Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第13話 02
*前しおり次#

 中学校が見えてくると同時、さっと隻の背中に回り込む隼の腹を肘鉄で打ち抜き、未來が苦笑いしている。
「来校者で名簿に名前を書くのは、どうしましょうか」
「俺と隼と……士の名前だけでいいだろ。卒業生って簡単に書けるし」
「うーわー先輩たちの名前が並ぶ第一号見るんだうーわー」
 真顔で言われて苛っと来てしまう。翅は口を押さえながら吹き出す始末。
 正面玄関に靴を置き、部活生の声が少ない日曜に来て正解だったとすら思う。顔が青くなっている翅を見上げ、怪訝な顔になった。
「大丈夫か?」
「え? あー……いや、全然」
 帰るかと尋ねても帰る翅ではないし、体調のことを今気遣っても、恐らくはぐらかされるだろう。ひとまず頷き、「無理するなよ」とだけ返して、後は未來に任せた。付き合いの長い人間が近くにいるほうが、翅にとっても安心できるはず。現に千理も心配そうにちらりと見やった後、未來に頼んでいる。
 名簿に名前を書いている間に、千理が寄ってきた。
「中学校こんな感じなんすね」
「……そういえばお前、小三で不登校だったっけか」
「そうっすよ。衣着てたまに海兄や天兄の授業風景覗き見してましたけど。雷駆に乗っけてもらって」
「自分の勉強しろよ……!」
「あと、中一か中二ぐらいの時に家飛び出して東京住んでました。一人暮らし」
 あのアパートかっ。
 保護者もなく住めるはずがないのにと考えたそば、はっとする隻。
「……保証人、ってか保護者印、誰が押したんだ?」
「へ? 家の印鑑借りてきただけっすよ?」
「せーんーりー!!」
 梅干の刑という名の米神殺しを食らわせながら、千理が悲鳴を上げても手を止める気はなく。万理が遠い顔で窓の向こうを見やっているではないか。
「沙谷見! また来たかおま……」
 え、また最初に会うのコーチ……
 制裁を加えていた手が止まり、バスケ部コーチの男性は顎を外しそうな勢いでこちらを見ていることに気づく。隻は隼と顔を見合わせ、二人揃ってぽかんとしてコーチを見やった。
「どうしたんですかコーチ」
「あ、忘れてたお久しぶりでーす」
「ってことはそっちが隼か!」
 見分けついてなかったのかっ。
 合点承知と言いたげに手の平に拳を打ちつけるコーチに目を据えて笑う隻。隼は朗らかに笑っているけれど。
「ははっ、先生もう忘れたんですか? 七年そんな早くないでしょー、先生の人生の何分の一ですか酷いなー」
「お前相変わらずだなその軽いノリ! もう少し隻ぐらいきっちり男前に成長しろ!」
「えっ、おれ男前じゃないの!? 酷いでしょ先生、冗談きついですよ――ってそうそう。元気してるの聞いてたから会いに来ましたよ、偉くない?」
「今思い出したんだよなー隼。何が『そうそう』だてめえ! 理由後付けたあいい度胸だな!」
「たっ、たんま髭やめ――いいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
 隻はそっと、視線を逸らした。手の中で千理の悲鳴がか細く聞こえてきているけれど。
 バスケ部コーチ名お仕置きの一つ。細かい無精髭での頬擦り、懐かしい。
 よくやられていたのは誰だったかと思い出して、伊原と萌のコンビしか出てこない。
 隼がぞっとした顔で息も絶え絶えにコーチから離れ、顔を真っ青にして後ずさっている。コーチは元気のいい笑い声だけれど。
「ははっ、懐かしいだろ俺からのご褒美!」
「あ、ありがたく頂戴しました……んで、もういいです!」
「ちっ、つまらん。で? ――おお、八占の妹か、懐かしいな!」
「こんにちはー先生。お久しぶりでーす。バカ兄がお世話なってました。今日は先輩たちの友達と遊んでて、みんなで校内見学。あと久々の糸先を見てみようの会」
「……お前そういう性格だったか? まあ楽しんでけ。――お、隻。この間の友達は?」
「ああ……今日は留守番してもらってます。……飲んで二日酔いしてて」
 なんとか苦し紛れに言い訳をしてみたら、コーチが生温かい顔で頷いてくれた。
「飲んでもいいが飲まれるなよ。じゃあ俺、この後ミーティングやるからな。後で後輩連中の練習見に来るか?」
「え、マジで? んじゃあ余裕あったら伺います。ありがとうございまーす、お疲れさんでーす」
 隼が笑いながら見送り、隻も頭を下げる。士は……振り返ると同時、フレンドリーに手を振っている姿がなんとも言えなかった。翅たちは苦笑しているけれど。
「……七年経っても覚えられてる隻さんたち、本当に凄いな」
「そりゃ、バスケには熱入れてたけど、一回顔合わせたらボールだろうがストップウォッチだろうが容赦なく投げ合いしてたからな……練習時間外だと特に」
 そっと視線を外された。隼は不満げに「おれは全部最初じゃないぜ?」と訂正を求めてくるも、投げ返せばそんなの関係ないと切り捨てる。
 結局、糸先こと糸川先生を見に行くことは最初から決定なようだ。千理は頭を押さえつつ、「職員室あっち?」と初めてを装って尋ねてくる。
 ……ちょっとやりすぎたかもしれない。梅干の刑。
 職員室の左側の扉から覗けば、うとうととしながらも、つけっぱなしのパソコンの前でコーヒーを飲もうとする糸川の姿が見えた。飲んで伸びをしたその男性の頼りない姿に、隻も隼も、士も生温かい顔。
「変わってねぇー……」
「変わってないよ。変わってるとしたら嫁さんもらえた時ぐらいだろ」
 ご尤もと隼が頷き、隻が扉を開ける。教頭先生がひょっこり顔を覗かせ、この間の会話で隻のことを覚えていたのか、やや苦笑した笑顔で頷いてくれた。
「こんにちは。糸川先生、教え子さんですよ!」
「はーい……おお、また来たか!」
「……ありがとうございます。先生パソコンの前にコーヒー置いたらこぼす! ショートするから脇どけてからこ――来てください!!」
 教頭に礼を言って、さっそく糸川に怒鳴る隻に、今日出勤していた先生たちがぶっと吹き出している。翅と千理まで吹き出し、万理が苦笑いしている。挙句隼は生温かい顔で、隣の壁に寄りかかって隠れながらも一言。
「お前がおかんだよ」
「あ?」
「いやーすまんすまん。最近徹夜続きでなー」
「寝ろよ!!」
 朗らかに笑う糸川にまたも突っ込む隻。千理が腹を抱えて「うん確かにおかん!!」と叫んでいるではないか。万理が冷めた目で兄を見下ろしているのに。
 糸川は驚いて千理たちを見やり、隻に確認するように見てきて、隻もはにかみながら頷く。
「京都から一緒に来てるダチ。この間言っただろ。前連れてきた奴と、数人は家に残ってもらってるけど」
「こんにちは」
「ちわーっす」
 千理だけ浮いた挨拶。糸川が笑いながら「こんにちは」と返している中、隼は気まずそうに隻の隣に立ち、頭を下げている。
 糸川が目を丸くし、今さら隼に気づいたのか呆気にとられているではないか。隻も目を丸くして双子の兄を見やる。
「在学中大変ご迷惑をおかけしました」
「……隼お前……」
「……仲直りしたんだってな?」
 やや険しい声の糸川に、隼は頷く。糸川は長く溜息をつき、苦笑しているではないか。
「お前なあ……本当ならな、いくら謝ったってお前のは許される話じゃないんだぞ。兄弟だからこうやって認めてもらえるんだ。当然隻の、隼に対しての行動もな」
「――はい」
 隼はただ、受け止めるように返して、顔を上げた。糸川は厳しい目を向けつつも、確かに頷いている。
「ちゃんとわかってるなら、俺から言うべきことはもうないさ。――よく考え直したな」
「……ありがとうございます……おれを変えてくれたのも、隻が高校で曲がらずに済んだのも、隻の彼女さんのおか――っだ!? いってえ、いいだろ別に!?」
 素早く殴って黙らせようとしたのに、糸川はにやにや顔で「ほぉー?」と興味津々な声。結李羽がぽかんとしているけれど。
「隻くん……? あ、はじめまして。隻くんがお世話になったそうで、ありがとうございました!」
「ユリちょっ!?」
「ああ、君が彼女さんかあ。こちらこそ、うちのバカな生徒二人がお世話になったみたいで、ありがとうなあ。ご丁寧にどうも。こいつらが在学中大したことしてやれてないのに。お前なんていい子をたぶらかしたんだ? 隻」
「人聞き悪いだろ誑かしてなんてねえよ!! むしろやったの隼だろ!!」
「うっわバカ折角謝ったのに!!」
「やっぱりお前か……」
「糸先!?」
 冷めた声の糸川にぎょっとする隼。耐え兼ねて笑いこける翅たちを睨みつけるも、話にならない。その間に糸川は士を見つけたようだ。
「確かうちの生徒だったろ?」
「はい。兄がお世話になりましたー、八占きざしの妹です」
「懐かしいな。兄ちゃんのほうは?」
「今日は家の仕事手伝ってますね。あたしは兄繋がりでこっちに遊びに来てて」
「あいつも中学時代悪そう坊主だったからなぁ……」
「廊下で何回も兄が逮捕されてるの見てましたよ。覚えてる」
「あれからあいつは元気か?」
「はい、元気に営業回ってます。家、お菓子屋さんだから」
 ぶっ。
 改めて聞いた説明に吹き出す隻。隼が「あ、お前知らなかったっけ」と苦笑いしているのを聞いて、何度も頷く羽目になった。
 萌が、菓子屋……!? 似合わねえ!!
「え、八占で菓子……? 八満堂はちまんどう?」
「そうそう、それうち」
「うっそ、あそこの茶菓子がオレの東京でのご褒美ほうびだったんすけど……!」
 絶句して嘆く千理に、翅が生温かい顔で肩を叩いている。万理は溜息をついているではないか。
「いつき兄さんのところだって有名な呉服屋でしょう。まともに家業が有名にならない家ってうちぐらいですよ」
 まあ、呉服屋と和菓子屋が並べば弁当屋の立つ影など見えるわけもなく。
 糸川は笑いながら「そっかそっか」と、まるで動じていない。
「でもまあ、あれだろ。隻にとっても何か魅力あったんじゃないのか?」
「あ――そりゃあ、まあ……」
 全てを言うことはできない。
 できないけれど、言えることがあるなら――
「……多分、変えたかったんだと思う」


ルビ対応・加筆修正 2021/03/22


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