桜の枝を、手でそっと払った。
大きな
神社の境内の中。社を見上げていた後姿に見覚えがあった。
「親父――じゃないよな?」
「……ははっ。
父の名前を親しげに呼ぶ姿に、隻はぎょっとして後ずさった。桜の枝が頭に刺さり、思わず呻いて桜の木から離れる。
「なっ、じじい!? 嘘だろ!?」
「じじ……随分な呼び
微妙そうな顔で振り返ってくるその表情は、ぼんやり覚えている記憶よりも若々しすぎて二十代に見えたが、確かに自分と隼に似ていた。
似ていたけれど、どこか達観したようなものに見えるような。
「何回かお前さんの夢に邪魔しちゃぁいたが、ずっと気づかなかったろう」
「は? ――やっぱりあの声じじいのか!!」
気をつけろよ
強くなりな
時折耳に残った言葉の端々が、懐かしいと思っていたけれど。
レーデン家で東京に帰る分の日程を考えていた時。一度は確かに枝垂れ桜の夢を見た気がする。もう一つは、帰省した後家の中で――
「……なあ。じじいを知ってる人がやたら幻生に関わってるの、なんでだ?」
祖父相次郎はきょとんとして、脱力するような溜息をついてきた。
なんだろう、ムカつく。
見た目の年齢はほとんど変わらない。同じ二十代前半ぐらいの頃の祖父は、あまりにも落胆したように長ったらしい溜息を見せてきたのだ。
「お前なぁ……俺の孫なんだろう? その辺気づいちゃくれなかったのかい」
「……ムカつく」
「へえ? ちっせぇ頃は俺の顔見るだけで柱の影だったお前さんがねぇ」
「ばっ、昔の話だろ!!」
にやりと笑われ、赤面した隻の拳が震えた。
隼を思い出すどころか、隼が江戸っ子になったような――!
「わかってねぇならそれはそれだ。どうせ浄香もそのことは知らねぇんだろう。もうじきどこそこの誰かが明かしてくれるだろうさ」
「……じゃあ何しに来たんだよ」
「警告だ」
目を見開いた。相次郎はじっと、孫である隻を見据えてくる。
その両目は
「てめぇはこれ以上幻生に関わるな。俺たちじゃあ、厄介なもんばかり引き寄せる。関係を断て」
「な、なんでそんなの言われなきゃいけないんだよ……」
「身を滅ぼしてぇなら止めはしねぇがな。隼には教え続けてきたが、俺たちは幻生に関わったら
意味がわからない。そこまで言うならどうして、祖父はあのノートを
万が一のために遺したはずの、ノートに記した手紙の内容を
「……あんたも俺の夢の一部なのか?」
「いや、違うな。小細工使って魂をちぃっとだけ、ここに
「……じゃあ関わるなっていう理由を教えろよ。あのノートはなんのために遺してたんだ」
相次郎が
沈黙が続く。
しばらくして吐息を
「
留華蘇陽?
夢の中なら、関係ないはずじゃ――
桜の根元に腰を下ろした相次郎は、隻に「まあ座れ」と促してきた。疑問に感じつつも同じく根元付近に腰を下ろし、祖父を見やる。
思ったより、小さい人だったなんて。
「……どっから話すかねぇ……」
「幻生に遭遇しやすかったっていうのと、浄香たちと知り合いだったっていうのは聞いたぞ」
「ああ、だろうな。うちにあいつが来たんなら、ばれるのは時間の問題だったろうさ」
気にしていないのか、
「関わってほしくない理由は、な。一つはお前が隻だからだ」
「――は?」
「お前さんは
どういうことだ。
自分が隻であることと、隼と別行動をとったことのどこがいけなかったと――
「普通の生活で独り立ちする分には問題ないだろうが、幻生の側に一人だけ深く突っ込んじまったせいで、隼の霊視能力が余計面倒なことになった」
「……俺が悪いってのか」
「そう
それなら何がいけないとでも言う気なのか。面倒というのなら、結局は悪いことをしたように取れるのに。
相次郎は苦笑して、「そうだなあ」とぼやいている。
「生きてきたことにケチつける気はねぇ。ただな、血のせいで俺たちは常に選択を狭められてる。どの生き物でも言えることだが、俺たちは生まれたその場で、本来狩られる側にいたはずなんだ。それが狩る側と一緒になっちまった結果の子孫だからな。――わりぃな。こっから先はやっぱり、俺が言うにしても荷が重てぇ」
口をやや押さえるように手を当てる相次郎に、隻は困惑した。
狩られる側が、狩る側と一緒になった。
どこかで聞いたような……いつだったろう。思い出せない。
「お前さんとしては、やっぱり隼の傍にはいたくないだろうが……」
「気色悪い」
「……あー、そうかい」
頬を引くつかせてまで笑わなくてもいいだろうに。隻は溜息をつき、祖父を見やる。
「一緒にいなきゃあいつが危険なのはわかったけど、悪いけど俺、そこまでするだけあいつに愛着も兄弟意識もないから。
「いや……だがな、このことはお前にも荷が重いんだぞ」
「やる前から全部できないで投げ出すのは好きじゃない」
「知った後で決められる内容じゃねぇから言ってんだ、年寄りの忠告ぐらい聞け」
「年寄りの自覚あったのかよ、六十後半で」
「違う違う、八十近ぇんだよ、俺は」
ぎょっとしてまじまじと祖父を見やった。ただでさえ若返ったように二十代頃の面立ちなのに、言われてもピンと来るはずがない。
「エイプリルフールは終わってるだろ!?」
「……あのな? 俺ぁ神隠しから
やっぱりピンと来ない。
「――そりゃともかくだ。お前がこれを知ったら、極論で考えなきゃあいけなくなる。
静かに、桜の枝が揺れた。
見上げた相次郎は弱ったように頭を掻いているではないか。
「時間かい? しゃあねぇなぁ……」
「時間って――おい」
「必要ならまた、お前さんの夢に邪魔するさ。お前が必要なら呼べばいい。留華の桜の枝、京都に持って帰んな」
ざあっ
桜の枝が、重たく下りて相次郎との間を隔ててしまう。
「じじ――」
「その様子じゃあ、離れる気はねぇんだろう?」
仕方がないと言いたげな、複雑そうな笑い。
「不器用な道楽じじいの頼みだ。下手に深く突っ込むな」
お前さんたちまで失うのは、耐えられねぇんだからよ