鴉にとっては、今は昔話よりも隻に興味があるらしい。しかし尋ねられた言葉に聞き馴染みがなく、隻は困惑が顔に出た。
『最後にこちらにお越しになられた際は、霊視の開花もなされていらっしゃらなかったはず。相次郎様もお視えになられても、幻士の血は引いてはおりませんでしたが』
「……その、幻士ってなんなんだ?」
思わず首を捻る隻に、響基が苦笑いして「幻術使いの昔の呼び方な」と教えてくれた。
「戦前や戦後少し、それより前にもなると、幻術使いっていう言い回しよりも、幻士っていう呼び方のほうが主流だったんだ。外国との戦争が終わってから、外人の幻術使いたちに合わせて今の呼び方になったって、ばーちゃんが言ってたな」
「へぇ……って、俺が幻術使いになったってわかるんだな」
『それはもちろん。我々の影、
「思ってたのか! ――とりあえず、色々事情があったんだ。あと坊ちゃん呼ばわりやめろよ、ぞわぞわするから。家の掃除した後、ここにしばらく泊まるけど大丈夫か?」
『なんと! 皆様それ
感極まった鴉もじっと目を閉じるのか。
隼が笑いながら「相変わらず大げさだよなぁー鴉」と、白尾ノ鴉の背を擦ってやっている。隻は複雑な思いを口にも形にも出せず、荷物を玄関先にそっと置いた。
……なんだ。埃の上にうっすらついた、鴉のものではないこの無数の小さな足跡は。
玄関口の箒を悟子へと渡し、無言で廊下用の
隻は勢いよく走り、窓と言う窓を全部開けて――叫んだ。
「なんだよこいつらああああああああああああああああっ!!」
「えー何々? うわぉ……」
千理の声も見事に引きつる。中に入ってきた響基や翅も遠い顔になっていた。
着物を着た、手の平サイズの人間たちから始まり、小さな身体で面をつけて振り返ってくる姿。動物の姿もあり、奇妙な住人が数多く、埃の上でわいわいがやがやと過ごしているのだ。
白尾ノ鴉が隻の肩に停まり、『なんと!』と怒りを露わにした。
『よその土地神たちよ、ここは我が領域ですぞ! 即刻立ち去らねば幻士に払われたいとのお考えでよろしいのですかな!?』
しばし時間が経った。溜息をついて腰を上げだす奇怪な一団が三々五々に去っていく。
最後に出て行った布を顔にかけた土地神が鴉を振り返り、溜息をついた。
『仕事もせず眠りこけていた
――返す言葉も
車が近くを通る音の後、悟子から呼ばれて玄関に無言で戻った隻は、疲れた顔のまま頬が引きつった。
なんで父が今来る。駐車場はその
「やっぱりもう着いてたか、早いなぁ。まだ布団は上げられないか。よし手伝うぞー」
「動いてたのかよ……自分たちでやるって言っただろ。とりあえずただいま」
「おーお帰り。とりあえずそうだな、布団は全員分干して持ってきたぞ。ってわけだ。ご
「あーわかったから玄関と廊下掃除頼む!! やった後渡すから、悟子と一緒にやってくれ頼むから! 千理、庭の雑草抜き! 今から縁側掃除してくる、いつきはそっちか親父の車で待機! 響基と翅はどっちか隼の補助、後で交代して俺の手伝い、いいな!!」
既に玄関掃除に励んでいた悟子と、ぼんやり見ていたいつき以外全員が、暢気な声を上げた。白尾ノ鴉が
悟子が溜息をついてぼそりと一言。
「最初と予定、変わってますよね」
掃除担当場所が。
廊下掃除は早く終わった。屋根の掃除も無事に終わり、庭の雑草抜きは意外と手がかかっているらしい。いつきと千理の穏やかな会話が繰り広げられ――おい仕事しろ
掃除機のない家なので、父から昔ながらの掃除のやり方を聞いて、隻がさっさと済ませておいた。
年季という名の層に埋もれかけていた食器類も無事に片付き、狭いながらに居間と客間と水周りぐらいしかない部屋は綺麗になった。
いつきに中に入って大丈夫だと知らせると、縁側で休んでいた彼は入るなり驚いたようだ。
「本が凄いな……後で読んでもいいか?」
「ああ、変なもん
隼の受け
「じじい何やってたんだ本当……あ、そうだ。親父、休憩ついでにいいか?」
「おー?」
「この
驚いて顔を覗かせる父
「それなんだ? 誰からもらった?」
……は?
固まる隻に、隼もしげしげと覗き込んでいる。触っていいかと訪ねられ、一応頷いて渡した。目を閉じる隼は、眉根を寄せて目を開けると印籠を隻に返してくる。
なんだなんだと翅たちも寄ってきた。本に興味を示していたいつきすらこちらに目を向けてきた。
「これ……誰から渡されたよ?」
「は? 何言ってんだよ、お前聞いてなかったのか? 母さんがじじいの形見のひとつって……俺が家出る前に言ってたぞ」
隼が目を丸くし、父が首を
隻はがっくりと肩を落とし、「マジかよ」と呟いた。翅も困惑しているのだろう。近づいてきて印籠を見ている。
「けどこれ、沙谷見
「それは変だぞ」
いつきが指摘し、悟子も頷いている。
「印籠って、安土・桃山時代辺りから始まったものですよ。江戸時代に主流になったそうですけど、隻さんのお祖父さんは昭和生まれなんですよね? 印籠におじいさんの名前があるって、おかしくないですか?」
「じじいがいたずらして掘ったとかじゃないか?」
いつきより速く悟子の目が平たく据わった。印籠の字をまじまじと見ていた翅は苦い顔になっている。
「……これ、手彫りか? どう見てもプロ彫りだよな」
「プロかあ、彫らせたのかもな」
「わざわざ? 金出して? 罰当たりだろ」
「いや違う、幻生にだよ。さすがに人間の業者はそんな罰当たりなこと受けないと思う」
響基の指摘に、白尾ノ鴉が寄ってきた。隼の肩に停まり、『はて』と首を傾げている。
『それを受け継がれたのは隻坊ちゃんとなりましたか。これはこれは……てっきり隼坊ちゃんかと』
「それどういう……」
『その印籠を守り、
――あちらって、どちら。
紳士と言われて目を輝かせる響基を尻目に、隻は
『あちらの木より
「そっか。簡潔に言えよ頼むから――おいおいおいちょっと待った! じゃあなんでそれをお袋が俺に回したんだよ!!」
『相次郎様の
「いるわけねえだろ、んなの!!」
鴉は首を捻っている。父が翅たちに不思議そうな顔で振り返った。
「もしかして、じいさんに関わるものでもここにいるのかい?」
「あー……まあ、そんなところです、ね……ご近所で猫を見かけたことはありますか?」
響基が苦笑いしつつ尋ねれば、隻らの父は平然と頷いている。
「この間君たちが帰って来た時、隻と一緒に入ってきた猫がいたろう」
耳を疑った。
「あの
それって浄香――え、視えてた? 霊感ないんじゃ……!
『おお、幸明様は浄香様を覚えておいでですからな。他は見えずとも浄香様は見えましたか』
「はっ!? あ、それで思い出した、じじいとあいつって関係あ――あ」
千理が恨めしそうに睨んできている。
この上なく恨めしそうに睨んでいる。
「えーえー。このあっつい中、一所懸命草むしり頑張ってたオレは放置で、随分とまあ深い話してるんすねーえーもー。爆死爆死爆死爆死!!」
「……悪い。本っ気で忘れてた」
「隻さんマジ爆死!!」
一同から生温かい顔をされる、隻と千理。
「とりあえず印籠の話はまた置いといて、飯食うか」
「そうすっかー腹減ったー」
「皆マジ爆死!!」
そういう千理が、一番多く昼食を食べていた気がしなくもない、盆前の夏である。