Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第11話「つかさ、訪れる」01
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「綺麗だったねー。ただいまー!」
 元気いいなとすら思うほど、結李羽の嬉しそうな声が艶やかさすら帯びて響いている。命の洗濯ができたかのような声音で、先に鍵を開けて中に入っていた隻は、隣で同じく靴を脱いでいた翅と吹き出しそうになるのを堪えていた。
 結李羽も落ち着きのなさが随分と治まったようだ。未來も結李羽に賛同するように「楽しかったですね」と、つやつやとした声と顔。やはり命の洗濯をプラネタリウムでできたような顔で。
 悟子といつきがいそいそと中に入り、途中でコンビニにて仕入れた電池を開けている。居間に座って早々、もらった小型プラネタリウムの準備を開始している。
 万理は分光器を嬉しそうに持ち、衝撃を与えないよう動きがゆっくりしている。隼だけは、手に虚しくカエルの玩具を乗せて、手の中の袋を潰したり戻したりして、カエルを暴れさせていた。
「……おれさあ。この歳にもなってこれもらうとか想像できなかったんだけど」
「よかったなーいい思い出ができて」
「カエルのおかげで楽しい気分もリターンしたぜ綺麗に。カエルなだけに」
「その調子で家に帰って話せば? 親父が先に話してそうだけどな」
 土産にと渡した宇宙食を手に。
 目の前の翅と同じように、腹を抱えて母が笑っている姿が容易く想像できた。隼にジト目で見下ろされつつ、その隼の携帯にちゃっかりキーホルダーがつけられているのを見て、思わず笑う。
 子供っぽい土産だったかと考えていたが、まさかもうつけていたなんて。
 早くも電気を消せと千理に命じるいつきは、まだ中に入ってすらいない隻たちのことも忘れて家庭用プラネタリウムを起動させてようとしている。万理が苦笑している。
「布団に入ったほうが、全員綺麗に見れると思いますけど……」
「あっ、そうですね。じゃあ先に」
「風呂ならそのままだろ。種火付け直して入りたい奴から入ってこい」
「よっしゃいっちばーん!」
 ……。
 千理の元気な突撃に、全員が沈黙した。
 いつきがそわそわして落ち着かないのを見て、万理が分光器を渡している。白熱電灯の光の色が分かれて見えるのか、いつきの口が嬉しそうに開いた。
「写真でしか見たことなかった……!」
「僕もです。太陽の光だと綺麗に分光されますから、また明日一緒に見ませんか?」
「見る」
「万理さん、ぼくも見せていただいていいですかっ?」
 はしゃいでいる。大人一人と子供二人が。
 悟子も頬が染まっており、子供らしい様子に結李羽と未來が微笑んでいる。隼がまだ虚しくカエルの玩具を暴れさせており、響基は――縁側で涼んでいる。
 近づけば、耳を澄ませていた彼は「ああ」と笑って、こちらを見てきた。音だけでもう、誰か判別できるのは響基の特技だろう。
「ありがとな、付き合ってくれて」
「こちらこそありがとう。楽しかったよ」
 やや意外な返答に驚いたも、やられたと笑う。隣に座り、響基の真似をして耳を澄ませてみた。
 ――虫の鳴き声が、庭からする程度。後は遠くの、車の音ぐらいだ。
「……レーデンにいる時より、車の音凄いな」
 東京に住んでいた間は当然の音だったのに。改めて聞くと、その量はあからさまに違う。
 気づくのも、こうやって耳を澄ませていなければ忘れてしまうほどなのに。
「そうだな……これもこれで綺麗だからいいけど、やっぱり京都の音のほうが落ち着くなあ」
「言えてる。あっちのほうが静かに本読めるし」
「ははっ、隻さんらしい」
「だからさん付け」
「あ」
 また二人で笑った。翅がどうしたと近づいてきて、二人揃って笑いながら「音の話」と言えば、ぎょっと固まられてしまった。
 ……間違ってはいないのだけれど、この沈黙はなんだ。
「そっか。うんそっか……」
「翅……? 勘違いしてないか、その言い方」
「だって隻さんがついに響基の話についていけるようになったと思うと」
「俺の耳がいつそこまでよくなったんだよ。京都と東京じゃ音出してるものが違うなって話だって」
「それついてってるだろ。隻さ――隻も耳よかったりして」
 いつきと同じように睨めば、翅がああと気づいて直してくれた。響基が隣で苦笑いしているそば、肩を竦める。
「いや、聴力検査でそんなによくないって言われた。東京育ちの代名詞だよな、ある意味」
 翅がぐさりときた顔をしている。同じ東京で育った側だからか、よくこたえたのだろう。響基が遠い顔をして、ふと翅へと見上げている。
「そういえば話してないんだっけ? 家のしきたり」
「しきたり? ……ああ、奏明院のか。多分言ってないんじゃね」
「しきたり?」
 尋ねれば、響基が頷いている。目を指して。
「俺の家、奏明院家は音に特化するために、目隠しをしてたって言っただろ? 目隠しは基本的に幼少期からずっと、次期当主になるまでする必要があるんだ。次期当主以外の人は成人するまでだったかな。原則で介助は一切なし」
 絶句した。いくらなんでも、それを小さい頃からずっとだなんて。
 家のしきたりで、目よりも耳を尊重するのはわからなくはないけれど――あ。
「……響基、もしかして家、音楽家だったりするのか?」
「うんそう。弦楽器が主で、他にもピアニストとかの人もいたかな。調律師もいて、祖母ちゃんと母さんは国内から集まってくることの修理をしたりとか……家の半数以上の人がオーケストラなんかの楽団に入ってたよ」
 隻は圧倒されかけ、「はぁ」と生返事がやっと。翅が吹き出し、むかっ腹が立って睨みつけるも、余計笑われた。
「響基の家って凄すぎて、最初は実感沸かないよな……ぶはっ」
「納得できるんだけどなっ。くっそ毎回笑いやがってお前!」
「いやだって、多分隻さん、響基の琴聴いたらどんだけ驚くかと……」
「驚く前に録音準備する」
「隻さん!? ――ごめんごめんさすがに敬語のこと忘れるよ!?」
 翅が腹を抱えて縁側に転がり、隻も床を叩いて大笑いしていた。響基だけはなんともいえない顔で「俺いじられる運命? 今日」と嘆いている。やっと笑いを治めた隻は、響基ににやりと笑う。
「今度頼むな」
「え? 何を?」
「琴。教えられたら聞いてみたいだろ。な、ユリ」
 声をかければ、結李羽は笑顔で振り返って、隼と一緒に「うんっ!」と元気な一言だ。隻が冷めた目で調子のいい隼を見ると、さっとカエルの玩具を暴れさせる彼に、全員が笑い転げた。満足げに頷く隼は、カエルを持ち上げている。
「いいなこれ。気に入った」
「真顔でボケるにしても程があるだろ」
「いや事あるごとによさそうじゃん? 例えば今みたいなの。冷めた目で見ていた人まで笑いに変換できるぜ」
「隻……隼さんの武器ってあれでよくね?」
「無抵抗の中の抵抗ですか……っ!」
 あ、万理も沈んでた。
 その万理の傍、やっと起き上がってきた悟子は一言。
「それが武器で通じるのは翅ぐらいしかいませんよ」
 翅、バッターアウト。
 千理と交代で重たい空気を背負った翅が風呂に行き、見送った千理はといえばぽかんとした顔。
「どうしたんすかあれ」
「自滅した」
 神妙な顔で頷く千理であった。


 夜は騒がしかった。常に十時就寝の万理と同じく、隻は割と早く眠気に負けた。プラネタリウムを鑑賞してはしゃいだいつきと悟子と結李羽が寝たのもぎりぎり覚えている。
 残りの男組は毎度恒例の枕投げ合戦をして、万理にうっかり投げつけて幻術で脅されたりもしたような。
 起きてみれば、朝日がそろそろ顔を出す頃合なのだろう。空が白んでいる。時計を見ればまだ六時ではないか。
 もう一眠りしようかと目を閉じかけ、隣で寝ていたはずの万理と、斜め向こうで寝ていた千理の姿がないことに驚いて起き上がる。
 ――千理は度々、一人で自主練していたのを見かけていたが……あ。
 よくよく見れば、蹴飛ばし積み上げられた毛布が他にも、一枚。もう一枚は丁寧に畳んである。
 布団を使っていた主は――どちらもいない。
 明らかに、翅と響基だ。
「あいつらこんな早くから……もう少し寝ればいいのに……」
 だめ、睡魔のほうが強い。寝る。
 頭を枕に置いた、次の瞬間。
 カタリと、物音がした。
 あまりにも静かな音で、響基が帰ってきたのだろうと納得して毛布を被り――直そうとして暑さに負け、弾き飛ばした。
 廊下のやや軋んだ音に目を開け、ふっと視線を動かし、目を見張った。
 廊下は軋んでいる。なのに人影がない。翅はいないし、誰がやりそう……問答するまでもなく一人いる。
「千理食事抜くぞ!」
 叫ぶが、反応なし。
 ……バカにされてる……!
 軋む音、軋む音。
 確かに廊下からするのに、見えない。目が据わって起き上がり、枕を用意した。
 ふすまが、開く。
 即座に投げつけたも、枕は廊下の雨戸を強く揺らしただけで終わってしまった。大きな音に数人がびくりとして頭を上げたが、全員まどろんですぐに夢の中だ。
 ……起きろよ。
 逆に起きろよ。
 危機感ないだろ起きろ――!?


ルビ対応・加筆修正 2021/03/22


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