千理が黙々と陣を描く。やがて「できた!」と声を上げた彼は、A4版の紙を床に置き直した。
海理を呼び出すのとはまるで違う陣の形は、装飾品のように見惚れてしまうほど綺麗な西洋の形だ。
「来たれ。黒より逃れ、縁を前に背きし者」
紙を見つめる隼が、目を見開いて後ずさったのが見えた。
「どうし――」
「い、いや……降霊……!」
ああ。
そういえば幽霊ダメなんだった。
生温かい顔で双子の兄を見やり、隻はすぐに顔を戻した。
霊感だけで咄嗟に反応しているとはいえ、冗談抜きに隼の霊感は強すぎるのだろう。陣に影響されているのか、呼び出される霊に反応しているのか、彼の顔は真っ青だ。
「その血ここに流れたり。その肉ここにあらずまま。その先
口が
陣を描いたプリントの白と黒が、一気に反転する。
その陣の真上に立ち、優しく千理を見下ろして頭を撫でる青年は、見覚えのある女性の顔立ち。
今頃一人でキャンプしているのではないかという、永咲との戦いでいきなり現れたビジュアル女性とそっくりな笑みに、隻は目を見開いた。
「っ、ああああああああっ!!」
『わあでっかい声。いきなり叫んだの誰?』
思わず指を突きつけてまで叫んだ隻は愕然としきったまま。響基が倒れかけ、翅に支えられている。その翅もああと言いたげに中空を見上げているけれど。
「そういえば言ってなかったっけ。その人、華淋さんの息子の
『世の燕尾服着てる人々に謝って。――どうも、小林青慈です』
軽やかな笑顔で手を上げる少年は中学二年生頃に見える。隻は驚きの冷めないまま放心しきって、いつきに溜息と共に頭を叩かれた。
はっとした。
「衝撃が走りすぎだ」
「……わ、悪い……」
『もしかして君が隻?』
「なんで名前知ってるんだよあんた!?」
『なんでって……翅や母さんからよく話聞くから、なんとなくそうかなって』
翅にじとりと視線を投げつけた。
翅はふいっと視線を逸らして口笛を吹いている。千理がのんきに手を上げた。
「青慈兄ちゃんお久ー。あ、でも久し振りじゃないか。十日ぶり?」
『そうだったかな? まあ久し振り』
いえーいと、自分が呼び出した幽霊とハイタッチするのんびり屋な会話に、隻は脱力しそうになった。その間に青慈は海理に『説得できた?』と聞いている。海理は平然と頷いていた。
『てめーより時間かからなかったぜ』
『あはは、いちゃもんつけて長引かせたの海理じゃん』
『あ? リベンジなら受けて立つぞマザコン円形脱毛症』
『っせぇな黙れ』
ドスの効いた声だ。誰の弟分かよく透けて見えると思いつつ、隻は青慈の頭を注視した。
彼の透けた金髪の中に円形脱毛症は見当たらなかった。
青慈の怒りに、海理は気にした様子もなくいつきを見下ろす。いつきの目が白いこと白いこと。
「……それで三十分か」
『おう。どうせ説明追いつかなくても強制的に呼びだしゃいいだろってな』
『いい加減ボクの都合ぐらい見てくれないかな? このブラコンが』
『あ? てめーの都合なんざ知るか。そもそもブラコンじゃねえ。どこに目つけてんだ、背中か?』
『背中に目つけてる変わった幽霊なんてそうそういないよ? それより海理、準備は終わってるの?』
『説明してからてめー呼び出しただけだぜ』
『ああもう!!』
「なんなんすか隻さん」
「お前ら兄弟、他人を苛立たせる天才だろもう」
「隻さんそれは周知の事実だよ。万理を除いて」
翅に重々しく頷いた。千理がぽかんとして海理を見上げ、ああと頷いている。いつきに部屋の中央に立てとか、その他全員部屋から出ろとか、散々身勝手な言い方をする海理に、全員思いは一つだっただろう。
こんな幽霊、絶対他にいない。
万理が隣で、「そっか」と呟いたのが聞こえた。
「兄さんが礼服に着替えたの、それでだったんだ……」
黒い袴は礼服だったのか。やっと合点が行った隻だが、反対に隼は二つ三つ向こうで落ち付かなさそうにそわそわとしている。
「……なんかやばい感じだな……」
「……お前が言うと本当洒落に聞こえないよ」
「呪いを解くんですから、危ないのはいつきですけど」
悟子が心配そうに部屋の中央を見やっている。複雑な紋様を描いた紙を口に
青慈が海理へと頷き、手を床に添えている。
陣が、浮かび上がった。
『
『あれ、合図は一応してくれるんだ?』
『気ぃ引き締めろタコ』
口の端を持ち上げて笑う二人に、千理が遠い顔。響基も未來も苦笑していて、結李羽が不思議そうに見やった。
「お二人とも、幽霊として戻ってこられてからも、コンビネーションが凄いんです」
「むしろ幽霊になってから強いんだよなぁ……体ないし、滅そうにも滅せないぐらい強いから」
バチンッ
張り詰めすぎた弦が勢いよく千切れるような音と共に、いつきの周りに黒い靄が縄のように絡まっている光景が現れて全員がぞっとした。いつきまで顔を真っ青にしている。
『落ち着け。可視できるぐらい、現実に呪いを落とし込んだだけだ』
『――なんだ、思ってたよりひどくないや』
さっくりとした一言に、いつきの頬が引き
『かなりいつきが解いてくれてる。これなら悪魔の力借りなくてもいけるね』
「え――」
『全員耳塞げよ。いつきは塞ぐな』
各々耳栓を装着する。一番速かったのは隼だった。以前響基の呪言で相当
海理が何事か唱え始める。合わせるように、青慈も。
いや、千理と万理まで口を揃えて何かを呟いている。なのに二人とも目を丸くして驚いているではないか。やがて何か
いつきに絡んでいる縄が、緩んだ。
ほどけて、ほどけて――緩みきったそれがどこから伸びているのかと、無意識に辿った隻はぞっとする。
心臓へと収束する縄が、一本に大きく絡まっている。
そして四肢へと、頭へと。あちこちに絡みつくしていた縄は解けて、ついにくたびれた糸のように千切れていく。
音のない世界の中、確かに見えた。海理の口に加えられた紙が、じりじりと焦げていく。
その焦げた臭いが鼻を突いて、
結李羽がはっとしたように、急に手に数珠を出して中空に投げた。何をしたのかと思いきや、庭に巨大な数珠が家を囲うように現れたのを見てはっとする。
結李羽が顔を青ざめさせて頷いてきた。
おにがちかい
口の動きで、見ていたのだろう響基が表情を変える。翅を突き、咄嗟にメモ紙を取り出して知らせて――あからさまに舌打ちをしたではないか。
ぶつんっ
最後の縄が切れ、心臓に達している根本だけが残される。途端に千理と万理の唇が動きを止め、海理と青慈へと頷いた。
耳栓を外した兄弟は、結李羽へとオーケーサインを出して庭に飛び出す。
突風が
もう一度突風が薙いできて、結李羽が崩れかけ、響基に支えられている。大丈夫だと頷く女性に、未來も肩を貸して支えている。結李羽の力強い目に、隻ははっとした。
はっとして、拳を握り締める。
いつきが苦しげな表情を浮かべないよう、真っ青どころか白くなった顔できつく目を閉じている。こめかみを流れる汗が、ぽたりと縄を濡らした気がした。
ざあっ
黒い縄が、風に
海理が素早く紙を口から放した。手で掴むと札を重ね、縄へと投げつけた。
縄が、弾け飛ぶ。
苦しげな表情を浮かべていたいつきが目を丸くしたその時、陣が消えて――
突き上げるような衝撃が走った。
〈てめーら耳栓取れ!!〉
海理の声が直接頭に響き、ぎょっとした隻はすぐに耳栓を取る。けれど結李羽だけ気絶してしまい、未來が悲鳴を上げて支えている。
「結李羽さん!」
「隻、隼さん、こっちに来て固まれ! 青慈、海理、いつき頼んだ!」
『了解――あ゛!?』
『守りなんざしゃらくせえ!!』
未來と響基が耳栓を取った。結李羽を抱きかかえて、隻は庭のほうへと目を向けて顔が青ざめる。隼と一緒にいつきの傍へ行き、青慈が前を固めてくれる。
『海理から聞いてたけど、早速お出ましか。――いつき、平気?』
「……ああ」
笑っている。笑っているのに、泣いていて。
結李羽を安静にさせた隻は、青慈と並んで立った。青慈が意外そうな顔をした後笑ってくる。
『君も狙われているんだろ? いいの?』
「ああ」