拾壱

 「名前!そろそろ休憩にしよう!」

麗らかな日差しが差す込む庭に威勢のいい杏寿郎さんの声が響く。その声に竹刀を振るう手を止めると心地よい風が汗ばんだ頬を撫でた。先日任務復帰を遂げた私は今日も夫である杏寿郎さんに稽古をつけてもらっていた。彼の稽古は非常に厳しいものではあるがとても為になるものばかりだ。妻とはいえ手加減は無用だと伝えていたので杏寿郎さんがビシバシと稽古をつけてくださることに感謝していた。
縁側に腰を下ろして先程千寿郎さんが用意してくださった冷たいお茶で喉を潤す。火照った体には丁度良い温度だ。

「名前は飲み込みが早いな!どんどん技の精度が上がってるぞ!」

「杏寿郎さんのおかげです。一目見ただけで私の動きの癖や弱点を指摘してくださるんですもの」

稽古をつけていただくにあたり、私が使う光の呼吸の型を杏寿郎さんに一通り披露すると彼はそれだけで改善すべき点を全て網羅したのだ。さすがは鬼殺隊の頂点に君臨する柱。その鋭い観察力に驚かされた。それからというもの重点的に私の弱点を改善するための稽古が始まった。初めこそ厳しい稽古についていくことが精一杯であった。稽古後は疲労困憊で稽古と家事の両立が疎かになり、千寿郎さんに迷惑をかけてしまうこともあった。申し訳ないと頭を下げる私に千寿郎さんは嫌な顔一つせずに家事を手伝ってくださったのが救いであった。千寿郎さんの力を借りつつ、稽古に勤しむ毎日。そのおかげもあってか、いつの間にか稽古後も一人で不自由なく家事を担うことができるようになり、自分でもわかるほど以前より技の精度が上がったように感じる。

これもそれも全て杏寿郎さんの指導の賜物である。

「しかし光の呼吸とは不思議な呼吸だな。単なる斬撃だけではなく、浄化の力も加わるとは」

「よく言われます。私も初めは戸惑いました」

光の呼吸は杏寿郎さんが使われる炎の呼吸や水の呼吸とは決定的に異なる点がある。それは浄化の力だ。すべての斬撃に浄化の力も加わり、鬼は斬られた部位を二度と再生することができない。それどころか斬られた傷からどんどん浄化が進んでいくのだ。この浄化の力は呼吸を使用する本人の力量によって威力が異なる。そのため光の呼吸を使う剣士は決して穢れがあってはならないと兄からは教えられていた。

「お見せすることはできないのですが、実は炎の型の奥義煉獄と同じように光の呼吸にも奥義が存在するのですよ」

「よもや!それは実に興味深い!」

「終の型天照といいます。ただ、この型を使うと二度と光の呼吸は使えなくなってしまうのです」

天照は絶大な浄化の力を誇る光の呼吸の最終奥義だ。しかし歴代の光の呼吸の剣士で、天照を使った者は初代だけだと聞いている。兄によると天照はどのような相手であっても跡形もなく完全に浄化し、地獄に落とす奥義だという。天照によって地獄に落とされた鬼は永遠に六道をさまよい続け、二度とこの世に生を受けることはできない。ただし、この絶大な技の威力の対価として使い手である剣士の浄化の力は完全に失われ、命でさえも補償できないそうだ。

「決して使ってはいけない型だと幼い頃から兄に再三言われ続けてきました」

そう告げると一陣の風が戒めるかのように私の髪を撫でた。僅かに乱れた髪を手直すために髪紐を解こうとするとその手を杏寿郎さんの大きな手が掴んだ。

「杏寿郎さん?」

「兄上の言いつけ通り、決してその技を使うことは許さないぞ」

「突然どうなされたのですか」

「名前は無茶をしがちだ。非常事態の際に君がその技を使うのではないかと俺は心配でならない」

いつもの杏寿郎さんとは違い、その表情と声色には焦りが混じっていた。力を込められたせいで掴まれた手首が微かに痛む。いつもの彼ならこのようなことは決してしないはずなのだが、無意識のことなのだろう。
要らない心配をかけさせてしまったことに申し訳なさで一杯になる。少しでも杏寿郎さんの不安が取り除かれるようにと彼の頬にもう片方の手を添える。すると彼は小さくぴくりと反応を見せたが、その表情が晴れることはなかった。

「そのように心配されずとも私がこの技を使うことはありませんよ」

「しかし!」

「そのような事態のために今日のように杏寿郎さんに稽古をつけて頂いているのです」

頬から伝わる体温はいつもよりずっと温かい。私の言葉に納得がいかなさそうに眉を顰める杏寿郎さんを宥めるように頬を撫でる。
こうして躊躇うことなく、ごく自然に彼に触れることができるようになったのはつい最近のことだ。杏寿郎さんに触れると心が満たされる。もっとたくさん触れたい、そして触れられたい。
いつの間にか、私は杏寿郎さんを愛しいと思うようになっていた。
しかしこの気持ちはまだ彼に伝えてはいない。もう少し、もう少しだけ私だけのものにしておきたいのだ。

「仮にもし私がそのような事態になっても、きっと杏寿郎さんが助けにきてくださいます」

「むう!それは勿論そうではあるが…」

悩ましげに唸る杏寿郎さんをどのように安心させようかと考えあぐねていると聞きなれた鴉の鳴き声が聞こえ、二人でそちらへ視線をやる。どうやらやってきたのは私の鎹鴉のようだ。首元に巻いてやった一粒の黒曜石があしらわれた首輪が太陽の光に反射してきらりと光る。
彼女はゆっくりと優雅に地面に降り立つと申し訳さなそうに伝令を伝える。

「稽古中ニゴメンナサイネ。任務ガ…」

「気にしなくていいのよ。場所はどこ?」

「西南西南!日暮レトトモニ西南ヘ迎エ!」

私が伝令に頷くと鴉はすぐに大空へ飛び立っていった。任務に関する新たな情報収集に向かったのだろう。
日暮れとともに邸を発たねばならないということは今から夕餉の準備の取り掛からなければ。今日の稽古はここまでかと思うと残念ではあったが、任務となれば仕方あるまい。隣に座る杏寿郎さんには申し訳ないが先に稽古を上がらせて頂く旨を伝えようとすると突然彼が大きな声で私の名を呼んだ。

「名前!」

「は、はい。どうなされましたか、杏寿郎さん」

「こんなことを言ってはいけないと重々承知してはいるが、本当は君を任務に行かせたくない!安全なこの邸で俺の帰りを待っていてほしい!だが名前がそれを望んでいないことはよくわかっている!」

いつの間にか私の手はすっぽりと杏寿郎さんの手に包まれていた。まるで愛しむかのような彼の行動にどきりと鼓動が跳ね、その熱い視線にじりじりと胸が焦げる。
そしてしばらくの間があいた後、杏寿郎さんは何処からか取り出した小さな包みを私に手渡した。上質な和紙に包まれたそれを丁寧に剥がしていくと中から現れたものはとても美しい髪飾りであった。杏寿郎さんを連想させるかのような赤い石が埋め込まれたそれを太陽に翳してみる。これは確かルビーという石だっただろうか。きらきらと眩い光を反射させるルビーに思わず息が漏れた。

「綺麗…。これを私に?」

「そうだ。無事に俺の元へ帰ってこれるよう願掛けも施した。名前が嫌でなければこれから任務に向かう際はこの髪飾りをつけていってくれないか」

こちらの様子を伺うように少々俯き気味で告げる杏寿郎さん。私はすぐに結っていた髪を解くと彼の前でその髪飾りで髪を結い直した。呆気にとられた表情で私を見つめる杏寿郎さんに再び向き合う。

「これでずっとお傍に杏寿郎さんを感じられます。大切に致しますね」

嗚呼、なんて愛しいのだろうか。