「それで、
「あーどーも。忘れそうだったわー」
麦茶を受け取りながら、結李羽の件を諦めざるを得ないような声音の士は、ふうと溜息を漏らしている。
「
「飽きた!?」
「……いいけど、もう母さんたちの姓も変わってるし、俺的には微妙」
「そう?」と翅の心知らずな士はやや冷ややかな声で。結李羽を滅するのを諦める代わりの八つ当たりに近いのだろうが、結李羽は不思議そうな顔だ。
「翅くんに用だったの?」
「うん。あと……
「たぬっ!? なんであんさんまでそれ知ってるんすか!!」
「有名だから」
千理が茶卓に潰れたのは言うまでもない。翅がぶっと笑った。
「奏明院御当主にちょっとお願いがねー。貸し作りたくないんだけど――そういえばそこの子、レーデン家当主候補?」
「――はい。京都本家当主候補、四男万理です。挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。お見知り置き願います」
まだ士に対して苛立ちがあるようだが、それでもきちんと頭を下げる万理の表情には、怒りの欠片も覗いていない。礼儀正しい挨拶と頭を下げる姿勢に、士はげんなり顔。
「あーうんありがとう。でも固いの苦手だから、立場はともかく敬語とかは止めて。それに今回家の関係で頼みに来たのとはまた違うの。バカで浅はかで無礼講な兄がねー」
……。
…………。
……………………あれ?
「なんだろう、あいつのこと今聞きたくないなーって凄く思ってたのに、士の無礼三昧な呼び方のおかげでもういいやって思えてきた」
「翅……」
「オレもオレもー。で、その兄ちゃんがどうしたんすか?」
「怪談に喰われちゃってねー」
ずずっ、ふぅ。
コト。
「って軽く流す!? そんな軽い言い方でいいの!?」
「
「いやそういう問題じゃない!
「響基
ピシャンと怒鳴るいつきの声に、士以外全員の背筋が一気に伸びた。
……当主が当主に怒鳴った。だと……。
「ご、ごめん」
「そう思うなら口閉ざしてきちっと座ってろ。大事な話だからわざわざ来たのは目に見えてるだろ。お前にも用があるって言ってた言葉が聞こえなかったのか?」
「は、はい」
小さくなる響基は顔が真っ青だ。小さく口が動いたにも拘らず全員内容を聞きとれた。
「ばあちゃん思い出した……」
千理と翅が吹き出した。……色々突っ込みたいが話がまた逸れるので放置。
「……怪談に喰われたの、いつ?」
「今日の明け方手前だね。で――うん、多分怪談騒動の根本見かけたんだけど……そいつの顔見えたの萌だけでねー……あたしは普通に門
士――先輩
「――って声が聞こえて、えーって思って振り返ったら」
「……そのノリで振り返って、いなかったんだな」
「うん。緊迫してた声だったから、あ、これ喰われたなって思ってね」
千理が無言で士を見やっている。万理が苦い顔をしているではないか。
「……助けるんですよね?」
「……まあ、できたら? あいつも自業自得なところあるし、ちょっとやそっとじゃすぐ殺されないでしょ。だけど、夜明けてから行ってもいなかったし、連絡来ないしねー。だから隼先輩と――なんでか知らないけど、隻先輩も今視えてないんでしょ。なら二人匿っといて。学校、こっちいる間は入らないどいてねって言おうと思って」
「待ってください。僕が聞いたのは萌さんを助けるかどうかで」
「助ける気はあるよ。けど、萌ならこう言うと思ってさ。『味方を助けるために状況を見失うような真似するな』って。――あいつは、残念な頭しすぎてるからね。助けられるぐらいなら自力で出るし、自力で出られないならそこまでって考えしてるから」
本当に残念すぎる。どこの江戸の武士だと、隻は頭を抱えそうになった。
今は江戸か。江戸の「御用だ」という声が響く時代か。
「殴り飛ばしに行かせろ」
「――先輩、自分の状況考えてほしいんだけど。あたしたち総動員しても、今の先輩たちは守れないよ」
隻は苦い顔になるも、輪がついたビー玉をポケットから取り出す。
「こいつ使えば幻生は見えるんだ。だめか?」
「あのね、往生際悪い。しつこい」
本日二回目の単語だななどと思っている間に、士がジト目で睨んでくる。
「それ、鏡を介して向こう側を覗くのと一緒でしょ。目、取られるよ」
翅が耳を塞ぎ、隼が顔を引き攣らせ、未來はそっと青い顔で視線を逸らした。
「せ、隻さん目なくなったら隻眼だよまた隻入るよ……! 隻さんかける二乗だよ!」
「おい」
ドスの効いた声を出すも、いつきは平然と考え込んでいる。
「……結界を張ったまま移動はできないからな……っち、面倒な」
「ですが、隻様は前回学校に潜入された際、襲われなかったんですよね?」
未來に問われ、頷く隻。
「襲われたのは隼のほうだぞ。俺は」
「今回も大丈夫って保障ないから言ってるの。あたしは相手の正体知らないけど、知ってるからここに伝えにきたと思われても不思議じゃないよ。何が後をつけてるかわからないなら用心に超したことはない。これは正しい考えだと思うけど」
「正しいな。前回は顔を出さなかった相手が、今回は顔を出した。てことは、本気で動き出したか、違う手で来たか……どっちにしろ両方近寄るべきじゃない」
千理が悔しそうに自分の手を見下ろしている。溜息をついて弱ったように天井を見上げる彼は、「
「――怪談相手には通じない刀でしたけど、素手や雷駆に憑依するだけじゃ、ちょっと……怪談を潰しつつ
「刀折れたの? じゃああんたも保護対象? お守り増えるわー面倒」
ぐさあっ。
千理がぱったり、横に転がった。沈黙した灰色はいつきに渋い顔をされ、翅は頭を痛めたように唸っている。
「……分割したら間違いなくやられる。それに千理が来れないのはかなり痛いし……さっきの鬼が刺客とも限らないもんなー。士の所属は?」
「夜。
何があったかは知らないが、翅は棒読みで「あーそうだったそうだった」とぼやいている。隻眉根を寄せて唸った。
「……なんとかなる方法ないのかよ……」
「……今回は大人しくしたほうがいいかもしれないな」
響基の苦い顔に、悟子も黙っている。万理は思い出したように隻を見てきた。
「薬の効果は?」
「……浄香どこ?」
「……長いですね」
「むしろ長すぎないっすか? 隻さんかなり幻術使いの力強くなってたはずなんに、さっき白尾ノ鴉の声が聞こえたぐらいでしょ? それも一回」
千理が怪訝な顔。士は溜息をついている。
「どう転んでも隻先輩には来てほしくないわ。それは本音。隼先輩の兄弟だし。……片割れいないのってやっぱよくないよ。調子狂う元だから。あたしらもそうだもん」
「――伊原の弟は?」
士は首を振る。隻と隼は改めてメールを確認するも、そういうことはマメなはずの後輩から連絡が来ない。
「伊原先輩の弟さん、消息が途絶えてた場所はやっぱり学校付近だったよ。それも確認した。こっちの伝だけど。……怪談に巻き込まれてるなら、先輩には悪いけど、もう明日でタイムアウト。今日中に助け出せて、無事なら最高にラッキー。よくて意識の抜けた体が見つかるか、欠片が残ってるかだね」
士は微妙そうな顔。拳が固まる隻の手に、結李羽が手を乗せてくる。
「あたし、行ってくるね」
「はっ!? いやでも」
「地獄の鬼が憑いてくれてるもん、大丈夫。前回みたいに油断しなかったら平気だよ」
「あの手の怪談、
結李羽が不安そうに隻を見やる。隻はしばし沈黙し、士といつきを見据えた。
「昼は――今はだめか?」
「はいっ!?」
「じゃあ
「ああ、頼む」
昼の種族側である響基といつき、悟子が頷いて路地の向こうへと姿を消した。近くのコンビニに向かう振りをして、そのまま学校へと向かう隻たち。
隼も元気に隣を歩き、士はうろんげな顔。正直二十歳になった女性のする顔ではない。
隻は冷めた目で隼を見、結李羽が不思議そうに周辺を見渡している姿にほんのすこしだけ笑った。
「そういえば、結李羽も連れて行ったことなかったよな」
「うん。でもあたしよかったのかな、衣で姿隠すほうに行かなくて……あ」
ぴちちっ、ぴちぴちっ
ちちちち、ぴぴっ、ぴちぴち。
雀の鳴き声に、千理が笑っている。万理は感嘆の声。
「本当に悟子の精神力って凄いな……」
「――だな。あ? 万理、お前敬語なしで喋れるのか?」
万理の目がきょとんとして、少し申し訳なさそうに視線をさまよわせている。
「……一応は。でも人と話す時は、こっちのほうが落ち着くというか……さすがに目上以外の人と話す時は、変に思われるかと思って、大抵敬語はなくしているんですけど」
……距離を開けられていたわけではなかったようだ。
「あ、悟子が青い鳥……えっと、カケスを俺たちの近くにつけとくってさ。連絡がとりたかったら近寄ってくれればいいらしいけど」
「わかった。無理しないように言っといてくれ」
「りょうかーい。だってさ悟子」
近かったのか!!
脱力する隻を皆笑い飛ばす。「右隣海理いるぞ」という翅の報告がむかつくも、歩く。
学校の怪談は主に、活性化するのは夜の間だけ。昼間であれば発生しないことは、翅たちにとっても盲点だったらしい。
幻生の中には活動時間が限られるものも数多く存在している。今回相手にするのが怪談で本当によかったようなものだけれど――
……そういえば一昨日行った時、教室の鍵かけ直したっけ。
顔が真っ青になった隻は、すぐにドアにかけられた南京錠の形を頭から締め出して道を歩いた。