向かうなら敵が姿を見せるだろう夜がいいと、七時半までは食事も兼ねて家で落ち着くことにした。
昼間の消耗を考えて、響基はゆっくり休ませなければまずい。
一方、留華蘇陽が還ったのを見送った後、隼自身はついていくの一点張りだった。隼が狙われにくいという助言を受けたはいえ、海理が一度怒鳴り散らさなければ、今ほど大人しくはなってくれなかったかもしれない。
てめえが我儘言って、それで何か起こって傷つくのはてめーじゃねーんだよ!! てめーの大切なもん全部だ、わかるか!?
念のため隼の傍に悟子と万理が残ることになった。白尾ノ鴉は怪談に協力している人間を判別できた後は家に戻らせ、この家の結界と領域の護りを固めてもらう手筈だ。
顔が青い翅を連れて行っていいのかは悩むが――響基は部屋の中央で集中的に休んでいて、今は落ち着いているようだ。
レーデン兄弟は屋根裏部屋にほかの資料がないか調べに行ったきりだ。いつきは秋穗を膝に乗せたまま転寝していた。未來と結李羽はといえば、団扇で顔を扇ぎながら話しつつ、そろそろ夕飯を作るかどうかで話している。
「隻くん、お夕飯どうしよっか?」
「あー……出前でもいいぞ、この人数じゃ作るの大変だし」
「出前を取って、それを届けに来たのが幻生だったら笑えませんよ……」
悟子の呟きに隻はそっと視線を逸らした。
そういえば、家の中に幻生が入るにも、家主がその家の玄関を開けるか、入っていいと言わない限りは入れないという話も聞いたような。そのことを考えても、家主扱いされている一人である隼は絶対にここに残る必要があると、白尾ノ鴉が涙声で訴えてきていたのもつい先ほどの話だ。
麦茶を冷蔵庫から出してコップに注いでいれば、翅が「俺もー」と隣までやってきてねだってきた。コップを出してもらう代わりに注いでやり、氷も入れてやるとサービスがいいと笑っている。
そうは言っても、翅の顔は相変わらず青いままだ。
「お前ついてきて平気か?」
前回も思ったのだ。怪談のことだけであんなにも真っ青になるわけがない。学校でいい思い出が少ないとも以前聞いただけに、これ以上無理をさせていいのかもわからない。
翅が笑って「よかった」と言ってくれたものも、もしかしたら今夜、壊れてしまうかもしれないのに。
「平気……って言いたいけど、正直情緒不安定だもんな。自覚してるから取り乱しはしないだろうけど。ま、行かなきゃ後悔するのも俺だしね」
縁側に座る翅の隣に腰かけ、隻は苦い顔で庭を見やった。
「……少なくとも全員無事に帰ってこさせるよ。後悔云々より、お前が倒れたら元も子もないだろ」
「命って、約束できるもんじゃないだろ」
オレと翅、遠縁の親戚のねーちゃんいるんすけど。その人、士と同じ事言って、戦いに出て……死んだんすよ
「約束できない分、望んだ結果になるように動きたい。何の為に足があるかわからなきゃ意味ないし」
黙るしかできなかった。
翅なりに考えて決断した中で、隻が口を出せることは、正直言えばない。ないどころかできない。
それだけ今の自分の言葉は弱いのも自覚している。口先だけで、覚悟できていないのは自分のほうだ。
「……わかった。本当に無理するなよ。いざとなったら立標出して無理やり帰すからな」
「ちょ、強制? さすがに俺、千理みたいな無理のし方はしないって」
苦笑する翅に、隻は溜息が出た。わかっていても、この二人はどこか似ているというか、頑固というか。
ふと庭のほうを見て笑んだ翅は、足をぶらぶらとさせながら寝転がったではないか。
「……どうにも、俺はずるずる昔のことを引きずるダメ男らしいです」
「以下同文」
「同文って……まあそれは置いておいて。――隻さんって、学校は嫌いだったほう?」
自分も同じだからそう言っただけだけれど。問われた隻はほんの少しだけ考えて、「そうだな」と苦笑いした。
「学校抜け出さなかっただけマシってぐらいな。人と関わるの、元々得意なほうじゃなかったし、口開けばこの様だろ。ダチはいても、結局隼のほうが顔も信頼もバスケの実力もあったよ。気兼ねなく話せる場所なんて学校にはなかったな」
「それは寂しいな」
少し笑う翅に、隻は素直に「だよな」と笑った。夕方の空の明るさと言ったら、それこそ笑い飛ばしてしまいたくなるほどまだ、明るくて。
「自覚してるよ。実際中学の連中で未だに連絡取ってるの、この間の伊原ぐらいだしな。――バカみたいだって自分でも思ってる。過去引きずって傷のままにして、前に進めてなかった。……そういうところが、俺のまだ弱いところなんだろうな」
「……弱いって言うのもまた違う気がするけど」
弱いよ。
隼はちゃんと認めてるのに、俺はまだあいつのせいにしてる。
「――俺もさ、隻さんと同じ」
翅は麦茶の入ったコップで腕の熱をとりつつ、ぼんやりと天井を見上げている。
「俺がまだ一般人だった頃、俺ってかなり壊れてたみたいでさ。母さんと父さん――主に母さんからの影響で普通だけにしかなれないように育てられて。そのせいで失ったのが、友達」
翅の祖母はレーデン家の人間だった。縁を切って、一般人として生きることにしたという祖母は、翅の母――自分の娘に、幻生が見えないよう必死に想像の世界から離して教育したのだろう。
その結果、翅の時には、翅の母は漫画も小説も、テレビゲームも一切禁じて、成績も何もかも普通であるように教育したのだという。
「友達の名前、
「……禁忌って……幻生だったってことか?
人間を幻術で作り出すことは禁止されている。そも、生まれた幻生の末路は悲惨なものばかりだ。
現に、一度和解できた、千理の切り飛ばされた左腕から作り出された幻生の少年は、敵の都合だけで殺された。
もう一度幻生として甦るために必要な、幻の中からも、全て。
「うん、まあ、人間でもあるし。幻生でもあるし。けど更紗を作った人は更紗を人形としか見てなかったんだと」
人間でも幻生でもなく、人形……?
だから更紗はその人から逃げたんだと、翅は続けた。
「でも、『疲れた』って言って……俺に殺されることを望んで。俺がそれをできないのを知って、あえて焚きつけるために紀美さんも、響基の家族も、華淋さんの息子も、夫も殺して回った」
耳を疑って、翅を見るしかできなかった。
翅は、ぼんやりと天井を見上げていた。
「悟子が言ったように、あいつの存在はあいつが決めるべきだったのに。それさえ強制的にできない環境にいたんだ。更紗は、俺と一緒だった。自分を何百何千回殺して、手に入れたもの壊してまで死ぬことを望んだところも。だから、普通≠ナあった時代や更紗を思い出すから、学校は怖いんだ」
何も言えなかった。
言葉が出なくて、普段みたいに「そうか」とも、言えなくて。
いい迷惑だよ
永咲にとどめを刺した翅の言葉が、甦る。
「全部の理由がそうじゃないのも知ってる。かと言って、俺がきっかけじゃなかったと言えばそれも違う。人の死なんて、思い上がって背負うもんじゃないけど……止めを三回もさしておいて引きずってばっかなのも最低だよ」
――そうだろうか。
その止めを刺すように望んだのは、あの人たちで。
その気にしかなれないようにしてしまったのも、あの人たちだ。
けれど……
「ごめん、隻さん。こんなのこのタイミングで言っても、余計心配かけることだろうけど。今の話しとかないと学校行った時に余計心労かけそうだったから――」
翅の頭を、撫でるしかできなかった。
言葉も出ないし、何を言っても、傷つけるか
だからこそ、撫でるしかしてやれそうにもなかった。
「ダチだろ。変な気回すなよ。心配なんて、お前がお前じゃなきゃやってないよ」
翅のぽかんとした顔が、笑いながら崩れていく。
泣きそうな顔をごまかすように、麦茶を持ったままの腕が、カランと氷の音を響かせて目を覆っている。
「じゃあ、ダチの隻さんにはとっておきの秘密を教えよう」
「そりゃ嬉しいな――だからさん付け」
「……俺が魔王倒したのは、今まで会ってきた人たちの笑顔を守る為だから。――だから、何があっても、大事な人に裏切られても、泣かされても、その人の言葉で今の自分があることを忘れちゃだめだよ」
無視したなと見下ろした直後の言葉に、隻は目を丸くした。
丸くして、やっぱり言葉が、出なくて。
そっぽを向いた自分の口が尖っているのもわかってはいたけれど、ごりごりと翅の頭を撫でて悲鳴を上げさせた。
「いっ、痛い木目っ、くいこっ、いた!!」
「――わかってるよ。お前まで勘付くなよ、ったく……」
やられた。
やられた以上に、怖くて。
怖い以上にほっとして、笑ってしまった。
「え? 勘付くって……何を? ――っだぁ!?」
「ちょっと色々と返せよなあ。ボールで済むと思うなよっ」
「な、なんで!? いったマジ痛い、後頭部めっちゃ痛い……!」
「翅……隻……そろそろ夕飯、いいの?」
響基の生温かい声に、はっとした隻と翅。いつの間にか屋根裏部屋に上がっていたらしい結李羽が、万理と千理に笑いながら「お願いね」と声をかけて、レーデン兄弟二人がいそいそと庭の物置へと向かっていったのを見てぽかんとする。
確かにあそこの鍵は、ここに来てから開けはしたけれど。何をする気――
……未來が、大きなざるを笑顔で出している。
「今日は久々に戦争しましょうかっ」
「は?」
「結李羽さーん、ありましたよー。万理、組み立て手伝って」
「わかりました――あ、これですね、ホース。綺麗に洗ったらいけそうですよ」
……物置から出すもので、ざるとホースが必要で……
結李羽が戻ってきて、翅と隻を見て笑ってきた。
「じゃ、どんどんやっちゃうから覚悟してねっ」
「……なあ、聞いていいか? 戦争ってまさか」
「流し
「嘘だろ腹膨れないだろ!? 夜にやるのかよ!?」
「え、水道代勿体無いしアヤカリでよくね?」
……。
全員が冷めた目で翅を見下ろしていた。