軍事都市の港は、痩せこけた人たちばかりだ。
魚を採れず、山菜を取りに行く生活を覚え始めた彼らの目に、青い水平線の先に一隻の船が見つかった。
子供たちが、今か今かと長く伸ばしていた首の上で、大手を振る。
「来た、来たよ! お父さん、お母さん! お船が来たよ! ゲイルの旗、掲げてるよ!」
甲高い喜びの声は、わっと港に広がった。
船の上で目を眇めるローブ姿の中性顔は、未だにその光景が見えていないのだろう。タトスは波の音をかき消すほどの歓声に、少し顔を綻ばせるほどなのに。
「よかった……」
「港に……いるよな? どのぐらいいるかわかるか? タトス」
「リュナム、いつも本読みすぎじゃない? 子どもが二十人ぐらいかな。それから大人が……わ、待って、どんどん増えてる……!」
「げっ、マジかよ。早速取り合いにならなきゃいいが」
「整列はみんなで手伝ってやるしかないよねぇ。終わったら、ちょっとは時間取れるんだっけぇ?」
「つっても、学術都市の方面の船とも合流しないとだからな……ま、二人ぐらい見当たらなくても、お咎めは喰らわねーだろ。後で合流するんならな」
灰色の髪の上からわしゃわしゃと撫でられる。苦笑いを浮かべたタトスは、うんと頷いた。
「大丈夫。先にちゃんと、みんなに食料を渡してからだよ。じゃなきゃ『やること放り出すな』って言われそうだもの」
「いーや、あの旦那なら『俺に関係ないことには興味がない』とか言いそうだぜ」
「どうだろぉー。というより、あたしたちってさぁ。あんまりオルファのこと、知らないままだったんだねぇ」
ぽつりと溢したティファの言葉に、一瞬にしてタトスもリュナムも二の句が継げなくなった。リヴィンが悲しそうに目を伏せる。
「密偵としての役割に、重きを置かれていたから、でしょうね。素性を知られるまで、しっかり隠していらっしゃいましたから……」
「うん……そうかもね。仲間を、助けたかったから」
一月経った今でも、後頭部に、あの時の傷みが蘇る。
オルファの前ではなんでもない振りをし続けた、彼の訴えが起こした痛み。その場所をそっと撫でて、タトスは目を伏せた。
腰には、タトスの背丈にはやや不釣り合いな長剣が一つ。槍の隣に横たわるそれを、なんとなしに撫でる。
――やっぱり、重いよ。僕にはオルファさんの剣は、まだ重い。
軍事都市を出る前にディックに渡そうとしたのだ。それを頑として拒んだ彼は、そのまま義賊の手下として、軍事都市の牢に連れて行かれた。
結局彼の頭の剣は、タトスが預かったまま。何度も振ろうとして、軽率にそんなことができないまま、大事に手入れをして過ごす日々が続いた。
ミティスが苦い顔で船べりに掴まりながらやってきた。リュナムが繕った苦笑いを浮かべて出迎えている。
「船酔いきついなら無理に動くなよ? 今回はあのでっかいクラーケン出なくてよかったな」
「え、ええ……でも、もうじき着くのでしょう……風に当たって、少しでも軽くするわ」
「そっか」
「それに、わたしよりあなたたちのほうが、応えてる」
言葉に詰まったのは、リュナムだけではなかった。リヴィンもタトスも目を伏せる中、タトスはオルファの剣の鞘が、微かに光ったように見えた。
ウミネコが、影を作り、離れていく。
「信じてたから……けど……あんな別れ方、ずるいよ」
ぽつりと溢したタトスは、剣に手を置いた。
あの男がしたように、慣れた手つきとは程遠かった。
「わかってるんだ。いつか命は終わるって」
口から、ぽつりと言葉が転がり落ちる。
「狩人だもの。僕だって戦士だもの。けど……『信じてる』って言ったのは、死んででもって意味じゃなかったんだ。生きて、一緒に……勝ちたかったんだ……」
「その先、彼が一生牢に掴まったとしても構わなかったの。彼らの頭目が生きることで、もっと多くの部下たちが、身を次の道に振れなかったとしても」
ぐっと、喉を突かれた思いだった。
そっと吐き出した息は、かすかに震えてしまう。
「そうじゃないけど……そっか。オルファさんがやろうとしたのは……でも……」
オルファが最期に選んだのは、自分の生ではなく、仲間の未来。
だとしたら、この考えはきっと一番ずるい考えだ。
一番、都合のいい考えだ。
「ちゃんと、わかってるんだ。それでも……僕は《《仲間のオルファさん》》に、生きててほしかったよ」
「そう。――そうね。わたしも」
ぎゅっと胸が締めつけられたようだった。リヴィンもやるせなさそうに笑っている。
「私が術を紡げるように儀式の場から外してくださったのは、オルファさんなんですよ」
喉がぎゅっと狭まった。ティファがぶうと頬を膨らませる目が、微かに潤んでいる。
「こっちに気を取られた兵をさっくりやってくれたのもねー」
「旦那のことだ。オレたちがウォーグや兵士を殺すと、立場が悪いってバレてたろうな。同じ島の出の旦那なら後腐れないって、最期まで容赦なくやってくれたんだろ。タトス、あの時旦那の背中見てなかったよな」
「――うん」
「純力の矢弾も、|火炎球《ファイアボール》も、たくさん受けてたよ。ウォーグの放った斥候、倒してくれてたんだろな」
剣の柄を握る手に、力が籠った。
いつも呆れた顔をする傍ら、何かとからかうように笑う黒の男の声が、また聞こえるようだ。
聞こえてくれれば、どんなによかっただろう。
港の内に入った。
船員たちの掛け声が幾重にも響く。碇を下ろす鎖の音がガラガラと響く。
「……本当、ずるいなあ。オルファさん」
消え入るほどに小さな本音を、リュナムは青の目を細くして聞いていたようだった。黒髪が揺れて、ぐっと伸びをして立ち上がった。
「さあて、オレたちもやってやろうぜ。義賊とはやり方違っても、目指す先は今同じだ。自分の手でやれなかったこと、後悔させてやろうぜ」
「うん」
「あと墓に落書きな」
「リュナムさん、宮廷魔術師の立場でそんなことしては尊厳にかかわりますっ」
「げえ、そこは見逃せよっ」
ぷっと、誰ともなしに笑う。
まだ重たく感じる剣を腰に下げて、長槍を持って、タトスは立ち上がった。
「よおし、たくさん運ぼう! 今日は皆の夕飯に、大好物が並ぶように!」
「――いやはや、といったところか。五百年経ったレドゥ島ではなく、五百年隔絶されたレドゥと共に戻ってくるとはなあ」
玉座に深く腰を下ろしていた黒髪の男が、蒼の目を楽しそうに細める。暗い灰色の髪の剣士が苛立たしげに藍色の目を細め、腕を組んだ先の指は二の腕を叩いて、ついでに足はこれでもかと謁見の間いっぱいにタップ音を響かせる。
神経質な態度を見せる男の不遜ぶりに青ざめるのは、控えていた衛兵たちぐらいだ。ヴァリエス六世国王は、からからと軽快に笑い飛ばした。兵士の不安も剣士の苛立ちも意に介した様子はない。
「それで、どうだ? 五百年後のおれの国民たちは」
「温い」
たった一言でざっぱりと切り捨てたルヴァイネスに、ヴァリエスはやれやれと手を持ち上げている。
「まだその採点基準か。だから堅物だの冷酷だのむっつりだのと言われるんだろう」
「誰がむっつりだ!! 下心丸出しのお前に一番言われたくないわ!!」
「そんな大声で王族の下心事情を世相に広めてくれるな、ルヴァ。ところで、盗られたというお前の印章は取り戻せたのか?」
「ああ、それならとっくに取り戻してある。あの逆賊が隠し持っていたのを、死体から引き上げてきた。それで、あの頭の杭が緩んでそうな槍使いを、新米宮廷魔術師の団員として引き入れたのは貴様か、ヴァリス」
短く愛称で呼ぶ男に、ヴァリエスはこれでもかと口角を吊り上げて笑む。
「いいや? だが、お前の縁者の遠い縁者が選んだことだ。時代だけでなく、因果もまた巡っているということだろうな」
「……帰る」
「ああ、部屋はそのままのはずだ。埃は自分で取ってくれ」
「誰が自室に帰ると言った、レドゥにだ!」
胡乱気な顔をする国王が、苛立ちを全く隠さない青年を見下ろしている。頬杖を突いて緩み切った姿勢に、衛兵たちの背中に汗が流れ出す。
「はあー、まだ家出をする気か? ここまで帰ってきたんだ、一度ぐらい自室の薄い本ぐらい読んでいけばいいだろう。カビが生えるぞ」
「あの部屋にある本は一つとして薄くないわ!! ……いや、まあ、数冊だけあるか」
衛兵たちに衝撃が走ったが、ヴァリエスは懐かしそうに笑んだ。
「持っていくなり読むなりさっさとしておいたほうがいいぞ? 次に読むのがまた、五百年後にでもならないうちにな」
「ほざけ。だがまあ、たまには開いてやるか」
剣呑な男の藍色の目が、懐かしそうに細められた。
「まさか七百年前のあれを、『起源まりの冒険者たち』など、やたら大々的に書かれるなぞ夢にも思わなかったがな」
「ああ、その本は重版時に脚色を大量に入れておいていてな」
「表に出ろヴァリス!! それかいい加減に本題を言え!!」
今日一日、城は見知らぬ来客の吠える声で満たされていた。
その国王から再びタトスが召集されるまで、あと一月ほどだという。