Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第03話 02
*前しおり次#



「んじゃあ明日自由行動初撃? じゃあオレ、アパートの件色々やってきますね。どうせ纏める荷物少ないから、最初は一人で行ってきます。後でゴミ捨てとか応援頼むんでよろー」
 伊原も、隻の父も帰って寝る前の夜。蚊帳かやを見つけて広げ、懐かしいと興奮する声が数人から上がったのも、つい先ほどの話だ。熱帯夜から不思議と離れた夜風を取り入れるべく、縁側の窓を開け放して寝る大人数は、見事なものだった。誰が千理の隣で寝るかについては論議がひどく巻き起こったが、結局響基と翅が千理の両脇を毛布で固めてバリケードを作り、ひとまずは落ち着いた。
「昔の教訓だよな」
「なっ!」
「え、ちょひど!? トイレどうすんのこれ!」
 ひとまずは、落ち着いた。
 明日の予定は、どうしよう。
 翅は天袋てんぶくろを探す云々で落ち着きがないし、いつきはここに居残り決定になってしまう。隻は隼の自転車を借りて中学校まで行くつもりなので、早めに帰ってくる予定ではあるけれど、夜のことはあまり考えていなかった。
「どうする? 明日の夜どっか行くか?」
「東京タワー?」
「よく言った千理。お前俺を殺す気か」
「いや待って! そんなつもりあるわけないでしょうよたんま!」
 腕を振り上げられて慌てる千理が、バリケードの中で暴れている。翅と響基が両側から勢いよく押さえ込み、千理が暑さで呻いて静まった。笑いが響く中、悟子が夏休みの宿題を薄暗い中でもじっと睨んでいるのを見て、隣の隻が笑って頭をでる。
「明日でいいだろ。無理するなよ、目悪くするぞ」
「あ……はい」
「隻さん父親ー」
「なんか言ったか翅」
「ごめんなさいバスケボールなし!」
「翅学習しませんよね……」
「え、悟子!? 冷たい弟が冷たいよ……!」
「翅みたいなお兄ちゃんがくるぐらいなら万理さんがいいです」
「ああ、納得」
「隻さん!?」
うるさい!!」
 ずぼっ。
 見事クリーンヒットした枕は元々誰のものかといえば、いつきと響基のものだった。立ち上がってまでがら空きの背中に投げつけた響基が一番容赦ない。
 そう考えていたそば、まさか双子の兄も同じ表情だったとは思わなかった。
 案の定、翅と響基で枕投げが終わるわけもない。
 二次被害を受けて、千理が参戦したせいで余計煩くなった。普段温厚なはずの響基は本当に音に関してはよく怒るなと眺めていたら、翅が投げた枕はいつきの腹に当たった。
 隻は一瞬で顔をひきつらせた。
 阿苑家当主の顔には、見事な血管での怒りマーク。
「てめえ死ね一遍いっぺん落ちろ!!」
「ふぐっ!?」
 クリティカル。
 ついにかける言葉を見失った隻は、そっと溜息をついた。
「ダメージは三百だな」
「魔王倒したしなこいつ。五百でいいだろ」
 隻と隼、淡々とした会話。一応悟子に被害が行かないよう、悟子の頭の近くに枕を積み立ててやる双子の枕が――
「あっ」
 千理と響基に持っていかれた。そして勢いよく翅に集中砲火した。
 中学生の口から溜息が出る。頭上で飛び交う枕から身を守るために、夏用のタオルケットを頭の上まで引っ張り上げる姿に申し訳なさがよぎった。
「中学生の修学旅行じゃないのに、なんで中学生じゃなくて大学生年齢が枕投げで本気出してるんですか」
「ごもっとも――ぶっ!」
「はっはーざまあ千理! あれ、もう一個どこ行った――へぶっ!?」
 勢いよく投げつけた成果で、翅が蚊帳に勢いよくすくわれて蚊帳を揺らし、布団に強制的に戻された。素早く起き上がった翅の目は充血している。
「何をっ、やるか隻さ――いだだだ待って!?」
「待つかてめえ!! コントロール悪いんだよ!!」
 いつきから枕を受け取って投げ飛ばした。元バスケ部の全力の一撃に翅が撃沈した。
 いつきは軽く咳き込みながら自分の布団で寝転がり、枕がないと今さら気づいて渋面していた。響基が投げた枕を恨めしそうに眺めていたも、頬杖をついて翅を見やり、これ見よがしに鼻で笑っている。
 敗者は翅で確定のようだ。
 千理が満足げに、各勝者に枕を回している。最後に翅側のバリケードを蹴飛ばして、翅に分厚い毛布をかけて、自分の枕を満足げに取り返すなり寝転がった。
「あー余計な汗かいたー」
「あっつうううううううっあだっ!!」
「翅煩い!!」
「お前らそれでも親友か――へぶっ!!」
 翅目がけて二人分の枕。沈黙した背中から律儀に枕を返す千理も慣れすぎていると思う。
 その千理から笑顔で受け取る響基は、いつきにも枕を回しつつふっと微笑む。
「親友だよ。親友だけど煩い音含めて悲鳴はめっちゃ嫌い。そもそも近所迷惑だからな?」
 ……ご尤もなのだが、最初に枕を投げて事態を悪化させたのも響基ではなかったか。
 いつきがしれっとした顔で「政和まさかずの防音結界がこのためにあったとはな」とぼやいていたが、隻は違うと信じたかった。
 同じレーデン家の養子の先輩に、これだけのために結界を準備してもらっただなんて、恥ずかしくて頭が上がらない。
 悟子は平然とタオルケットを頭から退け、隻を見上げてきた。
「それで、明日の夜どうします?」
「……天文台行くか」
「さんせーい!!」
 翅のしくしくとした泣き声は、見事に聞こえなかったとか。


「じゃあ行ってくる」
「いってらー。よしいつき、遊ぶか花札で」
「どこで見つけた!」
 ……行こう。振り返るまい。
 一緒にきてくれることになった響基が遠い顔で笑っている。昨日の寝不足のせいか、見事に欠伸あくびを連発している姿には隻も苦笑いが精一杯だ。
「まさか枕投げ本当にやるとは思わなかったな」
「うんごめん。俺もまさか翅があそこまでコントロール悪くするなんて思わなかった。多分あれわざと」
「だろうな。千理の時まではだろ?」
「さすがだなあ隻さん……うん、だめだ。眠すぎて三半規管が」
「大丈夫かよお前……それで自転車扱げるか?」
 元々祖父の家にあった自転車を引っ張り出し、それにまたがった隻は、隼の自転車に跨ろうとして耳を押さえる響基を見て苦い顔。ふらふらしていて危なっかしい上に、響基はどうにも乗り方がぎこちない。
「い、いやその前に……俺自転車久し振りすぎて、ね?」
「ね? ってお前……自転車乗ったことないとか言うなよ」
「いやあるよ!? あるけど……目隠しして音の修行してた期間が長くて、覚えてない……」
 ……ああ。
 てっきり車でばかり移動して自転車に乗ったことがないのかとばかり……。
「……そっか。じゃあ後ろ乗れ。そっちの自転車で行くか」
「……あ……あー、うん……二人乗り……」
「見つからなかったら怒られないだろ。止まれる速度で行くからトロくなるけど。車は親父が持ってってるしな」
 ぼそりと呟きつつ響基に一度隼の自転車から退いてもらい、隻がサドルに乗って、響基は後ろに。マウンテンバイクでも荷台つきであったことが幸運だったが、響基は深い溜息だ。
「男とかぁ」
「残念だよなー俺も悲しいよ。落とすぞ」
「ごめんなさい!」
 さっさとぎ出した。
 翅が笑いこけている声が、響基曰く聞こえたそうだ。響基はずんと落ち込んで隻の肩にしがみついていた。
 隻、思う。
 どう転んでも響基と女の子で二人乗りをしても、響基が格好良く前に乗ることはないどころか、男気の強い女の子が元気よくペダルをんでいそうだと。


「耳がぁぁぁ……キンって、痛い……!」
「……帰りは歩いて帰るか? 五十分は確実にかかるけど」
「い、いや頑張る……いってぇ……!」
 市立、原崎はらさき中学校。
 門をくぐって懐かしさに目を細める隻とは対称的に、耳を押さえて中に入る響基。早速響く部活動生のかけ声が木霊こだまする。右手に校庭が、左手に見える校舎が、隻にとってはとても懐かしい。そのままだ。
 いて言うなら、教室側の窓の前に大きなV字型の耐震補強工事がされている程度で、見た限り変わった様子は特にない。
「ファイトー」
「ファイトー」
 女子テニス部の大きな声が、よく響いた。
 野球部もバッティングと球拾いの練習で、随分と頑張っているようだ。これから大会なのだろうか。練習に熱が入っているように見える。木陰で休憩を取る男子テニス部や、公園での練習が終わって戻ってきたのだろうサッカー部が汗をいている。
 不思議そうに見ている響基に、隻はぽかんとして笑った。
「そっか、お前も中学校そんなにいけなかったんだよな」
「うんまあ……行けたのはどのぐらいだったかなあ……」
「そっか。やっぱり雰囲気ふんいき違うか?」
「……多分違う。翅が言った通りだな」
 翅も同じ東京の出だから、学校の雰囲気も似ているのだろうか。
 翅の出身中学も聞いておけば、こっそり響基を連れて行けただろうにと心の中で舌打ちする隻。自転車を駐輪場に停め、校舎の玄関口から中に入った。スリッパにき替えて、事務室前の来訪者で名前を書いておく。
 響基に関して名前をどう書くか悩んだが――連名として自分の名前だけ書いておこう。来校者の札を書ければ、文句は言われないはずだ。
 響基にも札を渡し、職員室に向かって歩いていくそば。後ろから「沙谷見さやみ!?」と声をかけられ、驚いて振り返った。
 見つけたその姿は白髪の初老近い男性だ。隻は目を丸くし、姿勢を正して頭を下げる。
「お久しぶりですコーチ! まだここで指導してくださってたんですね」
「おお、元気そうだな! ……ん? もしかしてお前、隻のほうか! こりゃあ見違えたな、あれだけ荒れ坊主だったのに」
 言われ、ぎこちなく笑う。「兄貴は元気か」と笑って問われ、頷いた。
「今祖父そふの家に帰省きせいしてます。俺と、俺の友人――あ、こいつと他にもいるんですけど、みんなで泊まってるんですよ」
「こんにちは」
「こんにちは。そうか。お前たちがなぁ。昔じゃあ考えられなかったな。そういえばいくつになった?」
「二十二です」
「にっ……道理でオレもじじいになったわけだよ」
「コーチ……」
 思わず苦笑いが出てきた。安心したように笑う男性は、「進路は就職になったのか?」と尋ねてきて頷いた。
「はい、今京都に行ってます。知り合いの家業かぎょう手伝ってて」
「ああ、お前体力だけはあるもんなぁ」
 響基が吹き出し、思わずひじで突いて黙らせた。先生が大きな声で笑う。
「ははっ、まあ冗談だ冗談。心配してたけど元気そうでよかったよ。で? 今日はオレに会いに来たわけじゃあなさそうだな。さびしいだろうが、え?」
「いや、伊原いはらから聞いてたらコーチにも挨拶にって思ってましたよ。糸先いとセン――糸川いとかわ先生、帰ってきてるんでしょ?」
「ああ、伊原か。この間来たな。なるほどなあ――糸川先生なら職員室だろ。顔見せてやれ、きっと喜ぶ」
「はい。ありがとうございます。それじゃ失礼します――あ、コーチ!」
 立ち去ろうとする恩師の一人に、思わず呼び止める隻。振り返ってきた男性ににっと笑った。
「バスケ、高校でちゃんと全国行きましたよ。今度成人式の写真持ってきます」
「さすが! 楽しみに待ってるぜ」
「はい。ありがとうございました。失礼します」
 手をひらひらと、笑顔のまま去っていく男性を見送り。響基を見やると、微笑ましそうに見てくる。
「うん、いいなぁ。先生と生徒って」
「……昔は最悪な場所って思ってたけどな」
 響基にまた微笑ましそうに笑われた。吹奏楽すいそうがく部の練習の音に耳を傾ける響基は、音がほんの少し狂ったらしい楽器の名前を呟いて指をぴくりと曲げている。
「音はまだ悪いけど」とか、「才能ありそうな音が」とか、それこそ隣で呪文のように小さく呟く響基から少しずつ距離をとる。隻の様子に気づいたのだろう響基がショックを受けたような顔をしていた。
 職員室に顔を出すと、響基が項垂うなだれて隣の壁に頭をつけている。
「失礼します、卒業生の者です。糸川先生はいらっしゃいますか?」
「あ、少し待ってね――糸川先生!」
 女性の教師が呼びかけてくれた。思わず覗き込む隻の左奥、棚に隠れて見えない場所から驚いたように椅子を揺らす音が響く。
「ぁっ、はい!? なんです!?」
「先生……卒業生の生徒さん、来てらっしゃいますよ!」
「あー、はいはい。ありがとうございま――」


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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