シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第07話 02
*前しおり次#

 肩の辺りを軽く蹴られ、驚いて顔を上げると、寝癖を直し忘れたような髪型がうっすらと見えた。
「付き合えよ。今日の逃げ道潰した分だ」
 言葉とは裏腹に、声はこれでもかと言いたげに眠そうだ。軽くとは言え、そこそこ痛みが走った肩を摩りつつ起き、黙って付いていく。
 周りが寝ているためだろうか。アルセは不思議なほど話をしようとしてこなかった。
 数時間前、胸倉に掴みかかってきた男性マーフが見張りでいた。褐色の肌は灯篭代わりの〈天恵の魔石〉に照らされ、もじゃもじゃとした黒い髭と髪は、シルエットがありありと浮かんでいる。マーフはレリオスを見た途端驚いたようで、そのまま髭を僅かに揺らした。笑みを作ったのだろうか。
「十年経っても仲がいいなあ、お前達は。おっと、すまん。記憶がないのにな」
「いや……俺の事を知っているのか」
 視線を下げ、弱ったようにやや禿げかけた頭を押さえた男性に、レリオスは首を振っていた。尋ねてみれば、相手は低く笑っている。
「ああ。お前の親父の無茶には、いいように振り回されたよ。俺も親父さんと同じ工夫でな。剃る暇もなくて伸ばしきりだったこの髭を、寝ている間にちょび髭に剃られて、チャームポイントが台無しになったりな」
 どこをチャームポイントと言いたいのかはさておき、相変わらず父の話が前置きに来る事に内心げんなりとしてしまう思いだ。アルセがにやにやと笑っている。
「おじさんの悪戯は今に始まった事じゃないだろ。僕だって一度寝たら中々起きないからって、寝癖をワックスで固められたし」
「自前でその髪型じゃなかったのか」
「言ったな!」
「はっはっは。アルセ、声がでかいぞ」
「なんだよ、十年前だって僕だけ怒ってたのにまたかよ!」
 不服そうなアルセは、本当に見た目不相応だ。マーフは肩を振るわせつつ、「後は頼んだぞ」と言い残し、眠たげに欠伸をしながら去っていった。アルセはと言えば、まだ怒りが治まらないのかレリオスを殴ってくる。
「……俺は病弱だったらしいな」
 途端にアルセが押し黙った。やがて頷いた青年は、灯篭代わりの〈魔石〉を手に、通路の方へと歩き出す。
「見張りは入り口付近でいいんじゃないのか」
「決まりはない。たまには腹割って話したい事とかあるだろ?」
 ――話せる事など、自分にはないのに。
 アルセ自身が何か話したいのだろうか。黙って付いていくレリオスは、直感的にそう感じた。
 ルフがレーゲン夫妻と話す時も、奥の方で隠れて話していたのだから。

「――お前は病弱だったよ。って言っても、普通の病弱じゃなかった。〈魔石〉に酷く耐性がなくて、〈隕石ユパク〉が落ちてきた当時の人間みたいだって、医者から言われてたぐらいにな」
 響く足音。アルセは押さえる様子もなく、ただ響かせている。防音性が高いのだろうか。
「けどその前は確かに、心臓病だった。心臓の機能が元々弱かったって、僕は教わってる。だから体の抵抗力だって人一倍ないとも聞いたよ」
「……俺の両親からか」
 無言で返される肯定。付いていくだけのレリオスは、〈天恵の魔石〉を持つ手とは反対の拳が固められるのを、確かに見た。
「この時代じゃお前を救えない。〈魔石〉への耐性がなさ過ぎて、〈魔石〉に頼った今の医療じゃ、お前を救えなかったんだ。僕が毎日遊びに行っても、お前がベッドから出られた時間は限られてた。点滴だって、〈魔石〉に頼って魔法薬を作るわけにも行かなかったんだ。でも原始的な医療は、〈隕石〉が落ちた後焼け野原になってたこの土地には、そんなに残っちゃいなかった」

 レリオスさんだって目の前で一度殺されたじゃない!

 本当だよ、知ってるもの! レリオスさんが心臓を貫かれたの、まだ覚えてるんだから!

「お前を助けられるかもしれない手術が行われて、実際お前は、手術後は嘘みたいに元気だったよ。でもおじさんとおばさんは逆に元気がなかった。その四年後に、あの領主が僕達を散り散りにしやがったんだ」
 固められた拳が一層強く力をこめられ、立ち止まり、振り返ってきたアルセの緑の瞳が鋭くこちらを射抜いてきた。けれどタチイのような怖さとは全然違う。ただ体が勝手に硬直するだけで、心まで強張る事がないのだ。
「お前が覚えてないなんてあるはずがない。いくら手術が成功したからって、お前の心臓が弱い事に変わりはないんだからな。手術が終わっても何度か発作が起きかけたのだって知ってる。お前を一生懸命心配してたおじさんやおばさんの心が奪われた? あるはずがないだろ!」
 鋭い睨みをただ、黙って受け止めるしかできない。
 次に何を言われるのか分かって、顔を背けそうになる自分がいるなんて。
「ベルタの証言を全部鵜呑みにする気はないさ。けど言える事はある。お前はレリオスじゃない。見た目なんて十年経てばどうとでも言いようがあるんだ。本当にお前がレリオスなら、あの大量の点滴の跡がないなんておかしいだろ、手にも腕にもあれだけぶら下がってたんだ。レリオスをどこへやったんだ!」
 何も言えなかった。
 自分がレリオス・オ・モノンだと、記憶がある十年間、確かにそう信じていたのに。
 ルフだってレリオスを見た途端、名前を呼んでくれた。インブン爺だって、最後に会ったのは十年前だと言うのに、普通に分かってくれたのに。
 でも確かに、自分の手や腕には点滴の跡などない。病弱だったと言っても、自分にその当時の苦しさもなければ覚えもない。
 ずっと引っかかっていたのは、これだったのか。
 タチイ達が自分をまじまじと見た視線の意味も、ルフがやたら周りを説得しようと必死だったのも。
 記憶がなければその痕跡もないなら、どうやって自分がレリオスだと証明できるだろう。
 しばし考え、首を振った。
「本当に俺がレリオスじゃないなら、ルフはここに連れてこようとはしなかったんじゃないか」
「ルフも摩り替わってる可能性はあるさ。あのウィシアって言うアンドロイドを連れてくるって時点で、昔のルフならやらなかったはずだ」
 密偵としての考え方を知っているのか。
 アルセもやはり、密偵として育てられたのだろう。突き刺さる視線が全て疑いを帯びていて、レリオスは視線を逸らした。
「……俺は真実を知らない。俺が知っている真実が、全てが全て本当の真実じゃないのは分かっている。もし俺がレリオスおれじゃないなら……」
 続きが、出なかった。
 言う言葉は分かっているのに、口が動かなくなるなんて。
 初めての経験に戸惑うレリオスに、アルセはやがて溜息を投げかけてきた。
「……もし違っても、判断するのは僕だけじゃないさ。悪いけど疑ってる事を謝る気はない。もし本当にレリオスじゃなくても、領主にレリオスを名乗らされてるだけなら、そこは僕の領分じゃない。レリオスの居場所を知る手がかりがあるなら、その時は利用させてもらうだけだ」
「――もし過去の俺が本当に望み、レリオスを名乗っていたとしたら?」
 アルセは来た道を戻り始めた。ただ立ち止まり、後姿を見送るしかできないレリオスは、ただ遠くへ歩む幼馴染だと信じたい相手の背中を、足元の床が抜けそうな錯覚に捕らわれたまま、返答を待つしかできない。
「その時は、あのルフが本物だったとしても容赦する気はない。レリオスが生きてないなら、お前にも同じ道を背負わせる」
 持ち場に戻るのだろう。
 アルセはその後一度も、足を止める事も振り返る事もなく。
 ただ足音を響かせて、その場から離れていった。


「レリオス、レリオスってばっ!」
 急な声に叩き起こされ、けれど眠気が強くて瞼を開ける気になれない。寝返りを打つレリオスの腹に、腹が煮えたのだろう容赦ない一撃を叩き込まれ、一気に開眼して痛みに転がる。
 初めての事が多すぎて、いい加減頭から星が散りそうだ。実際に散るのは集中力の方だろうが。
 そして寝返りを打つ自分の視界に長い金髪が一房見え、拳を放った人物が誰かやっと分かった。
「なんだ……いっつぅ……」
「……レリオスが寝起き悪いのも、そんなに痛がってるのも初めて見たかも。あ、あはは、ごめんね」
 痛みが退いた辺りで起き上がり、睨み付ければ謝られ。腑に落ちないレリオスは、起き上がったと同時に周囲が静かな事に気付いた。
 見渡しても、誰もいない。
 ウィシアと二人きり、がらんどうになったシェルターの中で眠っていたようだ。辺りには生活感を少しだけ残したような小さなごみや、持ちきれなかったのだろう毛布代わりの服の切れ端などが置き去りにされている。
 一瞬で消え去ったようにも映る光景に、レリオスは言葉を失った。
「あたしが起きた時には、もう……誰もいなくて。さすがに外に出るのまではできなかったんだけど、でも……」
 声が震えている。寝る前、昨日と呼べるだろう起きていた時間中に、ルフと話した事を思い出したレリオスは、心なしか僅かに目を見開いた。

 今回はさすがに、レリオス達を連れて行動する事まではできません。――十年前根幹となったボク達だけで、けりを付けたいんです

 お嬢さん、レリオス達の事、お願いしますですよ

 毛布代わりにしていたジャケットを素早く着、ベルトポーチも腰に固定し立ち上がる。困惑しているウィシアを見下ろし、彼女が既に準備を終わらせていたのを見て手を掴み、走ろうとして――
 体重差に敵わず、綱引きに負けた子供のような状態になってしまった。
 勢いをつけすぎて転びそうになったレリオスに、ウィシアは体を震わせている。
「そ……そうだよね……やっぱりあたしの方が体重思いよね……もうやだこのやり取り! レリオスのばかっ!」
「悪いのは俺だけじゃないだろう!」
 久々に吠えた自分を見て、ウィシアはしばし涙目の膨れっ面で睨んできていたが、小さく笑ってきた。レリオスは納得が行かず睨んだまま。
「よかった。感情、いっぱい戻ってきてるね」
 途端に言葉が出なくなって、ついそっぽを向いてしまったレリオス。
「行くんだろ、どうせ」
 急な声に驚き、ウィシアもはっとして入り口付近を見やる。
 金髪緑眼。
 二十歳過ぎの青年の姿を見つけたレリオスは、内心呆けた。
 青年は肩を竦め、ふいと視線を逸らす。
「……モリーおばさん達はもう、外に退避させた。ルフ達も、僕が起きた時にはもう移動しきってたよ」
「行き先は?」
「領主の館。下水道から包囲網を縮めて叩くつもりで、ルフはおじさんがいじった通路から行くって――」
 すぐに尋ねる自分に、うっかり答えてしまったのだろう。アルセは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 そんな彼へと頷き、レリオスはしっかりと見据えた。
 ――伝わって、くれるだろうか。
「連れて行ってくれ。記憶が戻ってもそうじゃなくても、俺は義勇団ブレイバルメンバーだ」
 しばし黙る青年。
 やがて呆れ果てたような溜息をこぼし、ついてくるよう合図してきた。
 
 


ルビ対応 2020/10/09



*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2022 *Nanoka Haduki* all right reserved.