さすがに十年も放置されていれば重くなってしまった扉を三人がかりで開けた。……最初はレリオスとルフだけだったが、ウィシアが手助けに入るといとも簡単に開いてしまい、レリオスはルフと共に落ち込みたくなった。
開いた先からまた嗅ぎ覚えのある刺激臭が漂ってくる。
レリオスとウィシアは思わず顔を見合わせた。
「これって……」
「下水道だな」
「さあ行きましょうかー。おえーくさっ」
一番密偵として動き慣れているはずのルフだが、同時に猫に近い嗅覚では、この臭いは本気で辛そうだ。
人間の嗅覚でもやはり抵抗がある。さらに精度をよくされているだろうウィシアも、やはり顔を歪めているのが見えた。
――ウィシアの方が自分より人間らしい。
最初の頃そう思っていた事を思い出し、レリオスは慌てて首を振って思考を締め出した。
人間は、どれだけ言ったって自分なのに。
ウィシアの願いを目の前で砕いている気がする以上に。
一瞬だけ、自分自身を忘れそうになった。
通路は幾重にもうねる。その分
「もう警備、手薄になったのかな?」
「三日も行方をくらましましたからねぇ。外にはキラー・ワスプとマルールでしょう、普通生きてるなんて思いませんよ」
本当に、今となってはあの肉食牛と戦わずに済んでよかったとすら思う。
同時にキラー・ワスプの大群が追いかけてきたのを思い出すと身が竦むのは、決して自分が臆病だからではなく、経験が少ないせいだと思いたかった。
「そういうわけで、いい加減ボクの声が聞こえたなら出てきてほしいですよー」
人の気配がしたのだろうか。不思議に感じて周辺を見渡すが、古くなってあまり使われなくなった下水道の苔に滑りそうになる自分やウィシアの足音しか響かない。
「……ふむ、気のせいですかねぇ……確かに今聞こえた気がしたんですが」
「何が?」
機械音ですよ。困ったように言うルフに、ウィシアが首を傾げる。
「私のパーツのじゃなくて?」
「いえ、お嬢さんのパーツの機械音であればなんとなく分かるんですがね……まあ気のせいでしょう。ボクが敏感なのはあくまで鼻と空気の流れぐらいですから」
それは猫になった時の話だろう。レリオスは突っ込もうとして、やめた。
「それで、近いのか」
そのはずなんですが……。言葉を濁すルフを見、いやな予感が自然と渦を巻く。
「
それはレリオスにも分かる。スタに十年も住んでいれば、そのセキュリティ技術がどのようなものかは想像がつくのだ。
扉が見えた。今までも何度か見かけた、下水道管理に使われる管理者用の通路だ。確か、パスワードは二年ごとに代わるはず。
タッチパネルに触れて素早く指を動かすルフは、あっという間にその扉を開けてしまった。認証という文字がパネルに表れ、ロックが解除される。
「未だにここは『義勇民専用』なんですか。変えろってもんですよまったく」
「――は?」
「ですから、十数年前から変わってないんですよ、パスワード。この
……突っ込み所がありすぎて、レリオスはウィシアと共に、しばらく固まっていた。
扉が完全に開ききったのを気に頭を切り替え、奥へと進む。三人が入って自動的に閉まった扉を振り返り、真ん中を歩いているウィシアは不安そうにしている。
「大丈夫かなぁ……いくら安全性が薄いって言っても、管理用通路と扉の数は把握されてるはずでしょ?」
「ああ、それを含めていじくったんですよ。アブルさんが」
「……父……が……?」
最後尾でげんなりと呟く自分の声を聞きとったわけでもないだろうに、ルフが笑いながら話をしてくれる。
「いやあ、見事な手際でしたよ。インブンさんですら呆れて舌を巻いてましたからねぇ。ここともう一つ、館へ侵入できる隠し通路も見つけて、データを改ざんしてましたから。あ、館の方はインブンさんが担当でしたけどね」
あんなに古びた機械修理工場を営んでいたインブン老が、実はかなりの情報屋だという事は、先日ルフから聞いて初めて知った事だが――今その彼も危ないはずだという事も、忘れられない事実であった。
インブンの名が数日ぶりに出され、レリオスはふとウィシアを見やる。
この街で初めて会った時のウィシアの目標は、全く達成されていない。
自分の一件が絡んで巻き込んでしまっているが――。
「――ウィシア。そういえば製造されてから何年経つんだ」
突然の問いかけすぎたのか、ウィシアの足が思わず止まった。驚いたように振り返ってくるウィシアは、ぽかんとしている。
「え、ど、どうしたの、急に」
「俺の一件がなければ、製造主に会いに行くつもりだったんだろう」
ウィシアの目が僅かに光を失った気がした。薄暗がりの中、確信は持てなかったけれど。
「――そう、だね。全然教えてなかったっけ。実はね、あたしもあんまり覚えてないの。十年前にはもう、
ぎこちない言葉。
レリオスはしばし黙り、ウィシアの横顔から目をそらした。
「そうか」
「うん。ごめんね、せっかく考えてくれたのに」
「いや、問題ない」
他に言葉を言えたら、どれだけ楽だったのだろう。
さっきまで確かに、感情を取り戻せつつある状況がいやになりつつあったのに。
今は、その逆を思うな
「ちょおおおおおっと待ったああああああああああああっ! ふごぅっ」
狭い通路にがんがんと響き渡る大絶叫。下手をすれば後ろの扉からも漏れたのではないかと言わんばかりの大声に、思わずレリオスはルフを殴りに走っていた。
「……レリオス、タチイさんからみっちり伝授されてるね」
「一番効率がよくて一番確実な手段だと言われた」
「お、おおう……」
後頭部を押さえて呻くルフを無視し、彼が吠えた先、通路の奥を睨みつける。奥にぼんやりとした灯りと共に、それを反射する銃口が見えた。
「……和歌は見う、めあは和歌。り横どはめあ?」
「え、えと」
ウィシアは把握できていない。レリオスも一瞬意味が通じなかったが、すぐにピンと来た。
「雨――雲、空か!」
「ああっ、ボクの出番があぁっ!」
悲痛な声を上げられても無視。レリオスが固唾を呑もうとしたその時、銃口が下ろされる。そしてその銃口が一度震えた。
大きな鈍い音と共に。
「ってぇっ! 何すんじゃボケ!」
「あんたあんな簡単なので何許してんのよ!」
「うっさいな、せやかて自分は出来てんのか!? 俺の代わりに言うてみいやオラ!」
「じゃあ言ってあげ」
「……ひょっとして、カマラとフロラ……ですか?」
頬を引きつらせたルフを見るのも、また初めてだ。レリオスは内心驚いた。
そのルフのおかげで抗議の声もぱったりやんだのは、うれしいと言えば嬉しい事だけれど。
「なんや自分。誰の名前抜かしとるかはしらんがな、こっから先は進ませへんぞ」
「いやー、そのガンファード訛りはカマラぐらいしか思い浮かばないんですけどねーもう」
ガンファードと言えば、確かスタのあるジェイド国より西にある地方だ。一時期はスタにも移住してくる民がいたとは聞いていたが……。
「俺の名前確かめるんやったら言う事あるやろが」
声は結構に幼い。声変わりを迎えていない少年のようで、今は見事に不機嫌な声音だ。ルフが肩を竦めた。
「ルフ・レイドバックと言えば、分かってもらえますかねぇ」
「ルフー? んなん知らん、とっとと消え失せろや!」
「ルフって、え!? ルフお兄ちゃん!? トントンちょっと待って!」
トントン言うな! 盛大に吠える少年の声に、少女の声が慌てた様子で、ついでに少年が持っているらしい銃口を蹴飛ばす。
……少女らしくない素行だと、養育所で教わったレリオスは思わず眉を潜めた。潜めて、今隣にいるウィシアも似たようなものかもしれないと真顔に戻す。
――正直ウィシアにその事を告げれば、パーツを減らすかと言った時よりも沸点を刺激しそうだ。ルフが隣で絶句している。
「え……まさかパティです!? ええっ、十年早すぎますよ!?」
「教えないもんっ。ルフお兄ちゃんならあれできるでしょ、あれ!」
「あれって……あの、ボクは手品師じゃあ」
「でもできるでしょ、あれ!」
「だ、だからボクは手品師じゃあね、ないん」
「できないんだったらトントン!」
「トントン言うなっつっとるやろが! ぶっ放しちゃるぞコラ!」
「あー、あー分かったから、やりますから! やればいいんでしょう分かりましたから!」
思いっきり叫び、レリオスらからやや離れ、茶色の猫に変化するルフ。見事に残った服の山にそのまま埋もれたが、面倒くさそうに這い出してきてエメラルド色の瞳を、通路の奥へと不機嫌に向ける。
途端に走ってくる音。
「お兄ちゃんだあああああああっ!」
「みぃぎゃあああああああああああああああああああああっ!」