シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第03話「疼く色」01
*前しおり次#

 ふと気付いて改めて探してみたレリオス。手持ちはなし。
 どうやって今日をしのぐか考えている彼の隣で、ご機嫌そうに猫缶を開けているルフ。
 そう、彼の食料だった。
「人間も猫缶食べればいいんですよ、マグロ毎日食べられるじゃないですか。火を通すなんて魚に失礼ですよ邪道ですよ、魚は鮮度と瑞々しさと鮮やかさが命なんです!」
「胃腸への負担は人間とヴィオスじゃ違うだろう」
 結局、ウィシアがこの間まとめて買っていた、我が家であるモノン土産屋販売のジャンボスタ煎餅を、彼女と半分に分けてかじっていた。本人曰くしまっていた場所は背負っているリュックの中なのだとか。
 そもそも猫缶を調理するという発想はレリオスになかったし、ウィシアもそうらしい。彼女自身は猫缶を食べても平気らしい。ただでさえ普通のアンドロイドに食事機能はないはずだが、彼からすればそもそも猫缶は食べ物ではない。
 ルフのおかげで断言できる。あいつ専用のつりえだ。
「外国じゃあ魚の身を生で食べる文化があるんですよ。レリオスももうちょっと外を勉強するべきですねぇ」
 小さく舌打ちしながら指を振られ、キザのつもりかと切り捨てるレリオス。甘辛な味付けの煎餅も食べ進める。……味のバランスが取れていて美味しい。
 しかし、名付けられるだけにでかい。
「そもそもいいのか、ここで食事をしても」
 下水道から外へと出、ヴィオスに案内された先が森だった。ルフ曰く、ここは今も獰猛な動物たちが暮らしていて、アンドロイドたちも滅多に入り浸らない場所らしい。
 早い話、放置された自然区だ。
 ここの外周部であれば柵で囲われ、市民の憩いの場として活用されているのは、レリオスも知っている。あそこはアンドロイドらによって手入れされた箱庭だと、今なら分かるほどだ。
 朝焼け空に照らされた下草はぼうぼうの伸び放題。木々も乱立し、倒木の上から苔や新たな芽が出ている様子など、初めて見た。
 六本足と三つの球体のような体で構成された昆虫――確か養育所では蟻と呼んでいた気がする。それが煎餅の欠片にたかるのを見ていると、貴重な食料であっても思わず僅かに砕いて置いてみたくなる。
 事実置いて様子を見ていたら、ウィシアに微笑ましそうに笑われた。
「腹が減っては何とやら、ですよ。特にレリオスは自分が元病弱なの忘れてますか? 念のために栄養は採るべきですよ。ボクみたいにいたいけなヴィオスは一食や二食抜いたって変わりませんがね」
「あたしは食物の中の魔力も得られるから、定期的に食べる必要があるんだよね」
 恥ずかしそうに笑う少女。実際消化機能もあるらしく、ルフがエメラルド色の目を丸くするのは日常茶飯事となった。
「そう言えば、お嬢さんのボディは生身の人間に近い素材ですね。関節も右腕なんか綺麗に隠されているようですし」
「あ、うん。ありがとう」
 曖昧に笑う魔的人工生命体マギスティックノーマン。レリオスは煎餅を食べる手を休め、ふと考える。
「そう言えば、水の事は考えていたか?」
「レリオスのポケットに圧縮カードリッジが入っていませんか? アブルさんの事ですから、水ぐらいその中に突っ込んでいそうですよ」
「そうじゃなくても、天恵魔術ユパク・へブルで水を沸き起こす事はできると思うよ。場所が場所だから、下手したら下水道の水が湧き出てくるかもしれないけど」
「……上水道の真上で湧き出す方がいいな」
 ボクも賛成です。ルフの、獣の耳にも似た髪の癖がしなりと垂れる。
「昔は水がなかったら下水道のでも飲んでましたけど、後からお腹壊して以下略ですよ。余計水分が欲しくなっちゃいますし。あ、食事中失礼です」
 あれだけ下水道探索した後だったから、二人とも不服の音すら上げる気はなかった。十分自分たちの体ににおいが染み付いている気がするから。
 レリオスは試しにポーチの中を探ってみる。ルフの言うとおり、細長い筒状の高圧縮カードリッジが十本ほど忍ばされ、それぞれに書き込みがしてあった。
 それぞれ、飲料が三つ、火薬、弾丸、携帯食料は二つ、ロープ、つまみ、酒。
「……後ろの二つは捨ててもいいか?」
「え、お酒を飲まずしていつ成人するんですか!」
「俺は未青年枠だ。第一何でいつ手にするとも分からない道具の中に酒とつまみが入っているんだ」
 本気でどんな父親か、覚えていないだけに凄く知りたくない。酔っ払って何をしろと、密偵中に。
「ねえねえ、おつまみぐらいは今食べてもいいんじゃない? お腹空いた時のおやつじゃないかな、きっと」
「おお、いいですねぇ。じゃあボクは酒をお願いするですよーっ」
 嬉しそうにするウィシアとルフに流され、結局酒のカードリッジを開封する。少量出すために小さなダイヤルに刻まれた数量を調節し、取り出そうとして、カードリッジから吹き出されたものは紙一枚。ルフの足元に舞い落ちる。
 親指を立ててサムズアップする男の下手な絵と、隣には文字という組み合わせの内容。あちこちに酒の香りが漂う染みが付いている。
 
『お前にゃ早い☆ 父より』。
 
「あはははははははっ!? アブルさんやってくれますねーっ!」
 そしてまた拳銃を向けられるルフ。ちなみにつまみの方には干した牛肉や塩をまぶしたピーナッツ――本当につまみが入っていた。ただし、高圧縮なはずなのにかなり量が少ない気がする。
 絶対カードリッジに圧縮した後自分で全部飲んだに違いないというのが、彼ら一致の意見となった。

    †

 結局煎餅を食べあげるのに残りの時間を費やし、彼らは森の中で作戦を再び見直す。
「一番の痛手はインブンさんの援護が望めない事ですねぇ……元々、僕とレリオスが中に潜入、遠隔サポートをインブンさんという役割分担だったのですよ。インブンさんはずっとこの街で生活していますから、いつ捕まってもかまわないように、補填員扱いを頼まれていましたが……生憎ボクの知識はインブンさんほどではありませんからねぇ。お嬢さんやレリオスのアンドロイドに対する知識を頼りにする必要があります」
 ヴィオス自身、アンドロイドとも共存はしている。それでも人間を毛嫌いする節もある彼らは、同様にアンドロイドも軽蔑気味だ。人間の言いなりというのが気に食わないのだろう。彼らのアンドロイドに対する知識の薄さは、その表れなのだ。
 ルフはしばらく考え、屋敷の間取り図を広げつつそれぞれを指差す。草の上に広げられたその上に、蟻が何匹か驚いて這い上がってきた。動く黒線が目をちらついて鬱陶しいのか、それとも獣の本能なのか、ルフがねこじゃらしを叩く猫のように蟻を払う。
「お屋敷、お城みたいな造りだね。これもルフが調べたの?」
「まさかまさか。インブンさんですよ」
 ルフは軽く手を振って笑う。そして蟻を払って上にかぶさる草も払う。
「つい一ヶ月前のものですから、そうそう急いで改築したって大きく模様替えできないでしょう。それにそんな動きをしていたら、インブンさんやボクらヴィオスがいち早く気付きます。そういうわけでこの点に関しては反論しないでくださいね、レリオス」
 口を開く直前に止められ、彼は閉口した。今までの余分な台詞も、きっと全て自分を理解させるために続けていたのだろう。
 屋敷の間取り図は、一見して城のようにも見えた。本館は三階建て。南の正面にある大きな玄関ホールは吹き抜けで、横に長い長方形。東西と北には各階廊下がホールを囲うように設けられ、東西の廊下からは玄関ホールへと曲線を描いて階段が降りてきている。二階と三階の階段は、途中でひとつに繋がっているらしい。
「正直今の装備で、ボクもレリオスも乗り込めはします。しかし成功の確率は」
「絶望的だな」
「だよね……援軍は望めそうにないんでしょ?」
 続きを引き取る自分に賛同するウィシア。ルフは肩を竦める。
「生きていたら、恐らくは望めます。――まあ、行くだけ行ってみましょうか。あそこ以外、義勇団ブレイバルの拠点は全て抑えられてしまいましたし」
 首を捻るウィシア。レリオスも記憶がないからルフを頼るしかないのに、彼はこの場で場所を明かすのを拒んだ。
 もう一度下水道を使うのかと思ったが、彼は食事が終わってすぐ変身して、木の上へと駆け上がっていく。
 しばらく木の枝が揺すぶられ、弱ったような泣き声を聞いて、上を見上げたレリオスは思わず体を左に逃がした。茶縞の毛でエメラルド色の目を持つ猫が恨めしそうに着地したのを見て、彼は睨みつける。
「わざと俺の方に飛び降りたな」
木の影へと服を引っ張っていって変身を解いたらしいルフが、きちんと着なおして出てくる。肩を竦められ、半眼でこちらを見るヴィオスは、やれやれと首を振った。
「お嬢さんの腕の中に飛び込むのが、こんなおっさんじゃあ絵にもならないじゃないですか。いたいけなヴィオスはあまり調子に乗らないものですよ」
「十分乗ってるぞ。その前に何歳なんだ」
 聞かれたルフはぽかんとしている。食べ上げた猫缶に残った油まで丁寧に舐めとりつつ、小さくうなっている。一瞬彼の体から下水道の悪臭とは違った臭さが漂ってきた気がして、レリオスは思わず顔をしかめた。
「何歳でしたっけ? 多分三十路みそじ近かったと思いますけど」
「それ、おっさんって言える年齢かなあ……」
 ウィシアの苦笑いに、レリオスは思い出して首を振る。
「ヴィオスの平均寿命は四十年だ。種族的に見れば中年で合っている」
 やや暗くなった様子の少女。ルフが「いやいや」と訂正を始めてくる。
「最早おじいちゃんのレベル手前ですよ。おかげで最近腰痛が」
「ならさっさと保健所に行ってこい」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 こうやって聞くと叫び声も口調も、年齢不相応だ。レリオスは耳を塞ぎながら溜息をついた。
 しかし、木の上に登って何をしていたのだろう。そもそも猫になれば、余計やりたい事ができるようには思えない。
 期待せずに彼が登った幹を見上げ、目が据わった。
 『ルフ様休憩所その三八』と、幹の上の方に爪の跡がしっかりとついていた。
  
  


ルビ対応 2020/10/09



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