いつきに開かない物語は闇色の本となり、青慈を飲み込むようにページを開いて押し潰そうとしてくる。士と翅が素早く本の両端を押さえ込み、合わせたわけでもないのに床に叩きつけた。
「そのページのどこかにあいつら、いるんじゃないか!?」
「おっしゃ!!」
『俺
本、思いっ切り踏みつけてる。
青慈がはっとした顔で足をどけたが、同時に本が抵抗の気力をなくしたようにくったりと動かなくなった。ページを
「うわっ!?」
ポオンッ
単音が和音に、和音が旋律に。
一気に響き始めた音に、本がビシリと動かなくなった。着地する翅はほっと一息ついている。
「ナイス響基!」
「音効いてよかった、役に立てたよ!!」
輝く笑顔でアピールしなくても、十分役に立ってくれているのに。
琴を手に素早く演奏する響基に手を上げて礼を示し、翅が勢いよくページを捲った。
一枚、二枚。
そこにいたのは指差して怒鳴る格好をする千理と、飛び蹴りを食らわそうとして見事写真に収められた格好になっている海理の姿。
青慈が目頭を押さえて頭痛をこらえるように呟いた。
『間抜け』
「あいつららしいな……」
いつきまで頭痛の表情。未來が本をじっと観察し、ぽんと手の平に拳を打ち付けた。
「ページを破けば!」
「それでこいつらまで破れたらどうするんだよ!?」
『千理はともかく海理はいいんじゃない?』
「お前それでもダチか!?」
『だって幽霊だから。……まあ、ページを綺麗にとれば物語から切り離すって意味になるかもしれないけど……間違ってたら千理死ぬよね。だから海理で試そうか』
鬼っ。
嬉々として海理のページに手をかける青慈に、響基も、提案した未來でさえ顔が真っ青だ。
「い、いや待ったせい」
『れっつごー!』
「お前ええええええええええええっ!!」
びりびり、びり。
定規も使わず丁寧に切り取った青慈は、ふうと輝く笑顔で額を拭いている。青慈と士以外全員の全身に冷や汗が溢れた。
うああああああああああああああっ!!
海理のページが、海理の足型の辺りから盛り上がった。
盛り上がって、独りでに破れ始めて――
『っだああああああああああああっ!!』
出てきた。
出てきた挙句天井に足をぶつけて。海理が目を見開いて足を抱えて――
『いっ――でえええええええええっ!!』
床に転がった。ごろごろと何度も足を抱え込んで呻く海理を皆見送った。
あいつ実は生きているんじゃないか。なんで生者よろしく元気に痛がって転がれる。
言葉を失う一同の中、青慈は真顔で『はい次千理ー』と
「青慈……鬼……」
『悪魔王にそれ言う?
「お前後で塩投げるぞ」
『それはやめて!!』
顔を真っ青にした青慈の手が勢いよく千理のページを破り取った。
……。
千理、出てこない。
青慈ですら『あ』と間抜けな音を出して固まっている中、千理の紙は動かない。
…………。
「青慈いいいいいいいいっ!!」
びりっ
……。
端を破いてみる青慈の手を、その切れ端から手が出てきてむんずと掴んだ。
全員が背筋を
未來がわぁぁと遠い声。
「一本釣りでしたね……」
「いいの? こんな出し方オッケーなの?」
翅の疑問も
ぶんと投げ飛ばされた千理、勢いよく床に体を打ち付ける。
「――っ! いっ――たああああっ!!」
背中を押さえてごろごろと転がる千理。海理を乗り越えて長男に蹴飛ばされ、絶叫を上げて廊下を転がっていった。翅が真顔で追いかける。
……あ、避難袋の金属の箱に激突して泣いた。
青慈が後ろでほっとしつつ心臓の辺りを押さえているのを見て、士は冷めた目だ。
「謝ってくれば?」
『……内緒ね』
「青慈兄ちゃん何すんの!!」
『あ、知ってた』とぼやく青慈は真顔だ。見事な真顔だ。士は次のページを捲り、「ああ」と溢して――
自分の兄が描かれているページを勢いよく踏みつけた後、何度もその上でジャンプしてからページを雑に破いた。
さすがにその光景は青慈もいつきも顔が強張っている。響基は音で何をしたのかわかったのだろう。顔が真っ青だ。
「士……! や、やりすぎ!!」
「普段じゃできない千倍返し。よかったねー
……本当の鬼は、誰なのだろう。
もうわからない光景に、隻は顔を真っ青にしたままで。
萌のページも
「……一応命に別状はなさそうだな」
「っち」
「士!?」
「これで
どれだけ怨んでた。
青慈が本を閉じようと縄を取り出そうとした瞬間、隻が慌てて待ったをかける。
「
『今ここで? 無謀だよ。出しても一般人だからすぐに他の怪談の餌食になる。タイミング考えないと』
「ごめんそこのユーレーさん。あたしも隻先輩に賛同するわー」
士が次のページを開いて渋面を作っている。青慈も見下ろし、顔をしかめて『わかった』と頷いてくれた。
二つ前のページ――土気色の頬でぐったりとしている少年の前のページは、骸が描かれていたのだ。
勢いよく少年のページを破った士は、素早く言葉を並べる。
「八卦の導き、葉月の友よ」
羅針盤の上に伊原の弟のページが、小さくなって納まる。
「八方位、
羅針盤の上の針が三本、反時計回りに回転を始める。
ぴたりと止まった上の紙が、はらりと落ちた。青い顔色の士が紙を勢いよく叩く。
「おーい聞こえる? 聞こえなくても今から出すよー」
びりっ
倒れこむように出てきた少年は、気絶したまま呻いている。手には痛々しい紫の跡がいくつもある。本のページの中何度も外に出ようとしたのだろう。
あちこちにできた殴られた傷や
「相当喧嘩してたんすね、この人」
「……ああ。もうちょっと
そっと頭を撫で、隻は
『……ごめんね、時間があれば傷も治せたけど』
「こいつが望まないだろ。――
青慈は悲しそうな目で、少年を見下ろしていた。
猫もどきの体が大きくなり、伊原の弟を乗せたと同時、青慈が窓を開ける。
立標の頭を撫で、隻は背中を叩いた。
「伊原って奴の家に頼む」
立標が頷いてくれ、隻の胸に鼻を擦りつけると、窓枠を超えて翼を広げ飛び去った。
見送って本へと振り返れば、ザンと響く音と、未來の悲鳴。
「本がああああああああああっ!!」
海理が勢いよく切り捨てたために闇色の糸になって消えていく本に、未來が惜しむ声で叫んでいた。刀をしまおうとした海理は引き
『てめーの知識欲どうなってんだ……』
「だって、だってっ……本を見ると……ぁあああああああっ」
千理が遠い顔で立標を見送り、ほっとした顔で空を見上げている。
「無事に脱出できたみたいっすよ。隻さんの幻生も手出しされないんすね」
思わず吐息が出た隻に、響基がほっとした様子で演奏を止めて笑ってきた。
「これで怪談はほとんど大丈夫かな」
「――ああ」
隼と隻の同級生は、行方不明のままにしてしまったことが、悔しい。
悔しいけれど――伊原の弟と萌を救えたけれど。
せめて遺体だけでもという思いはあったが、全てのページが骸だった以上、これ以上探すのは隻自身の精神がもたない。
やりきれない思いのまま首を振った途端、千理が手を合わせたのが見えた。
死者の安らかな眠りを、願うように。