離島戦記

 第1章 隔離された島

3rd 02
*前しおり次#

 胸倉を掴まれたタトスは目を白黒とさせる。足に走る痛みに顔を歪めた次の瞬間には解放されて、タトスは地面に倒れるように転がっていた。
 言っちゃまずいことだっただろうか。現地の人じゃないと思っていたけれど……。
「今の暦は何年だ」
「こ、暦……? 十三王年歴、の……七八二年だっけ……?」
 信じられないみたいだった。
 ドラゴンが目の前で吠えたみたいに目も耳も疑っているようで、タトスは居心地が悪い。助けてくれた人だとわかったのに、顔立ちがそっくりな相手は、不器用そうだけれど優しさが見えたさっきの顔が見る影もなくなっていた。
 それこそ、亡霊が大挙して現れた噂を聞いたような顔……。
「五百年……やはりあの空間の断絶は……」
「あ、あの。さっきから言ってることって、どういう意味? やっぱりあなたはここの人なの?」
 青年がはっとしたようにタトスを見てきた。顔色が悪くなったように見えて、タトスは足を引きずりつつも、自分がしてもらったように青年の背中を擦る。波の音も手伝ってくれたのだろうか。少ししてタトスの手をそっとどけた青年は、もう顔色が戻っているように見えた。
「気にするな。――それより、お前はこの島に調査に来たと言っていたな」
「あ、うん。何か知ってる?」
「そのことだが、絶対に他人に同じ文言で尋ねるな。仲間と合流できたとしてもだ」
 青年の目は少しさまよい気味だ。タトスを見やる目は、少し苦渋が混じっているようにも見えて、どうしたのだろうと不安が過ぎる。
「お前にとっては数百年前の島が現れたようなものだとしても、この島の連中は違う。《《半年間島以外どこにも出られなかったのに、外からの連絡が来たと思ったら五百年後と言われる》》。それがどれだけありえないことか、お前は考えられるか?」
「……わ、わかんない。ぼ、僕だったら嘘だって思う……」
「そうだ。それが正しい。数百年生きるエルフでさえ莫迦なことと笑うだろう。島と我々に起こった出来事の真偽がどうであれ、この際関係ない。当事者がこの歪な事態を飲み込めるかは、そいつの度量次第だ。だからこそ、お前が身を護りたいと思うなら他言は重ねるな」
 恐々頷いた。目の前の青年の目は、深海のさらに奥のような藍色なのに、夜明けが遠すぎる夜の帳のような色にさえ見えた。
 寒気が走るような、というのだろうか。これが。
 自分と似ているはずの顔に浮かぶ藍色の相貌は、鋭くてまるで違う色――
「ちゃんと返事をしろ」
「う、うん……あ、はいっ!」
「――お前は阿呆だな」
 あ。
 細められた目は、決して負の感情ではなかった。口元が綻んでいて、少し、そう、仕方なさそうだったのだ。
 どこか、最近見たような――親しい人に向けるような目。
 立ち上がった青年を慌てて見上げる。ちょっと姿勢を変えただけのつもりが、あっという間に痛みが全身を襲って、タトスは呻いた。
 足元に降ろされた袋を見てぽかんとする。
「方角ぐらいはわかるだろう。ここから海岸沿いに北に向かえば学術都市だ。器量の良し悪しに関わらず、学才に秀でる者を選んでいる」
「うっ、僕弾かれそう」
「なんだ、思っていたより自覚があるのか」
 なんかひどい!!
 青年は意に介した様子もなくて、タトスは少しだけ身を斬り込まれた気持ちだった。
 彼の荷物だろうか。皮袋を整理している様子は、まるでこちらの反応など気にも留めていないようだ。
「学術都市ならば、この島、国、国外の歴史含め、資料の集まりは随一だ。お前、調査団の一員だと言っていたな。恐らく仲間は学術都市に向かうはずだ」
「本当!?」
「あくまで予想だ、鵜呑みにするな。それと、この島の外に出ようと思うなら、その都市の船は当てにするな。天招の階梯の研究所にいる男を訪ねろ」
「えっ、研究所があるの? 勉強するための都市があるのに?」
 驚いて声を上げるタトスに、青年の口が真一文字に結ばれた。皮袋を整理していたはずの手も止まった。
 ……一体何か、余計なことでも言っただろうか。
「……そいつは」
 なんだか噛んで言い含めるような、子供にウサギの肉がどこからくるかと教えるような言い方だった。
「とにかくバカで、頭のネジが飛んでいる。そんな奴が協調なんぞできるわけがないからそこにいるだけだ」
「……あ、のっぽの人?」
「存外物覚えがいいな」
「本当!? ありがとう!」
 あ、まただ。
 ただ嬉しかっただけなのに、青年は少し面喰うような様子で、それでいて懐かしそうに笑うのだ。
 見上げるだけではいけないような気がして立ち上がろうとすると、やはり体は簡単に痛みを訴えてくる。青年も立ち上がることは許してくれる様子がなく、そのままでいろと言われた。
 そのまま、彼の手が何かを取り出して――タトスの目の前に見せてくる。
 マントを留めるための金具のようだ。銀の土台に紫の、透明な宝石がついていて、中がきらきらと輝く。十二を示す数字が描かれており、風の紋章みたいなものがぐるりと巡っているのだ。
 綺麗の一言に尽きる飾りに、タトスはぽかんと口を開けた。
「研究所に行くならこれを男に見せろ。あいつならわかるはずだ。ただ他の者には見せることも、これをもらったことも、俺のことも他言するなよ」
「いいの? これとっても綺麗だし、大事なものなんじゃないの?」
「価値あるものは価値ある時に使われるためにある。今俺が持っていて価値があるなら、最初からそうしている。今は自分の身の心配をしろ。武器も鎧も何もないんだろうが」
「うっ、そ、そうだった……!」
 また笑われた。不器用な笑みはどう見ても笑い慣れている様子はない。立ち上がろうとしたタトスを止めて、彼は自分で示した方角とは真反対に向かって歩いていく。慌てて呼び止めようにも、足元に置き去りにされた皮袋しか理由が思いつかない。
「あ、あの、荷物!」
「使え」
「ええええええええええ!? い、いやでも、あなたは!?」
「別に二、三日ぐらいなんとでもなる。お前よりは土地勘もあるし剣も持っている。どうとでもなる」
「よくないよ、って、僕何も返せるものないのに、あっ、せめて名前教えてよ! 返しに行くから!」
 今度こそ本気で笑われた。声を上げて笑う背中に、タトスは飛び上がっていた肩をどんどんと萎める。
「本気で言ってるのに……」
「ルヴァだ。王都に行けたなら恐らく、そこにしばらくいるはずだ。百年ぐらい根気があればどこかですれ違ってるだろう」
「ひゃく!? えっと、わかった。じゃあ僕、調査が終わったら兵士になると思うから……お城でね、ルヴァさん!」
 藍色の目がこちらを向いた。ひどく驚いた顔をして、仕方なさそうな笑みをまた見せてきて、青年は踵を返す。
 腰の長剣と、留め具が一つ減ったマントを肩にかけて去っていく。マントから砂が落ちている様に、タトスは肩が強張った。
 自分を介抱してくれた人のマントを足蹴にした上に、砂浜に叩き落としてしまって、砂をかけたと思うと、申し訳なさが沸き起こったのだ。
 ルヴァ、という名前を忘れないように、何度も反芻する。
 当人は決して他人に言うなって、やたら制約を自分にかけてきたけれど――忘れるわけにはいかない。
 与えられた革袋だって返したいのだ。やたら重たい革袋は、あの青年のなりにしてはどうにも貧相なものだ。ジャラと重たい音がして、嫌な予感がする。
 タトスは中身をそろりと開けて、焦げ茶色の目をぎょっと見開く。
「えっ……か、返さないと……っ!」
 金貨なんて初めて見た。父の仕事の報酬であっても、家に持ち帰ってきた時のお金はせいぜい銀貨が数枚だ。城勤めの兵士が一月出稼ぎで貯めた金がそれなのだから、父の給与何年分なのか、気が一気に遠くなる。
 返そう。うん、そうだ。返そう。
 金貨一枚、大きすぎる。銀貨がさらに二枚もあるなんて、絶対普通の人じゃない。そういえば服だって仕立てがよかったし、言葉遣いもちょっと違っていた。きっと大きな街の総代――少なくとも市政に関わる人だ。
 助けてもらっただけでなく、その人に追い剥ぎみたいな真似をしてしまったなんて全く笑えない。
 痛む足を無理やり立たせる。青年が去っていった方角を見やってすぐ、タトスは顔を引きつらせた。
 人の姿がない。浜辺を歩いて行ったはずなのに。
 砂地に残った足跡は突然、誰かが掬い取ったかのように途切れていた。あの灰色の髪も見当たらない。藍色の目の青年の姿はどこにもない。
 毛布にさえ錯覚するほど柔らかなマントだって、|設《しつら》えのいい服だって、どこにも見当たらなかった。
 金貨の入った袋と、三日はもつだろう干し肉の保存食。水袋はどう見たって最近組み直したものだ。この辺りに村がある様子はないし、川からわざわざ汲んだものがどうしてこんなに袋いっぱいに満ちている。
 ……信じられなかった。
「ほ、本当にあの人……お化けじゃ、ないよね……」
 もしそうだとしても、あんな親切なお化けにはもう、怯えるどころか何度感謝してもしたりない。
 大切に使おう。助けてもらった命を、粗末にすることこそが大変な失礼だから。
 それにしても。
 どうして彼は、夜の海に投げ出された自分を容易く助けることができたのだろう。

関連番外編

番外編01「ルヴァの一人旅」
※ルヴァ視点のため、第1章では明かされていない設定が一部入っています。

ルビ対応・加筆修正 2020/05/10


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