Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第21話 02
*前しおり次#

 白い天の川。
 そう思いたくなるほど美しい白の風は、季忌命の動きを完全に止めた。
 海理が真上へと浮遊する。青慈が五芒星から悪魔を一体呼び出す。
 大型のフクロウだ。翼から聞こえるはずの羽音の代わりに、不気味な囁き声がいくつも漏れ出てくる。
 猛禽類の目が骸を睨み捉えた。
『アモン。力を貸してくれ』
 ぽんっ
 響基の琴から音が連なり、瞬時に体育館の防音設備の影響か反響してくる。
 海理がにいっと笑んだ。
『隻、遅れてんじゃねーぞ!』
 海水を刀が、纏う。
 あらゆる呪術で完全に動きを止められた積年の恨みの成れの果てが、海水を纏った刀に貫かれる。
 ダンッ
 バスケットボールが、刀目がけて投げつけられて。
 即座に落ちた雷に、季忌命の着物が全て焦げて――

 何故

 何故

 ナゼ

 決して覗かぬよう、お願い申し上げました

 信じてくださいますよう、お頼み致しました

 カタチを骸に変えられても想いは変わらず、お傍に――

 なのに何故……

 何故……

 糸が、ほどけていく。
 ほどけていく糸にのこされ、一緒に空へと消えていった色は。どこよりも悲しげで……
 消えてもなお、そこに色が残っているようにさえ、見えた。
『……恨みだけで反応しないはずだな』
 残された着物から刀を引き抜き、還した海理は、その右手を胸の前にすっと立て、黙祷している。
 頷いた隻は、体育館の天井を見上げて目を細めた。
 裏切られたことに怒るよりも。
 季忌命に引き継がれた想いは、誰よりもはかない、人の祖の切ない祈りだったのかもしれない。


伊耶那岐命イザナギノミコト――要するに伊耶那美イザナミ旦那だんなとの有名なやり取り、知ってるか?』
 擦り傷に切り傷にと抱えたまま、校門へと歩く一同に、海理は唐突にそんな話を振ってきた。
 とはいえ、元一般人だった隻に向けられたものだろうとすぐに気づいて、小さく頷いた。
冥府めいふの王になった伊耶那岐から、『一日に千人を殺す』って言われて、『一日に千五百人の命を産む』と宣言したって奴か?」
『それだよ。つっても、伊耶那美が喧嘩を売った話は、古事記に書かれてるだけだって話は?』
「それは……初耳」
 突然どうしてそんなことを言い出すのだろう。海理が目を細めて見下ろして来るのも意外だ。
『同じ物語でも出典次第で解釈が異なる一例から、ああいう奴も生まれるんだよ。今後もそういう奴と遭った時は複数出典を疑って、仲間と確認取ってみろ』
「ああ……わかった」
 先を見据えてのことだったのか。やっと腑に落ちた隻は、そのまま話し続ける海理に苦笑いを浮かべた。
 周辺を警戒する余力がないことも、気を抜けない自分も見抜かれていたらしい。
 古事記の後に編纂へんさんされた日本書紀では、伊耶那美命は冥府――つまり黄泉よみの国には行かなかったそうだ。
 全ての子供たちを産んだと言われる日本書紀であれば、季忌命が生まれることはなかったのだろうか。
 古事記と日本書紀。結末の違う日本神話のどちらが本当の日本神話なのかは、隻たちは知らない。現在でもこの二つの神話のどちらが本物なのかという話は、解決されていないという。
 ただ――
「……あの鬼。またよみがえらされるのかもしれないんだよな」
『そうなるね。……あれを知っている幻生は多数いそうだから』
 千理を背負って頷く青慈は、浮遊しながら『あーあ』とぼやいている。
『あれじゃ次に復活したら、皆を狙ってきそうだね』
「どうだろうな。――なんか、あの声聞いたら、違う気がする」
 天の川は、ほとんど見えない。
 よろよろと歩くきざしがむっとしたままでいるのに気づいた隻は、困り顔になった。
「大丈夫か、お前」
「――別に平気です」
 ふいとそっぽを向く姿に、翅がむかっ腹を立てた顔をして。隻はいいよとだけ返した。
 ぐったりとしている糸川には、戻ってきた立標たひょうの背に乗ってもらっている。
 怪談が全く干渉してこない静かな学校に、鉢植えに入るサイズへと戻ったライネがいつきの肩で不安そうに辺りを見回している。
『静か、なの』
「本当だな――うわあ」
 響基が苦いものを飲んだような顔で、校門から目をらした。
 隻も目をやって、愕然がくぜんとする。
 巨大な落ち武者むしゃの、アンデッド。
 校門を出たすぐそこの道路に鎮座ちんざする姿は、鬼面をつけて隻たちの真上から見下ろしてくる。鬼面が落ちてくると錯覚するほど屈み込まれていると気づいた瞬間、背筋が粟立った。
 海理が顔を引きらせ、『うっげ!!』と叫んだではないか。青慈が千理へと慌てて振り返り揺するも、起きる気配がなく舌打ちをしている。
「なっ、あれも怪談か!?」
「い、いや違う。あれは対アンデッドディモナモルスの――」
「ああ、いたね」
 長髪が、ゆるやかに流れた。
 白髪を揺らす男性は、見た目だけが若々しい。隣に渋面の万理がひかえていて、隻は目を丸くする。
「なんでこっちに来てるんだよ!?」
「……一緒に来るようにとの、ご命令でしたので」
 ご命令? まるで上役に言うような――
 そこまで考えて、隻は言葉を失った。先ほどの響基の言葉が耳を打つ。
「随分な様のようだ。久しぶりだね、千理」
 幻生に対抗するための組織のひとつ。対アンデッドディモナモルスの、上役だとすれば。
 海理が苛立たしげに『はっ』と見下した。
『わざわざお越しくださるとはどういうご了見りょうけんでしょうか? 幹部、叶浪かななみ透鳴とうめい殿』
 青慈がもの凄く苦い顔でたたずまいを直し、溜息をこらえて頭を下げた。
 透鳴は笑んだまま。目を留めた先にいたいつきも、苦い顔で頭を下げて――睨んでいる。
「何故ここに」
「久しいですね、阿苑あぞの当主。こちらには休暇、という形で来られたと聞き及んでいるのだけれど、どうなされたかな」
 痛いところをまた。いつきの、凛とした顔を崩さない姿勢にはむしろあこがれる。
「近隣で被害の大きい怪談が存在していたならはらうのは務めだ。相違そういはないだろう」
「ああ勿論もちろん。けれど意外だな。君たちが介抱しているその男はその怪談の核ではないかな? ――ああ、八占やうらの」
 士と萌も頭を下げている。下ろした頭の影で、悔しそうな顔をしているのが隻から見えた。
「……この度の失敗、まことに申し訳ございません」
「縁がある以上、多少は仕方がないものだよ。君たちの所属は対アンデッドうちじゃない。時暦ときよみの禁術の件もまた、処罰は僕らがするものではないからね」
 士が視線を逸らし、隻は目を丸くした。
 まさか、手遅ておくれに近かったはずの伊原いはらの弟にかけたあの術は――!
「助けられる命を助けたまでなんですけど」
「ははっ、君らしいな」
 透鳴が笑っている。すっと流れる目で、糸川を見下ろして――隻は思わずその視線をさえぎった。
 透鳴と目が合い、微笑ほほえまれる。
「君が沙谷見相次郎の孫か。――いや、竹中相次郎と呼び直したほうがいいかな
「――なんで祖父の名前を知っているんですか」
 まただ。
 また、なんで祖父の名前が。
「知りたいなら後日、私の家に来なさい。友人たちを連れてきても構わないよ。――そうだな。とりあえず君の先生の件は、上手いことごまかしておこう」
 耳を疑う内容に、響基が困惑している。普段相手の感情を読むことが容易いはずの彼が動揺するなんておかしい。
「どうして俺の先生って……」
「見ず知らずの先生を、君たちの上役相手に庇い立てするほど、君は善人かな?」
 きょを突かれて固まる隻に、透鳴は笑った。
「君は純粋だな。そこのレーデンの養子の子以上だ」
「は?」
 思わずぼけた声で返す翅の頭を勢いよく叩いたのは響基だった。
 その響基へと透鳴は「気にしていないよ、奏明院当主」と返している。響基の苦い顔ったらない。
「――保留にして構わないと、ご判断されるのはどうしてです?」
 少なくとも処罰は間違いなく下る。それは隻もわかっているのに。
 男性は気に止めた様子もなく「そうだな」と空を仰いでいる。
「――因果いんが応報おうほう、とでも言うべきかな。ほかの理由は差してない」
 翅がついに視線を逸らした。透鳴は笑っている。
「と、言えば。君らは反応するかなと思ってね」
 ……なるほど。人のツボをよく知っているらしい。
 だんまりを決め込む中、万理が居心地いごこち悪そうにたたずまいを直した。
「叶浪様。ここまでのご同伴どうはん、ありがとうございました」
「いや。特に道中危険もなかったね。仰々ぎょうぎょうしくしすぎてすまない。――千理」
 たぬき寝入りがバレたと、千理が苦々しい様子で半眼を開ける。
「なんすか総長」
 上司に言う態度じゃねええええええええっ!!
 冷や汗だらだらの隻に代わって翅がぶはっと笑う。透鳴は笑顔で、万理の青ざめた顔を見やったではないか。
「君の兄は相変わらずだね」
「あんなの兄じゃないです!!」
「ばんっ!?」
『おーおー言われてら』
『海理もね』
『あ?』
 海理の据わった怒気に、万理が顔に手を当てて俯くのを堪えているではないか。透鳴がツボに入ったように腰を折って笑っている。
 ……。
 隻は思わず、青慈に背負われている千理を見上げた。
 ……総長?
 千理がこっくり、神妙な顔で頷いてくる。
 ――総長。
「まあ話を戻そうか」と、男性はすっきりとした笑顔で区切ってきた。
「彼のことだったね。この世界がもう視えなくなるか、引き入れるかは考えなければいけないだろうが――」
 視えなくするという言葉の時点で顔が青ざめかける。万理が鋭く透鳴を睨んだ後、悔しげに俯いている。
「少なくとも君のことを考えれば、彼はもうこのような事態は引き起こせないだろう。教職員の資格剥奪はくだつで丁度いい罰になる。全員痛み分けのようだし、僕としてはこれが一番丁度いい気がするけれど、ほかの罰を用意するべきだったかな?」
「い、いえ結構です。ありがとうございますっ」
「よろしい――さて。それじゃあ帰り道は用心するようお願いするよ。皆、よい夢を」
 カツン
 靴音すらも柔らかく、まるでこの世の人間とは思えないほど、気配も薄く。
 落ち武者の鎧を従え、姿を消した透鳴を見送り。隻たちは一気にふぅぅぅぅと溜息が漏れる。
「兄さんたち、失礼にも程がありますよ。叶浪様の機嫌が悪かったらどうする気だったんですか」
「総長の機嫌の良し悪しなんて高が知れてるしー」
「そのご意向で東京でも働かせてもらってたくせによく言いますね!!」
 耳を塞いで鳴らすこともできない口笛を吹く千理に、響基の頭痛が酷そうな顔が苛立った。
「下手」
 ……。
 千理が固まった。




ルビ対応・加筆修正 2021/03/23


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