Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第06話「隼、語る」01
*前しおり次#

「――そっかあ。隻さんお疲れー」
「俺しばらくあの人に会いたくない……なんなんだよもうあれ反則だろ……!」
「まあ、そういう存在だからね?」
 翅に生温かい顔をされ、響基にはフォローにもならない慰めを受けた。
 男のさがとでも言うべきだろうか。結局魅了されてばかりだった隻はがっくりひざをついたまま立ち上がれない。
 千理が凛からもらった石を手にとってしげしげと眺めている。石というより、丸薬に近いものらしいというのはいつきが見抜いてくれた。
「しかしよくこんなもの、あいつが手に入れられたな」
「いざという時飲ませて逃げるため、とか考えられますけど」
 それで自分が見えなくなるならもうけもの。幻術使いの幻生の認識≠フ力を消すというのだから、実質相手を無力化できるわけか。
 エキドナが携帯する理由としては十分なのだろう。
 千理が瓶を小さく振り、「じゃあ誰が飲みます?」と声をかけてくる。響基と悟子がぎょっとして固まり、いつきはそっと視線をらした。
「遠慮する」
「だよなー。俺は……どっちでもいいや」
つつしんで遠慮します」
「響基……ぼくも、昔から見慣れてる世界が変わるのは……妖精たちも困りますし。あと……ぼくの場合はどうなるか、ちょっと」
「あー、ですよね。悟子はさすがにはずす気ではいましたけど。じゃあオレか隻さん? あ、隼さんも飲めませんよ。霊視能力には多分効かないと思いますんで」
「え、俺は!?」
 自然に候補から外されていた翅が叫んだ。千理がないないと手を振っている。
「だってアヤカリ困るっしょ。オレあれ出せる自信ないっすよ」
 水の幻生の主が思い出したように固まった。そしてはっとした顔が鬼気迫るようなものに変わる。
「じゃあ千理が飲んだら戦力欠ける!!」
 確かに、いつきと響基が頷くようにご尤もなのだが。
 隻はジト目で一同を睨んだ。
「結局、俺以外の誰が飲めるって?」
「……ごめんなさい」
 千理と隼以外が見事に視線を逸らした。三人から聞こえる呟きに、隻は重たい溜息。
「いいよ。自分で言い出したことぐらい責任持つ。どうせ千理は腕の件もあるしまずいだろ。一番弱い奴が飲んだほうが無難だし」
「いや弱くない弱くない。バスケットボール本気で怖い」
「それはお前らだけだろ。ほらよこせ。試すなら早いうちがいいんだろ。上行くぞ」
 さっさと千理から奪い返し、一同が戸惑っているうちに階段へと足を伸ばす。ぎしっと重く響く音の直後、千理が後ろで「あ」と間の抜けた音を一つ追加してきた。
「隻さんちょい待ち。そういえばあの白鴉、隻さんのお使いで出てるんでしょ?」
 隻はぴたりと止まった。
「……あ」
「見えなくなったらまずくないっすか? 代理でオレらが聞いても平気?」
「……あー」
 翅たちも生温かい声。隼がふっと笑う。
「後にするか!」
「……忘れてた……」
 次に白尾ノ鴉が帰ってきた時、お詫びをするべきかもしれないと、隻は苦い顔になった。


 ……。
 …………帰ってこない。
 縁側で虫に刺されつつ待っているのだが、やはり一日二日で情報を掴めるほど、世の中は甘くないのだろう。全部を一度に解決させるには、時間がどうしても足りそうになく、焦りが少し身を蝕む。
 それも、布団を敷いたばかりの居間で始まった枕投げを見ると、冷静に戻れるのだから不思議だ。
 ついに三日目に突入したが、威力は全く衰えていない。千理と響基が翅を相手に応戦し、悟子は被害を食らわないように角で宿題にいそしんでいる。そして飛来物の被害にって参戦決定だ。
 隼も腹を抱えて笑い、たまにばれないように枕を誰かしらに投げては人のせいにしている。よくもまあ上手く逃げおおせているものだ。
 蚊取り線香の最前線にて休んでいるいつきは白けた顔だった。
「こういう時だけ歳の差感じるってどうなんだ……」
「歳の差なんて関係ないだろ、被害食らったら。――悟子、勉強してたのにな」
「全くだ」
 呆れた目が容赦なく翅と響基を据えて見ていた。深緑色の着物の袖口に腕を通し直す彼は、程なく懐かしそうに笑んでいる。
 隻は緑の丸薬をポケットから取り出し、何気なく手の平で瓶ごと転がした。ころころと、ビー玉を床に転がすような音が響く。
 ふとその音を止めるように、小瓶を軽く包むように指を曲げた。枕投げ戦争の悲鳴は相変わらずなのに、無関係なほど不思議な気持ちになる。
「――驚いた。じじい、俺や親父にものこしてたものあったんだな」
 いつきは少しだけ沈黙し、「そういうもんだろ」と返してきた。
「俺も当主になった時、散々嫌味しか言ってこなかった親父が蔵書ぞうしょ全部ゆずってきたことがあった」
「全部って……まじ……?」
 凄いを通り越して唖然とするしかできない。千理たちのほうを見やるいつきは、感慨かんがい深いような目でそのはしゃぎっぷりを見守っている。
天理てんりの奴、帰って来てるそうだな」
「――千理だろ、言ったの」
 頷かれた。隻はなんとも言えず、溜息もつきづらい状態で苦い顔になった。
 翅の友人だから、いいのかもしれないが。天理といつきも知り合いだと言っていたとはいえ、内密にしていた多生たちの努力が気泡になって弾けた気分だ。
「あいつ、ちゃんと生きてるよな?」
「ああ。ただ、魂を半分、体から抜き取られてた反動と……あと、十年間ずっと隔離されてたから、表情とかはまだ、な。――けど、天理に言われたんだ」
 いつきが驚いたようにこちらを見てきた。苦笑いしかできないし、言うのも複雑な話だけれど、隻は肩をすくめた。
「『俺に魂を預かっててもらっててよかった』ってさ」
「お前っ、あいつの魂を宿してたのか!?」
「俺も驚いた。知ったのつい最近だぞ。伏見稲荷神社で一騒動あった時、偶然だけど俺の体に入れられたらしいんだよ。その後から色々と幻術の威力上がったり、雷駆呼び出せたりできたから、納得した。おかげで今は雷駆を呼び出そうとしても拒否られてるよ」
 いつきが笑い飛ばした。隻も苛立ちがないわけではないけれど、にやりと笑った。
 逆に安心したのだ。学力低いままのほうが、自分らしいとも思えたし。
「確かに天理の言うとおり、お前が預かっててよかったよ。……これならいつでも安心して死ねる」
「それ、千理たちの前で下手に言うなよ。いくらいつきでも殴るぞ」
「知ってるからここで言えるんだろ」
 目を見開く隻。いつきはいつもなら見せないほど、穏やかに笑っていて。
 ――ちょっと待った。
 まるでもう、死期が近いみたいに……
 千理が我儘わがままを言ったのも、まさか。
「お前には言っておく。――俺はこれから先、いつ死ぬかわからない」
「……余命は」
「とうに過ぎてる。そうだな……丁度山だったのが、あいつがエキドナと戦ってた時期か」
 言葉が出てこなかった。
 三年も余命を超えているなんて、普通はありえない。そんな病気……病気? 誰がそんな言葉を言った?
 隻は一度だけ目を落とし、すぐに上げた。
「明日、星見に行くぞ。好きなんだろ」
 目を丸くするいつき。根負けしたように笑われ、隻は憮然ぶぜんとした。
「道理で、お前からの礼の品が写真集だったわけだ」
「千理に言えよ、教えたのあいつだぞ」
「お前らは本当に呆れるほど優しいよな」
「――本当に優しいのは翅たちだよ。バカすぎるぐらいなのは千理だけどな」
「ははっ、言えてるな。あいつは正真正銘のバカだ」
 ぎゃああああああああああああああああっ。
 翅と響基の猛攻撃を、男にとって最高級に痛い場所に受けて千理が悶絶している。布団の上で何度も回転して痛みに泣いている。主犯の翅はさっと顔をそむけたではないか。
「やっべ、まさか当たるなんて……」
 白々しい。
 思わず笑いが出てきた。いつきの冷めた目は、翅に向けられている。
「俺が部屋で寝ていた時、千理と天理と、一番上の海理の三人が押しかけてきたんだ」
うるさかっただろ」
「ああ。煩いを通り越してうざかった」
 懐かしむようないつきの目は、千理と――翅を通して、いつかの誰かを見ているようで。
「あの頃にはもう、既に体がこんなんだったからな。完全に荒れてた時期だったんだが……思えばあの三人に会ってなきゃここまで来れなかったよ」
 海理が言ってきたという。あまりにも無礼三昧ざんまいだったといういつきが、言いかけた言葉をせきに遮られた時。
 大抵の人間はそれを見て心配するか同情するか、嘲笑あざわらうかするのに。海理だけは「言う気があるならいくらでも付き合う」と。
「あの家じゃ、あの時の俺はただの足手纏あしでまといだとか役立たずだとか、当主の息子なのかって散々言われた挙句――見下された優しさしかもらってなかった。なのに海理も天理も、正面から言ってきてくれたんだよ」
 家を抜け出したいと言ったいつきに、「じゃあ出て、大人を出し抜いてやればいい」と、天理はあおったそうだ。
 ひどく冷静に。心に刺すような声音で、「こんな生活が嫌なのに、続けて意味がないって思うなら、かごの鳥をめればいい」と。
 そして千理は。
「千理も、何も知らないガキのくせして、俺に初めて頑張ってる≠チて言ってくれたしな」
 ――あいつらしいというか、なんというか。
 きっと、兄の言葉を適当に覚えて、当てずっぽうに言っていたのかもしれない。
 けれどもしかしたら。
 隻は思わず笑いが漏れてきた。
「あいつ何者だよ。人の足りないもの必要なもの、全部見透みすかしやがって」
「ある意味天才なんだろ。頭は残念だが」
「ははっ、言えてる。――俺も言われた。隼のこと、つい最近まで嫌ってた時にな。俺、中学時代荒れてたんだけど、その原因が母親と隼だったんだ」
 こんなことを、あっさり話せる日が来るなんて。
 あんなに嫌っていた過去を、笑って話せる日が、こんなにも早く来るなんて。
「学校でも先生はほとんど全員、隼の味方だったんだ。一人だけ除いてさ。みんな俺のこと、『問題児』扱いしてたよ。――実際家族を保護する話が出た時、俺が拒否して飛び出しても、千理言いやがったんだ」


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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