離島戦記

 第1章 隔離された島

15th 02
*前しおり次#

 全部言い切る前に頬をこれでもかと殴られた。顔を青ざめさせたディックがそのまま人骨兵のもつ鉈を避け、長剣を鞘から引き抜いている。
「こんな時に何アホなこと言ってるんだお前っ」
「だっ、だっ、お化け、お化けがいるうううううう」
「今までの威勢はどこやったんだ、人の命がかかってるんだろうっ」
 そう、そうなのだ。そうなのだけれど……!
 ディックが先に人骨兵へと斬りつける。硬い骨に苦戦する中、タトスも槍を用いてなんとか隙を突くも、とてもではないが骨と骨の隙間に槍が挟まるだけだ。ブンブン振り回してやっと外れた槍に、ディックが呆れている。
「ああもう、俺がやるから先に行っていろ、腰抜けが……!」
「う、す、すみません……!」
 もう散々な言われようだったも、事実だった。タトスは身を翻して丘の上部を見上げて、さらに顔が引きつる。
 カタカタカタカタカタカタ。
 沢山の骨の兵が、嗤う。嗤う。剣やら鉈やら斧やら、好き勝手に武器をぶら下げて。
「ひっ……い……!?」
「なんでここぞという時にアンデッドが苦手なんだっ」
「魔法使えないのに倒せない相手怖くないって言えないよっ!」
「ああ、聞いた俺がバカだったな!」
 数に押される。槍を振り回すも剣で弾かれ、斧で槍を真っ二つにされそうになる。後退するうちにディックがやっと最初の一体を倒したも、二人揃って顔が青ざめる。
 奇襲を仕掛けるどころじゃない。仕掛けられたのは自分たちだ。
 上空を飛び交う砲撃が順調なのも、リュナムたちが同じ目に遭っているからじゃ……!
「|闇の精霊《シェイド》」
 低く、|恫喝《どうかつ》するような声音が後ろから響いた。
「俺の前に立ちはだかる死人の奴隷たちを|屠《ほふ》れ。退けろ。我が道に立ちはだかる者を許すな=v
 闇より深い闇が、刃のように駆け抜ける。タトスたちの目の前を払う黒い衝撃波が骸骨たちを薙ぎ倒した。木々をすり抜け、衝撃波は生命の理を外れた彷徨える遺体にのみ強烈な威力を叩きつける。
 ぎょっとしたタトスとディックの前に、長剣をゆっくり下ろしてやってくるルヴァの姿が目に入った。鋭い目つきで上空を見据えた彼は、タトスへと一瞥して溜息を溢したではないか。
「いつまでアホを抜かす気だ。さっさと行ってこい。これ以上お化けが怖いだのと妄言を言う気じゃないだろうな」
「うっ……うん、助けてくれてありがとう! 行ってくる!」
 ルヴァの目が微かに見開かれたようだった。槍を握り、まだカタカタと音を立てる骸骨たちに固唾を飲む。
 ディックと共に走る。丘を駆け上がる。骸骨兵たちに遭遇しても、ディックが足止めをし、タトスが先行して薙ぎ払い、最前線を頂上へ頂上へと進めていく。
 木々が減ってきた。人骨兵も一瞬にして数を減らした。篝火がいくつも見え始める。飛び出しきる前に音をひそめたタトスは、わざと右にそれた。
 丘を微かにかけ下り、慎重に登り直す。人の話し声がはっきり聞き取れるようになってくる。
 耳を、傍立てた。
「儀式はまだ行えないのか……?」
「まさか軍事都市がこっちではなく、未来の陣営に手を貸すなんて……これじゃ俺たちが逆賊じゃないか」
 兵士たちの声……? ウォーグの私兵のはずだが、士気が薄くなっているようだ。
 まだリュナムたちが交戦している様子はない。だとしたら、身動きを取れない原因がどこかにあるはず。
 幸い兵たちはこちらに気づいていない。丘の中腹の騒ぎぐらいそろそろ聞きつけてもおかしくないはずだ。篝火の向こうを丹念に目を凝らすうち、縛り上げられた人々の多くが|猿轡《さるぐつわ》を噛まされ、痩せ細った体でぐったりとしている。
 脱出させようにも捉えられた人々に体力がないのか。兵士は数人配置されているが、ほとんどが石造りの舞台の奥で交戦しているようだ。痺れを切らした声が吠えている。
「斥候はまだ成果を上げていないのか!」
 二度聞いた声だ、忘れもしない。白髪が混じり始めた初老の男が、苛立たしげに金髪を揺らしている。
「未だ連絡は来ておりません……」
「仕方ない、生贄が減るが……数人連れてこい、こちらに盾があることをいい加減わからせてやれ」
「し、しかし、このままでは我々は逆賊では」
「今さらゲイル国に泣きつくか? お前たちの正当な意見をなかったことにし、五百年後の手ぬるい連中と手を組む|軍事都市《バティク》にすがるか? 元の時代に帰りたくはないのか? 妻に子に、家族の下に帰らずともよいのか!」
 兵士たちの肩が強張った。身を寄せ合う男たちの側に立つ兵士たちが、手を伸ばしていく。
 兵士の肩に、鎧の隙間に、小刀が突き刺さった。悲鳴を上げる兵士と共に動揺が走り、ウォーグが舌打ちする。
「伏兵だ、応戦しろ!」
「ど、どこから」
「だあああああああああああ!!」
 槍を手に飛び出す。雄叫びと共に兵士の腹を槍の柄が捕え、そのまま石舞台から叩き出した。カエルが潰れたような声がはっきりと聞こえ、ウォーグが怒りに目を見開く。
「貴様は」
「みんなを離して! あなたたちが元の時代に帰りたいなら、この人たちだって家族の下に帰りたい人たちだよ! 同じ苦しみをさせちゃうんだよ!?」
 兵士たちの幾人かに躊躇が走った。さっと手を振るうウォーグの後ろで、注意を取られた兵士たちの背を、肩を容赦なく穿つ。
 悲鳴が上がる。ウォーグが苛立たしげに呻く。
「前線を維持しろ、軍事都市の部隊を近づけるな! 生贄の警備は二人残しそいつを相手してやれ!」
 こちらにつくのは魔術師一人に戦士二人――不利だ。
 自分独りなら。
 生け贄に固められた人々を、タトスははっきり見た。知らない顔もいる。同時に魔術の詠唱が始まる。
 タトスは精一杯息を吸い込んだ。
「オルファさんは!! 絶対ここに来る!!」
 ウォーグが目を見開いた。にいっと笑う顔は、決してタトスの意図を汲んでなどいない。
「情けない顔をしちゃだめだよ! みんなを助けるために、今も走ってるんだから!」
「黙れ!!」
 口泡を飛ばす兵士が突撃してくる。一人確定だ。剣の間合いに入られる前に足元を素早く薙ぎ払い、舞台を一回り踊った槍の穂が、宙に逃げた男の片足を切り裂く。
 開いた隙間目がけて突撃する男には槍の柄を後ろに叩き入れて腹に一撃見舞ってやった。魔術師の詠唱が締めくくられるも、怯まない。
 走る。
「力なき者を剪定せよ、汝が姿は突き進む光陰の矢となりて=v
 光が矢を形作る。素早く迫る光には左手を突きだした。
 指輪が輝き、見えない障壁が身を守る。微かに痛みが来たも、崩れていく光を見た魔術師が狼狽えた。
「前線を、誰か――うわああああ!」
「おおっ!!」
 鋭く振るった槍に魔術師が尻もちをついて逃げようとする。頭を思いっきり柄で殴りつけ、昏倒させたタトスは、生贄に剣を突きつけようとして躊躇う兵士を睨んだ。
「傷つけるなら、僕もあなたたちを止める。同じゲイルの民だよ。一緒に帰る方法を探そう!」
「た、戯言を……乗り込んできたのは兵士一人だけだ、始末するぞ!」
 今度は兵士三人。後ろに魔術師と弓兵。でも兵士は二人しか突っ込んでこない。回り込まれる前に倒す。
「万物根源、汝は無形、我は形を定めし者。汝に強固なる姿を授ける=v
 聞き馴染んだ声に、タトスはにっと笑んだ。
 その詠唱ならもう《《憶えた》》。
「陽に映らぬは虚ろに非ず。汝が誇りは他者を進ませぬミスリルの盾の如く=v
 兵士たちの連携をあざ笑う、強固な防壁がタトスの前に出来上がった。弾かれた剣を見て、また兵士たちが顔色を変える。
「魔術師!? どこに」
「よそ見してていいのぉー?」
 かわいらしい少女の黄色い声と共に、兵士の膝裏を矢が射抜く。さらさらとした金髪が篝火の向こうで舞ったかと思うと、囚人たちにつく兵を一人棍で殴り倒した。
 ティフィーアが躍るように飛び出すと矢を次々番えては放つ。悲鳴を上げる兵士たちに、リュナムが木立の中からにっと笑んだのが見えた。
「盾にするとの発言、しかと聞き届けた。今さら戦場に於いて異存などないだろ? こちらも全力で守らせてもらうぜ」
「くくっ、ははははははは!!」
 ウォーグの高笑いが響く。気取られた一瞬、タトスの腕に痛みが走って呻く。
 ティファやミティスの悲鳴も聞こえた。全身に走る怖気と虚脱に、目を見開く。
「タトス!? ティファ、ミティス!」
「いや、助かったぞ。未来の小童ども。おかげで《《贄》》は足りた。一杯食わせたつもりだったのだろう? 逆だ。魂は百、本当は必要でなあ。一つ足りなかったがまあいい!」
 音が、遠く、くぐもっていく。視界が黒く、遠く、離れていくような……。
「憎悪せよ。怨嗟せよ。|凡《すべ》ては我が復讐のため。総ては我が神に捧げし怨讐となせ! 神よ、ああ愛しき小さな女神よ! その御手に骸を奉げまする、その御耳に怨恨を捧げまする! 願いを一つ、復讐を一つ、御加護を何卒、ひと」
 醜悪な賛美の声が途切れた。吐き気が走る中、倒れ伏す人々の音が聞こえる。呻く声も、咳き込む音も。槍を支えになんとか体を立て直そうとするタトスは、どこが地面か空かもわからないまま、ふらふらと頭を振った。
「よかったじゃないか。一つ足りたぞ」
 こぽ、と、雫が溢れる音。
 顎を震わせる初老の男の金髪が、その下の黒の目が、揺れる。黒の髪と目を持つ長身の男が、長剣を赤い水で染め上げていく。深く腰を沈めた冷静な真っ黒な目が、篝火の光を受け見開かれる黒の目を見上げた。
「ああ、その前に儀式が無駄に終わったか」
「きさ、ま……合図と、共に……殺せと、命じたはず……」
 冷たい黒の目に、光はない。篝火の裏にいる男に、その熱は届かない。
「ああ。だから殺す。どうだ? 自分が仕立てあげた神官に復讐される気分は。我らが|復讐《リベリア》神は、どうやら俺の願いを聞き届けて下さったらしいな」
「きさ、まああああああ、あああ……!!」
 ずぶりと、音が深く沈む。タトスはへたり込みながらも笑みを浮かべようとして、顔が引きつった。
 初老の男の手が、刃を掴んだ。オルファの顔色が変わった直後、剣を押し返すほどの強力に、皆顔色が変わる。
 一つ、足りたって。今言ったよね。それって。
 剣を引き抜いたオルファがもう一太刀浴びせようとして吹き飛ばされた。死角から詠唱していたリヴィンが咄嗟にウォーグへと|風の精霊《シルフ》を操る。叩き込む。
 魔法が弾かれた。彼女が狼狽えるより早く、ウォーグの剣がオルファの肩を捉える。
 長槍が飛んだ。
 黒衣の男の目の前で、男の心臓は、腕ごと串刺しに貫かれる。それなのに動く男は、にっと笑ってオルファの腹を貫いた。目を見開く男の口から赤が滴る。
 儀式が中途半端に成功したのだとしたら。なんとかして止めないと……!
「ははははははは……! なんと、言ったか……? 誰の願いを聞き届けたと……!」
 純力の矢弾が放たれても、ウォーグが高笑う。
「我が主よ、戦神よ。そこにありしは巨躯ならずとも。そこに立つ背は儚き命としても!」
 ミティスの声が凛と響く。黒衣の剣士の剣が転がる。拾い上げる手にウォーグは気づかない。
「我願い奉る。我が主よ、戦神よ! 悪しき教えの徒を討つ清き炎を、御身の御加護をここに!」
「無駄だ! 我らを邪教と嘲笑う神々がこの儀式の場に手を伸ばせるわけがない――」
 男を突き刺した音が二つ。
 息を切らしたタトスが持つオルファの剣と、兵装に身を包んだディックの剣に。
 炎のような加護の光を纏った二つの剣を睨みつけ、男がぎょろりとした目を怒りに燃やす。
「きさ、まら……!」
「僕らは、帰るよ……僕たちの帰る……場所に……!」
 侮蔑も、憎悪も。何もかも含んだ黒の目が射抜いてくる。振り乱された金髪はしおれていくように垂れ下がり、手も足も、しなびたイチジクのように干からびていく。
「なる、ほど……利用、されたのは……私の、ほうか……は、はは……はははははははは……!」
 砂が、崩れるように。
 倒れ伏したウォーグの隣で、オルファもまた膝を突いて、夜空を見上げるように転がった。ディックが信じられないと様子で隣にしゃがむも、リヴィンが即座に傷を癒しても、すぐに手が止まる。残された兵士たちへは矢が飛び、逃げ惑う。散り散りになっていっても気に留められない。
 タトスがリヴィンを必死に見上げても、彼女は言葉を詰まらせ首を振っていた。悔しさに歯をきしませ、タトスはオルファの横にしゃがむ。
「オルファさ――」
「剣、を……持って、行け」
「何言ってるんだお頭! 戻ってきたんじゃないのか、俺たちのところに!!」
 オルファの目が微かに開かれ、視線が彷徨う。
 ディックを捉えるはずの黒の目は、そのまま違う場所へと弱々しく向けられていく。
 唇を噛んだディックの震える呼吸に、やっと彼はその頭の上へと、目を向けた。
「ディックか……その声……ああ」
 オルファの顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「よかった……生きて……た……か……」
 満天の星空と、篝火と、石舞台に包まれて。
 黒衣の復讐者はそうして、仲間に囲まれて、安堵を浮かべたまま息を引き取った。


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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