シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第03話 03
*前しおり次#

 人間が天恵魔術を使えるように、また魔工製品を精製できるようになるためには〈天恵の魔石ヘブレス〉が必要不可欠だ。その意味ではスタ――ジェイド国はある種強国といえばそうなるかもしれない。
 だが、その技術力はあまり高いとはいえないし、領土とするスタに独立宣言をされかけている今、ジェイド国は幻品を作る最果ての要塞と比べれば、規模は豆粒のようなものだ。
「とりあえず、この石に魔力をぶつけるとね、水中なら魔力に応じて気泡ができるの。その中なら息ができるから、レリオスにも入らせようとしたんだけど……」
 言われて、レリオスは顔をそむけた。途端にルフが「ははぁ〜」となにやら嬉しそうな声を上げるのが聞こえる。
「そういう事ですかぁ、恥ずかしかったんですかぁ。いやぁ、若い事はいい事ですねぇ。おっさん羨ましいですよ本当だから拳銃向けるの止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 ウィシアがぽかんとしているのが見えたが、同時に絶叫で耳を塞ぐ事に集中した彼女の表情は、瞬く間に変わっていた。
 恥ずかしいのかは分からなかった。
 顔が一瞬熱くなるだけで、ひたすら彼女の顔から逃げたくなった。
 ただ、それだけだったのだから。

 洞窟はルフ曰く、昔取り押さえられた義勇団ブレイバルの拠点のひとつへと繋がっているそうだ。もっとも、領主の事だ。マルールを解き放った際に人手を割くのを面倒くさがって、そのまま放置しているだろうとルフは踏んでいるらしい。
 そもそも領主が一体どんな人物だったのかすら知らないレリオスは、ルフの罵詈雑言を全て鵜呑みにしていいのか、やや判断しかねていた。
 父の失踪に関わっている。母親の感情を無くした張本人。
 それだけではなく、自分や無彩の街スタの人々全員の感情を奪い去った本人と――。
 けれどその前は?
 自分と同じように、領主となる前にあるはずの人生については、ルフは全く触れる事すらしてくれない。
 意図的に隠しているわけではないと分かっていても、なんだか釈然としないものがある。
 安全な場所に一応とはいえ着いたからかもしれないが……。
「ルフ。現領主が就く前は、一体どんな人物だったんだ」
 ルフは驚いたようで、足がぴったり止まっている。ゆっくり振り返ってくるその顔は、嬉しいのやら呆然としているのやら、そもそもどの感情を向けたいのかさっぱり分からない顔でこちらを見てきている。
「レ、レリオスが領主に興味を示すなんて……! とまあ、継母ままははっぽい事は置いておくとしてですよ」
 一瞬ぶん殴りたくなった自分は、ウィシアやルフから言わせれば成長したのだろう。きっと。
 そう思う事にしておこう。拳も隠しておこう。普段から固まったままだけれど。
「そうですねぇ……。割とおとなしくて卑屈屋でしたよ。前領主である父君、カインド氏があまりにも厳しく、賢帝と言われるほどの人物でしてね。あ、実際に皇帝だったわけじゃないんですが。
 ボクも何度か、ディードが幼い頃に一緒に遊びはしました。木登り教えたんですけど、登ってる途中で怖くてお漏らししてたんです。運動はからっきしで、小動物を見て不思議そうな顔をしてましたよ。『あんなに小さな命で、どうやって生きているんだろう』ってね。
 ――あいつ、どうも命の重みを上手く理解できなかったんでしょう。そのまま成長してしまったのかもしれません。ボク、一時期この国から除籍して、隠れ猫キャッツアイに入団して任務に勤しんでいましたからねぇ。まあ、こんな使えないヴィオスじゃぁ、あそこでは役不足だったようですが」
 どっちを貶したいのかさっぱりな言葉遣いのルフだが、レリオスは思った。
 ルフは本気で潰したいのだろうか。
 少なくとも小さい頃から知っているという事は、おそらく幼馴染のはずだ。同時にそれを、上手く言い表せないが、引っかかっているようにも思う。
 そう判断できるのだ。
 懐かしそうに話す彼の表情は、憂いに近いもので。
 そのくせ、嬉しそうで、楽しそうで。
 怒りたそうで。
 養育所で習った感情の絵よりも、ウィシアやルフ自身が見せてくれたそれらを見れば、一発だった。
「――と、着きましたよ。こんなにこの洞窟短かったんですねぇ」
 きっと松明が置かれていたのだろう。篝火を設置するために組まれたはずの木々は、滅茶苦茶に折られ、川からの湿気を受けてか腐ってしまっている。
 そこに、おそらく苔だろうものが付着して、新たな命を紡いでいた。
 扉もかなり簡素なもので、木を運び込むほどの余裕はなかったのだろう。暗幕のように布が垂れ下がっていたが、これもぼろぼろだった。
 切り刻まれ、布がいくつも地面に置き去りにされている。
 ウィシアが明かりを移動させたその奥では、高圧縮カードリッジを利用して秘密裏に運び込んでいたのだろう。乱雑に切り捨てられた紙類や、壁の石を削って作り出しただけに持ち堪えたらしいテーブルと椅子が出迎えてきた。
 そのテーブルにも、椅子にも、紙にも布にも。
 どす黒く変色した染みが付着していて、この拠点最期の断末魔を耳に再生させようとしてきているようで。
「ここが、ボクらの拠点のひとつです。やっぱりもう見張りにすら来る気はなかったですねぇ。十年前のままみたいですよ」
 壁に掘り込まれた、いくつもの細い直線。きっと剣を振り回したのだろう。
 三人が並んで歩いて、気分的に少し窮屈に感じる程度の洞窟の通路から、居住できるようになったこの空間は、ドーム状にしっかりと広く作られている。工夫出身者が多いスタの住民たちなだけに、きっと手作業でこの洞窟を開拓したのだろう。
 いくつか、小さな銀紫色の光が見えた。〈天恵の魔石〉の欠片だ。
 術を紡いでいる中、〈天恵の魔石〉を破壊すれば、魔力が暴走して術者と周囲に何が起こるか分からないのに。それでも破壊したのだろう。
 そこまでして、抗おうとしたのだろう。
 意味があるようには思えなかった。死んだらそこで、本当の無しか訪れないというのに。
 そんなに抗って、領主を倒して、その後どうしたかったのだろう。
「――意味があるようには思えないな。戦いなんて、する必要があるのか?」
「レリオスからすれば、そうでしょうね。ボクもアブルさんに聞いた事あります」
 父はなんと言ったのだろう。
 その言葉を、ルフはどう受け止めたのだろう。
 ここで戦った人々も、その言葉を聞いていたのだろうか。
 それとも、自分の言葉を形にしたのだろうか。
「『自由は戦いだけでは得られない。それは俺も分かってるこった』」
 父の口調を真似ているのだろう。ルフの言葉遣いが、若干ぎこちない。
「『けどな、間違いを間違いだって認めねぇ奴には、たまにゃ拳ぶつけなきゃいけない時だってあるんだよ。戦争とか紛争とかってのは、はっきり言やあ子供同士の喧嘩だ。それでも、大人になったって譲れねぇものはいくらでもある。例えば、大切な子共の命とかな』」
 レリオスは僅かに目を見開いた。
 喉が急に、気道だけ狭めたようになって、目が熱くなって。

 お前、無理して戦おうとしなくったっていいんだぞ? 俺は好きだからやってるけどよ、お前にゃ向いてねぇ。喧嘩ってのは子供の我が儘で、戦争ってのはその延長で、拳ってのは守るために振るうもんなんだよ

 それ分かってから、俺みたいに探偵ごっこ始めろや。知的な親父を追いかけずに、自分の手と力で好きなもん守りたくなった時に、誰に何言われても譲れなくなった時に相手のつらぶっ飛ばしに行け

 ――思い出した
 あの人がただ行方をくらましたりするはずがない。
 あれだけ、自分が密偵になる事を渋っていたのは、他でもない父だった。
 それでも我が儘を言った自分の理由が、誇らしいって笑ってたのも、父さんで。

 本当、俺の自慢の息子だよ

 ウィシアもルフも見ていない。
 自分だけが見ている壁、床。
 岩を削って作られた机、椅子、散らばった紙も布も、視界から消え去る。
 まだここがただの洞窟だった頃が、想像でしかないけれど、きっとこうだったのだろうと思わせるようなただの洞窟が、視界一杯に広がる。
 ここに、いたのだろうか。
 まだあの豪快な笑い声も、その顔も思い出せないけれど。
 本人が吸っていた煙草のくささだって、全然……思い出せない、けれど。
 言われた言葉だけは、確かに思い出せた。
 何度も言って聞かされたあの言葉を、ちゃんと思い出せた。

 我が儘を言った、その言葉だって。

 やだよ、絶対密偵になるんだ!

 本当は怖いんだろうが

 怖いけど……で、でも

 ん?

 でも、お、お父さんみたいにかっこいい密偵になりたいんだもん!

 ――お前なぁ……本当、俺の自慢の息子だよ

 本当!?

 ああ。レリオスは一番誇らしい宝だ。母ちゃんと同じぐらいな


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