シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第02話「福音の導き」01
*前しおり次#

 いつだったか。
 それすらも忘れきっている。
 ただ、あの時は――
「――……」
 変わるんだ。けれど、変わる事が――何故だろう。違和感と畏怖を与えている気がする。
 九歳になって間もない頃だったか。既に父親の姿はどこにもなかった。
 母さんからは事故に巻き込まれたと聞いた。それ以上も、それ以下も教わってない。
 そしてそんな今日、鉱山の手前にある領主の屋敷前に、人々は集められていた。
 改革。そう聞いていた。
 周りの大人たちが猛反対していたのも覚えている。
 その時小さかった俺の背では、頭上で飛び交う罵声に驚いて、母さんにしがみつくしかできなかった。
 大人たちの頭上で光が一瞬だけ瞬いたのも覚えている。
 遠くで上がった轟音に、ついに罵声が悲鳴に変わった。母さんの手が俺を守るように置かれて、思わず見上げる。母さんの顔は今まで以上に切羽詰っていたように感じた。
「……レリオス」
「なあに?」
「――あなたはこの街に、染まっちゃだめよ。十年後、必ずおじいさんのところに行きなさい」
「何で? どうして? おかあさんは?」
 その時の母さんの笑みが、凄く辛そうだった事も覚えている。
 それが覚えている中での、母さんの最後の笑みだった事も。

 それが、感情を持っていたように感じていた頃の、今覚えている唯一の記憶だった。

   †

「――レリオス?」
 レリオスはさほど驚いた様子も見せずに振り返る。驚いてはいるが、顔に出る事はなかった。
 少女の姿をしたアンドロイドが、不思議そうに彼を覗き込んでいる。
「どうしたの? ぼんやりしちゃってたけど……」
「昔を思い出していた」
 昔? やはり首を傾げる少女。レリオスは答えず、拳銃の点検を手早く終わらせて的を見た。わずかに顔をしかめるようにして、標的を睨む。
「視力、悪いの?」
「コンタクトはしている。体の成長に眼球の成長が追いついてないそうだ」
「そうなんだ……」
 深く触れない事にしたらしいウィシアは、多少声が気落ちしているように聞こえる。
 安全装置を外し、しばらく狙い目を定めて引き金に指をかけた。
「うわわわわっ! インブンのおじいさん、ボクが居るのに狙わせちゃだめなのですよーっ!」
 のびのびとした声をようやく切羽詰らせたような、けれど必死な声。的から慌てて離れ、逃げ出す人影を見つけて、レリオスは妙な引き金の引き方をした。
 いつもとは多少違う発砲音。的を外れ、わずかに左斜め上に向かっていく銃弾。
 人影の頭上すれすれを掠めていった。
「ひぃぃっ!? この街じゃ平民が銃を保持するのはいけないのではなかったのですか、いつから改定されたのですかあぁぁぁぁっ! インブンのおじいさーんっ!」
「……ルフ……?」
 レリオスの顔が少しだけ驚きに染まっている。ウィシアは彼と人影を交互に見、理解していない事をアピールしていた。悲鳴を上げていた人影――エメラルド色の猫のような目を持つ、茶髪のおとなしそうな少年だ――は、驚いたようにレリオスを見る。
「ああっ、アブルさんのところのひ弱臆病レリオスじゃないですか! 何で銃なんか持ってるのですか!? さてはアブルさんの差し金ですね、この低等種族ヴィオスをいじめるなんて、かわいそうと思わないのですか!」
「ヴィオスって、普通自分たちを高等種族って言ってるんだったよね……? ちょ、ちょっとレリオス銃向けちゃだめ!」
 言われた事に腹を立てたのか、レリオスの拳銃はきっちりとルフと呼ばれた少年に向けられていた。少年は怯えて、すぐさま両手を上げる。
「ご、ごごごごめんなさい冗談なのですっ! 相変わらず本気と冗談の境目にも気付いてくれないなんて、つれなさ過ぎるですよーっ!」
「人をけなしておいてよく言うな……」
 ウィシアが目を丸くした。レリオスの声のトーンが、自分でも分かるほど低くなっていた。
「どうせまた不法侵入したんだろう」
「れ? 不法侵入したの知ってるですか? おかしいですねぇ、低等種族の名折れです」
「高等と低等、間違えてない?」
「官憲に突き出すぞ」
「それは止めてほしいです。ボク、まだ何も出来てないじゃないですか。いたいけなヴィオスは高く売れないですよ?」
 首を傾げる少年ルフ。レリオスはやっと銃口を下に向けた。
「じゃあ今回は何しに来た。また魔坑道探検か?」
「いやいや。そろそろ頃合かと思って、領主の首を絞めに行くのですよー。そのための勇者を探していたつもりなのですが」

『ここに居れば丁度いいのが来るじゃろうて』

「って、インブンのおじいさんが。けど、引っかかったのはひ弱臆病なレリオスじゃ、見当違いも……うわわわわ拳銃は向けないでっ! 動物虐待っ!」
「そうだったな。お前、動物だったか」
「そ、そうなのですよ。ですから銃向けないで?」
「分かった。そういうわけで保健所に連れて行くからおとなしくしろ」
「ひぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁぁっ!」
 悲鳴が上がる。ひとり置いていかれるウィシアは、上にこの悲鳴が筒抜けにならないかと今さら不安に思う。インブン老が怒鳴り込みに来そうで怖いのだが、思いのほか下りてくる気配はない。
「……レリオス、ヴィオスは自称高等種族で、知能も確かにヒトよりあるかも知れないし、それに猫に変身できるのって凄いと思うよ?」
「おお、魔的人工生命体マギスティックノーマンのお嬢さんは理解が深いのです。さあさあ、このいたいけな半獣人を保健所だなんて殺生な所に連れて行くのは取りやめるのです!」
「お前が、そのいちいち自分を卑下しているようでさりげなく他人を貶している台詞を止めたらな。ここに来た理由はともかくとして、保健所に行ってこい」
「ひぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「レ、レリオス、その辺にしてあげようよ……収拾つかなくなるよ?」
 というかもうつかないだろうけど。
 心の中で思っても、念のために言ってきたのだろうウィシアに、レリオスはあっさりと拳銃を収めた。表情も、いつもの感情があるかどうかも分からないものに戻る。
「ま、まあ、それはそれとしてですよ。結局レリオスもこの街に染まりきっちゃったわけですか? ――というわけでも、なさそうですね。お嬢さんの影響ですか? 昔からルックスでモテてましたし、アンドロイドにまで手を延ばすとは相変わらずやりますねぇー。また捕まえちゃうなんて……いや拳銃は止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 再び腰に手を伸ばそうとする青年に、ルフはもう何度目かと思うほどに絶叫する。ウィシアは聴覚が狂うかと思うほどの音量を、耳を塞いで耐える。「と、ところで、さっき領主様をどうこうするって……」
「お、おおぅ……そうです、そうでした。この街を『無彩』にした領主から逃げ出した街の人々が、次から次に姿を消しているのですよ。ボクはこの街を出歩く際は猫に化けてるので、ばれる事は全くないのですが……ここ数日間、動物の出入りも禁止されているようなのです。おかげで外の仲間とも連絡取れなくて困っているのですよ」
「消されている? 永久追放が原則じゃなかったのか」
 まさかまさか。ルフは笑いながら首を振る。
「永久追放なんて表の建前ですよ、レリオス。十年前から作られてきた法なんて、全てあの新しい領主が、このスタで採れる〈天恵の魔石ヘブレス〉の約半数を押収するためです。外国やよその領じゃ、〈天恵の魔石〉不足で新しいアンドロイドを始めとする魔工製品を作るために、領間における戦争が始まろうとしてるくらいなんですからね」
 当然、そんな領主が永久追放なんて守るわけないじゃないですか。ルフは肩をすくめる。
「ここ十年間、町に染まらぬうちに領主の企みに感づいた人々は、今じゃほとんど連絡がつきません。それどころか、過去に彼らが通ったルートも証拠を消されているのですよ。影が人を食らったみたいにね。それでボクらヴィオスで組織された隠れ猫キャッツアイが、スタに派遣されたわけなのです。幸い、この街ではヴィオスが苦手とする〈天恵の魔石〉の影響で、ほとんどボクらは近寄ろうとしませんから、ヴィオス用のセンサーなんて古い型式ばかり。ボクの天恵魔術ユパク・ヘブルの前では形無しですよ」
 ヴィオスは天恵魔術を使える。〈隕石〉がこの地に降って最初に誕生した種族で、それのおかげで天恵魔術を使えるというのに、何故か〈隕石〉の欠片である〈天恵の魔石〉の傍では呪術に制限がかかるのだ。
 そんなヴィオスだが、変身能力までは〈天恵の魔石〉の影響下に置かれないらしい。
「この街の〈魔石〉で、純度の高いものが領主の下にほぼ全て集結しているのは間違いないです。ボクの魔術も、そこに近づくと途端に威力が薄くなるですよ。屋敷の壁に、純度の高い〈魔石〉がはめ込まれてるみたいです」
 懐に忍ばせていたらしい領主の屋敷の間取り図を取り出して、ルフは説明を始める。
シェイントの結法則エディア・エリア≠ナ結界を構成しているようなのです。一番古くからあって強力な結界ですが、弱点があるのですよ」
「弱点?」
 ウィシアが首を傾げ、レリオスは肩をすくめる。
「一番結界を強力にしたい場所に置く〈天恵の魔石〉を二つにして同じ印を刻み、片方を結界の外に設置するんだろう。だけど、結界の外といっても〈魔石〉には幻惑をかけてごまかされるから、無理が――」
「だからボクの出番なのですよ。ヴィオスは〈魔石〉の一番近くには居られないのですから。現にお嬢さんの傍じゃ天恵魔術は使えないのですし」
「あ、ごめんね」
 思わず謝るウィシアに、ルフはそのかわいらしい見た目に合わず、舌打ちしながら指を振る。
「かわいい子は謝るよりも、彼氏のために笑ってあげるのが一番ですよ……レリオス自覚してるのは分かったから拳銃止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 またも大絶叫。ついにウィシアは諦める始末。
「で、領主を倒すとして……この街を元に戻したいのか?」
「です。そうしないと、消えた人はそのままの可能性が高いのですよ」
「それで俺たちに何のメリットがある」
「少なくとも後々感情は戻ってきますね。そしてアブルさんも、間違いなく」
「――あの父親は鉱山で行方不明になったんだろう」


ルビ対応 2020/10/09



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