職員用女性更衣室。
隻も目を据わらせて思わず引いてしまった。
言う場所違う。
「ち、ちが」
「他に見てないところどこ?」
「おい聞け!!」
「家庭科室か? ――そういえば家庭科の授業でやたらと俺の飯集ってたな、女子」
「リア充ば――」
「いつき」
冷めた声をやれば、微動だにしなくなる阿苑家当主。士が「弱み握られてるんだねー」と冷めた棒読みで言ったおかげで、いつきがついに手と膝をついた。
それでも、近づいてきた幻生に対して苛立たしげに札を投げて、あっさり滅してしまうところは相変わらずだ。
「くそっ……! ライネ!!」
鉢植えが隻の目の前に突如現れた。ぽこんと、小さな花が三つほど咲き、頭が出てきて――
小さな少女がくりくりとした目で隻を見上げて、驚いた顔をしてまた引っ込んだ。
……えっと。
「こいつ、誰?」
「ドライアドのライネだ。植物の精で……人見知りが、な」
『ま、マスター、誰? これ、誰?』
これ。
これ。
……これ。
「これじゃない。味方だから安心しろ」
『で、でも怖い』
……怖い。
そっか。怖いか。
……怖いんだ。
「俺より怖くないだろ」
『怖いの……!』
……。
手元をまさぐる。
……ジュース、買っておけばよかったか。
「先輩の顔、いつでも喧嘩腰だからねー」
「いい加減お前は
士に言い返した途端、妹に背負われている萌が呻いた。その声にライネと呼ばれた少女がはっとして、鉢植えから飛び出す。
小さすぎる体は、子猫状態の立標の上にすら
ててて、と走って、萌をおずおずと見上げたライネは、首を傾げたあとふわふわと頭の上の花を揺らした。
途端に柔らかい香り。
萌の表情が落ち着き、呼吸が安定していく。隻は息を吸い込む度に楽になる香りに、ライネへとしゃがんで「凄いな」とこぼした。途端にライネはびくりとして一生懸命いつきに走り寄るも――遅い。
いつきがいたたまれない顔で抱き上げた。隻は笑いを堪えようとして吹き出す。
「ち、ちっさ……!」
『マスターは、小さくないよ! 小さいけど!』
「ライネ!!」
ぴゃっと効果音がつきそうな勢いで小さな手を口に当てる植物の精霊は、頭の花が二本蕾に戻ったではないか。恐る恐る見上げるライネは本当に小さい。手の平に乗れるほどだ。
「ライネ、戦えるのか?」
『た、戦える……よ?』
目を丸くする。おずおずとした返答に、隻は純粋に「凄いな」と呟いた。士も頷いている。
「ご当主、かわいい子に戦わせるんだ。鬼だね」
「こいつしか呼び出せないからな。あとかわいいのは元々舞那の遊び相手だったからだ」
かわいく創った自覚はあったようだ。
ライネの頭を優しく撫でる。怯えて縮こまった姿に苦笑した隻は「よろしくな」とだけ言って周辺を見渡す。
本当にあの先生、どうやって隠れた。というかどうやって全部の鍵を開けた。明らかに職務違反だ。
「ライネ、植物を使って一階を調べられるか?」
召喚主の呼びかけに、ライネが頷いていつきの腕から飛び降りた。柔らかく着地して、手を上に伸ばしている。
……窓から
ぎょっとする隻の前、ライネが『あのね、あのね』と蔦に呼びかけている。しばらくして『ありがとう』と礼を言う彼女は、蔦がするすると戻っていったのを確認して隻を見上げてくる。
外で草木が、ざわざわと揺れている音が聞こえてきた。
『一階は、怪談はいっぱい。でもね、先生はね、見なかったよ、って』
「ってことは芸術棟には行ってないか……?」
『でもね、
「いやあいつらはいい。知らない」
いつきたちまで生温かい顔だ。翅と響基が階段を降りてきて、どうだったと見上げれば肩を竦められる。
「四階はいなかった」
「……そっか。二階は?」
「え、隻調べたんじゃないの? とりあえず響基が音で確認してくれたけど、いなかったみたいだな」
響基が頷きつつ、
……なんだか悔しい。
「あれ、隻
「怖いってさ」
ああと頷く翅は、「モンスターテイマーの称号が」とかぼやいている。そんな称号誰がいるかと言いかけたそば、足の遅いライネを見かねて抱え上げてやる。
びくりと怯えたライネに苦い顔になりつつ。そのまま響基の肩に乗せてやると、嬉しそうにしがみついたではないか。
なんか悔しい。
『隻、ありがと』
「あ? ああ……」
秋穗を思い出して、そういえばあの座敷童は大丈夫なのだろうかと不安が過ぎった。
もう眠い時間じゃなかったか……帰ってやらないとそろそろぐずりそうな……!
「……なあ、先生どこならいると思う?」
「隻面倒臭くなってない? 自分が一番よく知ってるだろ?」
ばれたかと舌打ちしかけ、そっぽを向いた隻は職員室を見やって――ああと声を漏らす。
「そういえばよく、放課後自習してたな……」
『職員室の前で?』
「いや、帰る時職員室の近くで、いっつも捕まって連行されてた」
生徒がいなくなって空いた教室だったり、学習室だったり。授業をサボるべく飛び出した隻を追いかけて、屋上付近まで行ったものの、
恩があるというだけで、あの先生についていったわけじゃない。
なんだか、あの人の背中を追いかければ。おのずと自分が行きたい場所に行けそうな気がしていたから、大学に行くことを考えられた。
よっし、隻発見
はあ!? また自習かよ、嫌だって部活!!
三年にもなって勉強抜きに部活部活じゃあ、行きたい高校いけないぞ
別に高校行かなくてもいいよ
バスケ、高校の大会すっごいぞ
行く
よし来た! じゃあまずは漢字からな。ほら
笑い声が響いていた、職員室の前は。
他の生徒たちからは煙たがられた、あの空間だけは。
最後によく、先生と会っていた場所は。
「――あ」
目を見開いて、体育館へと走る。
一階は違うだろという後ろの声も、青慈の不思議そうな顔の脇も通り過ぎて、一気に走って、走って。
渡り廊下を飛ぶように抜け、重たい鉄製の扉を開け放った。
ダンッ、ダンッ。
バスケのボールを扱い慣れていない、不器用な音。
投げたまではいいのに、リングに届くどころか、その下の網すら掠めずに落ちていくボールに、独りで「うわーだめだな」とぼやく姿を見て、顔が歪む。
「やっぱり俺じゃ体育は向かんなあ。――思ったより遅かったな」
「速すぎるんだよ逃げ足だけ」
からからと笑う糸川は、優しく目を細めていた。
教室でもない。屋上なんて簡単な場所には絶対行かない。
広くて間違いなくどこからでも見えるし、確認なんて楽なはずの体育館で、男はボールを投げて、取りに行って。
投げ渡されたボールを手に、入り口からきちんとゴールポストを見据えて投げた隻のボールは、綺麗な放物線を描いてそこに収まった。
収まったのを見届けると同時に、目が霞む。
熱い目をぎゅっと閉じて、開けて。糸川を見据えれば、拍手が迎えてくれる。
「さすがだな。一生懸命、頑張ってきたもんなあ」
昔も言ってくれた。
バカなぐらいほかにやる気がなくて、バカみたいにそれだけが取り柄の、自分に。
それがお前ならいいじゃないかと笑ってくれたその位置は、全く変わらない。
糸川の投げ方が下手すぎて、隻が教えてやる羽目になるぐらい、頼りないボールの使い方は、やっぱり変わっていない。
「見つけたんだ、ちゃんとついてきてもらうぞ」
「え、俺まだ
「ボール投げられたいのかよっ」
苛立って幻術でバスケットボールを出せば、糸川が目を丸くして大声で笑い出したではないか。
「はっは! そいつぁ痛そうだ! 勘弁してくれ、お前さん幻術使いになってもバスケか!」
「そっ、想像力
翅たちが追いついてきた。響基がほっとしたような顔で見てきて、首を傾げている。
「なんで音が聞こえなかったんだ――?」
「音を消すのもまた、怪談ならではだろう」
糸川が笑いながら響基に答えている。ああと遠い顔をする響基は、青慈に苦笑され、肩も叩かれている。
『その様子なら、もう降参かな』
「そうだな。そういう約束だ」
……約束してたっけ。
それでも笑ってくれた糸川にほっとすると同時、むっとした。
「次バカやったら承知しないからな」
「怖いなぁお前さん。わかったよ――」
両手を上げて参ったと笑う男性が、歩み寄ってきてくれる。
どこにも闇はない。純粋に笑い疲れた顔の中年男性は、隻の拳に拳を突き出して返してくれる。
「言い忘れてたな。成人おめでとさん」
「――どーも」
笑えた。
吹き出して、肩も震えて。
だからこそ。
笑った糸川の左肩を