Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第02話「千理、怒る」01
*前しおり次#

「木曽山脈と富士山両方見れるってラッキーでしたよねー。朝靄あさもやのおかげでほぼ雲海でしたけど」
「桃源郷みたいだったな」
 声がやや弾んで同意しているいつきに、翅が笑いを堪えている。響基も穏やかに「よかったよな」と笑っていた。
 悟子も目が輝いたままで、どうにもいつきと並ぶと歳の離れた兄弟に見えてくる。微笑ましい光景だが、肝心の空港最多利用者である千理が案内に回ってくれそうにないので、隻は電車の時刻を確かめる。
 泉岳寺せんがくじで乗り換えて、山手線から新宿で乗り換えていけば――
「とりあえず行けそうだな――お前ら飯遅くなるぞ!」
「はーい!」
 元気な声が三つ。
 隻だけでなく、悟子もいつきも苦い顔になった。
 これは、予想以上に真ん中がしっかりしないメンバーかもしれない。
 
 
 八王子市の中心地より、やや高尾山方面に向かったところの住宅地。遠見とおみに到着した六人の中で早速目を丸くしたのは響基と千理で、代わりにげんなり顔をしたのは隻だ。
 隻と全く同じ顔の青年が立っていた。強いて言うなら服の好みは隻と違い、ロックテイストなぐらいだ。隻たちが改札口を潜るなり、双子の兄は笑顔で手を上げてくる。
「よっ。よく来たなー」
「ちわっす、おっひさしゅんさん」
「久ー。元気そうだなーお前も」
「いつ聞いたんだよ。言ってねえぞ……」
「仏壇掃除する日にお前らが来る日って聞いたから」
 ……確かにそうもなるか。
「どれか荷物持つぜ?」
「あー……手足りてる。いい」
「え。まあ楽できるんならもうけもんか」
「お前なっ! ってか、掃除した後どうするんだよお前」
 布団干しや家の掃除を念頭に置いていた隻に、双子の隼はぽかんとしている。
「そりゃあ泊まるぜ? あれ、おれはぶかれてる系?」
 ふぅぅぅぅぅぅぅぅ。
 長い溜息の後、翅が笑いながら肩を叩いてきた。
「うん行こっかー隻さん。家どこ?」
「……千理か翅か響基か、布団運ぶの手伝えよ」
「うっげ」
 嫌そうな声には鋭く睨みつける。途端ににカクカクと頷く二人は、いつきと悟子から生温かい顔をされていた。
 がやがやと歩きつつ、隻はすぐ苦い顔になった。
 隼がいつきに挨拶しているらしい。いつき自身は既に隻の双子だと知っているからか、当たり障りの少ない隼の言葉に普通に返しているようだ。
 そして恒例行事なのか、いち「敬語使うな」「当主呼びするな」さん「さん付けやめろ」と言いつけているのが、後ろから聞こえてきた。
 いつきの病気の件も聞いたのか、隼の声色が少し変わった気がした。
「まじか。喉来やすいなら埃はまずいな。隻、庭掃除から先にするか? 縁側えんがわで休めるだろ?」
「ああ。そのつもり」
 隻も頷きつつ、掃除と布団調達の人員割り振りに頭が回る。
 この辺りの空気は体調に支障がないらしく、いつきの顔色はいい。地下鉄での乗り換えのほうが体に障ったようにも見えたので、掃除が終わるまでなるべく休んでもらおう。
「なあ、悟子。庭の雑草抜き頼んでも平気か――」
 声をかけて振り返ったその時。悟子が苦い顔で視線を逸らした。意外な反応に固まる隻に、千理が「あー」と微妙そうな顔をしている。
「隻さんまだ精霊とか妖精とか見えてませんもんね。悟子、精霊せいれいや妖精に協力してもらって戦う、精霊使い的な戦法が多いかがみ家の人間なんすよ。草木の精霊たちが宿ってる場所を荒らす真似はさすがにね」
 ――ああ、虫が怖いわけじゃなかったのか。などと言ったらまた男が云々と言われそうなのでそっと控える隻である。
「じゃあ千理。布団持ってきた後ででも頼む」
「うぃーっす」
「俺は――」
「いつきは縁側で休んでてくれるか? 簡単なの頼むかもしれないけど、家の中埃だらけだから肺きついと思うぞ。掃き出すのは――そうだな。響基か翅、手が開いたら頼む。どっちか片方でいい。悟子は隼と一緒に食器洗うの手伝ってやってくれるか?」
 それぞれから了承が返ってきた。道端の角を曲がり、見えた平屋の古びた門を開ける。千理たちが感嘆の声を上げて見上げている。
「普通の人のじーちゃんちって、こんな感じなんすねぇ」
「多分いつきの部屋より面積小さいけどな」
 苦笑いすると、隼がぎょっとした顔をしている。いつきも答えづらいのだろう。言葉が濁っていて、隻は「家が家だろ。気にするなよ」と返す。隼が感慨深そうに見上げた。
「この家もよく保ってるよな」
「戦前のものなの? 築五十年ぐらいと思ってたけど」
「お、いいとこ突くなー。戦後建て直しだぜ。家もじいさんの家庭も全部戦後から、だからな」
「……ああ、結婚がかあ」
 違う違うと、隼は笑って言う。隻も別段隠す話でもなかったので、千理が心配そうに見上げてくる姿に平然と肩を竦めた。
「おれらのじいさん戦争孤児こじで、養子だったんだ。沙谷見さやみはじいさんを引き取ったひいじいさんのせい。じいさんの元々の姓は竹中だって聞いたぜ。おれが霊えるのも元々じいさんの影響なんだと」
「それ、隻さんが前教えてくれました」
 悟子が頷き、隻がそうだったっけとぼんやり考えながら、鍵を隼に任せて振り返る。
「他にもあるよ。じじいの実の父親――要するに俺たちの実のひいじーさん、作家だったんだと。そのひいじーさんも霊を視てたらしくて、怪談系の小説も、言論統制の時代なのに書きつづって、最終的に国から怒られたりもしたんだってさ」
 生温かい空気が広がる中、いつきが何かに気づいたのか屋根のほうを見上げている。隻は「ああ」と思い出しつつ、扉が開いたのを見て全員を中に促した。
「ここ、屋根裏部屋あるぞ。行ったことないから埃凄いだろうけど」
「屋根裏!? よし来た!!」
「先に掃除終わらせるぞ探険は後! って、隼、後ろつっかえてるんだぞ。早く入――」
 動かない。微動びどうだにしない。
 目を丸くしたまま玄関口を凝視ぎょうしする隼に、隻もいぶかしんで覗き込み――固まった。
 真っ白いからすが、細い上がりかまち鎮座ちんざして沈黙している。
「なんで鴉……!? 死んでるのかこれ!?」
「いや、生きてると思うぜ? あーそっか、お前も視えるようになったんだもんなぁ」
 双子の片割れの意味深な言葉に、隻はぎょっとする。
 鴉が鼻ちょうちんを出した。……何故それまで白いのかは、家の現状を見てやっと納得が行った。
 鴉はしばらくの間、鼻ちょうちんを膨らませたり縮ませたりと、穏やかに眠っていて――
 パチンッ
 ……はっとして、起きた。
『いけない、またついうとうとと……ほっほ、これではご主人様に冥土めいどで怒られてしまいますな。ああ、いつの間にこんなに埃が……坊ちゃん方はまだお越しになられないものか』
 朗々ろうろうとした穏やかな声だ。隻の冷めた目は、鴉から隼へと移動した。
 千理たちは鴉に釘付けになっていた。
「おい、どういうことだよ」
「じいさんと仲がよかった鴉だよ」
 途端に鴉がはっと顔を上げた。隼を見つけるなり、慌ててバサバサと羽ばたき、姿勢を正して一礼してきた。
 埃が舞う、舞う。
『ややっ、隼坊ちゃんお人が悪い! お越しになられていたならばこの鴉めを起こしてくださればよかったでしょうに。おお、懐かしの隻坊ちゃんまで! ――おや?』
 顔を引きつらせ、まじまじと見ている隻の視線に気づいたのだろう。鴉は首を傾げている。
『隻坊ちゃんも、ついに相次郎様の御光みひかりを受け継がれましたかな? 私の姿が視えていらっしゃるご様子で』
「……あんた誰だよ……!」
「だから鴉だって言ってるだろ。親父が生まれた頃からつかえてる自称従者なんだってさ」
「聞いたことねえよ!!」
相次郎そうじろう様は、隻坊ちゃんを一層甘やかされておりましたからなぁ』
 そんなしみじみ言うな気色きしょく悪い。
 あのボケにボケて、自分たち双子の名前は「隼」以外出なかったあの祖父が? 気色悪い。
「ってーか、なんで神霊しんれい系の鴉が一般人に仕えるんすか。ないわー」
『ややっ! その声は!!』
 なぜ鴉が時代劇じみた動きで身構えて、後ずさる。千理の呆れた顔を見つけるなりくちばしをカチカチと戦慄わななかせる。
『東京を蹂躙じゅうりんする闇のころもの持ち主! あま駆ける黒馬を操りくらき雷光をとどろかせ、東京のこの郊外こうがいですら名を知らしめた人間にして悪魔の男、レーデンの者ではござりませぬか!!』
「おい、過大解釈かいしゃくされてるぞ」
『過大とはなんと恐れ多い! この男を油断してはなりませぬぞ、我ら畜生ちくしょうの身には危険きわまりない力を備えておるのですから! そう、確か名は……宣戦狸せんせんり!』
 ……。
 …………。
 ……………………ぶはっ。
「せ、千理……が……! ははははははははっ!? 千理、宣戦狸!? あははははははっ!!」
 やめろ、懐かしいリズムで再現するな。数年前に流行はやった曲のテンポで言われると笑いをこらえられないっ。
 そんなことなどテレビっ子でもネットユーザーでもない鴉には知ったこっちゃないのだろう。『そうです』と生真面目に、朗々と、真っ白い尾羽を広げて言う。
『我らがその男に出会えば既にその場はいくさ! たぬきごとく変幻自在に化ける男、その者が口にする言霊ことだまは全てが黄泉よみへ送りたる口上! 宣戦の狸、それがその男の名なのですぞ!』
「ないない! そりゃない!! なんだよそれ!!」
 翅だけではない。ほぼ全員が笑い転げ、悟子まで門の辺りに手をついて顔を背けている始末。千理が拳を震わせ、いつきは遠い顔。
「過大もここまでくればあながち間違いじゃないな。確かにこいつは狸だ」
「いつき兄ぃ……! ちょいとあんさんら――笑うなああああああああっ!!」
 笑いのうずは、広がった。
 
 
『なんと、坊ちゃん方のご友人でしたか。これはこれは大変な失礼を』
 どこからが大変な失礼と言っているのか、聞かないほうがいいだろうか。
 埃を隼に払ってもらった鴉は、尾羽以外本来の黒を取り戻したらしい。もう一度恭しく頭を下げていた。
 途端に、尾羽の白が持ち上がってかんむりのように添えられる。
『改めまして、当家家長かちょうに仕えておりました霊鳥れいちょう白尾しらおからすと申します。どうぞお見知り置きを。家長相次郎様がお亡くなりになられた後は、こうして坊ちゃん方が来てくださるのを待つばかりとなり、ついつい埃を被っておりました』
「霊鳥ということは、あなたは土地神とちがみ眷属けんぞくですよね……?」
 恐る恐る聞く悟子に、白尾ノ鴉は大仰おおぎょうに頷く。隻は気が遠くなった。
 その神聖そうな幻生げんせいをここで仕えさせていたなんて、自分たちの祖父は一体何をやっていたのだろう。
空襲くうしゅうのち、この東京では土地神が祭られるほこらの多くが焼け落ちてしまいましてな。放浪の旅に出ておりましたわたくしめを、相次郎様が視つけてくださいましたゆかりで、こちらの神棚に有りがたくもおまつりいただいておりました――ああ、あそこまで埃が』
 ほったらかしてごめんなさい。
 見上げれば、客間に繋がる玄関前の神棚に、大きな鴉の羽根が丁寧に納められている。その前には小石と、細々とした飾りが。それを見た隼が懐かしそうに頷いている。
「そうそう、鴉にその辺の話いつも聞かされて、昔石取ろうって上ったよなぁ」
「何ばち当たりなことしようとしてたんだよおい」
『ところ変わりまして、もしや隻坊ちゃんは幻士まぼろしになられたので?』


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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