シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第06話「暖かなる場所」01
*前しおり次#

 早朝、辺りに霧が巡っているその中。レリオスはテントから抜け出し、服の破れた箇所を縫っていた。
 スケルトンによる傷跡は透明なかさぶたのようなもので覆われていたが、すぐにウィシアに塗られた薬が固まったものだろうと思い、布をあてがった服を着なおした。それと同時にウィシアが出てくるものだから、彼は思わずほっとする。タイミング悪く顔を出されて、大きな声でも上げられたらたまらない。
 今朝には出発するつもりでルフとは既に話をつけていたし、ウィシアにも寝る前に伝えておいたから、そろそろ準備が始まるだろう。
 ずっと引っかかっていて、あれからレーゲン親子とは全く話せなかった。
 少なくともベルタたちを連れて行く事はしないと決めているから、どの道会うとしても、戦いが終わった時ぐらいではないだろうか。
 ルフが昨日話してくれた事は辻褄が合う気もするし、何かが足りない気もする。
 まだ不完全なピースをはめ込んだように、妙な隙間を残したパズルが一角だけ完成した。そんな気分だ。
「おはよう、レリオス。ルフは?」
「いなかったのか?」
 見張りの時間も終わり、ベルタの父タチィと言葉を少々交わした時。確かにテントの中でルフが寝ていたはずだ。自分が服の裂け目を繕っていた時に外に出たのだろうか。
 耳を澄ましても、聞こえてくるのはルフが植えたという眠り歌の木の、葉と葉が擦れる音くらい。
 ウィシアが首を傾げ、レリオスは知らないと首を振った。
 ベルタはまだ寝ているようだったから、いくらここに長年暮らしてきた彼女とはいえ、置いていくのはやや気が咎める。しばらく待つべきだろうか。
 と同時、遠くから僅かに声がした。
「ウィシアはここで待機してくれ、見てくる」
「え? うん……?」
 不思議そうな表情を見せたアンドロイドの少女。すぐに眠り歌の木の中へと身を投じたレリオスは、葉を掻き分ける音の中に確かにルフの声を聞いた。
「――は――という――か!」
 絶叫する以外聞いた事がないほどの大声を出している。地下拠点で自分が動いた事をすぐに察知していた彼とは思えないほど、どうやら自分の接近に気付いていないようだ。
「ハギマ――アの二の――分かってる――」
 昨日の合言葉に出てきた名だ。たしか敬虔なる連れ星の、ハギマ。
 葉の音が邪魔で上手く聞き取れない。もう少し近づけるだろうか。
 歩みを進めつつ、レリオスは最近疼いている好奇心を止められない。何度も足を踏み出しては躊躇いつつ、けれど一歩一歩確実に、木の根にも躓かないよう慎重に近づいていく。風が吹くタイミングを見つけては進むなんてやり方、いつ覚えたのだろう。
「ハギマとソフィアの事は関係ないと言っているでしょう!」
「おまえ自身が分かってないんだ、ルフ。ハギマをレリオスと重ねてるのはお前なんだぞ」
 ――どういう事だ?
「そんなつもりはありません、少なくともボクは……! レリオスを守れるならそれでいい、もうアブルもリシェルも悲しませたくないんですよ!」
 今まで敬意を示していたらしい自分の両親を呼び捨てにした? 何故――
「それはあなたがレリオスを守れなかったから? そのせいでモノンさんが行方をくらましたと、本気でそう思っているの?」
 立ち止まった。もう近づかなくても、十分聞き取れると分かったから。
 それだけでなく、足が動きたがらなかった。
「少なくともルフ、あなたは確かにレリオスを守った。外に出たのはレリオス自身の意思よ、あなたの目が行き届いていなかったからじゃないわ」
「ですが」
「あの時最初にいなくなったのはベルタよ。レリオスはベルタを探しに外に飛び出して捕まったのは覚えているんでしょう?」
 心臓の鼓動が消えそうだった。
「ですがあれはかくれんぼをしようとしていただけですよ、ベルタは」
「――もう止めるぞ。聞かれてる」
 ばれた
 足を動かそうとしても、動かない。
 信じられなかった。
 目の前の草木が大きく揺らされ、タチィが顔を覗かせて罰の悪そうな顔をする。
「聞いたんだろ、今の。――悪い、忘れてくれ。少なくともお前もベルタも、ましてやルフも悪くない」
「――俺はいったいなんなんだ」
 分からなかった。
 心臓を貫かれたと言う話も、〈天恵の魔石ヘブレス〉を埋め込まれた話も。
 捕らわれたという事も、〈魔化〉の話も。
 全部繋がるようで、繋がらない。
 取り払われた草木の間から、ルフの悔しそうな表情が見えた。セシリアの辛そうな、言葉には到底表せない表情も。
 しばらくしてタチィは、父親のような優しげな笑みを少しだけ浮かべてくれた。
「いつか話すよ。俺らも把握できてないからな。全部分かったら教えてやるよ」
 レーゲン親子に別れを告げ、眠り歌の木の群生地から出たレリオスたちは、タチィらから受け取った情報を元に次の場所へと向かっていた。
 既に無彩の街スタで行方をくらまして三日。これだけ日数が経ったのだ。おそらく母は解放されたか、自分の変わりに処罰を受けたか。おそらくは前者であるだろうと、レリオスは心の中で願う。
 同時に、自分が見えない恐怖はもうこりごりだった。
 いくら草を掻き分けるように真実を探しても、見えてくるのは新たな草ばかり。
 きっと、ルフらが隠している事を全て明かされでもしない限り、答えは見つからないのだろう。
 館の動向を確認していたというタチィたちから、今も確実に生き残っている仲間を紹介され。再び無彩の街へと戻ろうとしているも、ルフはあまり乗り気ではないようだ。
 自分が死んだと思っているのは、おそらくレーゲン夫妻だけではないはず。レリオスにこれ以上真実を見せたくないという思いが強まっているのだろうか。
 地下拠点以外にも存在する地下道へと着き、レリオスは周辺を見渡した。
 草に隠された――というより、人が通らないために隠れたのだろう。十年間で大きく伸びた草木のせいで、入り口は獣の巣穴同然の荒れ具合だ。入り口はしっかりとしているも、その分動物たちが入り込んでいそうで、ウィシアが地面を観察して苦笑いしている。
「……大きな動物、いそうだよ?」
「熊か」
「考えたくありませんねぇ……せめて小さい動物の足跡ならボクの食料になるんですが」
 どんな時でも食を頭の中から閉め出さない彼には天晴れとしか言いようがない。レリオスは肩を竦め、天恵魔術で〈魔石〉に光を灯す。
「他に道はないんだろう」
「そりゃ、もちろんありますよ。中で枝分かれしている道ならですが」
「とにかく入らなきゃ始まらないんだね」
 行きたくなくとも、そうしなければどう転んでも自分たちに勝ち目はない。ルフも諦めたらしく、いつものように先頭に立って奥へと進んでいく。ウィシアを二番目に、レリオス自身は最後尾を進み始め、周辺を警戒しつつ地下道へと入る。
 中は日陰を主とする植物が序盤に生い茂り、日の光が当たらない場所では湿っぽい空気が出迎えてきた。キラー・ワスプを撒いた川の流れはスタへと繋がっているはずだから、支流が近くにあるのだろうか。
「この奥は確か、スタにも繋がっているはずですが……残っていますかねぇ」
「この洞窟が?」
 意外でしたか? 振り返ってウィシアの表情を見たルフは楽しそうに笑っている。
「スタにも整備が遅れていた地域があるんですよ。十年も経っていますから、もう扉でも設けられていそうですがね。よくここを使って眠り歌の木の秘密基地で遊んだものですよ」
 そのための通路だったのか。
 レリオスは納得しつつ、動物の足跡がないか確かめつつ歩く。
 小さな足跡は見受けられたが、大きな足跡となるとさすがになさそうだ。やけに深い蹄の跡を見つけたものの、割と古い足跡のように感じたため、気に止める必要はないだろうと思う。
 先頭を歩くルフを見ているうち、ふと前方に光が差し込んでいるのが見えた。
 出口だろうか。その割には光の帯が斜めに差し込んでいる事に疑問が浮んだが、やがて近付いて納得する。
 洞窟の天井が一部崩れ、光を取り込む穴が開いていたようだ。植物たちも地下であるはずの洞窟へと根や葉を伸ばし、光の帯を浴びている。
「わあ、綺麗だねっ」
 嬉しそうにするウィシアを後方から見つつ、レリオスは小さく頷いた。
 生存権の奪い合いを逃れたように穏やかに息づく緑の彼らは、ただ静かに微笑んでいるようで。
 一瞬だけ、ウィシアが自分をスタの外壁、観光用テラスが設けられた場所へと引っ張っていってくれた時を思い出した。
 赤い稜線。
 黄金色に輝く太陽は、〈隕石ユパク〉によって出来た湖も、黄昏色に染め上げて。
 燃えるような、輝くような地平線も、湖も、空も。
 そして、ウィシアの横顔も。
 たった一瞬なのにとても儚くて、その感覚を抱いたあの瞬間、自分が外に出る事は決まっていたようにも感じられて。
「ウィシア」
「え? 何、レリオス?」
 ぽかんとして振り向かれるかどうか。口を開こうとして、レリオスはすぐに閉じた。
「……何でもない。頭に泥が付いているぞ」
「えっ、うそ!? さっき落ちてきたのかな……お風呂入りたあい……」
 毎度アンドロイドらしくない少女だ。回路が水没しかねないというのに。
 ……水没するようなら、川に飛び込むような真似もしないか。
 ルフが平凡に笑っているのが見えた。
 枝分かれする洞窟だが、中にはX字の様な十字路もあった。最初に突入した地点が最終的な出口、と言うわけではなかったようだ。
 結構な距離を歩いた気もするようになってきた頃、ルフが小さく歓声を上げた。
 どうやら目的の場所に来たらしい。通路の最奥を鉄製の扉が重く塞いでいた。
「ありましたありました。えーっとですね……あ、レリオスー。好きなものってあります?」
「……なんだ、急に」
「いいじゃないですか。ほらほら、さっさと答えるですよー」
 軽く流され、釈然としないまま思考を巡らせるレリオス。
 きっとルフの事だから、食べ物の事を言いたいのだろう。けれど嫌いな食べ物はあっても好きなものは全く思いつかなかったし、大体なんで今聞くのだろうか。
 ひとまず適当に答えておけばいいだろうか。
「ジャンボスタ煎餅ピリ辛味」
 ウィシアが吹き出したのが見えた。そのまま笑いをこらえているのを睨みつけたも、ルフは扉に備え付けてあるらしいキーボードを叩いたまま気付いていないようだ。
 やがて小さく、高めの機械音が聞こえた。施錠が外された音も。
「あ、開きましたねぇ。ご協力感謝ですよ、レリオス」
「……鍵がスタ煎餅だったのか?」
「いえいえ。秘密基地にサボりに行っていたのがばれた事がありまして、それ以来ボク以外の人の好物を入力する仕組みなんですよ。何せ猫缶と鮮魚と生の鶏肉以外を答えるのは、ボクには癪でして」
 レリオスは半ば呆れて首を振った。
 ……ほとほと、見上げたヴィオスだ。


ルビ対応 2020/10/09



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