Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第10話「相次郎、遺す」01
*前しおり次#

『隻へ……いや、隼かもしれないな』
 祖父の字だとすぐに気づいたのはどうしてか、自分でもわからない。
 記憶の大半の祖父は隼と一緒にいて、書いた字を見た覚えがなかったのだから。
『どっちがこの手紙を読んでいるかは、私にもわかりません。書き出す理由も、随分ずいぶんとちっぽけな話にさかのぼります。こんな干からびたじじいのメモ書きだけど、役に立つなら嬉しい事はない』
 こんな文章を書く人なんだと、こんな字を書く人なんだと……初めて知ったはずなのに。
『不思議な事に、今日夢を見ました。ただの夢だとお前たちは笑うかもしれない』
 声に出しながら読む隻の口が、ぴったりと閉じられた。

 だが、中々どうして、現実味がある夢だった。隻か隼か、私にとはとんとわからなかったが、大人のお前たちがそこにいて、沢山の人と一緒にいた。じじいの友達の猫も鴉もそばにいてくれた。
 嗚呼ああなんて幸せな夢だろう。これが現実になる日に、このじじいは生きていられるだろうかと、ようく噛みしめたもんです。
 これが、手帳を書いた理由です。

「――隻さん?」
 翅に声をかけられて、ようやく隻は少し口を開いた。
 手紙を書いた理由を、そっと伏せて。

 二人の名前をわざと隼とだけ呼び続けたのは、私の言葉に制約があったから。そう言い訳させてください。隻という名をうとんだのではなく、私に関わってきた多くのあやかしたちの目をあざかなければならなかった。そのせいで隻にも隼にもつらい思いをさせてしまったのは、申し訳なく思う。
 けれどこの先何が起こるかわからない世の中に、少しでも、お前たちの生きる術を記しておきたい。そう思い、万が一に備え、霊視能力を持って生まれた誰かを助けられるよう、このノートともう一つ、手帳をのこしていきます。
 これは霊視能力者には見えないものです。不思議なことに、霊視能力者にしか見えないものがあるように、霊視能力のない人にだけ見えるものというのもあるんだね。じじいは六十過ぎて、初めてそのことを知ることができました。
 手帳とあわせてこれを読んでください。もしお前たちのどちらかが、本当なら見えない世界の連中に狙われた時。少しでも役立ってくれるよう、願います。
 
「平成八年十一月十三日……」
「オ、オレの誕生日と被ってるんすけど……」
 目を見開いた。
 隻の動揺に気づかなかったのか、隼は「多分偶然だろ?」と千理へと返していた。頭を少し掻いてから、彼は顔をしかめている。
「じいさんが死ぬ半年ぐらい前か……続きは?」
「……後ろは全部、変な図式だったと思うけど――」
 はらりとページを捲り、隻は固まった。
 図式は全て、整頓されたメモだった。
「……出会った全ての霊獣れいじゅうの記録を、ここに記す」
「霊獣!? 陰険いんけん猫の正体バレてただけじゃなくて、幻生まで知られてたんすか!?」
 ページをめくり、思わず口を閉ざした。
 最初に載っていたのは、地獄の鬼のこと。
 地獄の鬼は、地獄の三色と、それを混ぜたてできた黒。いずれかの色をしている。相次郎をかくまい、恋をしてくれた鬼もいたそうだ。けれど彼は断ったと書かれてあって、隻は目を平たくした。
 ……一瞬隼に通じるプレイボーイかと思ったし知りたくもない。続きを読もう。

 鬼は大抵悪戯いたずら好きで、とてもはた迷惑なこともする。が、構ってほしかったり、人を食べなければ生きて行けないもの、人に怨みを抱いているものもいる。鬼も様々だ。
 そして鬼には人に憑くものもいる。事情は様々だ。だから、それがどういった鬼か必ず見極めて動いてほしい。
 唐傘からかさお化けは、昔捨てられた古びた唐傘が変化したり、人の噂から生まれるものたちだ。火に弱く、穴が開いている唐傘お化けの中には、傘のはずなのに水を嫌がって逃げるものもいる。人の視界を遮るが、多くはじゃれてくるような悪戯だ。
 座敷童ざしきわらしの多くは恥ずかしがりやのように、人前には姿を見せない。いなくなったら不幸の前触れになってしまうから、気づかない振りをしてやる事。
 家に幸せが満ち足りると、座敷童も幸せになる。そうすると、どこか別の家に向かうか、成仏する。その時は、その家庭が円満に終わってくれる暗示でもあるから、そっと感謝を示してやってほしい。
 河童は東北の出身。川で遊ぶ人間の足を引っ張る悪そうに気をつけること。皿が乾いていたら水をあげれば、お礼にその川の魚をくれることがある。
 九尾狐くびぎつねは悪いことは言わない。出会ったら逃げろ。鬼火がもの凄くいやらしい。対処法はわからない。
 白尾ノ鴉は、家にいる奴はとても紳士で世話焼き。たまに庭のバッタを捕まえて食べている。牛乳にパンを入れたものをあげるととても喜ぶ。最近は贅沢に、ハムが入っていると嬉しいとか言うが、極たまに上げる程度にしないと太る元。気をつけるように。

 次のページは――
 捲ると同時、目に入ったのは三毛猫の絵だった。はっとして周辺を探すも、求めた猫の姿は見当たらない。
 ……幻生の体だからか。
「隻さん?」
「ちょっと待った。まだ読んでる」

 この近所にずっと住んでいる野良の三毛猫は、私の古い友人だ。浄香と言い、前述した妖怪たちにとても詳しい。かつて私を助けてくれもした、心優しい人だ。
 彼女は理由があって、今もこの姿のままだと思う。もし彼女のことが見えるようになったなら、たまに話し相手になってやってほしい。
 好きなものは、ハムとチーズと、白身魚。薄切りのハムをあげると、素直じゃないから口が悪いが、嬉しそうに食べる姿が目に浮かぶ。
 彼女がいてくれなければ、幸明ゆきあきも、隼も隻も生まれることはなかっただろう。そもそもこのじじいから死んでいた。とても心優しい友人だ。

「――浄香」
 浄香の声は、耳には響いてこない。
 けれど隻は、思わず笑んでしまった。
「じじい、あんたに滅茶苦茶感謝してるってさ」
 尻尾を丸め、その辺で寝転がっている浄香が、一度尻尾を左右に振るように曲げ返した姿が目に浮かんだ。
 同じ姿を、あの祖父も思い描いていたのだろうか。
 万理がノートを覗き込んできたも、やはり内容は見えないのだろう。戸惑うようにこちらへと目を向けてきた。
「何が載ってたんですか?」
「まだ途中だけど、ほとんど幻生の特徴だな。あと――後ろは、印籠いんろうのことと……あと、家の中のもののいくつかの、説明と……あの陣の説明か?」
「ちょい、これに書き出せます?」
 千理が紙を渡してくれ、頷いてページを捲りつつ書き出した。思ったより文章量が多く、苦い顔になるも書き写す。
「書く場所も真似たほうがいいか?」
「いんや、メモの場所は深く気にしませんよ。暗号文になってる感じの文章じゃなさそうですし」
「兄さん早計過ぎるんじゃ……」
 隻もそう思いはしたが、ひとまず走り書きで急いで書き上げる。行変えされている場所に念のためのスラッシュを入れ、陣はできるだけ丁寧に映す。

 召喚のための陣。東洋と西洋の魔術を組み合わせて作られており、多少複雑な形に見えるかもしれないが、これは必ずお前たちの目に触れると思う。
 この陣で召喚されたものは危険だ。出てきたものに狙われる前に必ず逃げる事。召喚されたものを戻す陣を描く事。
 召喚の陣の特徴は、中央にエネルギーを集めるような見た目をしている。召喚されたものを還す陣は、そのエネルギーを拡散させるような形にしてやればいいはずだ。じじいもついぞ、こればかりは作れなかった。
 その陣に触れたり、影響を受けたりすると、召喚されたものは還ってしまう。
 召喚されたものの甘い言葉には決して乗らない事。どんな事であっても、それは必ず身を破滅させるための戯言ざれごとでしかない。
 必ず、厳しい言葉にのみ耳を傾ける事。
 信じているものの言葉を大切にする事。
 一人だけで生きようとしない事。

 思わず手が止まったが、もうそれが最後のメモ書きだった。
 シャーペンを置き、言葉を噛み締めて。複雑な顔になる。
 なんで、見抜いたような言葉を。
 千理に渡し、隻は詰めていた息を吐き出した。階段が軋む音に、入り口のほうへと目を向け、少し目を擦った。
 結李羽の輪郭が一瞬だけぼやけて見えたのだ。薄暗い室内で書面を見続けたからだろう。
「どう? 終わった……? わっ、中こうなってたんだ……」
「ああ。あと、部屋の中のものの――あの刀、短いほうは妖に反応して、長いほうは人に反応するんだと。反応するものと反対のものだけ斬れる――って、あべこべすぎるだろ!」
「うん本当。それ多分護身用っすね」
「刀の形状が詳しく知りたいです……!」
「……絵心なくてごめん」
 泣きたくなった。貯金箱の中には、小遣いではなく銀色の輪に常緑色のビー玉をめこんだものが出てきた。丸い石ころは手に乗せた途端、鈴のような音が響く。
 オパールの原石に目を留めると、中で何かきらめきが形を変えた気がした。ノートに目を落とすと、部屋の中のものにそれぞれどういうものか説明が書かれてある。
「土台つきのオパールは……あった、『とりあえずもらってみた』ぁ!? 雑かよ!」
 生暖かい空気が流れた。苛立たしげに次のページを捲ろうとしたとき、ふと文章の最後に気になるものがあり、目を留める。
「――千理、十一月十三日だよな。誕生日」
「え? あ、はい、そうっすけど」
「やる」
「はい!?」


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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