離島戦記

 第1章 隔離された島

2nd「夜の暗礁」01
*前しおり次#

「っひゃひゃひゃひゃ!! ひーお前バッカだなー!!」
「いつも言ってるじゃないか……」
 リュナムが女性に間違われがちの端正な顔で、大口を開けて笑い飛ばすものだから、タトスはしょんぼりと床にのの字を書いた。オルファまで笑いを堪えて、手入れを終えたばかりの剣を鞘に、小気味よい音を立ててしまっている。
「女の勘違いほど面倒なものはないが、とんだ災難だったな」
「こいつらしいぜ。大抵何かしら自分に都合悪い状況になるよな。ついたあだ名なんだと思う?」
「トラブルメーカーか?」
「いや、不運メーカー」
「もういいよその話!」
 最早悲鳴も同然だった。ついにオルファが吹き出していて、扉がノックされる音すらかき消されてしまう。ちらりと開いた隙間から、ティファの青い目と髪が覗いていて、リュナムが意外そうな顔をしている。
「なんだよティファ、どうしたんだ?」
「あのねー、リヴィンがタトスのお説教をしたいって言ってたから、真実がどっちか聞きに来たのー」
 こんな小さい子にまで伝わったのか。
 ショックで毛布団子になるタトスだが、リュナムの笑みを含んだような声音に口が尖って仕方がない。
「ああ、あれだろ? タトスお得意の不運メーカーだぜ」
「不運メーカー?」
「好きで作ってるんじゃないってば……」
「ええー、ベッドに籠ってるのぉ? タトスってばヘタレー」
 槍が自分に刺さった。
 衝撃で息ができなくなる中、槍が幻覚だと気づくまで相当時間がかかった。オルファが「あー……」と、行き場を失くしたように間を取り持っている。
「問題は、事の真偽だろう。一応他人の視点から言うと、ただの勘違いだよ」
「うんうん、だろうと思ったぁ」
 ……槍が、刺さったまま抜けない。
「だろうと思ったって、お前な……タトスをいじりに来たのかよ?」
「そういうことぉ。リヴィンの勘違いは久しぶりに見たしぃ、やっぱりここはタトスをいじらなきゃかなぁーって」
「初対面でも平気でいじるんだな、相変わらず」
「そういうリュナムはもうティファ姉ちゃんって呼んでくれないんだあ」
「は? 姉?」
 オルファの怪訝な声に、リュナムがああと目を向けた。
「ティファ、言っていいんだっけか?」
「いいよぉ。あたしは気にしないタイプだもん」
 タトスもひょっこりと、毛布から顔を出す。リュナムが姉と呼ぶ理由が見えなかったのもあるし、そろそろ息が苦しくなってきていた。
 ティファはおかしそうに笑って、オルファやタトスを見てくる。
「あたしね、水の|神子《みこ》族なんだよぉ。だからエルフと同じぐらい長生きなのぉ」
「神子族か、道理で髪色が違うわけだな」
「そういうことぉ。あんまり神子族って知られたくない人のほうが多いけどねぇ」
「……神子族って、どういう種族? ティファ、人間じゃないの?」
 船を作る木が、波に揺れてかすかに軋む音しか聞こえなくなった。オルファが呆気にとられた顔をしている中、リュナムもあちゃあと遠い目になっている。
「そうだった、こいつの村エルフもドワーフもそんなにいないんだったな……神子族なんて以ての外だったぜ」
「そっかぁ、センディアムにも神子族がいない村ってあるんだねぇ。えっとね、あたしたち神子族ってね、精霊と一緒で、人によって得意な属性を持ってるんだよぉ。生まれつき精霊と対話できて、自分の得意な属性の精霊は、その場に精霊がいなくても呼べるのぉ」
「えっと、それって凄いことなの?」
 ついにオルファの口があんぐり開いた。リュナムが深々と溜息をつく。
「マジで返せ、オレの講義時間」
「だ、だって僕使えないし、習っても一回じゃよくわかんないよ……」
 リュナムががっくりと首と肩を落とした。「物覚えのよさぐらい勉強にも活かしてくれよ」と言われて、タトスは頬を掻いて曖昧に笑む。
 物覚えがいいと言うより、目の前で起こったことや、印象に残ったことを忘れにくいだけだった。
「精霊ってのはその場所を形作る要素を住処としてるんだ。|水の精霊《ウンディーネ》なら水辺。|風の精霊《シルフ》なら風のある場所。|火の精霊《サラマンダー》なら火の近くや暑い場所、って具合にな」
「じゃあ、|植物の精霊《スプライト》は野菜とかの傍かな? |地の精霊《ノーム》は土のある場所?」
「正解。|光の精霊《ウィル・オ・ウィスプ》と|闇の精霊《シェイド》は、互いの純粋な勢力圏……あー、要するに魔法使ってる状態の時な? そういう時以外は、どこにでも存在してるから呼び出せるんだ」
 いきなり難しい言い回しをされて、顔が止まっていたらしい。柔らかく噛み砕いて説明されて、タトスは頭半分に頷いた。
「じゃあ、神子って種族の人は、そこに呼びたい精霊がいなくても火をおこせたり、|水の精霊《ウンディーネ》を呼んだりできるから……あれ? カラッカラの土地でも水をもらえるってこと!?」
「そーいうこと。どの精霊を呼べるかは生まれで偏り出るらしいぜ。で、ティファはその|水の精霊《ウンディーネ》を呼べるから、神子族の中でも水ってつくわけだ」
 それは――凄いを通り越している。火をつける手間知らずの神子族や、痩せた田畑の土を肥沃なものに変えてしまえる神子族だっているということだ。
 目を瞬かせるタトスに、ティファはくすくすと笑っている。
「寿命が長くて、人間と交わることも多いから、結構人間の村とかに紛れて生活してるのぉ。種族黙ってるのも、便利な力だー、オレの思い通りに使えーって、狙う人多いからねぇ。精霊術ちょーっと複雑にお願いできる程度なのにぃ」
「じゃあ、ティファが精霊術得意なのも、そのおかげもあるんだね。かっこいいなあ」
 ティファがきょとんとしている。リュナムがぷっと笑って、ティファを見下ろしている。
「こういう奴なんだよ。魔法素を操れない体質だから、魔法を使える奴に憧れてるんだ」
「え!? 魔法素扱えないのぉ!? 魔石を使ってもダメ!?」
「うん。父さんの血筋はほとんどそうなんだ。だから槍使いになるのも、父さんがいなかったら、お城で稽古受けるなんてこともできなかったんだぞって、よく脅されてたよ」
 ティファがぽかんとしていた。少し気落ちしたような様子で、やがてぷっと吹き出すように笑っている。リュナムが怪訝そうに見下ろしている。
「おい、ティファ?」
「そうなんだぁ。タトスってばいい子だったんだねぇ。じゃあ、女の子の部屋覗こうとしたわけじゃないんだぁ?」
「最初からそう言ってるよ!?」
「えー? だって女の子の部屋に押し入ろうとしてたーって、リヴィン姉言ってたよぉ?」
「だから違うってば、扉開けないで声をかけてただけなのに!」
「どんどん大げさにされてんな、お前。生きろ」
「止めてよ!!」
 オルファがついに疲れたような溜息を溢してきた。リュナムと二人できょとんと振り返ると、彼から面倒そうな顔をされる。
「そこまで騒ぎ立てるぐらいなら自分の手で無実を伝えてきてくれ。おれはそろそろ寝る」
「あ、す、すみません」
「オルファ兄は冷たいねぇ」
「実年齢がどうとは思わないが、君から兄と言われるのは色々と複雑だよ」
「え、喧嘩売ってる?」
「そんな真似、|畏《おそ》れ多くてできるわけないだろう」
 一瞬感じた冷気を大人の対応で交わすオルファは、さっさと自分のベッドへと向かっていった。タトスはリュナムにいじけながら目を向けると、肩を竦められる。
「ま、オルファに賛成だな。つか、一緒にいた船員とか証明してくれねえの?」
「その人たちが女の子の部屋に入る前に、とか言ったせいでリヴィンが勘違いしたのに?」
 リュナムとティファから生暖かい顔をされた。
「……生きろ。数ヶ月の辛抱だから」
 棒切れを折るように、心を容易く砕かれた。
 その間にも、黒い髪の中にくっきりと映える青い目が、部屋の一同を見渡している。オルファは鎧を脱いでいる最中だったからか、リュナムに声をかけられて怪訝そうに振り返っていた。
「丁度いいから今のうちに確認取らせてもらう。船員たちにもあまり詳しいことは言えないからな。ヴァリエス陛下から命ぜられた任務についてだから、寝るのはちょっと待ってくれよ」
「ああ――露骨に船員たちを遠ざけたくなかったのか?」
「ま、そんなとこ」
 やや細い肩を竦めて、リュナムは腕を組むなり苦い顔をしている。
「要の話だ。現地住民がいた場合、オレらが調査兵団だってことを、島の連中には黙っとくこと。島の状況次第になるけど、現地住民がいたなら穏便に済む気がしてねえんだよな」
 どうしてだろう。レドゥ島は元々ゲイル国の島のはずだ。同じ国の民と会えるなら、野盗でもない限り安心できそうなものなのに。
「船員たちも口は堅いほうだ。けど、オレらと違って目的は伝えられてない。そのほうが船員への危険も少ないからな。だから船も港に泊めるのは極力避ける」
 つまり、船は海の上に居続けるということだろうか。ティファとオルファが了解を伝える中、タトスは曖昧に頷いて、自分の頭の中に叩き込むように反芻した。
「つまり……島の人にも船の人にも、調査で来たってことと内容を、内緒にするってことだよね」
「状況次第だけどな。オレらとはぐれた時はオレたちの特徴を出さないと合流できないこともあるだろ。島のことを知りに来た、ぐらいのつもりで話すなら問題はないだろうけど……住んでる奴がいたとして、そいつの立場に立って考えてみろよ。島が突然現れた、なんて言われていい気がするか?」
「しない。僕幽霊じゃないよって思う」
「だろ? だから下手に、島が現れたから来たー、とか言うなよ?」
「わかったよ」
「そこまで素直な性格で、よく召喚術師殿に誤解されたな」
「ほんとほんとー」
 オルファとティファの相槌に、タトスは心も腰もぽっきり折れたのだった。


 夜の船旅は、驚くほど暗い。大地の硬さも草の柔らかさも、牛や馬や、狼すらもここにはない。海の上にはお化けの気配すらも見出せなかった。
 木の甲板に、オレンジ色の篝火に、真っ黒な波が揺らす世界だけ。波は――時々篝火の火を受けて水面が鈍く輝くからわかる程度だ。
 村育ちのタトスでも、首都の港で時折見る波と変わらない穏やかさであることぐらいは簡単にわかる。夜風も船尾側の陰にいるタトスにはあまり届かず、畳まれた帆が受ける風の音もあまりない。無風に近いようだ。
 リヴィンや神官にどう言おうかと悩むうち、タトスは結局目が冴えてしまっていたのだ。そもそも船の揺れ自体初めてで、ベッドで体が休まる気もしない。
 首都も生まれ育った村も同じ島の中だ。船に乗った経験は片手もなく、ぼうっと波の音を聞きに甲板に出ていた。
 今どれぐらい進んだだろうか。目的の島まで、王都から何日かかると言っていたっけ。
 明日も船の危険を排除する時、万全じゃないといけないのだ。あまり夜更けまで起きるのはやめておくべきだろう。
 手に持ったままの槍を軽く支えにして、少年は軽やかに立ち上がる。結局リヴィンに弁明する内容は浮かばなかったが、気持ちは落ち着いてきたのでいいかと、思いっきり伸びをした。
 明日その場で思ったことを伝えよう。どうせこの頭じゃ、今考えついたこともろくに憶えられないだろう。船の木と木が擦れ合う音みたいに、ぶっつけ本番がいい。船の速度も随分と落としたのか揺れたし、船員の声も少ししたようだ。みんな寝る時間だろうか。
 木の音が多くなってきた。これ以上軋む音が増える前に寝てしまったほうがいい。欠伸も出てきたし、そろそろ――
 ……軋む音が増えてる?


ルビ対応・加筆修正 2020/05/03


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