離島戦記

 第1章 隔離された島

4rh「隔離された街」01
*前しおり次#

 さすがに三日を独りで生きるのは、至難の文字がつきまとった。
 まず食料が尽きるまでに街に辿り着けなければ、この足の怪我と装備のない状態では野垂れ死にする。森の食物に覚えがあるとはいえ、山菜や森の果実で生き延びるには危険がつき纏う。
 足を負傷していることを獣に嗅ぎつけられた暁には――なんて、嫌な予感も散々過ぎったせいで、夜はまともに寝つけなかった。
 二日ほど、入り江の岩陰で、海水が満ちない隙間に身をひそめた。時折周囲を徘徊しているだろう獣相手には、海水をわざとかぶったりして臭いをごまかしたりもした。寒さは火を熾して暖をとったし、水は細い川の流れを見つけたので、体を動かす練習がてら往復した。
 だが、足の怪我は三日で治るものとまで、現実は甘くなかった。それでも少し衰えた体力を取り戻すには十分だったし、入り江で食べられる蟹や磯エビを捕まえて、保存食を温存できたことは大きかった。
 海藻はしばらくこりごりだ。
 あのルヴァという青年が教えてくれたことも、ちゃんと頭に叩き込み直した。計算事は苦手だけれど、とりあえずこの島は、数百年前のものだということはわかった。
 それから――島にいた人、でいいのだろうか。少なくともルヴァの体感は、時間を超えた五百年分のものじゃない。半年だと言っていた。
 あれだけのことを教えてくれたのに、彼は自分の名前も、持ち物を示していたのだろうマントの留め具も、絶対にほかの人に教えるなとしか言わなかったっけ。
 島の人にも、調査に来たことや、島の外が数百年後の世界だと話してはいけないとも。
 だったらどうやってリュナムたちのことを聞くか。そこはしっかり考える時間があったのだ。森を海岸線沿いに北上して、北に突如広がった平地は、白い煉瓦を積み上げた街に着くまでに、考える時間はたっぷりとあったから。
 港は――ここからでは見えない。白い煉瓦壁が街への視界を遮るせいで、壁より背が高い塔が、いくつも背比べをしあっている様だけがはっきり目に映る。
 松葉杖をつきながら、タトスは煉瓦壁を辿るように、慎重に歩みを進める。
 砦みたいだ。
 タトスが知るような王都や、生まれ育ったミシフ村のような雰囲気じゃない。王都から各方面へ出ている道に設けられた関所だって、こんな物々しくはない。何十年も前に老朽化して、壊したと聞く砦みたいだと感じられた。
 動物は通さない。人族も。それどころか――
「この、中の空って、狭そう、だなあ……」
「そこの者止まれ!」
 前方からかかった大きな声に、タトスははっと身を固めた。目を眇めてやっと見当たる人影が、街道らしい道の上にいる。
 砦の出入り口もあった。上に――人影。門と物見櫓が一体化しているのだろうか。いったいいくつの煉瓦を積み上げたら、こんな城みたいな壁が出来上がるのだろう。
 弱々しい子供の声が聞こえて、タトスはそっと耳をそばだてた。
「あ、の……この街に、姉がいるって、聞いたんです……会わせて、くださ」
「身分を証明するものは?」
「えっ……」
「身分を証明するものはと聞いている。ないなら通すわけにはいかん」
 そんな
 弱々しい声の主は、タトスの位置からではよく見えない。木立も多いし、それだけでなく草の丈もよく伸びて、足元を隠してしまっていた。
 逆に考えれば、それだけ小さな子供がやってきているはずなのだ。そんな子供が身分を証明だなんてできるはずもない。姉に会いに来たと言っているのに、なんて非道な。
 王都じゃこんなことなかった。タトスなんて、顔を見ただけで大丈夫だとさえ言われるぐらいだったのに……!
「お、お願いです、会わせてください……もう、親がいないん、です、つ、伝え、ないと……!」
「魔力がない民がこの街で生きることはできん。心苦しいが、軍事都市へと迎え。身を立てるならばそこで徴用してもらうといい」
「や、やだ、戦争に行きたく、ない……!」
 戦争
 実感のない言葉を聞いて、タトスは耳を疑った。兵士と対峙しているのは、年端もいかない男の子だろうか。か細い声が震えているのに、大人の声は冷たくその場から動かない。門も開かない。
 縋りつこうとした子供を蹴飛ばす音に、タトスは目を大きく開いた。
「そんな――ひど」
「誰だ」
 口を咄嗟に覆った。蹴り飛ばされて動けなくなった子供に奥歯を噛み締めるも、タトスはなんとか足を引きずって茂みから出ようとする。
 光が煌めいた。
 とっさに身を屈めた途端、草の先を焼き切りながら熱線が途切れていく。タトスの頭があった場所を的確に射抜いていたそれに、口の中が一瞬で乾いた。
 五百年前は戦争の時代だったんだ。だから兵士が身分を証明しろと言っているのだろうか。今の容赦ない魔術の狙撃だって、外敵が忍び込んでいたらと警戒するものなのだろうか。
「外したか。魔力を持たないものがまた来たか……いや、動物か?」
「げほっ……う……」
 あの子体が弱り切ってる、助けないと――!
「さあ去れ。次はお前がこの|熱線《サーモスレイ》で焼かれるか?」
「お、お姉ちゃ……ん、を……」
 足は痛い。助けられる保証はない。じゃあどうしたらいい?
 相手が呪術を使おうと、ゆっくり詠唱を重ねる姿が見えた。子供を追い払うためにそこまでする必要はないのに――
 あれ?
 追い払うために、どうしてそこまでしているのだろう。もしかして兵士は、子供を追い払うために、わざと詠唱を重ねて、時間を取っているのだろうか?
 子供の姿は見えない。兵を下手に刺激して子供に被害が行っても意味がない。松葉杖をそっと動かして、少しずつ近づく。
 兵士が一人だけとは思えなくて、タトスは恐る恐る足を踏み出して、目を見開いた。
 どうする――こういう時、どうすれば両方を刺激しないで助けられる。
 同じ人族だとわかってもらえれば――!
 松葉杖を転がした。
 草木が草木を揺らして、熱戦がこちらに勢いよく届く。タトスが大きな声で驚き、地面に尻もちをつくと、兵士が気色ばんで走ってきた。
「何者だ!」
「わ、わ!? いたた……どうしよう、これじゃ歩けないよ……!」
 熱線は綺麗に松葉杖を焼き切っていた。兵士が呆気にとられた顔で肩を落とす中、タトスはむっと兵士を睨み上げる。
 頬面がしっかりとつけられたものだ。甲冑といった様子の鎧は少し重たそうに見える。戦仕立てにされていて、門を護るだけの兵士という様子には見えなくて、物々しさが感じられた。剣を握る手があまりにも武骨だが、相手はきっと、同じ人間とわかれば話はしてくれるはずだ。
「代わりになる棒でもいいから、お願い。これじゃ街に入るにも、街から離れるにも移動できないよ」
 剣を握る手が少し下がった。すぐに持ち直された様子を見るに、この兵士は悪い人じゃないと感じられる。
「あ、呆れたガキだな。お前どこの国の間者だ? 身分証は?」
「国ってどういうこと? ゲイル国の人間だよ。他にどんな国があるの?」
「は、はあ?」
 天地がひっくり返った現場でも見たような声を上げられた。タトスはその間に、自分のポケットを漁ってみる。
 確かこのポケット――あれ、ない。
 こっちのポケット……も、ない。
 ……入り江に忘れてきた? そんなわけない。
「えっと……リュナムにもらった紋章――あ、そうだった、荷物流されたんだ!」
 ぎょっと声を上げた途端、兵士の肩ががっくりと落とされたではないか。
「身分を証明できない以上中には入れない。去るがいい」
「無茶言わないでよ、船から海に落っこちたんだよ!? 足も傷めたんだ。助けてくれた人がいたからここまで来れたけど、道の途中でさよならしちゃったし……」
 子供は――よかった、無事に道のどこかに逃げられたようだ。タトスは自分が背負っていた袋を、兵士へと示すように持ち上げてみせた。
「これもその人が譲ってくれた荷物だから、証明しようがないよ。ねえ、街の中に入れてもらえない?」
「それこそ無茶だ。証明する材料がないならどうしようもない。せめてお前の出身ぐらい言え」
「|本土《センディアム》のミシフ村。田舎中の田舎からどうせ知らないでしょ、おじさん」
「うん、聞いたことないな。だいたい海に落ちるなんてどんな間抜けだ……」
「そりゃ、ミシフ村にいたら、海で泳ぐことそんなにないんだもの。この街の人ってみんな泳げるの?」
「バカを言え、ゴウトの人々が泳ぐだと? せいぜい研究の気晴らしに、浜辺で遊ぶぐらいが関の山だよ」
 この街の名前はゴウトというのか。学術都市、なんて言うぐらいだから、やっぱり魔術師や召喚術師が多いのだろう。タトスはふうんと小さく相槌を打った。
 兵士は呆れた様子で肩を竦めていたも、目に留まった手頃な枝を拾いに向かってくれる。タトスに枝を渡すなり、細かな枝を簡単に折ってくれ、杖代わりにしてくれた。
「ほら、これでいいだろう。身分証がないなら、身分を保証してくれる仲間が来るのを待つんだな」
「あれ、なんで仲間がいるってわかるの?」
「お前の船は手漕ぎボートか?」
「ううん、おっきい船だったよ。クラーケンに襲われて困っちゃったけど――あ、そっか! だから仲間がいるってわかったんだね、おじさん! 頭いいんだ、すごー……ごめんなさい」
 合点が行ってはしゃいだつもりが、剣の柄を握り直されて口を噤んだ。「頭のネジが飛んだガキだな」とひどくバカにされた気がするも、タトスは口の中でもごもごと反論を述べるだけにした。
 兵士が踵を返して去っていく。持ち場に戻るのだろうと見送っていると、ふと兵士が足を止めた。
 こちらに首を回してきた。
「待て。今クラーケンに船が襲われたと言ったか?」
「え? うん、言ったよ」
「……大きい船か?」
「うん。日課の走り込みするのに、僕何十周も走ったけど、何百周まで行かないぐらい。だから結構広かったよ」
「いや、お前の日頃の鍛錬の様子なんぞ知らん。そのクラーケンはどうやって撃退した?」
「夜で暗かったから、みんなで脂身をあちこちに投げて、そのタコが餌と思ったものを取ろうとした時に体を斬りつけたんだ。タコって頭いいんだね。僕槍掴まれちゃってさ、そのままポーンって投げられそうになっちゃって。食われそうになったから槍を折って、タコの頭に刺したんだ」
 兵士がじっと黙って聞いていた。剣を鞘にしまってくれた。
 どうしたのだろうと首を傾げるタトスに、兵士は面頬を上げて顔を見せてくれた。
 思っていたより、父よりもタトスと年が近そうな、比較的若い人間の男だったようだ。
「お前バカだな……手を離せ、そういう時は。ここを出た時とはまるで別人みたいだな」
「え? どういうこと――あっ」


ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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