ダンッ
強い音と同時、喉が圧迫された。目を見開く隻の体はそのまま毛布の山に落ち込む。小さな音が立った程度で誰にも気づかれない。
詰まる息に焦り、手探りで圧迫するものを探そうとするも、ない。喉にだけ締め付けられるような苦しさが押し寄せる。
結界は――!?
見えない。布が邪魔で壁が見えない。なんとか毛布を叩いて音を立たせるも、それだけで起きる連中でもないことに憤慨して拳を布団に打ちつけた。
……起きろよ!!
頭が
ポォン
音が、響く。
一つの音がいくつも連なり、音と音が重なり、旋律へと姿を変える。
なおも首が絞まったまま動けない隻は、口の中から必死に空気を吐き出し、吸い込もうとして――力が抜けた。
「百鬼よ
聞き覚えのある声が――
「ここに留まること許されず」
パタタッ
毛布に、何かの音が響いた気がした。すぐに首から圧迫がなくなり、咳き込んで必死に息を吸う。
霞んだ目で周囲を見渡せば、響基と万理が隻よりも上の中空を見上げているではないか。
何が……いる……?
「いつき兄さんの結界を破るなんて……名のある鬼とお見受けします。何者ですか」
「……みんな睡魔に襲われてるな。道理で起きないと思ったら!」
力強く、弦から音が出た。
びくりと飛び上がるように起きる悟子と結李羽、未來に、隻は苦い顔になった。
この中でも縛睡しているいつきと隼は、つまり……
本気で寝てただけ。
「ど、どうしたんです? お二方……あっ」
未來が顔を青ざめさせている。やっと呼吸が元通りになった隻だが、体に力が入らず腕が震える。結李羽が顔を引き
「せっ……! あなた何、何したの!?」
声が、聞こえない。耳を疑い、はっとした。
まだ薬が切れてないのか――!?
首を絞めてきた相手が見えなかったのも、もしかして薬が中途半端に効いているためか。
悟子が隻の前に立てないまま、警戒心を隠せず、爆睡し続けるいつきと隼を守るように構えている。手には――何かを持っているのかわからないけれど、あるのだろうか。
万理へと目を向けた途端、ぎょっとした。
姿がない。隣は――響基もいない。
「万理、響基!?」
「落ち着いて、衣を
忘れてた――!
先ほどは衣を纏わなくても出せる幻術で琴を出していたということだろう。本気を出すなら衣を出したほうが楽だと言っていたのは、確か千理だったはず。
辺りを見回せば、結李羽が術を紡ごうとして――避けた。未來も姿を消し、少しして結李羽が頷いたのがわかった。誰かの合図を受けたのだろうか……わかりづらい。
邪魔にならないよう動こうにも、絞め殺される寸前まで追い詰められていたせいで体が重たい。
悟子も衣を纏っているのか姿がなくなっている。ガラスが音を立てて一枚吹っ飛んだような気がしたのに、見ればガラスはそのままという状態に頭が混乱する。
無理、なんだよこの現状……!
何が起こっているかはわかる。戦闘だ。状況が見えないとここまで混乱するなんて思いもしなかった。衣を纏っていない結李羽だけ見えているけれど、他の全員の姿はもう、煙に紛れたように消えている。
庭で土埃が舞った。一度、二度。砂を蹴散らすように、朝の中土の粉が躍る。
縁側の床が軋む。
天井に力強く打ちつけられるような音が響き、布団の開いた場所に落ちた。衝撃でやっと隼が起き、目が開くと同時に青い顔で悲鳴を上げ「いつきいいいいいいいいいいっ!」と抱え上げながら廊下に飛び退く。不機嫌顔で起きたいつきがすばやく隼を蹴飛ばして自分で立ち上がった。
「邪魔だ退け!」
「……な、何この仕打ち」
結李羽が顔を青くした。
「し――沙谷見くん、鴉さんと一緒にいて!」
「よ、よしわかったどっちが!?」
「あ、う……どっちも!」
無理!
片や玄関、片や動けず居間だ。いつきが
……見えない。
正真正銘見えない。
口も鼻も塞がり気味だし邪魔。
「いつき……っ」
「しばらく我慢してろ!」
最後に起きたくせに!!
不意に近くの壁に何かが叩きつけられたような音が響き、びくりと顔を向けた途端、真後ろの毛布に何かが鋭く埋まった。
ぞっとして顔を向けるも、何もない。何もないのに勢いよく何かが過ぎ、背筋が粟立った。
「隻くん!!」
じゃらっ。
目の前を駆けてきた女性の周辺に、一瞬黒い大きな数珠が浮かんだ。勾玉も黒く塗り上げられたそれを確かに見たはずなのに、愕然として瞬くと同時、結李羽の姿が掻き消えている。
目の前で、何かがまた庭へと吹っ飛んでいった。
土埃が立つ中、外から声が聞こえてくる。
「
聞き覚えのある少女の声。
「八方位、
土埃が、地面を
一瞬空が陰ったかと思えば、しばらくして溜息を吐きながら、瞬きと同時に翅たちが姿を現したのを視界の端に捉え、ぎょっとした。
「な、なんだったんだよさっきの!」
「俺の結界が破られた……!」
「回答どこ行った!!」
「鬼ですね」
単刀直入に返す声は、千理のもので。いつからそこにいたのだろう。疲れた顔で布団に転がっているではないか。
「鬼も鬼、すんげー面倒くさい
「言い訳にする気はない」
「――学校に出てくる連中に備えてた結界がかなり効力なくしてる……」
「幻生の出入りがここのところ頻繁でしたからね」
万理も玄関に靴を置いていたのか、苦い顔で戻ってきた。それぞれぐったりした様子で戻ってきた中、隼だけ庭のほうを見やって言葉をなくしている。
「
一昨日の夜、中学校で遭遇した八占兄妹の妹が、無表情のまま庭に姿を現した。手には八卦模様が何度も重ねられたような、複雑な紋様を中央に据えた羅針盤を手にしている。
「あー驚いた」
「その顔で言われても驚いてないだろって思うんだけど」
「翅が言いますか……」
え、と真顔でとぼける翅は台所。響基が士の手にある羅針盤を見て表情を鋭くさせた。
待ったお前のそれ怖い。
「それ、もう仕舞っていいだろ」
「そう? 奏明院の意見って思えないわー」
響基が言葉に詰まっている。いつきも苦い顔だ。
「それは俺たちの領分だ。八占に首を突っ込まれる筋合いはない」
「八占に首を突っ込まれてもしょうがないぐらい気づいてなかったの、どっちだっけ」
ぐさっ。
固まるいつきに、隻ははっとした。
結李羽の姿が、ない。さっきとまるで真逆だ。
「おい、結李羽は?」
「うんここの」
士が目を羅針盤の上に落とした。ぞっとした隻は、羅針盤の上を凝視するも、見えない。
「――力使って、今鬼を封じてる。片方封じ損ねて逃がしたけど」
紛らわし――!?
ふと気づいた。
今、なんて言った……?
「……何言ってるんだよ、俺が聞いたのは鬼じゃなくて、ユリ――」
「先輩鈍いわ。ていうかみんな」
さっくりと言われる言葉が、異様に突き刺さる。
常に据えられた目が、隻を射抜いた。
「幻術使いなら、こういう話も聞いたことあるって思ってたんだけど」
聞いたことは、ある。あるけれどそんな、あまりにもご都合が過ぎるではないか。
鬼は大抵悪戯好きで、とてもはた迷惑なことをすることもあるが、構ってほしかったり、人を食べなければ生きて行けないもの。人に怨みを抱いているものもいる。
そして――
「鬼の中には」
違う
知ってるけど、わかってるけど、違う
結李羽は――
「鬼の中には、人に憑くものもいる」