『隻へ……いや、隼かもしれないな』
祖父の字だとすぐに気づいたのはどうしてか、自分でもわからない。
記憶の大半の祖父は隼と一緒にいて、書いた字を見た覚えがなかったのだから。
『どっちがこの手紙を読んでいるかは、私にもわかりません。書き出す理由も、
こんな文章を書く人なんだと、こんな字を書く人なんだと……初めて知ったはずなのに。
『不思議な事に、今日夢を見ました。ただの夢だとお前たちは笑うかもしれない』
声に出しながら読む隻の口が、ぴったりと閉じられた。
だが、中々どうして、現実味がある夢だった。隻か隼か、私にとはとんとわからなかったが、大人のお前たちがそこにいて、沢山の人と一緒にいた。じじいの友達の猫も鴉もそばにいてくれた。
これが、手帳を書いた理由です。
「――隻さん?」
翅に声をかけられて、ようやく隻は少し口を開いた。
手紙を書いた理由を、そっと伏せて。
二人の名前をわざと隼とだけ呼び続けたのは、私の言葉に制約があったから。そう言い訳させてください。隻という名を
けれどこの先何が起こるかわからない世の中に、少しでも、お前たちの生きる術を記しておきたい。そう思い、万が一に備え、霊視能力を持って生まれた誰かを助けられるよう、このノートともう一つ、手帳を
これは霊視能力者には見えないものです。不思議なことに、霊視能力者にしか見えないものがあるように、霊視能力のない人にだけ見えるものというのもあるんだね。じじいは六十過ぎて、初めてそのことを知ることができました。
手帳と
「平成八年十一月十三日……」
「オ、オレの誕生日と被ってるんすけど……」
目を見開いた。
隻の動揺に気づかなかったのか、隼は「多分偶然だろ?」と千理へと返していた。頭を少し掻いてから、彼は顔をしかめている。
「じいさんが死ぬ半年ぐらい前か……続きは?」
「……後ろは全部、変な図式だったと思うけど――」
はらりとページを捲り、隻は固まった。
図式は全て、整頓されたメモだった。
「……出会った全ての
「霊獣!?
ページを
最初に載っていたのは、地獄の鬼のこと。
地獄の鬼は、地獄の三色と、それを混ぜたてできた黒。いずれかの色をしている。相次郎を
……一瞬隼に通じるプレイボーイかと思ったし知りたくもない。続きを読もう。
鬼は大抵
そして鬼には人に憑くものもいる。事情は様々だ。だから、それがどういった鬼か必ず見極めて動いてほしい。
家に幸せが満ち足りると、座敷童も幸せになる。そうすると、どこか別の家に向かうか、成仏する。その時は、その家庭が円満に終わってくれる暗示でもあるから、そっと感謝を示してやってほしい。
河童は東北の出身。川で遊ぶ人間の足を引っ張る悪そうに気をつけること。皿が乾いていたら水をあげれば、お礼にその川の魚をくれることがある。
白尾ノ鴉は、家にいる奴はとても紳士で世話焼き。たまに庭のバッタを捕まえて食べている。牛乳にパンを入れたものをあげるととても喜ぶ。最近は贅沢に、ハムが入っていると嬉しいとか言うが、極たまに上げる程度にしないと太る元。気をつけるように。
次のページは――
捲ると同時、目に入ったのは三毛猫の絵だった。はっとして周辺を探すも、求めた猫の姿は見当たらない。
……幻生の体だからか。
「隻さん?」
「ちょっと待った。まだ読んでる」
この近所にずっと住んでいる野良の三毛猫は、私の古い友人だ。浄香と言い、前述した妖怪たちにとても詳しい。かつて私を助けてくれもした、心優しい人だ。
彼女は理由があって、今もこの姿のままだと思う。もし彼女のことが見えるようになったなら、たまに話し相手になってやってほしい。
好きなものは、ハムとチーズと、白身魚。薄切りのハムをあげると、素直じゃないから口が悪いが、嬉しそうに食べる姿が目に浮かぶ。
彼女がいてくれなければ、
「――浄香」
浄香の声は、耳には響いてこない。
けれど隻は、思わず笑んでしまった。
「じじい、あんたに滅茶苦茶感謝してるってさ」
尻尾を丸め、その辺で寝転がっている浄香が、一度尻尾を左右に振るように曲げ返した姿が目に浮かんだ。
同じ姿を、あの祖父も思い描いていたのだろうか。
万理がノートを覗き込んできたも、やはり内容は見えないのだろう。戸惑うようにこちらへと目を向けてきた。
「何が載ってたんですか?」
「まだ途中だけど、ほとんど幻生の特徴だな。あと――後ろは、
「ちょい、これに書き出せます?」
千理が紙を渡してくれ、頷いてページを捲りつつ書き出した。思ったより文章量が多く、苦い顔になるも書き写す。
「書く場所も真似たほうがいいか?」
「いんや、メモの場所は深く気にしませんよ。暗号文になってる感じの文章じゃなさそうですし」
「兄さん早計過ぎるんじゃ……」
隻もそう思いはしたが、ひとまず走り書きで急いで書き上げる。行変えされている場所に念のためのスラッシュを入れ、陣はできるだけ丁寧に映す。
召喚のための陣。東洋と西洋の魔術を組み合わせて作られており、多少複雑な形に見えるかもしれないが、これは必ずお前たちの目に触れると思う。
この陣で召喚されたものは危険だ。出てきたものに狙われる前に必ず逃げる事。召喚されたものを戻す陣を描く事。
召喚の陣の特徴は、中央にエネルギーを集めるような見た目をしている。召喚されたものを還す陣は、そのエネルギーを拡散させるような形にしてやればいいはずだ。じじいも
その陣に触れたり、影響を受けたりすると、召喚されたものは還ってしまう。
召喚されたものの甘い言葉には決して乗らない事。どんな事であっても、それは必ず身を破滅させるための
必ず、厳しい言葉にのみ耳を傾ける事。
信じているものの言葉を大切にする事。
一人だけで生きようとしない事。
思わず手が止まったが、もうそれが最後のメモ書きだった。
シャーペンを置き、言葉を噛み締めて。複雑な顔になる。
なんで、見抜いたような言葉を。
千理に渡し、隻は詰めていた息を吐き出した。階段が軋む音に、入り口のほうへと目を向け、少し目を擦った。
結李羽の輪郭が一瞬だけぼやけて見えたのだ。薄暗い室内で書面を見続けたからだろう。
「どう? 終わった……? わっ、中こうなってたんだ……」
「ああ。あと、部屋の中のものの――あの刀、短いほうは妖に反応して、長いほうは人に反応するんだと。反応するものと反対のものだけ斬れる――って、あべこべすぎるだろ!」
「うん本当。それ多分護身用っすね」
「刀の形状が詳しく知りたいです……!」
「……絵心なくてごめん」
泣きたくなった。貯金箱の中には、小遣いではなく銀色の輪に常緑色のビー玉を
オパールの原石に目を留めると、中で何かきらめきが形を変えた気がした。ノートに目を落とすと、部屋の中のものにそれぞれどういうものか説明が書かれてある。
「土台つきのオパールは……あった、『とりあえずもらってみた』ぁ!? 雑かよ!」
生暖かい空気が流れた。苛立たしげに次のページを捲ろうとしたとき、ふと文章の最後に気になるものがあり、目を留める。
「――千理、十一月十三日だよな。誕生日」
「え? あ、はい、そうっすけど」
「やる」
「はい!?」