「誕生石なんだと。誰かいたらやれって書いてある」
『きっと悪い力を払ってくれる』――か。
この手帳の日付も、オパールも。偶然とは思えない。
言葉を飲み込んで千理にオパールを押し付けて手に握らせると、千理が目を見開いた。
「うっそい……そっか、隻さんが認識してるからこれ以上食い込まないんすね……兄煩いっすよ――いだだだやめろっての!!」
後ろで何か騒いでいるが、無視。
丸い石ころは守り石。家を守っている石だから、これは持ち出し厳禁とのこと。そっと元の場所に直し、優しく撫でてやった。
桜の花のほうは、
貯金箱の中にあった銀輪つきのビー玉は、自分が今見ることのできない世界を覗くためのものだとか、どうとか。
ひとまず手の平に乗せていたビー玉を摘み、覗き込んでみると、いきなり目に飛び込んできたのが海理なものだから悲鳴を上げて
「お前まで覗き込むなよ海理!!」
「オレ殴られた意味ある!? ――れ? もう薬の効果切れ始めたんすか?」
首を振り、ビー玉を見せた。千理が手にとりしげしげと眺め、虫眼鏡のように覗き込んで部屋を見渡し、歓声を上げている。
「すっげえ、もしかして一般人の視界が見えてる!? 部屋の中のものとっかえひっかえになってますよ! 万理、ちょいこれ見て、すっげー面白いっすよ!」
「……自分が見えていない世界を見せるビー玉って、本当のことだったんだな」
万理も感嘆の声を上げている。目を見開いて食い入るように視界を回す少年は、年相応に戻ったかのようで微笑ましく映る。うずうずする悟子に、万理が笑って順番を譲っていた。途端に目を輝かせてビー玉の向こうの視界を堪能している彼らに、隻はぽかんとした。
貯金箱は見えなくても、ビー玉は見えるなんて不思議だ。貯金箱が隠していたから、ビー玉も見えなかったのだろうか。さらにノートを読み進めてみよう。
「刀ってこれですね? ――『
「いえ、初めて聞きます!」
振り向かなくてもわかるほどに、目が輝いているんだろうな。
結李羽が不安そうに近づいてきた。
「『景霞の太刀』……?」
「そこの刀かける場所にある刀なんだけど、やっぱり見えてないか」
「うん。刀、それだけじゃないよね?」
頷いた。記述の中には別の刀もあると書いてある。机の後ろ、壁との隙間にひっそりと置いてあるらしい。取りに向かおうとした時、ふと足が止まった。
――それだけじゃないよね?
「隻くん……?」
……気のせいだ。きっと結李羽は、他に刀があったらいけないからと聞いただけのはずだから。
一瞬早まった動悸をごまかすように、ノートへと目を落とした。
「――面倒なところに入ってるな。後で出すか。あと……」
ページを捲り、目を見張った。
「……その
「え?」
悟子が耳を疑うように聞き返してきた。隻は続ける。
「想い
――どういうことだろう。
さっき書いてあった、行くことが叶わない神社の記述にしては、なんだか妙だ。
神社の守り主の名は――
「
なぜすぐに結びつかなかったのだろう。浄香に案内されて着いた神社で浄香と相次郎が再会したのだから、留華蘇陽の神社のことが書かれていて当然だったのに。
そういえば、あの神社は五月だったのに桜の花が咲き誇っていた。留華蘇陽が言った桜はもしかして。
印籠をポケットから出し、紋様を見やる。
桜。
棚に飾られた、枯れてもいない枝付きの花も、桜。
「そういうことかよ……!」
だからあの女性は、役に立つと進言してくれたのか。
隻が相次郎の孫だと気づいたから。浄香を守る印籠を、自分が持っていたから。
浄香と留華蘇陽は知り合いだった。そして間違いなく相次郎も。でなければ印籠もこの桜の枝も、ご丁寧に用意されるはずがない。
けれどどうやって行ったのだろう。恋仲の男女が待ち合わせない限り行けない神社なのに。祖父と祖母は見合い結婚だったはずじゃ――
言葉が途切れた。もう、随分と発していなかったような気もするけれど。
納得してしまう以上に、何かが胸を
「――隻さん」
悟子が不安そうに、言いづらそうに、隻の足元を見て声をかけてきた。
「浄香さんの言葉、伝言します。――『もう終わった話だ。あれは奥方のことを、確かに信じていた』」
何を見ていたか、何に気づいたのか。バレてしまったのか。
隻は悟子が向けていたその場所に目を落とし、力なく笑った。
別に、祖父が昔誰に恋をしていたとか、そんなことにショックがあったわけではない。
ただ――そう。祖父を最期まで、ずっと見守ってくれていたのは彼女だったと、気づいたのだ。祖母は先に亡くなっていたから。
どれほど時間が経っても、印籠の件があろうとなかろうと。
祖父を、息子家族である自分たちよりも見ていたのは。彼の理解者だったのは。
彼女だったはずなのだ。
ノートの先頭、祖父の手紙を読むに、晩年の彼は幻生を見れなくなったのだろう。それでもなお
この家に鴉石と羽根を置き、
「……バカだろじじい……礼、まともに言ってるのかよ」
自分を庇ってくれた地獄の鬼に。白尾ノ鴉に、留華蘇陽に。
そして何より――
悟子がぽつりと、教えてくれた。
「言うどころか、近くにいたのを知っていて、笑いながら最後に『ネズミならそこにいるぞ』って言ったらしいですよ。……浄香さん、ネズミ嫌いなんですね」
ぶはっ。
数人分の吹き出す音が響き、隻も肩が笑ってしまった。
だからか、猫に化けてるの!
「――ありがとな、バカ猫」
「あっ!? ……あ、あれ? 隻さん痛くないんですか?」
「は?」
悟子と万理が、そろそろと視線を逸らした。
……引っ掻いたか噛み付かれたかしたのだろうか。
「おーう、じゃあよろしくな、親父」
合計九人。天文台に行くにしても人数が多いと頭を悩ませていた隻に、何故か父と隼が運転手を買って出てくれた。父が動くと聞いて慌てて顔を上げた隻だが、電話を切った隼は呆けた顔だ。
「伝言でもあったか?」
「伝言も何も、親父仕事明けで疲れてるだろ!? 運転手させるなよ、俺がやるから!」
納得したように何度も頷く双子の兄に頬がぴくりと持ち上がる。なのに、隼は真顔で一言物申してきた。
「お前免許取った後から一切乗ってないだろ?」
……ペーパー、バレてた。
隼の運転技術に疑心の目を向ける翅たち。その一方で、万理がそわそわとしていて、いつきが意外そうな顔で彼を見やった。
「どうした?」
「……そ、その……この近く、コンビニありましたっけ?」
「え? ああ、出て左に真っ直ぐ行けば――あ」
「ありがとうございますちょっと行ってきます!!」
言うが早いか、飛び出していく万理。千理がぽかんとする中、響基が慌てて追いかけていく。気づいた隻といつきと悟子、遠い顔。
乗り物酔い、しやすいのか。
悟子と万理は父の車のほうがいいだろうか。でもあの車、確か……タバコ臭いから、乗り物酔いしやすいなら余計吐きそうだけれど。
車を取りに行った隼は、レンタカーで戻ってきた。その間に万理は隠れて酔い止めの薬を飲もうとしたのに、心配した響基の視線で一番ばれたくなかった千理に知られていた。
父の車のクラクションが聞こえ、一同揃って外に出る。戸締りは
浄香、海理、白尾ノ鴉は既に外に出たと、皆から教えられる。振り返った玄関は、奇妙なものの姿など一切ない、幼い頃見ていたそのままにすら映った。
――確かに、自分はこの視界で、これだけしかない世界で過ごしていたのに。
「隻さーん行くってさー」
「ああ――だからさん付けなくていいって言っただろ!」
翅に返しつつ、急いで向かう。
玄関の鍵を閉めた時、ふと声が聞こえた気がして振り返り――すぐに車へと急いだ。
気をつけろよ
――昔聞いたような、誰かの声を。
「暑い暑くないやっぱ暑い!」
「翅
「響基うるせえ」
「え!?」
「――って海理が」
「聞こえてたよ!!」
腹を抱えて「二重音声ー!」と笑い飛ばす千理と隼。
悟子が微妙そうな顔で、万理は無を貫く気か涼しい顔で、それぞれ隻の父へと礼を言っている。
年齢も立場も上なはずの連中はこの有様か。あいつらに恥ずかしいという単語はないのだろうか。
……隻も礼を言うより手を上げただけで終わらせたから、人のことは言えないか。