急に響基の頭が前に勢いよく倒れ、誰かが殴ったとわかったが、隻はびくりと後ずさる。千理と万理がぽかんとした。
「あ」
あ? あって何。隻は自分の真上を見上げている二人につられ、首を回す。
「ちょっ……海理だろ今の!」
「うん合ってる。合ってるけど隻さ――じゃなかった隻、今海理にめり込んでる」
ぞっとしてさらに後ずさるも、そもそも海理は幽霊だ。響基が頭を押さえ、目を細めてはっとしている。
「あ、あれ? ぶれ収まった――あ、そっか海理も幽霊だから? ――う、うんありがとう」
「それ殴らなくてもよかったんじゃね? ――いやいやいやいや」
手を左右に振ってそれはないと示す翅。響基が疲れたように溜息をついている。
「多分、伊原さんの弟さんの携帯でも同じ音が出てたと思う。怪談に食われてなかったらあんな奇怪音出るはずがない」
「機械なだけに?」
「うんそ――翅!? 今ニュアンス違ったよね!?」
「イントネーションはまんまだよ」
「翅ーいい加減に本題」
「うんごめんなさいシャーペン向けないで凶器!!」
千理がシャーペンの先を翅に向けていたせいで悲鳴が上がったではないか。結李羽と未來は携帯のキー配列を参考に頭を悩ませている。
「037910で、キー上で数字通りに線で結んだら……五芒星ができるけど……逆にしてるってことは悪魔召喚の意味だね。57920……?」
「0の後に5……中央を指す意味があるんでしょうか……召喚を促すため?」
「呼び出すものをその位置に招きたかったんじゃないのか」
いつきと悟子が衣を取ったようだ。教壇付近に急に人数が増え、ぎょっとした隻はすぐにぐったりとする。
「びびった……」
「ずっと近くにいたんですけど……」
悟子は苦笑いの後、響基の近くへと行って様子を看ている。未來は携帯のキーを睨み、考え込んでいる。
「……7920で、地図記号の東西南北? ……ううん、携帯のテンキーだけじゃ方角を定めるなんて不十分……逆さ十字に近い形ができますね……」
「……逆さ十字……悪魔……悪魔の召喚、ってこと?」
「――材料が少ないな。そうとも言えるし、そうじゃないと切り捨てられれば、どっちとも言えないだろう。怪談で悪魔を呼ぶなんて……」
いつきが唸っている。悟子がはっとして顔を上げた。
「……こっくりさん」
「は? ……あ。でもあれ悪霊じゃ」
「地方によっては悪魔が出る、とか、時代によっては悪魔か天使が出てくるような過大解釈も行われていましたよ」
万理が同意するように頷き、付け足してくれた言葉に、千理が渋面を作っている。
「いずれにせよ冗談じゃねえって話でしょうよ。捜索中の若者二人の電話は繋がらなくて、どっちも変な発信先に出ちまうし――ついでに言えば最後の四の羅列。数字隠すだけじゃなくて『殺す』って言ってるように見えるの、俺だけなんすかね」
「いや、千理だけじゃない。……『殺す』じゃなくて『殺しました』って言ってないだけまだマシだとは思うけど……」
「怪談は、殺したらそこで物語が完結する≠ゥらね。わざわざ書き記さなくてもいいし――殺してるなら『
士が納得の言った顔で頷いている。手には携帯を持って――響基が顔を真っ青にした。
「待った、もしかして士今、萌に――!」
「うん、伊原先輩の弟くんにかけてる時に、あたしもかけてみた。同じ音だったよ。三つ全部同じ音、同じ電話番号。同じように『四』の羅列。――同一の物語の中、ってことかなー」
未來が千理からシャーペンを受け取り、メモを取っていく。士が「それと」と、苦い顔をしたではないか。
「あたしが思うに、今回の騒動の中心人物――多分人間の
「ああ、俺たちも一昨日、海理がここの霊を捕まえて聞いて、同じ考えだ」
響基と悟子と万理が、生温かい顔で隻の斜め上空を見やっている。また何か言ったのだろうか。
「怪談の移動は数年ごとで、七年前辺りから始まっているそうです。三つの区と市を回ったという情報があります」
「――うーわー核心すぎじゃない? 数年で移動ねえ……七年前からの怪談……細かい移動年数わかる?」
「はい。『去年は文京区で、二年ほど前は埼玉南部。五年ほど前は品川区辺り』――東京在住の方から伺いました」
……白尾ノ鴉は……確かに東京在住か。
生温かい顔で恋人の記憶能力に感謝する翅は、士が無表情に紙を覗き込んで「ふうん」の一言。
「……こりゃ教師かな。仮定だけどねー」
「確かに、中学校で七年も移動するなら――隻さん?」
響基が声をかけてくれたも、隻ははっとして「なんでもない」と返すのが精一杯だ。
心臓がやけに、耳に近い場所で強く動いている。
「……なあ、士は……今日の明け方ぐらいだったか? 相手、見てないのか?」
「うん、悪魔だったら振り返っていい思いしないから……ねえ、沙谷見先輩」
士が名字で呼ぶ時は、決まって隻と隼両方のことだ。士は真顔で隻を見てきた。
気づいてるんでしょ。
そう言いたげに、目が射抜いてくる。
「大体の見当ついたから、後はあたし一人でやるわ」
「え? さすがに士だけってちょっと」
「染道面倒ー」
「何その
「だから面倒なんだってば。あんたたちと一緒だともっと面倒。保護対象者一気に増えてる、面倒」
響基と千理がぐさりと来た顔で近くの台か机に突っ伏した。士はメモを睨み、しばし黙る。
「――後は
未來が真剣な表情で黙り込んでいる。翅はふうと溜息をついた。
「……俺たちは動くなって言われても、隻さんも隼さんも狙われてる以上動くしかないんだけどなー」
「多分隻先輩狙ったって言う鬼のほうは、別件だよ。厄介な時にダブルパンチだねー、ご
ざっくばらんな言葉に物言う前に、士は隼を見やっている。
「隼先輩はこれ以上学校に入らなければ多分平気。結界のある場所で二、三ヶ月ぐらいじっとしてればやり過ごせるよ」
「ニートやれって!?」
「平たく言えばそうだね。――あ、そっか先輩今年就職だっけ? ご愁傷様」
「うあぁぁぁぁまた一年居残りとか嫌だって……! 士無理、それは俺のプラチナ品質の人生計画が錆落ちる。――あと……」
隼は言いづらそうに言葉を濁し、隻へと視線を向けてきた。その後すぐに、心に決めたかのように士を見据える。
「伊原の弟も吉中も問題児じゃない。当然お前の兄貴もな。――ダチと後輩いなくなってるのにおれがのこのこニートなんてやれるか」
「あのねぇ、隼先輩一番戦えないじゃん。今は隻先輩が一番弱いけど」
残念
やっぱりまだ、弱いんだね
「ただ霊が見えるだけ、ビー玉でこっちの視界に戻せるだけ。そんな人たち抱えたって、あたしたち全員でだって守りきれないんだけど」
弱いよ
独りじゃなぁんにもできないんだ
守られてたって君は弱い
「戦えもしないのに一々首突っ込む? 冗談じゃないわー」
「お前大概にしろよ――!?」
パンッ
翅の怒りに頬を叩いたのは、士で。明らかに機嫌が悪い彼女は、翅に睨まれても動じた気配がない。
「あたしは優しさを捨てるよ。それは染道たちが持っててくれればいい」
「あのな――」
「だから隻先輩、頼んだね」
目を見開く翅は、顔を青ざめさせて。響基が咄嗟に扉の前に立って道を塞ごうとしたようだが、立ち上がりきれずによろけている。
士は平然と超えて、響基に札を一枚投げ、札は綺麗に彼の頬に張りついた。響基の顔色がよくなっていく。
「
衣が――
扉の窓枠に映るはずの顔も、髪も、聞こえるはずの足音も。
全てが一瞬のうちに闇色に覆われる。夏の日差しの中、吹いてもいないはずの風に、窓ガラスが音を立てた。
千理が拳を握り、静かに震える息を吐く。
「ざけてんじゃねぇ……! 隻さん!」
呼ばれ、慌てて振り向いて――千理が肩を掴んできて痛みに呻く。鋭い黒の瞳が、怒りを剥き出しに睨んできた。
「行きますよ。自分だけ納得しやがって、女でも殴らねーと気が済まないんすよ! 人が黙ってりゃ好き放題言いやがってなーろぉ!」
「……けど」
「弱いって言われただけで納得して止まれるんすか!? オレに頭突き食らわせて蹴飛ばして殴り倒したあんさんが!? どんな酔狂っすか!」
勢いよく突き飛ばされる。よろけた隻を無視して教室を出ようとした千理を、響基が止める。
「待った、ばらばらに動くのは危険だ!」
「じゃあ士放っておいていいんすか! このまんま黙って隻さんと隼さん守れって!? 隻さんバカにして隼さんには『戦えない』だ? あんなん言われて黙ってられっか!!」
バシッ
千理の頭を勢いよく叩いた翅は、顔が青ざめきったままで。
「――千理、一度黙れ。頭に血が上りすぎ」
「けど!」
「黙れ」
ぴしゃりと言われ、苛立ったまま兄貴分を睨み上げる千理。結李羽は隻へと近づいてきてくれたが、動悸が耳の中で止まない。
「響基が言う通りばらばらに動いてもダメだろ。誰も士を追いかけないとは一言も言ってない。それから、俺は今回の犯人に検討はつかないから言っても無駄かもしれないけど――隻。いつまでもボケッとしてると士、死ぬよ」
目を見開いた。
なんで胸張らへんねん、真美姉ちゃんはそないな顔っ、お兄さんにさせるために命捨てたんと違う! 足手纏いみたいな顔せんでぇ……っ!
……あんなことあって、嫌えばいいのに……嫌なんすよ。嫌いたくない……
「――誰が殺すって言った」
搾り出す声は、震えていて。
翅は真っ青な顔で、目が充血しかけていて。
思い出すものは違う。違うけれど、それでも出てくる言葉は、翅もわかってくれていたようで。
互いに頷く。
「理由はどうあれ」
「一回ぶん殴る。――千理!」
「え、オレを!?」
「違うっ!!」
翅が突っ込み、隻は千理の目の前に立った。やや気圧された様子で睨み返してくる千理の一言は、「あ、謝りませんよさっきの!」。思わず呆れ顔になり、頭に手の平を押し付けるようにぐりぐりと撫でた。
「あ・り・が・と・なっ」
「いだああああああああああああああっ!?」
「じゃれてないで作戦立てるぞ」
万理が頷き、盛大に溜息をついた。
「校舎を一度一通り回りましょう。隻さん、隼さん。学生時代の話を教える形で、僕らを案内していただけますか?」
「よっしゃ、エロ本騒動の場所まで」
「お前だけ行け!!」
隼の頭を勢いよく殴ったのは、三人ほどだったという。
ふと隻は、足元に柔らかい何かが当たった気がして床を見た。何かわからないまま顔を上げると、今度は結李羽と目が合う。
なんとなく、自分でも頼りない笑みが零れてしまった。