Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第09話 03
*前しおり次#

『そも、事を明るみにするのが悪いのだ。知られては話すしかないではないか……』
『それも、印籠を媒介ばいかいに刻まれた契約の一つだったのですかな』
 白尾ノ鴉に尋ねられ、浄香は不満げに頷いている。結李羽が戸惑ったように隻の隣に腰を下ろしてきて、隻はそっと頭を撫でていた。
 なんだか、昨日からどうにも結李羽が落ち着かないように見える。
『あの道楽は神隠しから帰ってきた幻想帰りだ。戦後のこの地をふらふら歩いていた奴と遭い、姿を見られた。衣を纏っていたにもかかわらずな。幽霊と思ったと抜かされたわ』
 その遭うというのは、災難だったと捉えていいのだろうか。
『奴は家族の消息も知らん孤児だった。ここの老夫婦が養子として引き取った後は私も顔を合わせていない。ただ一度、あの神社を除いてな』
 浄香の不服そうな青い目が、隻と翅を据えて見上げていた。刺身を咥え直して頬張る猫は、フンと短く鼻を鳴らす。
『そう、私がお前たちを案内したあの神社で、あの道楽と再会する羽目になった。結果、道楽を狙って動いていた鬼と遭遇した。退けはしたものの、私の体は八つ裂きにされた』
 だから、留華蘇陽とめはなのそよう――永咲の知り合いだったというあの土地神は、隻と隼の祖父を知っていたのか。
『死期を目前に、あのバカはどこで覚えたか、幻術の契約を用いて私を現世に留めた。その代わり、お前たち子孫にもし幻術使いの能力が目覚めれば、その子を守れと強制された』
「幻術使い? 霊視能力者じゃなくて?」
 翅の問いにも、浄香は不機嫌に寝た耳のまま、『そうだ』と肯定していた。
『その印籠を壊さなければ私の魂は現世ここに繋がれたまま。だからお前たちについて回っていた。これで満足か』
 ――東京に一度戻ってきたあの時も追いかけてきたのは、そのせいだったのか。
 三年前京都に行くことになった隻についてきたのも。隼ではなく、隻の傍に残ったのも。
 浄香が苛だたしげに『人の汚点を好奇心だけで暴きおって』と吐き捨てた。それへの苛立ちだって湧かなかった。
 まるで生き延びたくなかったと言いたげな浄香をいさめるのも、同調するのも違う。少なくとも、浄香と祖父のことを何も知らなかった隻にはできなかった。
 静まり返った居間で、白尾ノ鴉が項垂うなだれ、隻と隼をそれぞれ見上げて『どうか、お間違えのないようお願い致します』と訴えてくる。
『相次郎様は子孫である坊ちゃん方、その先の代も見据え、そして浄香様の生きる意味を与えるためでございましょう。先ほどご説明致しました季忌命は、浄香様をも狙っております。浄香様への術も、鬼を欺くための苦肉の策でしょう。どうかご理解とお力添えを、不躾ぶしつけながら相次郎様に代わりまして、私めからお願い申し上げます』
 頭を下げる代わり、白い尾が冠のように、頭の向こうから覗いたその時だった。
「了解」
 相変わらず真顔のまま口を開いた翅の隣、千理が笑う。
「そうこなきゃっすよねー。いいじゃないすか。そこの猫には貸し借り両方ありますしね」
『ほほうよく言ったな三男坊。ほお碁盤ごばんの目でも刻んでやろうか』
 爪を出す浄香に悪びれもなく舌を出す千理。万理が呆れ顔を兄に向けていた。
「でも僕も同感です。僕の兄たちとご友人に手を出す輩は一度反省して眠ってもらいます」
「万理、ちょっとそれ怖い。俺も同じ気持ちだけどちょっと言葉変えような?」
 響基が青い顔で視線を逸らしている。それなのに悟子は万理に頷いて、味方するようではないか。
「ぼくも、万理さんと同じ意見です。眠らせるどころか滅します」
「ありがとう、悟子」
「いえそんな!」
「何これ超怖い。弟たちがすっごく怖いんだけどなんで、すっごい怖い」
「え、オレも?」
「お前はただのジャージだから怖くない」
「何それ超理不尽!? あだっ!?」
 いつきが頭を叩いた。畳に拳をついて浄香へと頭を下げる彼に、響基たちが絶句する。
「いつきが……頭下げた……!?」
 千理ですら物珍しそうな目で見ている様に、日頃の行いを察した隻である。
「遠縁ではあっても、俺が子孫であることに変わりない。お会いできたことを誇りに思う」
『フン、猫に頭を下げる当主か。絵にもならんわ』
 拳と額と頬に見事血管が浮き上がったのを、隻たちは確かに目撃した。それでもすまし顔を取り繕って顔を上げるいつきに、隻は心の中で密かに拍手を送る。
「今の体はどうあろうが関係ない。阿苑の者として、人として助力させていただく」
「いつき、強い人には尊敬まっしぐらだもんなぁ」
 翅に和やかな声で言われ、顔を赤くしたいつきが「黙ってろ!」と吠えた。海理がからからと笑い、隻と隼へと目を向けてきた。
『で? てめーらはどうなんだ』
「――守ってもらうばっかなんか格好悪いだろ。じじい絡みの因縁ならとっとと終わらせるよ。俺の代で面倒くさいもんは全部、金輪際こんりんざいぶった切る」
 白尾ノ鴉と浄香のおかげで、祖父が隼に言い続けた言葉の意味が、ほんの少し紐解けたような気がした。
 勝手に踏み込んで聞くだけ聞いて、手を引くなんていきでもないやり方なんて気に食わない。そんな無責任なことをするためにここまできたわけではない。
 やることは確かに増える。東京にいる間で片付くとも思いがたいけれど。
 素直なのか素直じゃないと笑う一同の中。双子の兄が遠いものを見るように笑っていたのを見て、隻はぽかんとした。
「お前、やっぱり強いな」
「は?」
「いやーひとごと。で、どこから片付けていくんだ? って言っても、今日はさすがに夜、学校には行かないよな?」
 はっと思い出したように悟子が視線を逸らしている。忘れていたのは翅たちも同じだったようで、響基が苦笑いして「そうだなぁ」と頷いた。
「さすがに昨日の今日じゃみんなこたえるだろ。特に千理」
「あ……あー、左腕消したらなんとか……でも無月が壊れたまんまだったら、オレ戦えねーしね……」
 それも気がかりな一つだ。万理も複雑そうな表情で頷いている。海理が腕組みを解き、千理の頭を、ドアをノックするように軽く叩いている。
『それは追々だ。てめーらの祖父君そふぎみの遺物って奴、先に確かめるぞ。神隠しに遭って生き延びた霊視能力者って肩書きも、かなり気になるしよ』
「あー、了解。じゃあ翅、ここ残って。いつき兄は……薬飲んだ後余裕あったら上来て」
「っち」
「飲むの忘れてたんだろ」
「違う、面倒だっただけだ」
 なおたちが悪い。
 結李羽はやはりいつもより消極的で、居間に残るという。未來は通常運転に目を輝かせて「資料っ、屋根裏っ!」とはしゃいでいる。性格が入れ替わったかと冗談を飛ばせたらよかったが、心配が先に勝つ。
 響基もいつきと共に下に残る。最初から祖父の家の件で動いていたメンバーは、千理と悟子のみか。記憶力小学生がいるし、散々物色もされたのだ。問題はないだろう。
 エキドナである凛から受け取った丸薬を手に、屋根裏部屋へと上がる。
 海理と千理、万理の兄弟たちと、悟子と未來。
 屋根裏部屋の書斎を見渡した海理が訝しげに眉をひそめ、隻を見下ろしてきた。
『エキドナがそれ飲めって言ったんだったな。覚悟できてるか』
 待った、誰から聞いたそれ。
 言及するのも諦めて頷き、小瓶を開ける。緑色のややいびつな球体がころりと転がった。不思議なことに幻生のような、そこにあるのに本物ではない違和感がない。
 未來から水を渡され、礼を言って受け取る。薬を水と一緒に口の中へと流し込んだ。途端に眠気か視界が暗く感じたが、ふらついた足を踏ん張って持ち堪える。
 千理たちが不安そうに呼びかけてきて、大丈夫だと手を上げた。重たくなる頭を振り、何度か瞬きして呼吸も整えた。
「っつぅ……錠剤なのに即効性ってどうなんだよ……」
「あ、確かに。早く溶けるのって粉薬っすよね」
「そこだけリアリティー求めても……」
 悟子の呆れた言葉の後、少しして千理が「そうそう」と頷いている。未來が「まあ、幻術ですからね」と苦笑いして、隼が呆れた顔で中空を見上げている。
 ……海理どこ?
 隼の視線の先を辿っても、いない。同じ場所を見上げているはずの千理の視線を辿って、重なる場所を見上げても、いない。
 固まる隻に、悟子が不安そうに見てきた。
「もしかして、もう見えなくなってるんですか?」
「……確認とっていいか? 海理どこ」
「どこって、ここ……」
 千理の真上を全員が指し示した。何もない空間を見上げ、隻は遠い顔になる。
「そっか」
 途端に悟子の顔が青ざめて中空を見上げ、「そこで実感持たないでくださいよ!」と、叫ぶ。海理が何か言ったのだろう。万理まで頭が痛そうだ。
「朝方兄たちからある程度事情は聞きました。昨日と部屋の中のものが変わっていたり、なかったはずのものが増えたりしていませんか?」
「あ、ああ……えっと」
 本棚を見て、まず固まった。
 所狭しと小物や本があったのに、本が数冊消えている。小物もいくつか入れ替わっている。
 机の上のノートを見やると、何も書かれていなかったはずの表紙に太いネームペンで大きな癖字が躍っていた。
「嘘だろ……」
「隻さん?」
 本棚に近寄る。小瓶の中で、桜の花がその形のまま栞になったかのように、儚げな色を小さな枝と共に留めている。
 昨日までは豚の形をしていたはずの貯金箱は猫の形に。丸く磨かれた石ころがぽつんと置かれている。子供の頃見た綺麗な何かの原石は、今ならわかる。オパールの原石だ。小難しいタイトルの本はほとんど変わらず、全て大切に、丁寧に本棚に納められている。
 刀がかけられていなかった刀架とうかを振り返り、絶句した。
 刀がかけられている。短刀、長太刀どちらも。
 そのめいを見て、思わず言葉を探した。
「なんて読むんだ、これ……『景霞かげかすみ太刀たち』……?」
「隻さん、メモって」
 千理に素早く渡された紙とシャーペンを手に、机に置いて走り書きした。ふと机の上のノートが目目に入り、手を伸ばす。
 昨日までなかったそこに、文字がおどっている。
「俺宛て……?」
 ノートを開いて、目を疑った。
 難解な図式が、薄っすらと、次の紙に見えている。
 まっさらな自由帳の先頭のページには、手紙の下書きのようなシャーペンの筆跡が残されていた。
「――隻へ……いや、隼かもしれないな」
「なんだって?」
 隼が耳を疑うように聞き返してきた。そのまま、隻は文面を読み進めた。


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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