Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第04話「響基、伝える」01
*前しおり次#

「ああ、そうそう。隻さん気づいてなかったみたいだけど、学校で妙なうわさが流れてたよ」
 はたと、暑く見苦しい焼肉の争いをしていた一同がピタリと止まる。焼ける音だけで焼け具合を把握できる響基の発言に、片づけが無事に終わって帰ってきていた千理が肉を大量に獲得しつつぽかんとしている。
「え、噂って? 隻さんこの辺でそんな悪さしてたんすか?」
「中学時代はまあ……隼ほどじゃないけど。先生とタイマン張ったり授業抜け出して学校帰ったりはしょっちゅうだったな……」
「うん俺には無縁の話だな」
「そっか誰も聞いてないからなー翅」
 じゅうぅぅぅぅぅ。
 翅、す。隼はご機嫌な様子で肉を取った。
 翅、顔を上げて悲痛な表情をした。しかし誰も構うことはなかった。
「それで噂って? うぁっちち、いい焼き加減、あっつ!」
「焼きたて食うなら覚悟しろよ。それで噂って?」
「……えっと、ね。怪談かいだん?」
 じゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
 翅がテーブルの下にいそいそともぐり込み始めて悟子に蹴られた。
「行儀悪い!!」
「いやお前もな?」
「あ、す、すみません! ――そ、それで怪談って?」
 下で声にならない悲鳴が上がった。隼が笑いながらひじ置きにしている翅から。
「……翅大丈夫? うん生きてるか。なんか学校で、七時半以降に入ったらまずいって言うのが女子から聞こえてきてた」
「肉没収変態」
「ちょっと待って!? なんでこれで変態!?」
「そっか、お前女子の会話を盗み聞くために音に敏感びんかんになったんだなぁ」
「違うよ不可抗力だよ!? って、待った、これ男子も会話に混じってたからな!?」
「愛の巣を盗み聞いたのか」
「隼さん食事中です!!」
 いそいそ、いそいそ。
 じゅぅぅぅぅぅぅ、じゅっ、じゅわぁぁぁぁぁぁ。
 隼は黙々と食べている。火傷しながら。
「……話戻していい? 俺健全だけど変態じゃないからね? どうにも俺たちの仕事に関わりそうだなって思ってさ。玄関でくつぐのにもたつきながら聞いてたんだ」
 誰もそこまで言えとは言っていない。
 肉を一通り焼きながら、隻もやっと自分の食にありつきつつ、ふうんと相槌あいづちを打つ。
「夏の怪談ぐらい普通じゃないのか?」
「……夏に怪談が流行はやるから俺たち忙しくなるんだって……」
 ああ、噂で実体を持つからか。
 千理が苦い顔で頷きつつ、「久々にあったチビらが言ってたんすけどね」と、まるで近所の中年女性が語るかのような前振り。
「最近東京、誘拐事件だの性犯罪だので、パトカー多くなってるらしいんすよ。それで外で長く遊べないって、チビらがオレに遊べってしつこくて」
「お前何してたの」
「片付けしてた」
 全員から白々しいと目でうったえられ、千理はそれでも肉を食う。やっとテーブルの下から出てきた翅が野菜を一通り取りつつ、響基に振り向く。
「なあ響基。隻さんの先生どうだった?」
「話るなバカ」
「ごめんなさい! いやでもね、怖くないんだけどね!? いや話たんま待ってあげて!?」
「ごめんな翅。それで」
「響基!? うぐっ」
「食事中煩い!!」
 また怒られた。
 響基は固まり、出番を取られたとやや落ち込みつつ。「それで」と続きを言っている。
「昔、深夜の十二時ぴったりに、女子がプールで自殺したことがあるんだって。隻さんの中学校」
「――そんなの聞いたことないぞ」
 隻と隼の声が重なった。怪談だからねと頷く響基は、渋面じゅうめんを作っている。
「で、その幽霊ゆうれいが夏になると、適当に誰かをプールに誘い込んで喰らってるって噂があるんだってさ。あともう一つ気になったのが、千理が言っていたのと関係ある気がする。よい、日没の時間だな――えっと、太陽が地平線に触れて、完全に入り込むまでの間だよ。その時太陽が雲に隠されてると、隣にいた友達が消えているかもしれないっていう怪談があるんだって」
「……確かに。ちょっと普通の怪談じゃないですね。語られ方が微妙におかしい」
 肉と野菜を挟んで取ったいつきも頷いている。皿に確保した後、腕組みをしているではないか。
大雑把おおざっぱに見せてるが、やたらと条件が細かい場所がある。怪談ってのは伝わっていくうちに、特徴以外省略されて、形が四角から丸になるものだからな。それに喰われるって単語は具体的すぎるだろ。そう言われたら嘘か本当か、試した時にわかりやすすぎる」
「もう一つおかしい点もありますしね」と、千理も頷いている。肉を大量に口に入れて、咀嚼そしゃくして飲み込んだ後首を傾げてみせた。
「隣にいた友達が消えてるって、後ろの怪談のほう。『どこそこにいたら』っていう残りやすい条件が、なんで語られてないんすかね。プールの十二時ぴったりっていう表現だって、プールのどこにいたらっていう条件が語られてないでしょ。意図的に隠されたか、意図的に作られて広められている愉快犯ゆかいはん的傾向が強いと思いますよ」
 ……あれ、万理じゃないよな。
 確かに目の前にいるのは千理なのに、こういう推測すいそくは弟顔負けに鋭く視点を突く千理に、隻は固まった。悟子が同意するように頷き、翅は……またうなっている。
「プールと宵……気にはなるけど……休暇中だし面倒だなぁ」
「お前な……そういえばエキドナは?」
「うん、さっき来て帰った。隻さんがいないうちに」
「は!? ちゃんと茶出したのかよ!?」
「うんそりゃあね? で、明日また来るって。面白い話持ってくるって」
 やめて!? ちょっと待て!?
 隼が真顔で頷いていた。
「すんげえ綺麗なお姉様だった」
「黙れ色魔しきま
「で。翅……この手の怪談は多分面倒だとか言ってられない気がするんですけど」
「ですよねーあーしんどい」
 面倒の次はしんどいか。そうか。
 隻は隼に合図した。隼は笑顔で親指を立て、翅の背中に肘を置く。
 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり。
「いぎゃあああああああああ――だっ!!」
「翅煩い!!」
 蹴り出された。


 結局天文台は明日行くという形で持ち越された。
 隻と響基で買ってきたケーキの奪い合いは、予想通りの争奪戦だった。
 焼き肉でもそうだが、どうしてあれで畳が汚れないのだろう。洗濯機を回す度に服の汚れは見つかるのに、謎だ。
 時折怪談の話に戻る度、翅がケーキを持ったまま部屋の隅に逃げてカタカタと震えながら食べて、悟子に怒られて。
 ただの噂、怪談と思って聞き流していた学生時代を思い出し。隻は苦い顔になる。
 縁側で涼んでいた隻は、またも勃発ぼっぱつしているまくら投げを見て苦い顔になった。蚊取かとり線香を近くできつつ、煙が口の中に入って咽る。
『皆様賑やかでございますな。これほど楽しい風景はなんとも久々なことで』
「ああ、お帰り。今日いなかったけどどうしたんだ?」
 尾が白い、自称祖父そふに仕えていた従者の白尾しらおからすが、隻の近くに寄ってきて蚊取り線香の煙で虫を払っている。頭を下げる白尾ノ鴉は、『神体で休んでおりました』と、神棚かみだなへと目を向ける。
『私の神体はあの羽根と鴉石からすいしでございますからな。鴉石は戦争時、破壊されてしまいましたが、相次郎様が作ってくださったのです』
「……あのじじい、色々やってたんだな」
『それはもちろん』と頷く白尾ノ鴉。けれどすぐに首を捻り、仏壇を見やった。
『私たち化生けしょうの者には、特に。けれど人間はほとんどが、相次郎様の力を異質なものとしてとらえ……悲しいことですが、奥様にもそのことは告げても、生涯信じてもらえないままでした。本当にそうであったわけではないとは思うのですが。奥様もこの家にとつがれ、近所の人間より風当たりを強くお受けになられておりましたからなぁ』
 体裁ていさい的に、そうするしかなかったのだろうか。
 戦後、祖父は職にくことも少なく、ほぼ遊び人のように見られていたと父から聞いたことがあった。中々肌に合わず転々としたらしいとも。
 今なら、なんとなくわかる気はする。人と違う世界を見るということは、それだけ疎外感そがいかんの中にいるわけだから。
 けれど時代が古ければ考えも今と違うその当時では、祖母そぼでさえ味方になるには難しかったのかもしれない。
 息子のこと、家のこと。きっと色々考えた結果、不幸な嫁をえんじて食べていくしかなかったのだろうとも、考えられるのだ。
 ――そう信じたいだけだった。
「……なあ、鴉。あんた、俺たちが通ってた中学校知ってるか?」
『ええ、存じ上げておりますとも。毎年坊ちゃん方がお持ちくださった通信簿つうしんぼ拝読はいどくさせていただいておりましたからな』
「おいちょっと待ったなんで!」
『やはや、私めにもまごがおりましたらと、幸せな時間ですぞ。ちょっとぐらいよいではございませんか』
 あの、一と二が羅列られつされた成績表で幸せになられても。
 げっそりする隻に、白尾ノ鴉は頷いている。
『先の、紳士がおっしゃられた怪談をお調べになられるので?』
「え? あ、ああ。……一応な。できれば仕事のことは、今は忘れておきたいけど……世話してもらった先生たちがあそこで働いてるんだよ。後輩たちがもし危なくなってるなら、『見て見ない振り』はしたくない」
 白尾ノ鴉が深く頷き、『承知しょうちいたしました』と翼を広げている。
『坊ちゃんのご勇決ゆうけつ、この鴉、しかと拝聴はいちょうたまわりましたぞ。喜んでお力添えをさせていただきます』
「……ど、どうも……なあ、だから坊ちゃん呼び止めろよ、呼び捨てでいいから……な?」
『いえいえ、相次郎様の大切なお孫様に呼び捨てなど恐れ多い。それでは行ってまいります。皆様、よい夢をご覧くださいませ』
「あ、行ってらーっす?」
 微妙そうな顔をする隻は、鴉の頭を撫でて――飛び去る姿を見送った。
 ……なんだか、妙に嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「隻さんまた幻生げんせいに気に入られたよなぁ」
「元からみたいだぜー? 鴉、おれと隻のことはやたらと世話焼いてくれてたし」
 ……。どこから突っ込もうか、色々と悩んだけれど。
 蚊に刺された場所を無意識にいて、隻はむずがゆい気持ちを残して蚊帳に入った。
「あっ、なんか今蚊の音したんすけど! ちょい隻さん今入れた!? 入れました!?」
「人のせいにするな叩け!!」
「さーいえっさー!!」
「あの、僕の鳥出せば叩かなくてもいいと思いますけど……」
「わかってないな悟子。それじゃ青春じゃないロマンじゃない!!」
「蚊を叩くどこにロマンがあるの!? ちょっと待った翅落ち着け、暑さにやられてるだろ!?」
「レッツゴーはえ叩き!!」
「……蚊、蝿叩きぐらいすり抜けるだろ。誰か電気つけろよ……」
 暗闇での戦いは、熾烈しれつを極めた。


「いつきー、ちょっとちょっと」
「今度はなんだ鬱陶うっとうしい」
「いいからちょっとちょっと」
 仕方がないと、隻と一緒にテレビを見ていたいつきがこしを上げる。ここに来てからというもの、大きく体調を崩す気配がないいつきにほっとしつつ、隻は翅がいる台所のほうをひょいと覗き込んで固まった。
 天袋に繋がる階段が、降りている。
 ついでに天井、なんだか綺麗になっている。
「開けてみました」
「お前何やってる」
「だから開けたんだって――あ、やっほー隻さん。隼さんから許可はもらった」
「……バカ隼どこだ!!」
 姿はない。双子の兄は煙もなければ影も形も見当たらないではないか。
 わなわなと震えつつ、ふと気づく。
 悟子、いない。
 響基も、いない。
 よくよく見渡す。千理もいない。
「あー隼さん? 東京タワーとスカイツリーの足元見せてやるって、響基たち連れてった」
「……あいつ……!」
 道理どうりで静かで楽だと思ったら!!
 この無駄に暑い時に苛々させられるのはもううんざりだ。機嫌よく上に上がっていく翅に、いつきが躊躇ためらって……上った。
「アヤカリサンキュー。ほこりどのぐらいある?」
 自分の幻生を掃除機にするな。
『んっとねー。待って、今元の姿戻って表面に押し出すからー。うわ、気持ち悪いくらいあるよ翅!!』
 そりゃそうだよじじいが死んでから十年以上掃除してないから。カビだの埃だの古びた空気だの、とりあえずそこは腐海の森のはずだ。
「よし、明かりよろしくいつき!」
「ったく。光の精霊ウィル・オ・ウィスプ


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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