた。
「知ってたのかい? まさか、島がどうなってるか……」
「五百年? どうして……そんな、冗談だと言ってくれ!!」
「俺たちの家族は、家は、どうなったんだ!?」
 それはと、言おうとして。タトスはぐっと腹に力を入れた。民衆を、その先にいるドミトニスを、タトスはしっかりと見据える。
「お願いだよ。話す機会を、くれませんか?」
「――ほう。自ら舞台に上がるか。ならばここへ来い。道を開けよ」
 民衆が困惑と不安に飲まれた様子で、石垣が崩れるように割れていく。タトスを見下ろすいくつもの相貌が、低い位置からも高い位置からも、右からも左からも進む先からも、バラバラな場所から見てくる。立ち上がろうとする者、近くの建物によじ登ろうとする者、様々だ。
 固唾を飲んだ。槍をディックに預けて、タトスは毅然と背を正して、沢山の人々に一度頭を下げた。
「通してくれて、ありがとう。ちゃんと話します」
 タトスが歩く音が、石畳を踏む一つ一つが、乾いた大きな音に聞こえた。
 篝火が灯され始める。それだけ暗くなっていたなんて、夜闇も何となく見えるタトスには気づけなかった。
 黒の目、青の目、緑の目、紫、茶色、灰色、金――
 様々な種族の視線を、間近で見るように感じる。喉も圧迫されたように思う。
 石畳を上り切った。試すような目でこちらを見てくるドミトニスの紫の瞳をまっすぐ見上げて、タトスは頭を下げる。
「話してもいいって言ってくれて、ありがとうございます」
「貴様が妄言を一つでも吐けば首を|撥《は》ねよう」
「ううん。きっとあなたはしないよ。もしそれをしようと思うなら、最初から僕の首をあの人に撥ねさせてたよね」
 ディックを振り返るタトスは、石垣が戻っていく様子と、|憔悴《しょうすい》したディックもまた石舞台のすぐ近くにやってきたことに気づいた。ドミトニスが無言で見下ろしてきて、話せと言うことだろうかと、タトスは民衆を見やった。
 ――すぐに、ドミトニスへと顔を向ける。
「やっぱり、同じ場所からじゃだめかな。見えない人もいるかもしれないけど、僕こんな場所から話すより、みんなと近い場所で直接話したいよ」
 微かにざわめきが起こった。もしかして速く話せと言っているんだろうかと思ったら、皆困惑した様子だった。ドミトニスが目を細めた理由も見出せなかったが、彼はじっとタトスを見下ろしてくる。
「それは叶わぬ。石舞台には声を届ける魔術をかけてある。ここからでなければ全ての民に聞こえることはなかろう」
「そっか……わかった。じゃあここから話します」
 態度が横柄だと、兵士たちが声を上げた。それをドミトニスが片手を上げて制止したことに、タトスはちょっと驚いた。
 前を、はっきり見据える。一人一人と目が合うように、ゆっくりと顔を見ていく。
「僕はタトス。センディアム島の田舎から来ました。みなさんの時代にはない村かもしれない。僕は調査船の乗組員の一人です。この島が一月ぐらい前に現れたから、ここに人がいるのか、島がどうなっているのか、調べるために来ました」
 みんな、動揺している。本当なのかと疑う目もある。怒りを剥き出す人も。
 それでもタトスは、まっすぐ前を見た。
「皆さんにとって、僕の住んでいるゲイル国は、五百年後の世界です。それは……本当です」
 リュナムみたいな、リヴィンみたいな、場に応じた言葉遣いは得意じゃなくても。自分が知っている言葉で、伝えられるように。
「どうして島が消えたのか。どうして島が戻ってきてくれたのか。それがわからなくて、調査に来ました。いつかは伝えなきゃいけないってわかってた。ずっと伏せてたのは……どう言えば、こんな状況に巻き込まれたみんなのつらさに向き合えるかって、僕の親友と、仲間と、ずっと考えてたからです。そして、僕たちを運んでくれた船の船員たちを|浚《さら》った人から、船員の人たちを返してほしくて、走り続けていました」
 ざわめきがひどくなる。タトスは拳をぎゅっと固めた。
「俺たちを|騙《だま》していたんじゃないか!」
「嘘つきめ、猪だってこれ見よがしに|施《ほどこ》しをしたつもりだろう、偽善者め!!」
「騙してたのは本当だよ。言わなかったんだから。でもこれ見よがしに施しを与えたなんて、それは間違ってる」
 きっぱりと言い放った瞬間、怒号が飛んできた。何かものを投げようとして、止められる姿もあった。タトスは石を投げようとした人を、声を発したその人を見据えた。
「何ヶ月もノムルス島から食べ物が来ていないって聞きました。僕らはそんなこと考えもしなかった。この島が戦争中だったことも知らなかった。僕の時代は戦争がないから、わかることができなかった」
 ふざけるなという声だって上がった。それでも、タトスは息を吸い込んだ。
「だから、知ったら放っておけないよ! 偽善者だよ、それも本当だよ。明日のご飯もない生活がどれだけつらいかは僕にもわかるんだ! みんなそうやって我慢して、倒れそうなのを知ったら、放っておけなかった!」
「これ見よがしに莫迦にして――!」
「放っておけないよ! だから、たった一頭しか持ってこれなくても、その猪の命をいただいて、明日一日だけでもみんなの空腹が減るんなら、それでよかったんだ!」
 声を上げる数が減った。タトスは拳を固めたまま、怒りを剥き出す人の目を見据える。
「偽善者め……! そもそもお前たちが原因じゃないのか? 戦争を知らないだと、田舎の村の出だと? なんで城の者が喋らないんだ、今のゲイル国は誇りがないのか、俺たちをこんな目に遭わせて!!」
「そ、そうだな。なんで城の者が話さないんだ……」
「出てくることはできたよ。でも僕が行きたいって言った」
 ちょっと嘘だった。
 でも、本当のことだった。
「本当なら、あなたたちの言うとおり、お城の人が言うのが正しいのかもしれない。でも関わったのは僕だから。猪を届けたのは、僕がやったことだから。城の人が話すのも、誰かに任せるのも違うと思ったんだ」
「だからって、お前なんかに俺たちの気持ちなんかわかるもんか!」
「そ、そうよ……五百年後なんて、急に言われたって……」
「島ごと、わしらは、放り出されたってことだろう……見捨てられたんだろう、国に……」
「そう見えるかもしれない。けど、見捨ててないよ。だったらとっくに、僕らは引き上げてた。そうできなかった理由もあるけど――」
「そういえばさっき、船員を浚われたって……この島の幻獣に?」
「ううん。島の人に」
 ざわめきが起こった。それでもタトスは、民衆を見やった。
「それなら島から出れないだけじゃないか、|媚《こ》び売ってるだけじゃないか!」
「船員たちを助けたくて、みんなに隠し事したままだったのは本当です。でも媚びなんて売ってもなんにもならないよ。僕狩人だよ。猪穫れるんだから、やろうと思えば自分で生活できるよ。狩人だから、村のみんなが美味しいお肉を腹いっぱい食べられるようにするのが仕事だよ。自分が狩りをできるのに、肉を持ってこれるのに、空腹の人を黙って見るのは、つらいよ」
 声が、上げられていた手が、静かに沈んでいった。
 やっと、ほとんどの人がやつれた顔をしていると、はっきり見て取れた。思えばタトスにも、話すことに手一杯で、人を見るゆとりはなかったのかもしれない。
「五百年後の世界に、皆さんをいきなり放り出してしまったことを、悔やんでいる城の人がいます。みんなで解決するためにも、まずは、五百年後のゲイル国の船を受け入れてもらえないかな。食べ物をたくさん、たくさん積み込んだ船を、港に入れてもらいたいんだ」
「食料が……!?」
「だ、騙されないぞ、そう言って毒でも仕込む気だろう!!」
「|莫迦《ばか》もん!!」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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