千理がそうだったと言いたげに自分の額を叩いている。アヤカリがけたたましく笑った。
『本当だねー! 俺たちが視えてるなら絶対幻生と関わってるよね!! 教師で都合よく霊視能力者で隼みたいにすっごい力強い人なんてそうそういないよね!! いたって既に……け、消されてそうだようわああああああどうしようっ、翅俺気づいちゃいけないこと気づいちゃったよどうしよう消されてたらどうしよう怖いよおおおおおおおおおおっ!!』
響基の前だからやや控えめな音量だが、自身を構成する水が白く凍りかけるほどにまで怯えなくても。翅は視線を逸らして乾いた笑い。
「アヤカリはともかくどうしよっか。ってかアヤカリが教師たちの前で浮かんでれば一発じゃね?」
『うぇいとおおおおおおおおおっ!!』
「発音悪い!!」
「そこじゃない」
「じゃあアヤカリと――白尾ノ鴉と、海理? でいいか」
『おー締め落とすか』
「落とすな!」といつきが吠える。
「海理は幽霊な分、海理自身の目でも判断してくれそうだし。アヤカリちゃんと海理の指示従えよー」
『怖い!!』
叫んで翅の後ろに逃げる水の塊。海理は不機嫌そうに『あ?』と口をひん曲げている。
『いらねえ、うぜえ。オレと鴉で十分だろ』
『いら――!? 酷いよそんな酷いこと言われたの初めてじゃないにしても酷いよ!! そんなこと言われたら泣くよ!!』
『いい加減にせんか
浄香の苛立った一声に、アヤカリがさらに震え上がって『怖いよぉぉぉっ』。翅といつきは視線を逸らした。
「阿苑の関係者って怒ると怖いなー」
「
『序の口どころかそもそもただの忠告だ』
それ忠告って言わない。
浄香は憤然とした様子で隻の肩に飛び乗ってきた。頭の上から『ふむ』と声が聞こえてくる。
羽のふわふわ感と鳥の爪を頭皮に感じた。
『承知いたしました。それではめいいっぱい私が普通の鴉と違うとアピールすればよいのですな?』
「そうだけどお前いつからそこにいた?」
『本日日がな一日、こちらで休ませていただいておりました』
もう何も言うまい。隻は隼を見やって苦い顔になる。
「……お前は残れよ、頼むから」
「いやー残れって言われても。全員向かうんならここ一人は怖い」
「確かに、朝の鬼が隻と隼のどっちを狙いたかったのかわからないしな」
『何を言っている。あやつはこやつらがどちらだろうが殺しにかかるぞ』
浄香の苛立った声に全員の背筋が冷える。白尾ノ鴉が隻の頭の上で『むむ、もしや』と険しい声。
『まさか今朝の悪鬼が、
「……誰だっけそれ」
『貴様私が流した四十年前の傷を今ここできれいに刻みつけてやろうか!!』
毛を逆立てる浄香に、隻は溜息をついて腰を上げる。慌ててしがみつく三毛猫は、冷蔵庫に向かう隻を見て目を輝かせて――
かにかまを取り出した隻の肩の上で、一生懸命手をばたつかせている。
『くそうハムはないのかっ、ハムは!!』
『浄香様といえど私めのハムをお取りになられるとは非道でございますぞ!!』
『貴様のではない、私専用の生ハムを聞いている!!』
『なぬっ、今時分そのようなものがございますなら是非私めも』
「話進めるぞ」
いつきの機械口調に、万理が疲れた顔で溜息をついている。
「――昨日聞いたような気はしますけど……
「あったっけ……? ――あ、時間大嫌いな神か。
『嫌うどころかそいつに封印されて、その封印が緩んだから逃げ出したって話だろ。てめー呆けすぎだろーがきちんとそのスポンジ頭に詰め込んでろ』
「ごめんねー。今日色々ありすぎて衝撃で吹っ飛んでるんだ」
棒読みなのは……本当に吹っ飛んでいるからだろうか。
やっと吐き気が治まってきた隻は、口の中をリンゴジュースで一度
「それでその神が鬼扱いされたんだっけ。えっと……時間嫌いのミコト」
「季忌命、でしょう、翅兄……ですが、隻さんたちには狙われる理由がないんじゃ」
『相次郎様のお孫様ですからなぁ』
「そこからなのな……慣れっこだけどなちくしょう!」
隼が突っ伏した。浄香が不機嫌に
『――隻。
「は? なんで急に」
『あやつの神社を訪れた時に季忌命に遭遇したのだ。あやつも扱いは土地神。神同士、何かしら知っているものもあろう』
留華蘇陽――呼べるのだろうか。そもそも呼び方だってわからないのに。
戸惑っていると、千理がふと手の平に拳を打ちつけた。勝手に屋根裏部屋へと上がっていき、布を持って降りてくる。
「もしかしてこれ、そのためにあったんすかね?」
「は? ――あっ!!」
広げられた正方形の布に、複雑で不気味な方陣。
隻の背筋が一瞬粟立った次の瞬間。浄香が目をコイン大に見開いて毛を逆立てたではないか。
『召喚陣だと、あの道楽何を考えてそんなものの知識を!!』
「……ど、道楽……」
固まる万理。浄香は苛立たしげに隻から飛び降り、千理に『それと桜を持ってこい』と命令している。千理に、自分が本来視える世界とは違う世界が視えるビー玉を渡し、取ってきてもらった。
降りてきた彼はビー玉を覗き込みながら
……持ち方からして、桜の枝が入った瓶ごと持ってきたのだろう。
「……場所覚えててよかったっすよ。で、これどうすんの?」
『布を綺麗に張った中央に置け。本来違う用途のものだが……代用ぐらいにはなる。先に季忌命の真意を知ることができるなら、片割れを置いていくかどうか決められるわ』
「……だな」
隼が苦い顔になっているが、仕方がない。いつきと万理、悟子と響基で四隅を持って布を伸ばしてもらい、中央に千理が桜の枝を置いた。印籠を握るよう言われた隻は戸惑いつつも、桜の紋様が描かれた祖父の形見を手にとる。
『奴に来るよう念じ、奴の名を呼べ』
本当に来てくれるだろうか。けれど来てもらわなければわからないことも、沢山ある。
隻は方陣の前に立ち、気を引き締め直した。
来てくれよ……!
「――留華蘇陽、来れるか!?」
翅に生温かい顔をされ、危うく印籠を投げつけそうになった。
――桜の香りが、舞う。
目を見開くと同時、方陣が淡く光った。
ブブー、ブブー、ブブー、ブブー……。
ぶちんと、万理の額に血管が浮き上がる。
「誰ですか携帯鳴らしてるの!!」
「……すまん出てくる」
まさかのいつきだった。こそこそ話してもだだ漏れる内容を聞くに、やはり
白い目を向ける隻は、桜の香溢れる方陣に静かに目をやった。その中央で笑む女性は、振袖の裾を優雅に持ち上げている。桜色が淡く女性の髪を染め上げ、白い肌で口元が隠された。
『気まぐれだとは伝えたが、こう呼び出されるとは。思いもしなかったよ。数刻ぶりだね、浄香。そして隻』
千理が目を見開いている。その千理へと、女性――留華蘇陽は閉じた目を開けることなく、顔を向けて『おや』と笑んだ。
『君が、ね……なるほど。彼女は宝物を壊せなかったんだね。そうか――』
「……あんさん、もしかして師匠と……」
『ええ、ええ……
千理はうろたえ、「いや……」と口を濁している。
「雰囲気が、似てるっていうか……なんか、その……よくわからないんすけど、そうなのかなって」
『君には彼女の術が
言葉をなくす千理。隻は苦い顔になった。
知らなかった。
知らなかったけれど、そのことは、今は――
『長き時を共に過ごし、移り変わる景色に吐息を呑みました。彼女の人間としての寿命が終わり、幻生として、仙人として生まれ変わったあの子は、ある時私たちの家であるあの社を旅立っていった――その後は、私にもほとんど知らされていません。今はただ、あの子と共に散った桜の花を、見送るばかりです』
千理の拳が、固まっていく。
その手へとそっと、留華蘇陽は手を伸ばしていた。
『――こちらへ』
躊躇って見上げてくる千理に、隻は頷いた。携帯での通話を終了したいつきが戻ってきて、怪訝な顔になっている。
戸惑いながらも女性の傍に寄った千理の手を、彼女は優しく包み込んだ。
『――そう。彼女は、まだあなたの中で生きているね』
「え……?」
『あの子があなたにかけた術が、あなたを支えようと息づいている。それが何よりの証拠です』
千理の顔が、くしゃりと歪む。
留華蘇陽は千理の頬を撫で、優しく笑んだ。
『あなたが立ち直れる時にはもう、彼女の術は消えてしまうでしょう。けれど――忘れてはいけないよ。あなたは彼女にとって、大切な宝物だった。自分が壊れて、壊してもらうためには、綺麗に遺してはいけないほど、大切な』
言葉を失った千理の手を撫でて、留華蘇陽は千理を開かない目で見据えた。
『けれどあなたは壊れなかった。そのことこそが、あの子にとっては希望で、絶望で、何より愛おしいものだということを。だからあなたは、この先壊れてはいけないよ』
「え……けど……師匠は……」
『ええ。もう壊れる必要はありません。あの子があなたを壊せず遺したのだから』
隻ははっと目を見開いた。
やっと――やっと。わかった。
永咲がなぜあんな行動に出ても千理を殺さなかったのか。
……そういうことだったのかと、唇を噛みしめた。
『あなたが他者に与え続けてきた光がもうじき、あなたに還ってくる。最後の光を受け取るまで、決して壊れてはいけない。壊れそうなその時は、きっと彼らが助けてくれるからね』
瞼の裏から、はっきりと見つめていた。
『あの子の光であり続けてくれて、ありがとう』
歪みきった顔は、必死で堪えていた。
ほんの少しだけ頷いた千理へと微笑みかける女性は、すぐに隻へと閉じた目を向けてきている。
――もしかして。
目を開けないのは、永咲の容姿と、似ているからなのだろうか。
そう思ってしまうほど、目を閉じている穏やかな顔は、決して永咲では見ることができないはずの雰囲気であるはずなのに、どこか似ていた。
『さあ、それでは用件は何かな。そろそろ社に戻りたい想いだけれど』
「い、いやそれは待った! あんた本当に気まぐれだな!?」
『精霊だからね』
微笑む女性に、悟子がそっと目を背けた。気を取り直した万理が頭を下げ、すぐに上げている。
「季忌命と呼ばれる鬼のことをご存知でしたら、是非教えていただけませんか?」
留華蘇陽の表情がにわかに変わる。溜息をついた彼女は、千理の手から手を離し、『そうか』とだけ呟いた。
『……人の領域に構わず手を出す愚かな鬼が、またここでも……』
「……元々の神格は向こうのほうが上だよな?」
翅の指摘に、留華蘇陽はまた溜息をついている。
『位だけだよ。それも今は無きに等しい。月明かりの薄い街中と、不和の想いが横行する現在の
秋穗が、不安そうに結李羽へとしがみついた。未來が真剣に耳を傾けている。
『平和で緩んだ心というのは、とても芯のないものをしていることが多くてね。私も想い人を結び付ける社にて見守ってきたからわかる。最近の人の心は、どうにも変わってきてしまった』
目を伏せるように俯く女性は、憂いているようで。
悟子が気づいたように表情を歪め、視線を逸らした。
『あの鬼は、
隼が、一瞬わけがわからないと言いたげな顔をした後、まさかと目を見開いた。
……隠すつもりはなかったが、今気づかなくてもいいのに。