Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第13話 02
*前しおり次#

 変われなかった自分を。立ち止まっていたその場所を。
 全部の見方を一度に変えられるほど、簡単に実行できることじゃなかったけれど。
 沢山の繋がりを持ったまま、沢山の想いを置いてきて。
「家を出て、自分がどれぐらい八つ当たりして甘えてたのかも、かなり見えてきた。人に押しつけてたのは俺もだったよ。糸先が言ってた通りだった。余裕がなくてなんぼって先生は笑ってくれたけど、糸先が止めてくれなかったらきっと、高校でも同じことしてたと思う」
 きっと、小さいところばかりが変わったのかもしれない。
 けれどそれが積み重なって、振り返れば随分と変わったのかもしれない。
 小学校の頃は母に怯えていた。中学校では隼のことを徹底的に嫌った。
 高校では嫌気が差す中で、結李羽に自分自身を照らし出された。大学では――
「……大学辞める時にお袋に言われたよ。そんな簡単な話じゃないって。ガキなやり方しかできてなかったけど――俺、京都に行ったことも、向こうであったこともこいつらに会ったことも、凄くよかったよ」
 驚いた顔で見上げてくる千理が、未來が。見下ろしてくる翅が、万理が。
 嬉しそうに笑うのは、隼と結李羽で。
 隻はにっと笑い、恥ずかしさで赤くなりかけた顔をごまかすように糸川を見下ろした。
「だから見せたかったんだよ。俺の向こうでの親友」
「――そっか、そっか」
「って、軽いだろ反応!」
 笑う糸川に思わず突っ込めば、ぶっと勢いよく吹き出したのは翅で。千理も笑い、万理はと言えば「僕も親友でいいのかな……」と戸惑っている始末。隻は万理を見上げて、「悪いか」と尋ねるも、万理は微妙そうな顔。
「どちらかというと……その、兄みたいだなって思ってたところが……六歳離れてますし」
「はあ、ってことは今高校生か? でかいなあお前さん」
「あ、ありがとうございます。えっと、実の兄はこっちなんですけど……すみませんやっぱり兄じゃないかも」
「万理!? ひっでーなんなんすかその扱い! 超ひでえ!!」
「兄さんより翅兄や隻さんが兄と実感してます」
 容赦ない袈裟切りだ。千理が戦慄いて、がっくりうなだれる。
「そりゃ兄らしいことろくにしてませんけど……ないけどね……?」
「ああ自覚あったんですね。余計性質が悪いんですよ。上なら相応の振る舞いしてください見苦しい」
 あ、沈んだ。
 畳み掛けられすぎて沈んだ千理の背中を慰めるのは、あぶれていた隼ぐらいだ。士は深々と何度も頷きながら、「上がふざけすぎてると疲れるよね」。万理の味方ばかりの世界で、糸川が苦笑いしている。
「弟さんしっかりしてるなー」
「万理……お前曲がってないけど……正しいけど……」
 正しすぎてなんだかこう……デジャヴだけれど……曲がってないけれど……
 例えるなら……麻酔用の注射針だ。
 なんとも言えず苦い顔になっているうち、はっとして隻は糸川へと視線を戻す。
「糸先、最近伊原いはらの弟見た?」
「伊原の弟? ……あー、兄のほうはよく知らんが、バスケ部の伊原か? それとも卓球部?」
「悪いそこまでは知らない。多分バスケ部」
「バスケ部か……そう言えば佐野先生が溢してたな。伊原が最近来ないって。それがどうかしたか?」
「そっか。いや、兄貴が俺たちの部活の後輩なんだけど、最近家にあんまり帰ってきてないみたいだからさ。何かあったらと思って」
 眉根に皺を寄せる糸川は、こうしてみるともう五十過ぎのようにも感じられる。「変だな」とぼやく彼に、士が「うん」と頷いた。
「うちの家、見回りもしてるから、町にいるなら見かけてすぐ知らせられるんですけどねー。……で、有力情報が、最後に学校近くで見かけたっていうのぐらいで」
「学校? 忘れもんでもあったかな。いつ?」
「六日前ぐらいの夕方? 確か……八時」
「それ夜! 絶対暗いだろ!!」
「教師でもそりゃあ夜って言うなあ。――おかしいな。その日の時間帯なら俺もいたが、覚えがないなあ」
 そっかと相槌を打ちかけ、隻は白い目で糸川を見やる。
 そもそもこの先生がそこまで残ったとして、まともに学校の校庭や門の辺りを注意して見ているだろうか。否、ぼんやり廊下を見ているのが関の山だ。
「まあ先生たちにも聞いてみるから、無理に考えすぎるなよ。あいつは授業もまともに聞かないからなあ……風雲児だよ」
「親父さん絡みみたいだけどな……本人はその道でいいって完全にひねくれてるみたいだけど」
 糸川が酷く驚いたようで、しばし茫然とした後「そうか」と考え込んでいる。生徒指導に熱心な先生であっただけに、懐かしい姿に苦笑した。
「先生もちゃんと睡眠と栄養取れよ」
「ははっ、カップラーメン制覇したんだ、次は惣菜そうざい制覇かな」
「だから自炊しろよいい加減!! 生活能力低下するぞああもう!! 次会った時また顔色悪くなってたら覚えてろよ!!」
「おお怖い。お前は母親か? 継母ままはは?」
「あははははははっ!! また言われてるよ隻さ――ごめんごめん二乗して謝るからごめんなさい!!」
 やや中指を突き出した拳を見せると同時、翅が顔を真っ青にして必死の謝罪。糸川が笑いながら、「それじゃあ夏休み明けのテスト作ってくるから、また今度な」と言って去っていったのを見て、隻と隼は生温かい顔。
「ありがとなー先生。じゃあ……テストか……」
「糸先のテスト、普通の国語の先生のテストじゃないんだよな……コミュニケーション鍛えられはしたけど」
「へえー、珍しいっすね。大抵の学校知らないんでなんとも言えないんすけど」
 国語の教師を目指して勉強していた隻は、今ならわかる。
 学習指導要領、まともに守れたところいくつあるんだよ先生……。
 
 
 バスケ部の様子を見に行きながら、千理がやたらすっきりした笑顔をしているのを見て苦い顔になる隻。結李羽も楽しそうに未來と笑っている。会話なんて丸聞こえだ。
「隻くんの先生って面白かったね」
 ……面白いを通り越して、ダメ教師だろう、あれ。
 ただ、隣で万理が驚き冷めやらぬ顔だったので、隻はぽかんとした。
「どうした?」
「あ、いえ……隻さんの恩師に当たる方ですから、てっきり厳格な人かと……」
「ああ――ダメ親父ならぬダメ教師。あれで初めて俺に説教した内容も酷いぞ。『目は口ほどにもの言うけど、どっちかって言うよりお前の口には網戸が立ってそうだな』って」
「何それ、口に戸じゃなくて?」
「網戸」
 立っているのか立っていないのかわからない戸を出されて、中学の時は意味がわからなかった。きっと先生なりに、口には出していないつもりでも、意外と駄々漏れだとでも言いたかったのだろうが……当時の理解力でわかるはずもなく。この先生危険だという考えしかなかった。
 それがまさか、自分にとっての恩師になるなんて。
「けど、あの先生が隻さんを変えてくれた恩師で本当によかったよ」
 ほっとしたような翅の顔に、隻は拍子抜けして。思わず笑った。
「ダメ恩師だけどな。カップラーメン制覇が自慢なんだぞ、あれ。千理といい勝負だろ」
「凄いっすよねーカップ麺制覇。オレ制覇できたのコンビニのサンドイッチぐらいっすよ」
「え、お前カップ麺制覇しなかったの!?」
「東京いるのばれてから翅と響基といつき兄が、三日置きに一週間分の食料送ってきてたじゃん。処理するの大変だったんすよ!!」
「あーそういえばそ……え?」
 翅が固まり、隻ははっとして思い返す。
 ビニール袋が大量に山になっていた。その中で通路を確保できていたのは、ダンボールで区切るようにビニール袋が詰められていて……。
 ……まさか。
「え、あいつらも送ってたの? 響基はともかくいつきも!?」
「来てましたよ舞那名義になってましたけど。明らかにあれ舞那に送るの頼んで、中身選んだのいつき兄でしょ。着物の帯入ってた時は『東京で着ろっての?』ってガチで引きましたもんね!」
「多分それ手違いだろ……ていうかいつき、妹にそこまでさせるほど千理のこと心配して――」
 耳を塞ぐ千理と翅。隻はああと、遠い顔。万理が溜息をついた。
「いつき兄さん、叫んで聞こえたらどうするんですかね」
 途端にとれる千理と翅の耳栓。
 涼しい顔で歩き出す二人だが、確かに千理も翅も、隻から見て何もないところでいきなりこけた。というより倒れた。
 呻きながら顔を上げた千理は、ふと気づいたようにじっと廊下の向こうを見やる。翅も起き上がって千理の手を踏みそうになって、慌てて足をどけた。
「お前床がオトモダチだったの?」
「違うよ!? 違うけどなんか……ああわかった!! くっそそういうことか!!」
「は?」
「いつき兄ナイス! すっごいとんちだけどナイス!! 仕送りとこかしが――ぎゃあああああああっ!?」
 いきなり上がる悲鳴。背中を反り返らせる千理の背中に足型が見えた気がしたが、万理がその直後を自然に踏んでいく。取り繕ったわけでもないのに「あ」と一言。未來も何かにはっとした顔になったが、万理は兄を見下ろして――笑顔。
「すみません、小さすぎて見えませんでした」
「ばっ……! いっ……痛いどいてどっちも――どけてええええああああああっ!!」
 ぎゅむっ。ぎゅむっ。
 普通に歩いていく万理のほうが、明らかに千理より身長が高ければ体重も重いはず。
 涼しい顔で兄の足を全体的に踏んだ弟は、歩きにくいと言いたげに降りて、普通に廊下を歩いている。
「マッサージになりました?」
「荒療治……っ、ひでえ……! ぃっ、筋肉潰れた……!」
「……千理、起きれるか?」
 今の優しい一言は、誰からのものだったのだろうか。
 万理にげっそりとした顔を向ける隻は、到底自分の口からではないことは間違いないと自覚し、しばらく万理に声をかけられそうにもなかったのだった。


ルビ対応・加筆修正 2021/03/22


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