シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第09話 02
*前しおり次#

 突き出された剣を必死で避け、ウィシアと共にカプセルの列の間に逃げ込んだ。困惑する少女の足が鈍る中、アルセの急いた足音が近付いてくる。
「ウィシア走れ!」
「あ、あたし……でも」
「イレクス姓の被験者を探してくれ。途中敵に回った振りをしてもいい」
 ウィシアが一瞬だけ躊躇い、手を強く握ってきた。それを合図に手を離し、レリオスは必死で走り、右に逃げる。
 ポケットに手を突っ込み、忍ばせていた〈天恵の魔石〉に触れ、取り出した。

 アルセの馬鹿とセレ、頼んだぞ
 特にあの馬鹿、なんか最近変だからな。様子、見れる限りで見てやってくれ

 まただ
 また響いてくる、声。
「本当にあいつの兄なのか――? っ!」
純力の刃エネルギー・ブレイド!=v
 腕を掠める純力の力。危うく〈魔石〉を落としそうになったが、そんな事を気にしていられない。
 相手はまだ追ってくる。いつものように派手に動き回るわけでなく、ただ追ってくる。再び右に折れ、入り口付近へと走り、壁が近付いてまた右に折れた。
 足音が横に並走してくる。

 拠点襲撃の話を聞いた際、ボクらの誰しもが拠点の人間全員が全滅したと思っていたんです。半数も死傷者を出さなかった彼に、皆今でも感謝しているんですよ

「――お前の兄、地下拠点のリーダーだったな! 何でもかんでも計画計画って、そればっかり口にして!」
 アルセの足音が、一瞬途切れた。それでも走ってくる音は再開されている。
「ルフもすっごい苦手だって父さんにこぼしてた! それでも今は感謝してたって言っていた!」
「……うるさい!」
「お前の兄が死んだ時にあの句を父さんが教えてくれたんだ!」
「全部本物から聞き出した事なんだろ!」
「違うよ!」
 アルセの向こう、ウィシアが悲しげな顔で叫んでいる。振り向いたアルセの顔が凍りついている。
 扉の向こう。彼女がいるその傍らに、ガラスケースの棺があった。その中で眠っている少年は――
「……こんなに〈魔化〉が進んじゃってたら……もう……」
 手から力が奪われた。足ももう、走るだけの力はない。
 ただゆっくりと歩むアルセを、レリオスは静かに見やるしかできなかった。
 ウィシアの手が置かれている棺の中にいる、自分と近い色合いの、薄い金髪の少年。
 その左胸から伸びる紫色の宝石は、肩口に、腹にと巻きついている。
 石化したようにぴくりとも動かない体の前まで来て、アルセの手から剣が滑り落ちた。
「……レリオ、ス……?」
 思わず、足が進んでしまう。
 違うと信じたかった現実を、確かめたくなくても進む足を、止められない。
「……レリオス……嘘だろ……? なんでお前……でかくなってないんだよ……!」
 ウィシアに視線を当てた。彼女はただ、首を振っている。
「……時刻、正刻暦六二○年、第九の月。被験体レリオス・オ・モノン、逝去。享年九歳……」
 棺の真上に残されたラベルを読み上げた少女の声は、もう震えてはいなかった。
「……そんな……」
「〈魔化〉はね、体が死んだ後も進むの。進んで、死んだ直後から肉体を永遠に近いくらい長く時を止めて……結晶が全てを覆い尽くしても、体を〈魔石〉から返しては、くれないの。そうやって、『擬似生命体ホムンクルス』の精神の核≠ノ必要な、純度の高い〈天恵の魔石ヘブレス〉が生産されていくんだって……昔〈魔化〉に蝕まれた人達の話が、そこにあった資料に載ってたよ……」
 レリオスは後ろを見やり、アルセの肩を叩いて示した。
 もう覇気を宿していない顔から、欠片ほどの生気まで取り去っていくような現実。
 ラウルス・イレクス
 ウィステリア・イレクス
 初老近い男性と女性の、眠ったような顔。アルセが顔を見ただろうその瞬間、呼吸を示す泡が途絶えた。
「父さん……かあさ……」
 男性も女性も、ほんの僅かに目を開けた気がした。顔がただ、穏やかに映る。
 青年の孤独の戦いを、終わらせたかのようだった。
 言葉なく、ただ膝を折ってその場にへたり込む青年の目に、もう何も映ってはいなくて。
「……最初から、無事に会わせる気はなかったのか……」
「……酷すぎるよ……こんなの……アンドロイドだってやらない……!」
 涙を堪える少女へと近付き、肩を軽く叩いた。途端に胸元にすがり付いてくるウィシアを抱き締め、棺の中の少年を見やる。
 昔の自分を彷彿とさせるほど、穏やかな寝顔。世界に三人は見た目がそっくりな人物がいると言われてはいるが、そこまで言えるほどそっくりかといえば、そうでもない気がする。遠い場所からぱっと見れば、きっと分からなくても不思議はないかもしれないが――。

 ――……

 お前が、呼んでいたのか……?
 死んでいるはずなのに。語りかけられている気持ちになるのは、何故だろう。

 なんでこの世界は――

「――え?」
「レリオス……?」
 小さな少年の声が、確かに聞こえた気がした。
 ウィシアの声に掻き消されかけたけれど、確かに――

 なんでこの世界は、シェル=シールって呼ばれてると思う?

「――生きてるのか……?」
「えっ!? な、何言ってるの、もう息もしてないよ? ケースにも継ぎ目が――んぷっ」
 ウィシアの口を押さえ、ケースに近付く。アルセが茫然としたままこちらを見やってきたが、レリオスは気にしない。
 少年は眠ったまま。心臓が動いている様子も、一部がかけたように折れている、〈魔石〉の結晶に覆われた胸元が呼吸をしている様子も、全くない。

 なんでと思う? 答えてみてよ

「――分からない。なぞかけなのか?」
「ちょ、ちょっと、レリオス」
「静かにしてくれ。相手の声が小さくて聞き取れない」
「……は……?」

 オレなら分かるよ。父さんも母さんも、インブン爺も教えてくれたから
 なんでと思う? ねえ、答えてみてよ

「……ヒントをくれないか?」
「だ、誰と話してるのぉ……! ぁぷっ」

 えー、やだ

「なら分かるわけないだろう! 漠然としすぎだ、もう少し内容を纏めないと分からなくて当然だろ!」
「お、おい、お前誰と」
「レリオスと話してるんだ、とりあえず静かにしてくれ!」

 ……

 …………

 ……………………一同の目が丸くなった。
「はぁっ!?」
「……あ……」
 レリオス自身も言葉を探してしまい、ウィシアとアルセは呆ける始末。それどころかどちらも正気を疑わんばかりの顔をしているではないか。
「ま、まさか爆発の衝撃で頭おかしくなっちゃった!? ちょ、手当て手当て!」
「人を故障みたいに言うな!」
「今までのレリオスが言えた台詞じゃないでしょ!? だっておかしいよ、さっきまでだったら『死人と話なんてできるわけないだろう』って切り捨てるでしょ絶対!」
 一瞬ぐうの音も出そうになかったが、アルセが真剣に頷いているのを見て頭を殴った。
「俺も分からない。けど話しかけられてるんだ! 信じても信じなくてもいい、なぞかけされて答えが出ないんだ! 漠然としすぎてなぞかけにもなってないんだ手伝え!」
「こいつ壊れたのかよついに……さっきのガラス頭に刺さったかってえっ!? 二発目はいらないだろ!」
「いいから黙って考えろ! ヒントももらえないんだ! 『なんでこの世界はシェル=シールって呼ばれてると思う』――」
 ウィシアがぽかんとしている。あまりにも当たり前の事を聞かれたような顔をされ、ついにレリオスはアルセに八つ当たりの三発目を見舞った。
「いってえっ! ふざけんなよお前!」
 そっと流した。アルセの目が怒りで真っ赤になった気がした。
「なんでって……詠唱にもあるでしょ? 母と父に抱かれし子供を寝かせるためのゆりかごだって。正確には貝殻の形をしてるらしいけど」
「は? でもそれは世界を示さないだろ。確かにシェル=シールとゆりかごは同義って言われてるけど、大地を母、宙の星が父、隕石が子供。そう言われてても関連性が見当たらないって――って、なんで僕が答える必要が……」

 わー、アルセ覚えてないんだ。やーいやーい馬鹿ルセ馬鹿ルセー

「……馬鹿にされてるぞ、レリオスに」
「はあっ!? お前再会してもそれか――って、だからその幻聴どうにかしろややこしいってえっ!」
 もう四発目だが気にしない。
 それにしたって本物のレリオスは生意気だ。むかつくほどに生意気だ。何故声が聞こえているかとかそもそも本物かどうかも分からないとかそんな話はどうでもいい。ただ生意気で殴りたくて仕方がない。
 正直ルフ以上の生意気っぷりに、レリオスの拳は既に震えている。
「いい加減教えろ」

 えー、やだ

「――っの……ケース叩き割るぞ」
「レ、レリオス……?」
「ついに人格まで狂ったのかこいつってえ!? お前何発目だと思ってるんだよ!」
「ほっほ。死人相手に何を語りおうておるのやら」
 レリオスの真後ろ、本棚が開いた。奥から出てきた老人に、アルセは怒りをむき出しにする。
「約束が違うだろ! 父さん達にまでなんで……十年前レリオスに何しやがった!」
「はて。何も嘘は言うてないがの。父母は帰す。そう言うた。レリオス・オ・モノンにはもう手を触れてはおらん。これも本当じゃ。おお、レリオスを名乗うておるそこの男よ。ぬし、クラールス・ヴィフリッシュではないか? 十年前化け猫により持ち去られた」
「クラールス……?」
 覚えがない。
 戸惑う自分を見てか、怒りを剥き出していたアルセがその牙を僅かに引っ込めて考え出した。
「ルフがベルタとレリオスを救出しに行った時には入れ替わってたなら……ベルタが見た死んだレリオスが本物で、その後お前と摩り替えられたのか?」

 ――……

「――違う」
「え?」
 ウィシアに手を上げて静かにさせ、耳元に聞こえる声に集中する。
「……摩り替えられたんじゃない」

 ――オレは刺されてないよ。それはベルタにかけられた錯乱の天恵魔術のせい

「けど〈天恵の魔石〉を近づけられて体が弱らないのに気づかれて、レリオス自身が被験者の一人だとばれた……?」
「どういう事なんだよ!?」
「ぬしは知らぬはずじゃ。何故」
 スターリの声は聞こえていない。か細い声にだけ神経を集中させるレリオスは、やがて目を見開いた。
「……じゃあ俺は……」
 唇が、震えた。
「ルフは俺と……お前を、間違えたのか?」


ルビ対応 2020/10/09



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