離島戦記

 第1章 隔離された島

15th「離島戦記 隔離された島」01
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「タトス殿。この先の丘にウォーグがいるのですか?」
「うん、仲間がそうだと思うって言ってた。ウォーグは街の人を煽ることに失敗したら、今度は僕らの船員たちを人質に動くだろうって!」
 アイビスと名乗る長い緑髪の兵士が、兜の奥で紫の目を怒りに歪めて「なんと」と呟いた。連れだって走る彼の部下の兵士たちも動揺した様子だ。
「学術都市の中隊長がよもやそのようなことをするとは思えません」
「だが、五百年後のゲイル国からやってきたという彼がウォーグの名を知ることに、因果がないとは言えまい」
「……門番として報告いたします。学術都市からの来訪者は、ここ数日の間はウォーグ・ロボスヘルグ隊長と部下の兵士のみでした。後からやってきたタトス他、五百年後の宮廷魔術師を名乗る一行からも問い合わせられて、門番の間で確認済みです」
 ディックが進言したことで、アイビス隊員たちにどよめきが走る。タトスはうんと頷いた。
「えっと、リュナムは新米だけど、ちゃんと宮廷魔術師だよ」
「――ならばなぜ、宮廷魔術師殿からあの事実を知らせなかった」
 苦々しく低い声を漏らすディックに、タトスは頬を掻いた。
「僕がみんなと話したかったからだよ」
「――つくづく、五百年後の世界からの来訪者は不思議な方だ。立場ではなく心で話そうとなさるとは」
 アイビスの目は笑ってはいない。タトスと共に一つ目の丘を越えた頃には、鋭く周辺の丘陵地帯を眇めている。
「全員、襲撃に備えつつ展開し、ウォーグ隊を捜索せよ。魔術により身を隠している可能性もある。タトス殿はいかがなされるか」
「僕はウォーグを見つけたら遊撃します。きっとリュナムのことだから、僕も奇襲の材料にすると思う」
「なるほど。では我々は丘を大きく迂回して別方向から襲撃します。タトス殿は門番と共にご移動を」
「わかった。もしかしたら僕とそっくりな人が後ろから来るかも。味方だから気にしないでね」
「承知しました。……ご兄弟ですか?」
「え? うーん……友達かなあ?」
 仲間と言うほど一緒に動いていないしなあと首を捻るも、戻ってきた兵士から周囲に人影がないことを告げられて意識がそれる。
 丘以外に潜んでいるのだろうか。島の地理はリヴィンが詳しいはずだ。リュナムだって地図を準備していたはず。他に隠れられる場所があるのだろうか。
 アイビスも隣で唸っていた。
「街道からはずれた場所にある可能性が高いとは思っていたが、魔法も使っているか……」
「どうしよう……僕魔法の力が働いても感じられないんだ」
「――ふむ。ですが、丘にいる根拠をご存知なのでしょう?」
 タトスは頷いた。
「ウォーグは|復讐神《リベリア》の神官なんだ。船の人たちは生け贄にされる可能性があるって、仲間が言ってました」
「邪教の神……!? そんな莫迦な、ロボスヘルグ隊長は戦神ティルダーンの信徒と……!」
「みんなには、そう言ってたんだね……ウォーグの屋敷に実際に捕まってた、騙されてた人は、ウォーグからその聖印を渡されて神官にならないかって言われたんだ。その人の仲間を助けるために、僕らの時代の人に復讐しようって」
 隊員たちの動揺がはっきりと聞こえる。ディックまで耳を疑っていた。顔色を険しくしていたアイビスが、天招の階梯方面の丘を示した。
「ならば方角は絞れます。生け贄にするのならば神の槍に近い丘から捧げるでしょう」
 草も木も随分と少ない丘に目が留まる。ここから三つ向こうの、天招の階梯に近い方角に捉えた。
「天招の階梯にある古城はかつての王城。あの辺りの丘は王族へ捧げる舞踊を披露したとされる場所です。斥候三名、王威の舞台にウォーグがいるか偵察をせよ。彼の仲間を道中見かけた場合こちらの状況を伝え、引き返せ。我々は丘の谷間で潜伏する」
「はっ!」
 走っていく兵士たちを見送る。動けないままでいるもどかしさに拳を固めていると、丘の三つ向こうで光が煌めいて見えた。
 はっとして凝視するタトスは、目を見開く。
「逃げて!!」
 大声を発したその時だった。
 見えない何かが丘の土を抉る。爆発するような音や矢の雨に、タトスはディックの襟首を掴んで後ろに放り、左手の指輪を掲げて身を守った。
 目の前に飛んできた矢が中空で弾かれた。衝撃が手に重たく届くも、幸いディックもタトスもかすり傷一つ負わずに済む。
 盾を構えた人々の多くは一命を取り留めた。足や手を負傷する者もいたが、何頭かの馬が暴れ、倒れる様にぞっとする。アイビスが素早く丘の向こうへと退避を促す中、タトスは頂上から身を伏せて、丘の向こうをもう一度凝視する。
「もう気づかれたか――!」
 これだけの矢の雨、一個小隊でもないと無理だ。木が邪魔で見えづらいが、人影を捉えた。これだけの距離に対して動いて見える大きささえわかれば、暗かろうが、何人いるかぐらい手に取るようにわかる。
 規模は――
「三十人強、台座って言ってた方角からだ。足止めする気だよ!」
 でもどうやって? 丘を三つも超えた距離を矢が飛ぶはずが――
 ひゅんと、近い場所から矢が高く上がる。
 足元の地面に浅く刺さる矢に、飛び越えるそれらにはっとした。奥に逃げた兵士へも平気で矢が届いている。
「あっちの斥候がもう来てる……!?」
「用意が早い――いや、タトス殿のお味方が通過できた証か」
 固唾を飲んで頷き、槍を振るって矢を落とす。暗闇の中ではタトスのほうが矢を捌けるが、アイビスにすぐ止められた。
「タトス殿、どうぞ先へ。我々は予定通り敵陣の注意を引きつけます。丘を回り込んでください」
「わかった、みんなどうか無事で! ディックさん、案内をお願い」
 ディックが頷いてくれる。青ざめた顔でも、沈んだ夕陽の昏がりの下でも、彼の目はまっすぐタトスを見据えている。
「こっちだ」
 アイビスたちの目が、タトスたちから真っ直ぐ丘の三つ向こうを見据えた。生き残った者たちが、タトスたちの後ろで|鬨《とき》の声を上げた。
 丘の、三つ向こうへと。届くかわからない、二十数人の声を。
「|軍事都市《バティク》の威信にかけて逆賊を討つ! 左右より挟む、右舷はワンドゥ、左舷は私に続け!」
 応じる声が野太く上がる。タトスたちの姿を隠すように、押し出すように。
 もう奇襲は通じないだろう。だが最後まで伏兵していれば敵にとっての脅威として、相手の集中を欠くことはできる。
 暗闇を躊躇なく駆ける。ディックも暗い森の中を必死についてきてくれる。時折休息を取るべく歩くも、すぐに走りへと変える。
「その辺りで右だ、丘の中腹を横切る細道に出る!」
「わかった!」
 獣道を右に折れる。そろそろ敵方の伏兵が来てもおかしくない頃合いだ。アイビスが示してくれた王威の舞台という場所は、ここからは見えない。木々が死角を作っている代わり、タトスたちも何が起こっているかは見えないままだ。
「万全の状態で動くなら、一度、休憩を挟むべきだ……」
「うん、わかってる。ディックさん、平気? 暗い中明かりもつけずに歩くの、慣れてないよね?」
「舐めるな。今だから言えるが、盗賊稼業をしていたんだ」
 鋭く睨む目に、タトスはそうだったと舌を巻いた。それでも手足に見られる傷に、タトスは鎧を見やる。
 無理やり獣道を進んでいる上に、義賊の時分とは違って鎧をつけての行動のはず。木々に引っ掛かりやすく、身も動かしづらいそれを着ながらの移動だ。やや急な丘を二つほど進んでも息が上がるだけで済んでいるのは、彼の地力によるものだろう。
「水はあるか?」
「うん。ディックさんは?」
「念のため持ってきている。とはいえ……」
 飲んで、落ち着くとまではいかない。すぐにどちらともなく手足の疲労を振ってごまかし、顔を見合わせた。
「本当にあの男は来るんだろうな」
「来るよ。信じてるし、そう伝えたから」
 暗闇の中で、ディックの顔に苦いものを飲んだような顔が浮かんだ。どちらともなく、また歩きだす。
 星が、空の主役を飾る。
 月明かりは見えない。届かない。息を潜める生き物の気配はあれど、それが敵意としてこちらに迫ることはない。
 最後の丘を過ぎようとした時、左手から大きく木の葉を揺らす音が聞こえた。ディックが剣へと手を伸ばす中、タトスも槍を構える。
「お待ちを」
 静かに声を発せられ、タトスははっとした。ディックが居住まいを正さぬまま、獣道の奥を睨みつける。奥から現れた、ディックと同じ鎧姿と兵服に身を包んだ男が出てくる。
「所属と名を」
「アイビス中隊、先ほど斥候を命じられたシュグです。残り二名は現在部隊への伝達として先に行かせました。証はこちらに」
 示された上着のバッジをディックが確認し、タトスに頷いてくる。味方だと確認が取れたならと、タトスは焦りを滲ませる。
「リュナムたちはいた?」
「先ほど一度合流を果たしました。我らが本隊への砲撃の直前です。恐らくウォーグ隊はあなたを目撃し、手勢が集中していると見て攻撃したのでしょう」
 タトスは悔しさに舌を噛む。それでもすぐに口を開いて、シュグと名乗った男を見据える。
「リュナムたちはここからどの位置にいるの? 場所がわかれば僕は奇襲の位置に着くよ」
「丘の北側です。我が隊に気を取られている隙に揺動するとのことでした」
「リュナムたちは、部隊が二手に分かれてることは気づいてる?」
「丘の中腹より灯りが分かれた様子を確認しています」
 リュナムたちは北側にいて、揺動をする。アイビス中隊がいた丘の方角は、王威の舞台から見て西南西。現在二手に部隊がわかれている。リュナムたちが行くとしたら。
「東側に回る――獲物を囲うなら、逃げ口は正面か、リュナムたちを迂回する方向になる」
「どうする気だ?」
「狩りと同じだよ。三方向から狩人が迫ってきたら、あなたが動物だったら、どう逃げる?」
 突然投げられた質問に、ディックが目を白黒させた。
「俺が? そりゃ、隙間から逃げるが――増援が来そうな方向は避ける」
「うん、じゃあ逃げる先は北東で決まり。僕らは南東から襲撃しよう」
「何故っ、北東とわかっているなら北東を押さえればいいだろう!」
「リュナムならこう言う。『目的はウォーグ隊を倒すことじゃない。船員を取り戻すこと』だよ」
 ディックが目を丸くした。タトスはシュグへと目を向ける。
「逃げ場を失えば獣だって人間に牙を剥くよ。逃げ道があるなら戦う気を失くした人から逃亡する。そのほうが《《やりやすい》》。アイビス隊の人たちはそのままウォーグを叩くんだよね」
 シュグが首肯を返してくれ、タトスは目前に迫る目的の丘を見据えた。
「なら、船の人たちを助けられたら、きっとリュナムたちも手伝えると思う。先にリュナムたちを動きやすくするためにも、僕は南東から襲撃します」
「わかりました。お二人に戦神のご加護あれ」
 斥候が森の中へと再び身を隠す。ディックが耳を傍立て、ふっと息を吐いた。
「ちゃんと斥候だったな。真っ直ぐアイビス中隊へと向かっている」
「じゃあ僕らも移動しよう。南東だし、このまま南側を進んで行けば最短距離で回り込めるよね」
「ああ。だが途中で丘が平原に変わる。そこから先は森の淵ギリギリを進む」
「うん。行こう」
 足の疲労は少しましになった。再び駆け足気味に進むうち、遠くから空を切る風切り羽の音や、着弾する不可視のエネルギーの音が響くようになる。悲鳴も響くようになり、タトスは耳を澄ませて顔色を変える。
 ディックから合図を送られ、さらに迂回するように指示を受けた。まだ丘の南側ということだろう。周囲の木々から延びる枝葉の様子を見ても、まだ迂回したほうがいいとわかる。焦りはするが、着実に動いていかなければ。
 草原が揺れる。夜風が頬を撫でる。草や土の匂いはあれど、獣の臭いは感じない。
 ――おかしい。
 ディックの肩を掴んで引き止めた。タトスは極力小さな声で囁く。
「獣の気配がない。近くに何かあるよ」
「何」
 二人で慎重に動く。丘を守るようにそびえ立つ木々が圧をかけてくる。罠らしいものが見当たらないのに、獣の臭いがないのはおかしいのだ。どこかに糞だろうがなんだろうが、形跡があるはずなのに。
 罠があるとしたら、どこにあるだろう。
「……見当たらないな。駆け上がらずに慎重に進むか」
「そうだね」
 光が上空を過ぎる。地面へ、木々へ、丘の頂上へ、くまなく目を光らせる。一歩一歩進むうち、足元にこつりと硬い衝撃を感じて、タトスは即座に身を引こうとして、固まった。
 骨だ。人の頭の骨。
 槍で恐る恐る持ち上げようとしたタトスは、突如カタカタと音を立てて起き上がる人骨に背筋を震え上がらせた。
「お、おば……!」
「ちっ、|人骨兵《スケルトン》か……! って、何固まって」
「お化けこわぶっ」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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