しばし休憩しようと、戦場跡ではあったが
その間にルフは疲れを取るために寝入ってしまい、ウィシアも念のために休む事に。
レリオスは見張りも兼ねて、拠点の中を探索してみた。
探索と言ってもそんなに広い場所でもなければ、おそらくは明り取りだったのだろう天井の通気口内の鏡に映り込んだ景色は、見事に落ち葉や枯れ草しかなかった。
十年も放置されれば、もうそこは自然のものだと言いたそうだ。
記憶が少しだけ戻ったと、ルフたちに言おうか。
なんだか、喜んでもらいたかった。
何だかんだと言ったって、ルフは自分の事を心配してくれている。ウィシアが領主のもとに赴く理由だって、自分が原因だ。
いつの間にか張り詰めてしまって、その度に慌てたようにほぐしていた空気を、少しだけ自然にしたかった。
けれど――
レリオスは眠ってしまったらしいウィシアの横顔を見、首を振る。振って、奥に通路らしいものを見つけ、覗き込んだ。
明かりはライターしかないし、それを使ってこの場では貴重な空気を減らしたくもない。かと言って自分の〈
少し暗闇に慣れてきたのだろう。奥に何かがあるのが分かる。動いていないようだから、きっとここは倉庫なのかもしれない。
「あまり奥に行くのは、まだお勧め出来ませんよ」
一瞬体を強張らせて振り返ると、ルフが忍び笑いをしてこちらを見てきているのが分かった。
「そっちは倉庫ですよ。まあ、目が慣れてきたなら少し見えるかもしれませんがね。そこからさらに奥にはダミーの岩壁があって、さらに通路が延びてるんです。いくつも枝分かれしてましてね。そこのどれかからも奥に出れるんですよ。おかげでこの拠点を襲撃された時、結構な人数が逃げ延びる事ができたんです。いくつかは森のもっと先に出るんですよ。面白いでしょう?」
おそらくそこの通路だけは見付かっていないはずですよ。欠伸混じりに教えてくれるルフは、猫のような伸びをして首を左右に振る。
「……逃げる事も前提だったのか」
「義勇団の面々はほとんどが家族持ちで、なおかつ家族ぐるみで入っている事が多かったんですよ。それに、拠点だからこそばれた時が肝心です。逃げるための工夫も、犠牲を最小限に抑える方法も考えなければならないんですよ。ここは拠点ですが、相手の規模を考えると城みたいに守るだけじゃやっていけませんからね。
この拠点襲撃の直後、逃げ延びた義勇団メンバーがマルールを発見したんです。多分、拠点襲撃と同時に放ったんでしょうねぇ……」
まだ眠そうに、声が伸びている。目もまどろんでいて、しかしそれでも淋しそうだ。
「まだ、十年前は義勇団だけでなく、
彼らの祖先である猫たちは、人間にいいようにペットにされ、捨てられ、利用され、様々な扱いを受けてきた。
それを彼らが忘れていても、血は忘れてはくれない。
ヴィオスの祖先は、ほとんどが捨て猫だったり野良猫だったりしたのだという。――いい思いがあまり出来なかったのだろう。
「異種族が勝手に、手を出していい問題でもありませんでしたからね。端から見れば、ただの領内での紛争ですから。ここまで大きくなると話は別ですが……まあ、ボクらの考えがまだまだ獣だったんでしょう……」
また欠伸をして、伸びをして。そして今度は肩を回し始めるルフは、確かにどこか親父くさい気がする。
「ほらほら、レリオスもちゃんと睡眠はとった方がいいですよ。少し交代しましょう、お嬢さんのお膝でも借りたらどうで――いやだから拳銃止めてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「えっ、な、何? 何かあったの?」
慌てて体を起こすウィシアを見て、レリオスは拳銃をおろした。
「地図も見事に隠滅していますねぇ。徹底ぶりはあいつらしいですねぇ」
「あいつ?」
この拠点のリーダーですよ。ルフは肩を竦める。
「ボクは苦手なタイプでしたがね。全て計画して実行する生真面目肌で、アドリブってものがまるで通用しない堅物でしたよ。でも、この拠点を襲撃された際の仕掛けを考案したのも全部彼なんです。妙な所に抜け目がある人物でしたが、嫌いとまではいかない憎めない奴でしたよ」
まだ若かったのに……。そんな呟きが、ルフから聞こえた。
「そいつのおかげで、被害も最小限に抑えられました。――ここでの死者は、六人でしたかね……」
「そんなに……?」
胸を痛めているようなウィシアの表情に、ルフはいつも通りの笑みを見せてくる。
「それでも最小限なんですよ。拠点襲撃の話を聞いた際、ボクらの誰しもが拠点の人間全員が全滅したと思っていたんです。半数も死傷者を出さなかった彼に、皆今でも感謝しているんですよ」
「それで、ここから別の拠点への往き道は分かるのか?」
確かに死者を傷む気持ちは大切なのだろう。記憶が少しだけ戻った今、それは何となく分かる。
けれど今を生きる自分たちの道まで閉ざすような真似は、死者の想いを無駄にしてしまう。そんな気がしたのだ。
ルフが周辺を見て首を振ったのを見て、レリオスは考える。
「この非常通路の先がどこに繋がっているか、分かるか?」
「ええ、まあ。しかし遠慮した方がいいかも知れません。ボクが知る死者の数と、生き延びた義勇団メンバーの数が未だに合わないんですよ……」
「それって……」
ウィシアが顔を青くする。ルフも頷いている。
「未だにさ迷われている方がいてもおかしくないんですよねぇ……さすがにボクもこればかりは調子に乗れませんよ」
下手をすれば、この非常通路のどこかで嘆きさ迷う魂があってもおかしくはない。そういう意味なのだろう。先ほどの休憩中にそれらしいものに出くわしていないから、万が一と言う意味なのだろうけれど。
「まあ、さっきの蜂の大群よりはマシでしょう。あの数を相手するより、この狭い通路なら進行を深く考えずに
自ら袋小路になりそうですが。ルフの言葉に、レリオスもウィシアも内心暗いもやが晴れなかった。
念のために、まだ使えそうな拠点の備品をくすねた。倉庫の中から高圧縮カードリッジ入りの食料や飲料を見つけたのはルフのお手柄だ。落ちていた多少大きめの〈
「猫缶……ねっこ猫缶猫缶缶♪」
「何の歌だそれ」
「あーもーレリオス、もうちょっと空気と言うものを勉強してねぇ……いえ、でも分からないでしょうねぇ、魚や鳥に火を通す邪道を犯す人間には……ああもうこの高級マグロ缶は今日いたいけなこのボクに見つけられるためにここに保存されていたのですよ!」
「……期限、もう切れかけていないか」
ルフがぴたりと固まったのを見て、レリオスは危うく笑いを漏らすところだった。
ウィシアやルフが論争していたように、自分が今まで持っていた〈天恵の魔石〉に刻まれた
とりあえず期限すれすれだったらしい猫缶をきちんとカードリッジに収納した獣人を見、レリオスは全員準備が整った事を把握する。
「それじゃ行きますよ、今日の夕飯の楽しみのために!」
「……動機、変わってない?」
「食い意地を張った奴に何を言っても無駄だと判断した」
ぼそっと答えれば、ウィシアは何とも言えなさそうに苦笑していた。
「さあさあ、お二人とも行きますですよーっ!」
「あ、うん」
本棚の奥の岩壁をずらさなければ見付からない通路が開かれた。慌てて追いかけようとするウィシアは暗視を使ったのだろう。中を見て自分を振り返ってくる。
「レリオス、中結構に暗いし、段差だらけみたいだから気を付けてね?」
「……ああ」
今、自分が言うべきだと思った台詞をすべて持っていかれたような気がした。
中は本当に暗い。その暗さでも平気だというルフやウィシアはともかく、生身の人間であるレリオスは〈天恵の魔石〉で明かりを灯す必要があった。
そう言っても養育所で習って久しいわけで。術式を本格的に忘れかけていたレリオスは、間違えて
今まで機械的にものを覚えてきたが、それでも人間は機械のように半永久的に覚えられるわけではない。それを感じて、レリオスはしばし記憶力に自信がなくなってしまった。
どう考えても、人間がアンドロイドに、アンドロイドが人間になると言うのは、無理なのだ。それが分かっているはずだったのに、何で自分たちはアンドロイドのような生活をしていたのだろう。
――本当に、今は不思議にしか思えない。
「確かこっちの道だったはずですが……ああ、ありました」
よく道を覚えているなと感じつつ見てみれば、分かれ道に様々な印が刻んである。
おそらくはほとんどがダミーだろう。また、人間の感覚を利用してか、通路は上に進む事が滅多にない。ほぼ天然洞窟に近い場所で、わざわざ非常通路を長く作る必要はないだろうと考えるだろう、敵の思考を利用しているのだろうか。
それにしても、あの拠点跡の様子が頭から離れない。
初めて見た。ウィシアやルフがいなければ、きっとあそこで休息を取るという思考には至らなかっただろう。
何とも言えない重い空気。変色しきった血のりや、無残に切り刻まれたり、焼き払われたりした紙や布。これ以上ここに立ち入るなという拒絶を感じられもしたし、その不確定な感覚に従って
そしてこの通路も。
何か居そうで、足を後ろに戻したくてたまらない。
それこそ後ろを振り返れば――
「いたっ!? レリオスどうしたの?」
思わずウィシアの背中を押してしまった。
振り返ったその奥で、明かりの圏内に剣が一瞬見えたのだ。
「――っ! レリオス、よく気付けましたね……」
ルフがレリオスと位置を変わるために引き返してくる。ウィシアが視界を電子的なものに切り替えたようだ。
「魔力反応あり。アンドロイドの襲撃確率五パーセント。
「そりゃあないでしょうね。来たのはどうやらっ!」
しばらくじりじりと前進していたらしいルフが素早く飛びのいて戻ってくる。
またレリオスが掲げる〈魔石〉の光の圏内に、鈍色の何かが過ぎ去った。
「スケルトンのようですからね。これは性質悪すぎますよ、さっきの拠点への退路を絶たれました」
通路は二人が並ぶのでやっと。という事は――。ウィシアはルフの背後を探索眼で確かめる。
「スケルトンの後方に生命体反応と思しきものはなし。背後――っ! 魔力反応あり、赤外線視野展開、反応なし!」
「ウィシア、明かりをつけろ」
「了解」
レリオスは自分の〈天恵の魔石〉の明かりを消し去り、短剣を取り出すと次の術式を組む。
「洗礼の刻印 刃へと刻め
母の御名忘れし子 父の刃携えし子
両を忘れし刃 無垢な
〈天恵の魔石〉を片手で持ち、印を切るように振るう。宙で切られたその印は、そっくりそのままレリオスの短剣に宿る。
「
刃の上に現れた光の印が輝き、吸い込まれるように消えた。〈魔石〉をポーチの中に素早くしまったレリオスは、近づきつつあるスケルトンを見据える。
「ウィシアはルフの援護に回れ。俺たちが近くに居る以上、ルフは
「――了解。無理はしないでね」
後方から剣戟が聞こえる。同時にウィシアが光を空間そのものに灯した。スケルトンが持つ斧が見え、レリオスは一瞬足が竦む。
初めて見る、自分に向けられた刃。
あまりにも大きくて、一度当てられたら怪我で済むかも怪しくて――
「――っ」
相手に儀礼的なもの、それこそ作法なんてものは通用しない。
拳銃も取り出すか悩むも、当てづらさを考慮して忍ばせたままにする。
――間合いに来た。
斧が振り上げられ、咄嗟に身を退こうとしたレリオスはサイドステップでかわす。足元の石が重たい刃に砕かれ、すぐにスケルトンは斧を持ち上げようと体勢を作る。
その腕の骨を斬り下ろしで砕き、両手持ちの斧はすぐに持てなくなったようだ。それでも持ち上げようとするスケルトンに、再び短剣を舞わせる。
「ほいっ、やっ、はっ、そい、ほいっ」
後ろでは気が抜けそうなかけ声が聞こえてくるけれど。
「純力の刻印 仇なす者を切り刻め
天恵の絆 砕きし意志は腹の子の戯れ
身に収めし牙 純の力となりて閃かん=v
澄んだ声が詠唱を伝えてくる。一瞬体がぐらつきかけたレリオスは、体勢を立て直すとすぐにスケルトンにもう一太刀浴びせる。
「
光が後方で瞬いて、何かを砕いた。
「ひゃっほー、お嬢さん凄いですねぇ! さすがです」
「まだ油断しない方がいいよ、魔力反応あり!」
「……え、うそん」
「喋っている暇があるなら手を動かせ、ルフ!」
どっちが実戦経験持ちなのか、分からなくなってきた。
どうやらスケルトンでも、斧が持てないと素手で戦うという判断ぐらいはあるらしい。まだ微妙に残った髪の毛を振り回し、頭蓋の眼球があっただろう穴をこちらに向けてきた。中が見えそうで不気味な頭だが、レリオスは構わず短剣を一閃させる。
砕き損ねた。頭が現状に追いつくと同時に、左の腹部に鈍い痛みが走る。
「――っ!」
確かめている暇はない。再び短剣を閃かせたが、先ほどよりも威力は格段に鈍っている。
怪我をするなんて、先ほど思い出したあの父の記憶以来だった。
「それじゃ行きますかっ、猫缶のために!」
後ろで素晴らしい連続攻撃の音が聞こえてきて、ガラガラと地面に落ちる音がした。
何となく、あいつなんかに負けたくないと思ってしまう。
刃の印はまだ動いている。レリオスは再び剣を振るい上げ、叩きつけるように下ろした。
スケルトンの頭蓋が砕かれる。
「純力の刻印 仇なす者を切り刻め
天恵の絆 砕きし意志は腹の子の戯れ
身に収めし牙 純の力となりて閃かん=v
もう一度聞こえる声。支えにするように、再び短剣を横薙ぎに振るう。
肋骨部分を捕らえた。
「純力の刃=v