Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第01話 02
*前しおり次#



「――え、マジ!? ああ、それぐらいはする。ありがとな、母さん。それじゃ……げっ、忘れろって……はーい持って行くよ。じゃあまたな」
「どうだった?」
 部屋に遊びに来ていた響基に尋ねられ、隻は肩をすくめて少し笑んだ。
「じじいの家に泊まっていいってさ。布団とかは親父たちが引き上げてるから、それ持って行けって。ガスも水も電気も毎年その月だけ通すし、条件は自炊と掃除って話だから、もう少し人数連れてきていいってさ」
「高待遇だなー」
 同じく遊びに来ていた翅が目を丸くしている。ただと、隻は苦い顔。
「隼も一緒に来る……じじいの仏壇参りと、仏壇周りの掃除は毎年あいつ担当だったから」
「うん、とりあえず酒は用意しない方向で頑張るか」
「まだ引きずってるのかよ」
 春先の事件の解決後、隻の家族を念のためにこちらで預かってもらった時のことだ。慰労会代わりの飲み会の席で、隻と隼は見事酔ってしまった。翅たち曰く散々なことになったらしいが、点で覚えていない上に二日酔いにやられたのである。
 もうあれから二ヶ月経つのかと考えて、うっかり電話を忘れたにしては長すぎたかと今さら罪悪感が頭をよぎる。
 千理は自分の部屋で何やら引っ越し業者に頼んだりなんたりを、一人前にやっているようだ。結李羽がふすまを叩いてきて部屋に入れる。困ったように笑う彼女は、「お盆の件なんだけど」と伝えてきた。
「あたしまだ阿苑あぞのの養子なの。だから、先に当主におうかがい立てなきゃいけなくって。もしかしたら阿苑のほうに戻るだけになっちゃうかも。お母さんたちによろしくお伝えしてもらっていい?」
「あ、そうだったな……わかった。お前も無理するなよ」
「阿苑……よし響基、行くか」
「おー……え?」
 急に提案され、響基だけでなく隻も固まる。阿苑当主のいつきと翅が悪友だという話は二ヶ月前聞きはしたが、そんなにあっさり会いに行っていいのだろうか。
 少なくとも相手は当主だ。正造や多生が忙しくしている様子を何度も見ている身としては、大丈夫かと心配がよぎる。
「行くなら、あたし明後日辺りにお伺いしようと思ってるんだけど――」
「あー、違うタイミングで行かないとまずいだろ。いつきはともかくなぁ」
 結李羽が苦笑いしている。「ここ、いいおうちなのにね」と返し、隻も頷いた。
 千理の上の兄弟と、彼の父を惨殺ざんさつされた事件の後から、他の家はレーデン家に対し忌避の目を向けていた。
 先々月の事件もあってか、自分たちの子供を教育させたくないという思いがさらに高まったのだろう。元々家同士の交流が盛んな家や、地位や立場的にレーデンに守られていた家、千理の事情に詳しい家以外は、ほとんど交流を触り程度にしているそうだ。
 そんな噂をものともせず、開き直って交流に努める正造と多生の気丈さと懐の広さは、今でも脱帽ものだ。それと同じぐらい、千理のことも知って阿苑とレーデンの仲を回復させようと奔走ほんそうしているらしいいつきには尊敬する。
「そういえば、阿苑家の当主って何歳なんだ? 随分若かったけど」
「二十四」
「若っ!? えっ、歳近っ!」
「まあそう見えないよなぁ……」
天兄てんにいと同い年っすよ。昔はよく咳き込みながら発熱しながら喧嘩してましたから、海兄かいにいや天兄と」
 犯人はお前らか。
 道理で阿苑側からいい顔をされないわけだ。当時当主候補で嫡子ちゃくし、かつ今も病弱ないつきに無理をさせていたなら、いい顔などされるはずもないだろう。
 普通に障子を開けて入ってきた千理だが、見事人数が多すぎて溢れ返りかけている部屋では縁側にしか座れない。エアコンの冷気を垂れ流すなと、いつ入ってきたのか浄香が文句を言っている。
『しかしまた東京か……面倒くさい』
「またついてくる気かよ、あんた……そういえばあんたも俺のじじい知ってるのか?」
 ぴくりと、浄香は耳を不機嫌に寝かせた。ふいと背ける顔は『知らんわたわけ』と、言葉と行動が一致していない。
 猫に戻っている浄香は、体を取り戻す霊薬の効果が切れたそうだ。再び霊薬を飲もうとしたら詰めていたボトルから一切消えていたらしい。
 呪術展開に使う札の枚数を数える千理は、「いつ阿苑行きます?」と地雷を投下している。翅と響基が目を据わらせた。
「お前居残り」
「えーいいじゃないすか、いつき兄に久々に会ったって」
「お前が行く度にいつきが自分の部屋の障子壊してるだろ」
 想像できた。二ヶ月前京都駅で千理を打ち上げた張本人なだけに。
「とりあえず明日にでも顔出すか。キャンプなくなったし」
華淋かりんさんには言わなくていいのか?」
「……明後日メールしとこーっと」
 そして忘れるフラグだと、隻も響基も生温かい顔になった。
 
 
「――久々だな……」
 思わず笑いが出てくる。虫の声も高らかな夜、寝つける気がしない。
 まともに母や隼と話せるだろうか。話せるとは信じたいけれど。
 蒸し暑い中、十時を回っても、元気に修行に打ち込む千理と芳弘の少年コンビがたくましく思えた。砂利を敷いた練習場で響く模擬試合も、雷駆のいななきと息の揃った「ごめんなさい!!」で締めくくられる。
 平穏とはまだまだほど遠いからこそ、翅の言うような一騒動は起こってほしくない。
 千理が天理を今回連れ出さないと言っていたことを考えても、千理自身、まだ永咲の件や、天理の件にも整理がついていないのだろう。
 天理は十年もの間幽閉され、意志と体を切り離されていた。その影響か、いまだ感情がおぼつかないままだ。二ヵ月すぎても片言しか話せず、感情もずっと抱き続けていた後悔の念のほうが多く出ている。まだまだ笑って会話するにはほど遠い状態なのだから。
 ゆっくりしよう。それこそ、キャンプ代わりにどこか全員で遊びに行くのもいい。スカイツリーでも東京タワーでも、千理と翅が目を輝かせそうな原宿でも秋葉原でも。……そこまで行くならさすがに、響基も自分も遠慮しそうだけれど。
 こつこつと準備していこう。両親や隼への土産みやげは……
 土産は……
 ……なまはし……?
 ……あんは、何にしよう……。


 枝垂桜しだれざくらが揺れていた。
 やしろの前、花弁を幾重いくえにも風に乗せて散らしながら、その桜の木は雄々しく、はかなげに色をせていく。
 社の前で呆然と立ち尽くす隻へと、誰かが歩いてきた。
 枝垂桜の向こう側に立つ姿は――
 花弁があおられて、散っていく。
 儚い色を地面に触れさせる前に、光と闇の糸が幻想的に花弁から解けていって、風に揺れながら木の中へと戻っていった。
 糸が、糸が
 見えるはずの人影を、幾重にも遠く感じさせていく。
「あんた――」
 人影が、笑んだ気がした。

 強くなりな



「レーデンの養子の隻です。その節はご当主を中心にご協力していただき、大変お世話になりました。ありがとうございました」
 すっと頭を下げると同時、仲居らしい女性が「こちらこそご丁寧ていねいに」と、うやうやしく膝をついてまで頭を下げてきた。にこやかに顔を上げる女性に、隻は肩が持ち上がる。
「本日はどうなさいましたか? 当主にご用件でしょうか」
 予想以上の対応に恐縮した隻が固まる隣、響基が苦笑して引き継いでくれた。
「はい。改めて、先日の礼と報告をと思いまして。随分遅くなりましたが」
「まあ、大したことはしておりませんのに。どうぞ、当主の部屋へご案内いたします」
 笑顔の裏が、見えてしまった。
 頬が片側だけ、わずかに持ち上がり方がおかしい。隻も愛想笑いはしつつ、レーデン家に対する他家の反応を目の当たりにして内心溜息がこぼれた。
 自分を問題児じゃないと言ってくれる家がこんな風に扱われるのは、心外だし気が重い。道理で結李羽は当主とその妹の話以外、滅多やたらに口にしていないわけだ。
「こちらの養子の結李羽が、ご迷惑をおかけしておりませんか?」
「迷惑だなんてそんな。俺たちも養子ですし、彼氏は幸せそうですし――ふぐぅっ!」
 軽々しく説明してくれた翅に、全力かつ高速で肘鉄をプレゼントする隻。それでも見抜いたのだろう、仲居はおかしそうに笑っている。
 ……ほんのり皮肉を入れた顔をしていなければ、恥ずかしさのひとつも出せたのに。
「そうでしたか。いつも彼女がお世話になっております」
「い、いえ、こちらこそ……」
 レーデン家以上に広く見えるその景色を堪能するゆとりからない。すれ違う養子や仲居からはぎくりとした様子で会釈えしゃくされるし、挨拶を返すだけで精いっぱいだ。
「こちらにございます」
 やや奥まった場所にある広い座敷は、当主のいつき専用を思わせた。
 仲居に礼を述べつつ、彼女にふすまを開けてもらい。けれど本人がいない部屋に最初に顔を青くしたのは、やはり仲居で。
「当主! どちらに!?」
「……あー……またか」
「また……? ちょっと待った体弱いんじゃ……!」
「うん弱い」
「んなあっさり!!」
「弱くて悪かったな」
 背後からかかる声。元から気づいていたのだろう響基は笑いながら「お邪魔しています」と礼儀に努めた声。震えているけれど。
 不機嫌づらの着流し姿な日本男子だ。茶髪に焦げ茶色の目の色味は、結李羽と近く感じる。頭一つと行かずとも千理より小さな背だ。緑を貴重とした和装で当主然としていなければ、隻と歳が近く見える。
 男性は翅を見るなりくっと頬と口の端が持ち上げた。
「仲居がやたら動いてると思ったらそういうことか。アポ取れアポ。毎回言わせる気か?」
「ごめんごめん、アポとったらつまんないからつい――ぶっ!?」
 思わず頭を引っ叩き、翅が蹲ると同時に「すみません!」と、謝罪の姿勢で腰骨四十五度。苦い顔になるいつきを見上げ、はっとした隻は気まずくなって翅を見下ろした。
 ……いつもの癖で……。
「いぃ……っ!」
「……まあ、なんだ。立ち話もあれだろ。入れ。おい、茶を」
かしこまりました」
 仲居がつつつと下がった。恭しく頭を下げ、退出するその背中は笑いを堪えていた。
 ……存外、嫌味な人でもないのだろうか。
 勧められて入った部屋は、本の山と奥に蚊帳を吊り上げた寝殿しんでんがあった。千理の部屋より綺麗だが、散らばる大量の紙に描かれた絵には息を呑む。
 なぜこんなに綺麗な植物の絵を無造作に散らかしている。絵にくわしくはないが、一筆で迷いなく仕上がったものを乱雑にぐしゃぐしゃにしていて、あちこちに捨てているなんて勿体もったいない。
 案のじょう部屋に入った翅と響基も生温かい顔をしているではないか。
「今日はまだ、中まで来てないんだなぁ」
「ああ、一応な」
 ……自分の感じた意味ではなかったらしい。いや、今は礼が大事だ。そっちだ。
「ご当主。この間はありがとうございました」
 今さらながらに頭を下げると、いつきはあからさまに嫌そうな顔。病弱ゆえだろう白い顔だ。ただ、今日は体調がいいのだろう。前回より血色がよく見える。
「廊下でならまだしも、俺の部屋でそこまで肩に力入れるな。上下関係を意識しまくっても損するぞ」
「いや、レーデンうちならともかく……さすがに……お、お言葉に甘えます」
 当主にギンとにらまれ、隻は苦い顔で視線をらす。翅が笑いこけているのにはむかっ腹が立つも、響基まで含み笑いがいそがしいらしい。
「それから敬語も抜け」
「はっ!? いやさすがに――わ、わか……たよ……俺、年下だろ……」
「上下関係意識するなってさっき言われたのになー」
「誰のせいだろうなーこの野郎」
 ぐりぐりと翅の頭を押さえにかかるも、笑いを堪えるのに必死なのはさらにその隣にもいるわけで。いつきが微妙そうな顔で「おおやけの目を気にするのは仕方ないだろうけどな」と、付け加えてはくれた。


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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