シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第03話 02
*前しおり次#

  
  
 自然区の奥へとさらに進みながら、何故か動物が出てこないのに不自然さを覚える。ウィシアも自然区の動物に警戒して周辺を電子的な視野で見渡しているようだが、怪訝そうな表情を顔に乗せたまま変わらないようだ。
「ねえ、動物いないよ?」
「ああ、フギュレの花粉のにおいが嫌なんですよ。ボクがさっき登った木の花です。レリオス達にもにおいついてるはずですよ」
 言われて思わず自分の服のにおいをかいでみる。だが、ルフのにおいほど強烈なものを感じずに困惑していると、ウィシアがなんとも言えない表情になっている。
「あ、あの強烈な花粉ね……でも、あたし感じなかったのに……」
「……下水道のにおいのせいか」
 あれで慣れすぎて、ルフが花粉を落としても気付かなかったのだろう。レリオスはようやっと、花粉らしい黄色い粉が服に付いているのに気付いた。
「フギュレの木は、ここの自然区で一番獰猛な幻獣マルールが苦手とする香りを持っています。同じぐらい、ボクら獣も苦手なにおいなんですけどね……」
 顔をしかめるルフ。マルールの文献を思い起こそうとしていたレリオスは聞き損ねたが、何やら彼には珍しい罵詈雑言が飛んでいた気がした。
 確かマルールは、牛に近い見た目をしているのに、目は赤くぎらぎらとしていて、臼歯ではなく鮫のような歯と顎を持つ、森の捕食者だったはずだ。知性はそれほど高くないが食に関してはあまりにも貪欲で、マルールが住み着く森は動物の墓場になると言われるほどだったはず。
 そんなものが、自分たちが住むスタの中に居るというのか?
「マルールが棲みつき始めたのはいつなんだ」
「十年前に義勇団ブレイバルメンバーが目撃した時からですから、それ以前でしょうね。結構十年前にあれこれ変わってるんですよ。歴史の勉強大変でしょうねぇ、スタの皆さんは。領主が公開していたらの話ですけど」
「してないな」
 淡々と返す。普段から感情がほとんどないような物言いだったためか、特に何も思われた様子はない。
 ルフもそうだが、今度はウィシアも首を振っている。二人の表情は呆れこそ示していたが、共通点はそこ以外なかったようにも思えた。
「領主様がやる事じゃないじゃない……信じられないよ」
「あいっ変わらずとは思いますがねぇ。どうせ勝手に自然区の奥に首突っ込んだ連中でも食わせてたんでしょう。おかげでフギュレの花粉なんか付けなきゃいけないんですからたまりませんよ」
 まあ、おかげで見つかりづらくなったという利点はありますが。ルフが先頭をきって歩く中、時折辺りを見回している。レリオスも、覚えていなくとも密偵として育てられた経験からか、首を左右に振って周囲を警戒するようになっていた。
 それにしたって、本当に草木しかない森だ。マルールは地上の獲物しか手が届かないというのに、鳥もいなければ猿やリスの姿もないなんて事、あるのだろうか。
「そういえば、フギュレの花の蜜が大好きな鳥っていなかった? 棲み付いてないの、おかしくないかな?」
「鳥もいますが蜂もいますよ。鳥の方は性格が穏やかなコリスズメでしたっけ? 蜂の方は巣を持たないキラー・ワスプですよね。蜂の方がいたら厄介ですよ、ボクらを殺して死体に卵を植え付けようとするんですからねぇ」
 後ろから小さな羽音がした気がしたが、レリオスは聞かなかった事にした。
 というか振り返りたくなかった。ルフの話を聞いてしまった後では。
「じゃあ、この辺にもいるのかな? コリスズメ」
「彼らは愛すべき鳥ですよ。なんと言ってもあの美味……なんですか、いいじゃないですか、鳥はボクらヴィオスにとって高級食材ですよ!」
「かわいい鳥を食べるのはちょっと……」
「あなたたちを作った人間だって鶏肉食べてるじゃないですか! あの火を通す鳥や魚への侮辱行為は信じられませんが、とりあえず食べてるでしょう!」
「そ、そう言われてみれば……レリオス?」
 レリオスは立ち止まってじっと下を見ていた。
 白くて細くて滑らかな曲線のものが、いくつも地面に散らばっている。
 それらに添えられるように、白い芋虫のような皮がくしゃくしゃになって置き去りにされているのだ。
「……る……」
「へ? どうしたんです?」
「……蜂、おそらくいるぞ……」
 ……。
 ウィシアもルフも時を止めたかのように固まっている。
「まっ、まっさかぁ。そんなはずはありませんよ、奴らの猛毒は半端じゃあ……しかもこの辺動物いないじゃないですか、産卵できませんよ?」
「この骨、マルールじゃないか?」
 ルフが見に戻ってくる。ウィシアも離れたくないのか、一緒に戻ってきた。
 獣人ヴィオスが確かめている中、レリオスはまた羽音がした気がして素早く周囲を見渡す。
「……マルールです、ね……多分……」
「え、じゃあキラー・ワスプにやられちゃったって事……?」
 沈黙。ルフもウィシアも顔が真っ青だ。
 かく言うレリオスだって、内心自分がせわしなくなっている気がしてたまらない。
「嘘でしょう、マルールってキラー・ワスプぐらい平気で踏み潰してますよ!? 普通の蜂よりでかいのに!」
「マルールとキラー・ワスプが動物を殺しすぎたんじゃないのか。最後は一騎打ちになって」
「敗者はマルール?」
「まあ、多勢に無勢ならそれは……ってちょぉぉぉぉっと待ってくださいよ!? じゃあここ危険地帯まっしぐらじゃないですか、以前の問題でボクら花粉つけてますよ危険ですよ!?」
「人間の料理でいう三ツ星級料理になりそうだよね、あたしたち……あはは……」
 さらに顔面を蒼白にしたルフの叫びに、レリオスは耳を塞ぎたくなるも我慢。周辺の音を聞き漏らさないように気をつけつつ、言葉を一応選ぶ。
「……羽音がこれ以上近づかない事を祈るか」
「ひぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 勘弁してえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 ……上手く選べなかったようだ。
 確かに、一番花粉を浴びているのはルフのはず。きっと今まで守ってくれただろう下水道のくささもいい加減抜けてしまうだろうから、後は狙われるだけとなるはずだ。
「領主様、この事知ってると思う?」
「……可能性は低いだろうな。知っていても特に損失はないだろう」
 ルフの話を聞く限り、領主はここの人払いを望んでいるはず。それなら人を殺し、いつでも量産できるキラー・ワスプの方が使い勝手はいいはずだ。
 よくスタに入り込まなかったなとつくづく思ってしまうけれど。
 それにしても、羽音が聞き間違いではないならば……。
 レリオスはポーチの中を探り、小さな皿と草を見て少し考える。グローブをはめた手で草を引き千切り、さらに乗せるとライターで火を付けて煙を漂わせる。
「あ、いぶすんだ?」
「蜂は煙が苦手だと聞いた事がある。煙を漂わせていれば寄ってこないんじゃないのか」
「……うっかりしていましたよ……ですがキラー・ワスプにそれが通用しますかねぇ……」
 それは分からないから、レリオスは肩を竦めてごまかした。
 ひとまずルフが静かになってくれて助かった。

 ――ヴヴ……

 思わず後ろを振り返る。
 辺りはまた静かになっている。
 じっと耳を澄ますも、自分の息や心臓の音が鬱陶しく感じるぐらいに、音がない。
「……ルフ」
「聞かないでください」
 声が硬い。という事は――などと考えるより、レリオス達は互いを見やって頷きあった。
「お二人とも、走りますよ」
「な、何か準備するものある?」
「……森に火の手を回すわけにはいきませんしねぇ……今のうちに煙、いっぱい浴びておきましょうか」
 決まりだ。三人はレリオスが持つ小皿からの煙をめいいっぱい近くに漂わせ、火の始末をすると同時に深呼吸した。
「三」
「二」
「一。ってわけで行きますよーっ!」
 疾走ダッシュ。同時に羽音がいくつも近寄ってきた。
「ルフ、お前猫の方が早くないのか!」
「無理です無理です! こんな森の中じゃいつもみたいに走れませんって!」
「いやああああっ、来てる来てるーっ!」
 羽音、羽音、羽音。
 響く限りの羽音に、レリオスは必死で頭を回転させる。
 初陣でまさか蜂に襲われる羽目になるとは全く予想していなかっただけに、何をどうすれば言いか全く分からない。
 しかも羽音の数を考えると足止めなんて期待するだけ無駄だ。
 ふと前方が光った。それを見たルフが声を上げる。
「あ、か、川ーっ! 思い出した、あれに飛び込んでください!」
了解ラジャ!」
 形振なりふり構わず川へと飛び込む、人間とアンドロイドとヴィオス。
 後にレリオスはこう思った。
 これほど奇抜シュールな光景はないはずだと。
 
 
「何とかやり過ごしましたね……」
 そこそこ深い川は澄んでいて、同時に緩やかな流れだった。その中を潜って進んだ。初めて泳いで溺れかけたレリオスは、重量的に水底を歩くしかなかったウィシアに助けられたりもした。天啓魔術で気泡を作り出してもらわなければ危なかっただろう。
 その川底に隠し通路らしい天然の洞窟があってようやっと空気を吸えた。
 しかしレリオスは水中で盛大に息を吐き出してしまい、しばらく咽きっている。ウィシアが天恵魔術で明かりを灯し、ルフが服を絞っているらしい音や声が聞こえてはくるが、それどころではない。
「うっかりしていましたよ。そういえばスタの人達って、あんまり泳いだ事ありませんでしたねぇ」
「けほっ……ヴィオスが泳げるなんて初めて見たぞ」
「ボクは仮にも密偵ですよ? まあ、ボクほどにもなると泳げるからどうという事もありませんがね」
 一応猫だって生命の危機の時ぐらい、泳ぐ奴は泳ぎますですよ。水を絞り出す音が岩壁に響く。
 ようやっと落ち着いたレリオスは、荷物の点検をしつつくしゃみをした。
 ……洞窟の中だと変に響いてうるさく感じる。
「それにしてもお嬢さんは気泡作り出せるんですねぇ。あんな天恵魔術ユパク・ヘブルありましたっけ?」
「あ、ううん。精霊の力を借りてるらしいんだけど、この石を使ったの」
 アクアマリンの石がはめこまれたペンダントを見せられ、ルフが感心する。
「あ、それ幻品ロスフォートですね? あの最果ての要塞ロスト・フォーティフィード製の」
 最果ての要塞。天恵魔術の力すら及ばない。太古の力を操ると言われる東の果てに存在する都市国家だったか。
 そこから作られるアイテムは全て太古の技術で生成されており、そこで生まれ育ったもののみ生成法を口伝で引き継がれ続けるのだという。国家レベルともいわれる秘密の技術だとか。
「どうしてそれを? かなり高価な品だろう」
「高価どころか、ボクは人生でお目にかかれるなんて思いもしませんでしたよ。スタではまず確実に出回る事のない品ですからね。よほどコネを持っていないと売買の話も頂けませんからねぇ……」


ルビ対応 2020/10/09



*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2022 *Nanoka Haduki* all right reserved.