離島戦記

 第1章 隔離された島

14th 02
*前しおり次#

 どら声が広場を揺るがした。あまりの大声に、タトスはあっと目を丸くする。
 ドワーフが怒りもたけなわな様子で吠え上げたのだ。
「ギェズドさ――」
「もう我慢ならん。儂も同じようにあやつを疑ったわ。あの|小童《こわっぱ》が言った言葉は呆れ返るほど善人だ。疑いたくもなった!!」
「え、ちょ、ひどい!?」
「小童は黙れ!!」
 理不尽を極めた一言なのに、タトスは反論できずに叱られた子供のように肩をすぼめた。
「だがな、この小童はただの口先だけの善人ではない。折れてまだ治りきっていない骨で狩りをして、儂より大きな、このドワーフより大きな猪を丘の向こうの森から運んできたんだぞ!」
 動揺が波のように揺れ動いた。信じられないと言いたげな人々の中から、「そ、そうなんだよ!」と、ひ弱そうな声が上がる。
「猪に襲われてるのかって見間違えたぐらいだ。あの体で、せ、背負ってきたんだ! びっくりして、手押し車貸したら、貸してくれたお礼って肉を分けてくれて……」
「そういえばあの子、ずっと人に分けるばっかりで、自分は食べてなかったわよね……」
「だとして、俺らを騙した国の奴なんだろう!?」
「あの子、調査に来たって言ってたわよ……?」
「それに、事情を知ったからできることをやろうとしたと言ったようにも聞こえたよ……なあ、本当に五百年後なのかい? 私らの育ったウォラリー諸島はどうなったのかい!?」
「そうだ、ジルフィスト島の家族は!? みんな無事なのか!?」
「戦争はいったいどうなったんだ!?」
「私たちは元の時代に帰れるの!?」
 矢継ぎ早に求められる答えに、タトスは一瞬だけ言葉に詰まって、頭を下げた。
「それは――ほとんどの質問は、ごめんなさい。学がない僕じゃわからない。けど、みんなの聞きたいことは、王様たちが答えてくれると思う。だから、今の僕がわかることを、答えます」
 精一杯、声が掠れないように気をつけた。
 喉はとっくに乾き果てていた。
「戦争は、僕の時代にはないです。国は今ゲイル国だけです。その向こうは、海も空も、陸もない、近づいたら誰も戻ってこられない|奈落の崖《ガイアフォール》に囲まれてる。そんな状態で、ゲイル国は五百年続いてるんだって」
 ぞっとしたような顔をしている人を沢山見かける。歓喜する人は、ほとんどいない。
「ウォラリー諸島も、ジルフィスト島も、ノムルス島も、フレイメリア島も、皆さんの知ってる形かはわからない。けど、ちゃんとあります。もちろんセンディアムも。奴隷制度もなくて、貴族って制度もほとんどなくなってる。街それぞれが話し合いをするために、代表者たちが意見を言い合う、総代制度があります。だから僕は、奴隷って言葉を知らなかった。よくわからなかった」
 皆信じられない様子だった。タトスは一人一人を見据えて、頭を下げる。
「ごめんなさい、みんなが五百年後に戻れるかも、僕が簡単に『帰れる』なんて言っちゃいけない。そんな無責任なこと言って、みんなを喜ばせて、もし違ったら。本当の偽善者だよ。そんな無責任なことを言うぐらいなら、石を投げられるほうがいい……!」
「莫迦を言うんじゃない!!」
 ギェズドのどら声がまた広場を揺るがした。
「投げられるほうがいいだと? 小童、それこそ莫迦にするな!! お前さんが国を背負って石を投げられる立場にあるか? 違う! 身を投げて喜ぶなどそれこそ責任逃れに他ならん、鼻持ちならん考えだ! 避けろ、そして盾を構えろ! それが戦士ではないか!」
 目を白黒させたのはタトスのほうだった。けれど、ギェズドの怒る声に、微かに滲んだ涙を溢さないように、毅然と鍛冶師を見つめて頷いた。
「本当に石を投げられるべきは誰だ? 奈落の崖が国を囲むまで迫るほどに、戦争に明け暮れていた外国だ!! そんな戦争に荷担しようとしていた儂らもだ!! 全ての事態を知ろうとせず、この半年上に任せきりで、ろくに自分の飯も家族の不安も変えようとしなかった、儂らもだ!!」
「だが、そうするしかなかったじゃないか!」
「ああそうだ。この状況下だ。身動きなど誰もとれなかった」
「そら見ろ――!」
「ならばだ! そんな儂らへと、お前さんらへと! 危険も省みず飯を与えてくれた恩人に、お前たちはどうする? 石を投げるのか?」
 しんと静まり返る。ギェズドはじろりと、怖い目つきで人間もエルフも、同族のドワーフ族すら睨みつけた。
「腹を満たした。考える力をくれた。尚もこの街の腹を満たすために動きたいと願い出る、そんな恩人に石を投げるのか!」
 わんわんと、ギェズドの声が反響した。彼に反論する音は、すっかり鳴りを潜めた。
 ギェズドがじろりと周囲を見渡す様を、タトスは石舞台の上から、小さな頭を見つめる。
 ありがとうと声を出す前に、女性が足元を見下ろす動きに一瞬目を取られた。
「ねえ、お母さん。お腹空いた」
 子供の小さな声に、頭が一つ、慌ててしゃがみ込んだ。
「い、今は後にしなさ――」
「お父さん、ぼくも。ぼくもお腹空いたあ」
「ご飯来るの? 我慢しなくていいの?」
「おじいちゃんと一緒に、また林檎食べられる?」
「ねえ、あのお兄ちゃん、ご飯くれる船入れてって、言ってたよね?」
「食べたいよ、ご飯いっぱい食べれるよ」
 口々に声を上げる子供たちを大人がなだめるより速く、赤ん坊の泣き声が上がった。
 いたく耳に刺さる訴えを、もう誰も咎めなかった。
「タトスさん、と言ったね。本当に、食料を届けてくれるのかい?」
 小さなしわくちゃの老婆の声に、タトスは頷いた。
「僕の時代の王様は、ちゃんと届けてくれる人だよ。何か事情があって難しいって言われても、そのときは僕が届けにくる」
「ありがとうねえ」
 目を見開いた。
 老婆が、腰を曲げて、杖を突いて、穏やかに何度も頭を下げた。
「ありがとう、ありがとうねえ……やっとうちの嫁が、赤子にたっぷり乳を飲ませられるんだねえ……」
 近くで聞いていた女性たちが、子を抱える男性らが、くしゃりと顔を歪めている。
 小さな老婆は、穏やかな声でドミトニスへと頭を下げた。
「ドミトニス総督、どうか、どうか、お願いします。帰るならば、生きなきゃなりません。老い先短い私らはともかく、故郷に帰れる若者を帰すためにも、どうか、食料を貿易してもらえませんか」
「貿易!? なんてこと言うんだいばあさん、私らにはそんなゆとりなんてないよ!!」
「ええ、ええ。だって、作ってくれる人の生活が苦しくなったら、意味がないだろう」
 ゆっくりと、柔らかな言葉で。老婆は中年の女性を宥めた。
「作ってもらえなくなったら、私らのご飯はないんだからねえ。自分たちが耐えた境遇を、手を差し伸べてくれる人にまで、|強《し》いちゃあいけないよ」
 女性が悔しそうに眉をぐっと寄せる。老婆が優しく、彼女の荒れきったガサガサの細い手を撫でた。
「ようく、ようく頑張ってくれたね。ありがとう。私も、もう一踏ん張り、あんたたちと歩きたくなったよ。総督、どうか、どうかご恩情を」
 ゆっくりと、頭が下げられる。小柄な老婆が、杖を地面に置く音がした。
 あちこちで、頭が下げられる。中にはまっすぐ見据えて、直に声を上げる人まで。
 睥睨する総督の目が細められ、市民をぐるりと見渡した。
「よかろう。この街の生産が追いつくまで、配給を行うものとする。そのための食料の輸入も現国王に進言しよう」
 喜びが涙と共に広がった。タトスは喉が詰まりかけるほど嬉しくて、ドミトニス総督へと頭を下げる。
「ありがとう……!」
「だが、国が真に我らへの誠意を見せぬときには。国の中枢となったレドゥの威信に掛けて、貴様らへと牙を剥こう」
「うん。ちゃんと伝えます。――その前に、僕たちが帰るためにも、船員を助けなきゃいけないんだ。行ってくる。ウォーグに勝手に連れてかれたんだ」
「ウォーグ? ウォーグって、学術都市の隊長じゃあ――」
「なるほど。奴を泳がせたかいがあったというものよ」
 えっ?
 驚いて振り返ったタトスの隣で、ドミトニス総督が不敵に笑む。
「我が奴の|謀《はかりごと》に乗じる小物に思うたか」
 タトスはぎょっとした。
 なんで自分から言うんだろう。ウォーグの謀を聞いてるって。
 民衆だってざわつく。篝火に照らされた男の笑みは、しわの深さが顔の陰を際立たせる。
「我が忠誠は国にある。我が信念は繁栄と栄光に向けられると心得よ。アイビス中隊長、兵を連れてこの者の指揮官に協力せよ」
「ははっ」
 篝火の近くに控えていた、鎧の装飾が他の兵より目立ち、兜も頑丈なものをつけているエルフらしい人影が近づいてくる。
 人間の兵士が多いイメージだったが、まさかエルフが来ると思わなくてタトスは驚いた。すぐに思い出したことを告げようと、ディックの元へと走る。
 ディックは動揺したままだったが、タトスは彼の肩を鎧の上から叩いた。
「あなたも一緒に来て。いいよね、ドミトニスさん」
 兵士たちからこれでもかと怒られた。しまったと肩を跳ね上げるタトスだが、ドミトニスが体を震わせる様子のほうがもっと危機感を抱いた。
 なのに、彼は井戸に水が湧き出すように笑い始めるのだから、街の人も含めて皆呆然とする。
「ふははははははは……! 我を『さん』と呼ぶか。平和も考え物よ。だがよい、時代が違う無礼なぞ、異国の流儀となんら変わりはせぬ。その者も伴うこと、承知しよう。次に我が前に姿を現すときは、こちらの流儀を身に刻むことだ」
「あ……ありがとう!」
 四方八方からこれでもかと睨まれる。皆が皆納得して送り出している訳ではないことぐらい、タトスだってわかっている。タトスはもう一度民衆へと頭を下げて、ディックから槍を受け取り、広場の外で待つ一個中隊の元へと走った。
 ルヴァはどこだろうと目をやるも、灰色の髪の剣士が呆れた様子で顔を押さえて、肩もがっくり落としている姿を見つけて、タトスは苦笑いをした。
 名前を呼ぶなと言われたし、きっと後で会える気がしたので、そのまま街を出よう。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2022 *Nanoka Haduki* all right reserved.