Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第22話「浄香、苛立つ」01
*前しおり次#

 桜の枝を、手でそっと払った。
 大きな枝垂しだれ桜の枝は重く垂れ、視界を柔らかに塞ぐ。その視界をずらした瞬間、若い男性の姿に怪訝な顔になる。
 神社の境内の中。社を見上げていた後姿に見覚えがあった。
「親父――じゃないよな?」
「……ははっ。幸明ゆきあきと間違えられるなんて久々だ」
 父の名前を親しげに呼ぶ姿に、隻はぎょっとして後ずさった。桜の枝が頭に刺さり、思わず呻いて桜の木から離れる。
「なっ、じじい!? 嘘だろ!?」
「じじ……随分な呼びぐさだな。そう言われるのは覚悟してたがよ」
 微妙そうな顔で振り返ってくるその表情は、ぼんやり覚えている記憶よりも若々しすぎて二十代に見えたが、確かに自分と隼に似ていた。
 似ていたけれど、どこか達観したようなものに見えるような。
「何回かお前さんの夢に邪魔しちゃぁいたが、ずっと気づかなかったろう」
「は? ――やっぱりあの声じじいのか!!」

 気をつけろよ

 強くなりな

 時折耳に残った言葉の端々が、懐かしいと思っていたけれど。
 レーデン家で東京に帰る分の日程を考えていた時。一度は確かに枝垂れ桜の夢を見た気がする。もう一つは、帰省した後家の中で――
「……なあ。じじいを知ってる人がやたら幻生に関わってるの、なんでだ?」
 祖父相次郎はきょとんとして、脱力するような溜息をついてきた。
 なんだろう、ムカつく。
 見た目の年齢はほとんど変わらない。同じ二十代前半ぐらいの頃の祖父は、あまりにも落胆したように長ったらしい溜息を見せてきたのだ。
「お前なぁ……俺の孫なんだろう? その辺気づいちゃくれなかったのかい」
「……ムカつく」
「へえ? ちっせぇ頃は俺の顔見るだけで柱の影だったお前さんがねぇ」
「ばっ、昔の話だろ!!」
 にやりと笑われ、赤面した隻の拳が震えた。
 隼を思い出すどころか、隼が江戸っ子になったような――!
「わかってねぇならそれはそれだ。どうせ浄香もそのことは知らねぇんだろう。もうじきどこそこの誰かが明かしてくれるだろうさ」
「……じゃあ何しに来たんだよ」
「警告だ」
 目を見開いた。相次郎はじっと、孫である隻を見据えてくる。
 その両目はかすみがかかったように、薄い何かを帯びているような。
「てめぇはこれ以上幻生に関わるな。俺たちじゃあ、厄介なもんばかり引き寄せる。関係を断て」
「な、なんでそんなの言われなきゃいけないんだよ……」
「身を滅ぼしてぇなら止めはしねぇがな。隼には教え続けてきたが、俺たちは幻生に関わったらろくなことがねぇ。連中が気づかないうちに手を退け」
 意味がわからない。そこまで言うならどうして、祖父はあのノートをのこした?
 万が一のために遺したはずの、ノートに記した手紙の内容をじ曲げてまで、今夢にまでやってきて言ってくるなんておかしい。
「……あんたも俺の夢の一部なのか?」
「いや、違うな。小細工使って魂をちぃっとだけ、ここにのこしてるだけだ」
「……じゃあ関わるなっていう理由を教えろよ。あのノートはなんのために遺してたんだ」
 相次郎がわずかに眉をひそめ、口を真一文字にして見据えてきた。
 沈黙が続く。
 しばらくして吐息をこぼした祖父は、近づくなり桜の幹に手を当てる。
留華とめはな。ちぃっとわりぃが、もう少し頼むわ」
 留華蘇陽?
 夢の中なら、関係ないはずじゃ――
 桜の根元に腰を下ろした相次郎は、隻に「まあ座れ」と促してきた。疑問に感じつつも同じく根元付近に腰を下ろし、祖父を見やる。
 思ったより、小さい人だったなんて。
「……どっから話すかねぇ……」
「幻生に遭遇しやすかったっていうのと、浄香たちと知り合いだったっていうのは聞いたぞ」
「ああ、だろうな。うちにあいつが来たんなら、ばれるのは時間の問題だったろうさ」
 気にしていないのか、飄々ひょうひょうと答える姿はどうにもよく掴めない。相次郎は何がおかしいのか、小さくこらえるように笑って息を漏らした。
「関わってほしくない理由は、な。一つはお前が隻だからだ」
「――は?」
「お前さんはひとりで幻生の世界に踏み込んだな。隼を置いて。それが余計、お前さんらの幻生との関わりを早めすぎた」
 どういうことだ。
 自分が隻であることと、隼と別行動をとったことのどこがいけなかったと――
「普通の生活で独り立ちする分には問題ないだろうが、幻生の側に一人だけ深く突っ込んじまったせいで、隼の霊視能力が余計面倒なことになった」
「……俺が悪いってのか」
「そうくな。生きて選んだ選択に善悪つけるのは、そりゃあ人間の傲慢ごうまんだ」
 それなら何がいけないとでも言う気なのか。面倒というのなら、結局は悪いことをしたように取れるのに。
 相次郎は苦笑して、「そうだなあ」とぼやいている。
「生きてきたことにケチつける気はねぇ。ただな、血のせいで俺たちは常に選択を狭められてる。どの生き物でも言えることだが、俺たちは生まれたその場で、本来狩られる側にいたはずなんだ。それが狩る側と一緒になっちまった結果の子孫だからな。――わりぃな。こっから先はやっぱり、俺が言うにしても荷が重てぇ」
 口をやや押さえるように手を当てる相次郎に、隻は困惑した。
 狩られる側が、狩る側と一緒になった。
 どこかで聞いたような……いつだったろう。思い出せない。
「お前さんとしては、やっぱり隼の傍にはいたくないだろうが……」
「気色悪い」
「……あー、そうかい」
 頬を引くつかせてまで笑わなくてもいいだろうに。隻は溜息をつき、祖父を見やる。
「一緒にいなきゃあいつが危険なのはわかったけど、悪いけど俺、そこまでするだけあいつに愛着も兄弟意識もないから。政和まさかずさんからもらった札なんかでしばらくは持つだろ。その間にあんたがらみの厄介事片付ければいいんだろ」
「いや……だがな、このことはお前にも荷が重いんだぞ」
「やる前から全部できないで投げ出すのは好きじゃない」
「知った後で決められる内容じゃねぇから言ってんだ、年寄りの忠告ぐらい聞け」
「年寄りの自覚あったのかよ、六十後半で」
「違う違う、八十近ぇんだよ、俺は」
 ぎょっとしてまじまじと祖父を見やった。ただでさえ若返ったように二十代頃の面立ちなのに、言われてもピンと来るはずがない。
「エイプリルフールは終わってるだろ!?」
「……あのな? 俺ぁ神隠しからぇってきたんだぞ。浦島太郎状態だったんだよ」
 やっぱりピンと来ない。
「――そりゃともかくだ。お前がこれを知ったら、極論で考えなきゃあいけなくなる。手前てめぇがそこまでの荷を、手前自身で背負う必要はねぇだろう」
 静かに、桜の枝が揺れた。
 見上げた相次郎は弱ったように頭を掻いているではないか。
「時間かい? しゃあねぇなぁ……」
「時間って――おい」
「必要ならまた、お前さんの夢に邪魔するさ。お前が必要なら呼べばいい。留華の桜の枝、京都に持って帰んな」
 ざあっ
 桜の枝が、重たく下りて相次郎との間を隔ててしまう。
「じじ――」
「その様子じゃあ、離れる気はねぇんだろう?」
 仕方がないと言いたげな、複雑そうな笑い。
「不器用な道楽じじいの頼みだ。下手に深く突っ込むな」
 お前さんたちまで失うのは、耐えられねぇんだからよ




ルビ対応・加筆修正 2021/03/23


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